139 その女の子は1人でリーマスのところにやってきた。なので少年は彼女の仲間の女の子達から声援や視線による援護射撃を受けて気まずい思いをせずに済んだ。その点でリーマスはその女の子に好印象を持った。そしてその女の子はリーマスが1人でいる所にやってきた。なのでリーマスはジェームズやシリウス、ピーターの視線を気にせずに女の子と話をすることが出来た。その点でもリーマスはその女の子に好印象を持った。 リーマスはその子を知っていた。彼女は同学年のハッフルパフの生徒で、魔法薬学で教授からよく褒められている。いつも髪をきちんと三つ編みにしていて、そして笑い上戸な子だ。友達の腕に掴まって、なんとか歩いている様子を見かけた事が何回かあった。元気の良い、大きな笑い声だった。 「よかったら読んでください」という言葉と共に渡された手紙にはこう書かれていた。 「はじめまして。前からあなたのことが気になっていました。お友達と話しているところや笑っているところ、よく本を読んでいて、その本の趣味を見ているうちに好きになりました。なんだかいつも穏やかそうで、こんな事を書くと単なる変な生徒だと思われてしまうかもしれませんが、お年寄りになったあなたと私がお茶を飲みながら話している姿が簡単に想像できてしまうんです。あなたがお年寄りっぽいという意味では決してなく、私にはそれが堅実で素敵な事に思えるのです。よかったら今度の日曜に一緒にどこかへ行きませんか?」 リーマスは考えた。自分の病気の事を身の回り全ての人が知っていて、そしてこの手紙を貰えたのなら良かったのに。今は色々な事情があって公表することは出来ないけれど、自分はそんな世の中と身分を望んでいる。この手紙がその時にきたのだったら良かったのに、と。 いつもの癖で彼は空想した。笑い上戸の彼女と笑い上戸の自分が、もし一緒にひどく笑い始めてしまったらどんな感じがしただろうと。そして雪の降る日曜の朝に2人でホグズミードに出かけて、そして綺麗なキャンディの詰め合わせなんかを買ってその場で彼女にプレゼントしたら、彼女は一体どんな顔をしたのだろうと。その空想はリーマスを少しだけ楽しい気分にした。けれどすぐに彼を何倍も惨めな気分にした。どちらにしろリーマスは彼女とホグズミードには行かない。自分の身を危うくし、そして彼女を酷いペテンにかけたうえ傷つけ、名誉を損なうような、そんな馬鹿な真似をしない程度には少年は分別を持っていた。 翌日にリーマスは短い返事をしたため、少女に渡した。それから彼はまっすぐにお気に入りの木陰を目指して歩いてゆき、その下で読書を始めた。 文章の内容などは頭に入る筈もなく、ただいたずらに下草に反射する陽光だけがまぶしかった。うつむくと涙が落ちそうになったので慌てて顔をあげると、リーマスの右側に制服のズボンが見えた。完璧に残っている膝部分のプレスを見るまでもなく、隣に立ったのがシリウスであるとリーマスにはすぐに分かった。 見上げると、彼はぱっとリーマスから目をそらした。 「居たら邪魔か?」 あさっての方向を向いたままのシリウスがそう尋ねたので、リーマスは首を振る。 「あのさ、ブードゥーの呪いセットをお前にやるよ」 「……え?昨日通販で届いたばっかりだろう?使うの楽しみにしてたじゃないか」 「いいんだ。お前にやる。それとマグルの6色ボールペンもやる」 もしかするとそうかもしれないとリーマスは予想していたが、まさしくその通りシリウスは何らかの手段でこの顛末を知り、そして彼らしくなく垢抜けない遣り口で、リーマスを慰めようとしているらしかった。 「でも……」 「やる。万華鏡虫の標本もやる」 「……うん。ありがとう」 「大理石の星座盤もやる」 そのうちに不動産や預金までやると言い出しかねないシリウスの様子に、少しリーマスは笑いそうになった。シリウスは必死だ。そして他のこと、例えば勉強やスポーツや喧嘩に比べると、彼は人を慰めるのが上手くない。 「ええと、あと……」 「お年寄りになったときに僕と一緒にお茶を飲んでいる姿が想像できるって。それが素敵だって。ある人に褒めてもらったんだよ」 シリウスの全財産を搾取してしまわないように、リーマスは明るく声を張り上げた。シリウスはぎょっとしたようだったが、すぐに何事か理解したらしい。 「……なかなかいいセンスした奴だな」 「うん。嬉しかった」 「お前のよさが分かる奴っていうのは、見る目があるんだ」 「そうかな」 「そうさ」 「でも僕は……」 瞬間的に頭を高速回転させたのだろうシリウスは、考えながら話す人特有の落ち着きのない目線でリーマスを見下ろす。 「ええと、ええと、そうだ俺とお前がもしさ!もし50歳を越えても独身だったら、一緒に住もう!それでお茶を飲もう!」 動揺した彼がそのような事を口走ったので、リーマスは目をまん丸に見開いて彼を見た。片方の目から涙が1つぶ落ちたが少年は気にしなかった。 「一緒に暮らす?君と僕が?」 「そう、俺とお前が」 「芯から貴族の権化の君と、そのう……決して裕福であるとは言えない僕が?」 「俺はそんな格好の悪いものじゃないし!そんなの関係ない!」 「だめだよ。朝食にキャビアを食べるかビスケットを齧るかで毎日喧嘩をしそうだ」 「食事は俺が作るからいいだろう?それにリーマス、キャビアは朝に食べるものじゃない」 シリウスはしゃがんでリーマスの顔を覗き込んだ。 「いいか、忘れるな。約束だ」 「君は約束を忘れないからね……その約束は何十年後かに、きっと君を困らせるよ」 「いいや。意気揚々とお前の家の戸を叩いてやる。それから『15分で荷物をまとめろ!』と笑いながら言ってやる」 「15分!短いよ!」 「じゃあ18分だ」 「君は優しいね!3分も延ばしてくれるなんて」 「俺は優しいぞ?知らなかったのか」 「いや、知ってたよ。君は優しいって」 リーマスは本を閉じて横に置いた。そう、シリウスは優しい。整いすぎた容姿ゆえに誤解をされる事が多いが、彼は多くの人に思われているような酷薄な少年ではない。むしろ逆に、近しい人々が気落ちしたり体調を崩したりしていると、おろおろと混乱してしまうような種類の人なのだ。 そんな彼の優しさは、20代になっても、30代になっても、40代になっても失われることなくあり続けた。 50代の大台に乗ろうかという年齢になったある日、リーマス・J・ルーピンは少年だった遠い過去にシリウスと自分が交わした他愛ない約束を唐突に思い出して「あっ」っと大声を上げた。 やはり50代の大台に乗ろうとしている友人から、不審な目でまじまじと見られたのだが、リーマスはひたすら何でもないと言い、賢明にも沈黙を守った。おそらくシリウスはこの約束を1人でずっと記憶していて、50代になった時には1人で気まずい思いをしていたのだろう。リーマスはそんな彼の優しい心遣いを無にするつもりはなかった。 しかしリーマスはふと気付いた。この手の約束が、これ1つきりだったとは断言できないという事実に。もしかするとシリウスは、リーマスが考えている以上に優しい男なのかもしれなかった。色々な意味において。そして当然ながらリーマスは、過去に交わした他の物騒な約束について特に問い合わせることなく、これからも平安に彼と生活を続けていくつもりだった。 タイトルは「優しい人、悪い人」です。 2006年夏のイベントのお礼に書きました。 up 2006.08.29 再up2007.01.10 BACK |