Diary 2005. 9
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9月30日 (金)  スクールライフ。

この季節は高校の卒業アルバム用写真の撮影で毎日くたくたに疲れる。

今日は某進学高校へ行く、美術講師の先生を撮影・・・ どこかで会った様な気がして「どこかでお会いしましたね!」と言うと先生も「そうですね!」よく考えたら一昨日別の高校で会っていたのだ、驚きでした。

同じ先生なのに学校が違うと見え方感じ方が違うのは不思議だ。

一作日は某職業高校に行きました、まだ10代なのにどこかあきらめている感じでした、就職面接に行って全員落ちたという声がした、厳しい現実、どうしたらカメラマンになれるかとも聞かれた。自身の高校の時を思うと夢は無かった将来の夢を作文に書く様にと言われ嘘を書いた、思い出すと恥ずかしくなる。みんなが皆そうであるとは思わないがこんなのが10代なのだと思う・・・ こうして大人になって今でも夢の無い人もいる。

夢は与えられるものではない自身の心に宿るもの、その用意は自身でしなければならない、夢を人のせい社会のせいにしても解決には至らない。大きさでもない、大切にしたいものがあれば見えてくるのかも知れない、それでなければただの欲かも知れない、夢に似たものも多い、どうして良いのか分らない、でも夢は誰にでも届いているとも思える、気が付けないのが現実なのかも知れない、写真もその他アートにしても物の見方にしても哲学にしても宗教にしても、人間が得た英知は気がつく為にあると思う、全ては本質に向けられていると思う、これが分らなかったりボケていたりしてさ迷うのが人間の姿でもある訳で、悲観する理由も無い、他人と比較してもしょうがない、無気力でいたいと思っている人もいる、いずれにしても誰のためにあるものでも無い、自分で決められる世界の話しだと思う。

何も無かった高校生に戻りたくないけれど、若い時は良かったなと思いますね。

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9月29日 (木)  言葉。

絵を描くと写実的に。文章を書くと文法的に。写真を撮ると構図的に。

想像力が無いところから始まった様に思います。

自身のこれまでの経験で感じてきたことは初心者の時はなかなか自分の気持ちを表現出来なかった、それは写真以外も同じで、写真だけが上手くなると云うことはないと考えています。

構図的にシャッターチャンスは綺麗な風景と感覚表現で満足できればそれはそれで良いと思いますが、自分の言葉で思考する日本人ならば日本語で発する世界観にその人の人格なりがある訳です、表現とはむしろこの世界観に注目したいと考えています。綺麗な風景をどんなに沢山撮影しても綺麗なポートレートを撮れても自身の満足には至らない理由はこの自身の世界観の中の価値観と向かい合うことが出来なければ本人には満足する結果には至れない。他方本人の意識世界は言語なりの思考を持って物事の対象から自身の想像を観ることに面白さを感じる様に思え、これらが心とすると変化しとどまることを知らない、この好奇心の中に作品はあると考えたいものです。

勝手に考えて勝手に行動・・・

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9月28日 (水)  仕事モード。

気分もようやく仕事モードになってきました。

今年も残すところ3ヶ月です、Blog効果でしょうか以前に比べて充実した感じがしています。自分の考えなり思っていることを言葉なり文章にすることはふだん慣れていないので難しいのですが勉強になります、この言葉にする行為がなければ写真もただの感覚表現として写るだけでどの様な思いや考えで生き、何に興味を持ち、今をどの様に生きたく、どんな夢を持っているか、これらはその人が語りかけなくては分らないことであるし、想像で理解するものでもない訳です。

写真は表現の手段で、表現の主たるものは思考の中にある訳ですからこの自身の気持ちや考え、日常の思いまでがあらためて新鮮に感じとれる、ここに発見の入り口があると今は分かります。

反応するもしないも気持ちが有るも無いも全てが答えなのです、写真の違いは志で決まってしまうことも分りました。

写真とはその人を写す鏡なのだとあらためて思いました。

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9月27日 (火)  休肝日。

今週は休肝日、火・水の予定が昨日から今月末まで禁酒!

あまり無理しない方が良いのですが、今月分のお酒が底をついているので休肝日にしました。冷蔵庫にビールが無いの珍しい・・・ 

来月14日が採血ですがあまり頑張り過ぎるのもどうかと思うし、リバウンドとか必ずくると思うので程ほどにしたいのですが、今月はビール要らないと言ったら本当に空のままでした。抜け道としては付き合いで外で飲む分には特例となっています、でも、そんな予定もないので大人しく続行したいと思います。

写真展までにスリムになってみたいです。

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9月26日 (月)  デジカメ画像とにらめっこ。

デジカメ1661万画素左をフォトショップで600万画素右に変更し再度補完で同サイズに戻しピクセル等倍で比較してみました。

仮想の比較なので何ともいえませんが見てみてください。

間違ったこともいえないのでコメントはいたしません、ただただじーっと見詰めていて下さい。

今日のBlogは終わりです。

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9月25日 (日)  写真展プリント完了。

写真展の準備としてプリント作業があるのですが一年に一度の作業なのでなかなかうまくいかないのが現実です。以前はピクトロを使用して銀塩プリントをしていたのですが、最近はプリンターによる印刷に切り替えました、理由は高価ということです写真展で3万円近くのプリント代は今のご時世には無理です、そこで自家プリント印刷に頼ることになります。

印刷は銀塩の発色とは違い色を重ねて色をつくるのでくすんだ感じになり艶やかな感じが出ないのが現実、致命的なのはアンダー部分の再現がお粗末、俗に言うベタ黒、ベタ黒はまだ良い方でこのアンダー部が思いがけない色になり写真と思えない恥ずかしさ、でもそれでも精一杯努力して展示します。

プリント終了して疑問に思ったことがあったのでテストしてみました。それが今日の写真です、部分トリムあり、写真展では45cm×30cmにしているのですが、フォトショップで補完した方が良いのか、解像度を下げて補完しない方が良いのか、これまでは補完して解像度を300pixel/inch、これを169.8pixel/inchにして補完しないで印刷、結果としては殆ど同じでしたが気持ち補完無しの方がヌケが良いと思うのは気のせいでしょうかね。

結論的には適正露光で撮影増減感にあたることを極力少なくする、不得意なアンダー部が無い、グラデーションの無い写真が印刷し易いことになりましたが、だいぶ写真からかけ離れるのが残念でした、特性を理解すると見違える様なプリントが出来るのでここにも奥義がありそうです。

プリントサイズ45cm×30cmを600万画素もしくは500万画素の写真から印刷可能と考えていますが、最終出来上がりを銀塩にするのか印刷にするのか、かつては暗室作業に最終出来上がりがあり、現在も同じと考えると写真は撮るだけでは無いとあらためて思いました。

作品サイズは私の場合は45cm×30cmですが、これを補完無しに300pixel/inchでプリントする為には1878万画素になります、時間の問題でこの数字をクリアーするデジカメが出てくると思います、また2000万画素は500万画素の4倍の物理的解像力があると考えると645フィルムと35ミリ位の差に匹敵するので楽しみです。、この過渡期は変化も速いので目的と実用性で自身にあったカメラ選びをしたいものです。

写真は印刷テストの為に部分トリミングしたものです。

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9月24日 (土)  鉄砲隊。

デジカメ導入以前の方が時間に直せばはるかに長いそして総駒数は30000カット、そこから何か良い絵柄はないかと探してみました。

結論からいうとこの30000カットの中から選んでも1年365日を埋めることは出来ないということが分りました、確かにBlog用という発想が存在することになる訳です、逆にいえばデジタル以前は何だったのだろうか、写真に撮って作品にしようという気持ちで撮影して来ているので自身である自分がそこにいるはずなのに見えてこないのは何故か、言うまでも無くこれがデジタル以前の自身である、これを否定も出来ない、他人事でない自信の姿がここにある。この時間があって現在がある訳ですから大切な時であって、今の様に仕組みが無くて見える様に出来なかった時代、年間10カットの作品を制作出来れば困ることの無い静かな時の流れがそこに有り、周りの環境もそうであり社会もそうであった一つの自身の歴史なのだと思いました。

そう考えると毎日写真と記事で埋めるのは凄いことなんだとあらためて思いました。意識というものは今に始まったことでない訳ですが見える形にして発信するというこの方法で誰もが参加出来るこのシステムはここ数年であり、確かに以前であればこの様な方法が無い訳ですから実践したくても出来なかった、意識とはこういった実践の中で思考してアレンジされるもの何だということを実感しています。

マズローの欲求5段階というの見ました、最上位は自己実現の欲求とありましたがなる程と思いました。人であれば当然欲求というのはある訳です、また欲求をみれば現在の姿も見える訳です、何もしたくないというのも現実、このバランスがその人らしさの様に思いました。

写真は以前、関が原町で撮影したものです。

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9月23日 (金)  波打ち際。

かつてR社関連にいたので「GR」というデジカメが出るので楽しみにしています。単レンズの35ミリ換算28ミリは私も欲しいところです。一眼レフの方はいよいよC社から35ミリフルサイズの低価格判が出るということで面白くなって来ました。

以前は1000万画素のフルサイズが欲しいと思っていましたが、最近はプリントサイズA3Wが可能なこと3:2比で撮影可であることレンズの基本性能が良いことデザインが好みであれば良い位となってきました。

カメラ概念とフィルム概念があると思いますがN社に期待するのはAPSフルサイズのカメラです、歴史的にみればコンパクトになるのが必然的傾向とすると例えば300ミリが1.5倍の450ミリになるのはとても魅力的です、フルサイズ300ミリで撮影後からトリミングすれば良いという考え方もありますが、設計からAPSで製作技術的に可能と考えますのでお願いしたいです。冷静に考えればこれまでの機材は重いし長玉になるほどに超高価です。プロ用となれば尚更に重いのでした。デジカメになっても35ミリフルサイズに拘ってしまうのは、カメラのデザイン設計が元々35ミリ銀塩フィルムであるので物理的にもそれに合わせた方が合理的であり安上がりと、使用感に慣れたユーザーサイトの要望もあってのことだと思いますが、プロの現場で使う機材の重さ大きさは改善の余地ありです。

デジタルは仮想フィルムを使用している訳ですから35ミリというサイズに拘らないで使い易い重量や使用感、例えばファインダー倍率を上げてピントを見易くするなどしてほしいです、C社はオートフォーカス採用時にマウント径を大きくしましたがN社は従来のままを継続、APSを採用することによりマウントを大きくしたのと同じ効果を得ることが出来ると思います。2B判カメラも6×9がいつの間にか645になりました、35ミリフルサイズが2Bに代わるかと考えると厳しいと考えてしまうのはフィルム概念での考えでいるからだと思います、従来の2B撮影フィルムをスキャナーに掛けて使用しているそして満足しているとしたらもうすでに受け入れられる接点が用意されていると考えることが出来ませんか、2B判に相当のカメラににも期待したいです、それがもしかしたら35ミリフルサイズになるかも知れません。一概にサイズという概念では無いところにデジタルの好いところがあるのも知れません、以前写真展で観た作品は2Bで撮影かと思えば600万画素のカメラでしたから元々の実力は結構あるのがデジタルなのだと思いました。

写真はすでに画像データという認識な訳ですが使う側の理解の仕方は フィルム概念なのです。

自身の求めるカメラの未来はこれからですが、写真を撮れる時間は有限です。

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9月22日 (木)  海。

以前は風景に人を入れる何てと思っていました。勿論風景だけのものもありますがその場合はメインは景色です、人や動物など生き物が自然の中にいるのって良い感じして好きです。いろいろな組合せで自身の気持ちに仕上られるのだと考えています。以前は心に融通がききませんでした、今でもその傾向はありますが上手くなれないのはここだと思っています、ある面では自分らしさが欠点にもなってしまう訳です、平面的な思考で無く、深さをもたらす思考、ものの見方が必要なのはそういうことだと考えると、出来るだけ早い時期に写真に出合うべきで、感性が順応な時が一番大切だと考えています。

固定観念にとらわれないことが必要だと思います、ものの見方とはこの様に見たり考えたりしないといけないで無く、この固定観念の分析仕組み開放にあると思います、全ての人が持つこの観念をどの様にして客観的に見ることが出来るか、写ることの背景は即ちそれです、この観念を自身の気持ちを通して形にして行けるのがアートという世界であると思います、この観念・心・精神・命というものが写る訳ですが、シャッターを切ると写真が撮れるという人もいて、それぞれが写真の世界であるのも事実です。

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9月21日 (水)  初秋U。

何とはなしに少しだけ秋っぽく。色は少しだけくすんだ様な感じに演出、季節は何もしなくても写って来ますが、撮り方しだいで夏にもなってしまう、この微妙なところが見せ所になる訳です。

以前は秋が好きでなかったけれど、嗜好が変わる様に今は楽しみの季節になりました。

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