Diary 2007. 1
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1月31日 (水)  名古屋城2。

この場所が良いと思い撮影の準備、両手でカメラ支えているので手が一つ足らない、引きぶたどうやって引くのかが問題、チョッとのことで光線引きしてしまうのでこまりもんです、座り込めばなにか具合でも悪いのかと思われるし、まぁ勝手に思っているのですけれど、撮影の時には怪しい人になっている様な気がします、これもチョッピリ楽しいのですけれどね。

撮り終わってやれやれと思っていたらガードマンが5〜6名位ド・ド・ドと早足で近づいてきたので冷や汗もんでした、ガードマンはそのまま城の中へ。

とにかくいろいろあるので慣れるにはもう少し時間がかかりそうです。

4×5判の解像力はレンズ自体はそれ程ではないのですがフィルムが大きいのでそのぶん物理解像力が上がります、瓦模様もハッキリと見えるので大判引き伸ばしに威力を発揮します、でなければメリットあるとは思えない、ただこれぞ写真という様な説得力があります。

せっかく手持ち撮影しているのでスナップ感覚で動きのある被写体を撮りたいと考えています。

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1月30日 (火)  名古屋城。

4×5判カメラの手持ち撮影、何とかいけそうな感じなので良かった。

銀塩フィルムを使うとフィルム代や現像薬品代、現像の手間、撮影の手間と労力と経費がかかる、その分だけ気持ちを充実させてもらえなかったら、こんなカメラは無用になるだろう、手元に残っている人生最も長く付き合って来たカメラ、もっとも撮影枚数の少ないカメラが4×5判カメラであるというのが個人的実感です。

沢山撮ることは出来ないので、あえて撮らない撮れないを信条にしたいものです、こんなへんてこりんの信条で大丈夫なのかと思うけれど、こういう時には自身を変身させて遊ぶことだと思う、この変身の術をどれだけ持っているかがバラエティーになるのであって、いつもの自分なんかで写真撮っていたら直ぐに行き詰まることはいうまでも無い、目線視線意識の切り替えも同じで、カメラを換えるレンズを換えるも基本的に同じなのだと思う、写真で遊ぶとはそうゆうことなのではないかと勝手に思っている。

デジカメの時には機関銃のように撮りたくなる気持ちをつくるのはそんなに難しく無い、4×5判カメラのストレスは大きいからね、仕事で機関銃のように撮影、何故かスッキリするのも理解できる。

自身とのつき合い方もあるんだと思う、派手なパフォーマンスも出来ないけれど自分には自分の歩幅と領域がある、ちっぽけなプライドがあってここにこだわりを見る、このこだわりが無くなったら、知らない世界なので怖い、小さな池に小舟を浮かべて遊ぶ、この池が大海に通じているとでも考えているのかも知れない、夢のない心や希望のない心には心苦しいものを感じる、だからいつも見詰めている、嘘や誤魔化しで覆われないようにしたいと思う、守るものもありたいと思う、なにも無くなったら写真も止めようと思う、でもそれは願っていることではないから歩くしかない。

ジーパチと 名古屋城を撮影。

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1月29日 (月)  モノクロ写真。

初めて現像したのは高校生の時だった、フィルムによって解像力や粒子の細かさが違う、同じカメラでいろいろと使い分けが出来る、こんな銀塩フィルムの時代はデジカメの時代を向かえる。

このカメラさえあれば一生使えるからとキャノンF1を8台も揃えた時もあったけれど、機動力の無いカメラは旧式の物となり要求には応えられなくなる、カメラの進歩とともに写真の要求も変化。

そしてデジカメの時代。

デジカメの時代になり、フィルム現像プロセスが無くなる、仮想フィルムの上に成立つ写真概念はいつか現在の常識では考えられないような写真観をつくる、近未来には感度という概念も無くなり、レンズの解像力を超える受光体は仮想3次元をつくり上げ、人の眼と同じ等身大の仮想3次元世界がこの世に登場する。

等身大の仮想現実と生活、現実の補完を仮想現実が満たすようになり、終いには脳を移植したアンドロイドが現れるというようにSF世界。

(真面目かつ想像での記載ですのでご承知ください)

この先はどんな世界になって行くかは分かりませんが、99.9パーセント自己満足の自己中心的写真観に加えて、地球環境を守ったり世界平和や人類愛を願うなど作品に未来栄光となれる写真観を個人のレベルにも構築してゆけないとと思う、意識の無い作品に命を与えるものは、主義主張や意識を作品に込めることだと思う、願うことから始めなくては意識の構築も無いのかも知れない。

自己満足と私欲の写真観に意識プラスαを燈すことから始めたい。

モノクロ写真は談合坂SAから見た朝をジーパチ。

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1月28日 (日)  きしめんと味噌カツの旅4。

あても無く出かけるのが面白いのかも知れないと思う、知多半島を周ったり愛知健康の森で温泉に入ったり、とにかく目的は何と気張らずに行ったことの無いところに行ってみたい。

手提げ袋に4×5判カメラを入れ首から露出計とルーペをぶら提げ、小さなショルダーにフィルムフォルダー4枚忍ばせる、8カット切れば終わりなので真剣勝負、満足度という点ではこれで十分、過去を振り返ると記憶に残らない旅行も多い、だから写真に残すはいらない、この今を映したいから旅に出る。

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1月27日 (土)  きしめんと味噌カツの旅3。

熱田神宮へも足を運ぶ、まずは名古屋の歴史あたりから散策する、地下鉄にも乗車、土地勘がないのでさっぱり分からないのですがこれが新鮮なのだと思ったりしました。

きしめんのお店は目に出来たけれど味噌カツの方はいざ見つけようとしてもなかなか無かった、市内栄辺りをウロチョロ諦めようかと思っていたところ偶然発見、女将の話しによると結構有名らしい、お喋りが止まらないので名古屋のお母さんと出会えたようにも思えた、味噌カツ想い出したら必ず出てくると思うよ、いつまでも健康には気をつけていてほしいと思いました。

http://www.grappee.com/weekly/fresh/f030625/kanou.html

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1月26日 (金)  きしめんと味噌カツの旅2。

全国城廻とまでは行かないけれど行き先に城があれば一度は入るようにしている、この日は途中岡崎に立ち寄り岡崎城と家康資料館を見学。

4×5判カメラは手提げ袋に入れ手持ち撮影を行う、こんなのありかと思うけれどf16の1/250secで切れば大丈夫だと思う、三脚禁止も多いのでこの撮影法をなんとか確立したいものです、水平と撮影範囲はCCDビデオカメラで調整。

こちらは名古屋城をパチリ。

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1月25日 (木)  きしめんと味噌カツの旅。

初めての名古屋観光をする、いつも通過してしまう名古屋でしたが、4×5判カメラに携帯電話カメラという両極端な選択でした、久しぶりのカラー写真は新鮮にも思えました、写真は携帯電話によるものです、それでもフォトショップでサイズを四分の一位にしています、Webでの作品評価というものは難しいと思いました、L判から全倍の写真を同じ大きさにして比較している様なもんですから、あくまでもモニター上の写真評価ということで、ヤッパ写真展を開催して作品を展示できる会場で現物を見せられないと駄目だなと思いました。

写真は解像度72dpiなのでデジタルズームの様にトリミングすればほぼ2倍の焦点距離、この写真の四分の一位のほぼ名古屋城いっぱいはトリミング可能です、またブレボケの方はWeb上でこの写真よりもブレボケして見れれば恐らくもの凄いブレボケでしょう、現実にはこの写真もピンボケなのですがサイズが小さいためBlog用では実用範囲内におさまってしまうようです。

Webと写真展会場での公開の違いなど自分なりに考えていく必要があると思いました、基本的にはカメラは別にしても作品サイズを自分なりに想定し決めて行かないとと改めて思いました、でないと使い物にならない写真になってしまうのが現実です。

今回は、きしめんと味噌カツを食べに名古屋行きでした。

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1月24日 (水)  新宿夜明け前4。

実験的写真、白黒に調色してみる、学生の頃は単なる色あそびと考えていましたが意外と面白いものです、アイデアと感性が作品にするのだと思います。

これまでの作品は下記です。

(但しJavaVMが必要ですhttp://anfyteam.com/index.html

http://www2u.biglobe.ne.jp/~arteye/room102/room102-007/room102.htm

http://www5f.biglobe.ne.jp/~shagirl/sumireko002/shagirlsc002.htm

最近気がついて作風に織り込んで行きたいことは、写真に見える、自然に見えるではなく、非現実的なものを透して見えて来る現実であったり、写真であったり、見る側のイメージに成立する写真それは全てが整っていなくても見る側が補完してくれる訳で、むしろこの補完のメカニズム、想像させて見せられる作品ができたらと思う、これまでの作品にも当然このようなものがある訳ですが、意識してこういったことを分析研究して行きたいと思う。

いろいろと物の見方を変えていかないと写真は変わっても中身は同じということになりますが、これを真摯に受けとめていけないとと思う、ここに己の写真の意味や自分探しと称するものがある訳で誰のためのものではない、一つの自身の写真人生がここにあるということに意味がある訳で、そういった視点で写真を撮るここにプロもアマも無い、雑念や先入観をぬぐい去っても見てみたいものがあるのかは分かりませんが足元に道が見えるから歩く、これを希望としないで何とするのだろう、歩かないではいられない道に出会う。

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1月23日 (火)  新宿夜明け前3。

普段見慣れない風景が朝方にある、都会も自然の営みの中に毎日があるのだろう、自身が知らない空気は朝方に多い。

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1月22日 (月)  新宿夜明け前2。

モノクロ4×5判で撮影、カラーモードでスキャニングしてカラー化。

どの様に見えるも感じるもイメージなのだと思う、作品にフィルムもデジタルも無い、飽きもせずに写真を撮る、ピンボケブレ写真と飽きる写真も無い。

最近は写真が撮れないでは無く撮らない、量から質で無く写真から作品、撮れるかで無く創れるかが面白い。

継続とはいかに自身にとっての写真を面白くして行けるかであると思う、同じ様な写真に興味を持つ、飽きることの無い写真に己の世界を見る、そして写す。

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