記事一覧

ネット句会感想3

2012.05.14

72 霊山に岐阜蝶の羽化見入りけり  藤川和子
 「見入りけり」が要らない。「霊山」を形容する。「岐阜蝶の羽化精霊の山深く」

70 置き薬に色の褪せたる紙風船  気儘
 「色の褪せたる紙風船」がとても面白い。「手つかずに紙風船は色褪せぬ」

37 万緑の木立歩めば水の音  永田和子
 「木立ち歩めば」が平凡。「万緑の奥へ奥へと水の音」

36 白々とこでまり闇の深まりに  きのこ
 「こでまり」は白に決まっているので、「白々」はだめ。「こでまりを浮かべて闇の深さかな」

32 春昼や足湯にぼつと諏訪湖畔  山渓
 少しごちゃごちゃ。「春昼の足湯につかりゐたりけり」

25 初鰹  恵一
 「初鰹」が説明。違った季語を。「糶り落とす男勝りや夏衣」

22 帽子にも桜蕊降る音そっと  きのこ
 雰囲気のある一句。「桜蕊かさりと帽子響かする」

19 桃咲くや生家に高く干す襁褓  紅葉
 「生家」が不要。「高々と襁褓を干せり桃の花」

13 次々に漁船出でゆく春の暮  花穂
 「春の暮」が勢いを殺いでいます。むしろ朝の感じを「次々に漁船出でゆく初音かな」

7 白磁壺の形見となりぬ黄水仙  弥生
 「白磁壷」がつづめた言い方。「白磁の壷」。「白磁の壷を形見に朧かな」

ネット句会感想2

2012.05.14

109 ありなしの磯の風ある雪柳  気儘
 もう少し言葉を整理できそう。「磯風のあるかなしかや雪柳」

108 思い切り雨吸い上げて新樹光  甘梨
 せっかく「新樹かな」と切れ字が使えるのに「新樹光」という説明っぽい季語にしました。

107 庄内に水ゆきわたり桐の花  たかし
 庄内は米どころ、田植は桐の花の咲くころなのでしょう。

102 永き日を漢和辞典に遊びけり  如月
 「漢和辞典」がちょっと重々しい。もうすこし軽やかなもの。

98 園児らの縄電車行く春日和  松の
 「春日和」は実体のない季語。実体のある季語がいい。「縄電車あちらこちらや雀の子」

97 くびすぢに馬の吐息や榛の花  百合
 ちょっと生々しい感じ。

89 ゆふづつの空の真澄を鶴帰る  みつ
 きれい過ぎてかえって不自然。

87 さへづりや大きな活字の文庫本  みづほ
 語順を変えて、「文庫本の大きな活字さへづれる」

80 狛犬の開いたる口に飛花落花  やちよ
 「開いたる」が不要。もっとすっきり。「狛犬の口に吹き込む桜かな」

75 駅員の帽子転がる春疾風  白雲斎
 雰囲気のある一句。「転がる」よりも「吹き飛ぶ」。

ネット句会感想1

2012.05.14

129 料峭や孫を抱きしめたくなりぬ  やちよ
 寒いから孫の体温が恋しい、というのでは理屈。句に因果関係を持ち込まない。

128 子の括るたかんなの紐すぐゆるみ  香月
 「たかんなを紐で括る」としっかり言いたい。「たかんなを紐で括るもすぐゆるみ」

126 ちりとりに七八枚や竹の皮  たかし
 写生句。もうひとつなにかがほしい。

125 母へ駆け行くぶらんこを飛び降りて  いつせ
 破調ですが、描写は的確。「ぶらんこを飛び降り母へ駆け行ける」もありますが、原句には力があります。

122 窓といふ窓開け放ち五月かな  えいこ
 季語が「五月」では予定調和。たとえば「母の日の窓といふ窓開け放つ」

121 ふまれてもふまれても立つ夏の草  永田和子
 夏の草はこういうもんだ、としか言っていません。せめて「立つ」を取る。「踏まれてもまた踏まれても夏の草」

118 トンネルを出れば芽吹きのお出迎え  花筏
 「お出迎え」が言い過ぎ。「トンネルを出れば芽吹や波の音」

116 幾重にも城壁幾重にも桜  山水
 「幾重」が二度出て煩わしい。「幾重にも城壁めぐる桜かな」

114 ご詠歌の響く本堂遍路笠  花筏
 「ご詠歌」と「遍路」がつきすぎ。「天井にご詠歌響く桜かな」

113 二三日の上げ膳据え膳藤揺るる  ふうこ
 なぜ「上げ膳据え膳」なのか。それをしっかり言わないとだめ。「捻挫して上げ膳据え膳藤の花」

田一枚植ゑて立去る柳かな 芭蕉

2012.05.11

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 「植ゑて立去」ったのは柳ではない。また、立去ったのはそこに居合わせた芭蕉自身との説もあるが、芭蕉が田を植えたのでなければ辻褄が合わない。芭蕉が、奥の細道の旅の途中で田植をするというのもずいぶん酔狂な話。立去ったのは百姓か田植女であろう。植え終わった田に映る柳が美しい。西行ゆかりの遊行柳である。『おくのほそ道』

選句結果

2012.05.06

選句結果アップしました。
今回のトップは7点、たかしさんの「桐の花」の句でした。

ほかによかったかたは

えいこ さん
ひふみ さん
やちよ さん
花穂 さん
甘梨 さん
恵一 さん
香月 さん
山水 さん
松の さん
如月 さん
百合 さん
和美 さん

間違いがありましたら「お問合せ」で御連絡を。
僕の感想はあとでこのブログにアップします。

選句結果はこちらから。
http://cgi.www5b.biglobe.ne.jp/~matu0909/matu/kukai/2012_04.html

囀の一羽なれどもよくひびき 深見けん二

2012.05.04

 季語としての「囀り」は求愛の鳴声のことをいう。句は、一羽来て高々と鳴いているという。近くに雌は居ないのだろうか。我が家の近くにも、イカルが時々訪れて甲高い鳴き声を上げる。雌を求める雄は、人間同様、どこか滑稽で切ない。『花鳥来』

くたびれて宿借るころや藤の花 芭蕉

2012.05.03

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 「大和行脚」のときという前書きがある。大和の寺々を巡り、多くの仏像にまみえたのだろう。歩きつかれて、さあ、今日の宿を決めようではないかというところ。夕闇の中の藤の花に旅愁が漂う。『猿蓑』

「意志」についての記述

2012.04.29

海に向って石をなげた。その海岸は岸から離れるといきなり直角的に深みへさらに深淵へ達するというふうだった。石は音もなく海へ入った。そこは毎年多くの人が溺れ死ぬ場所でもあった。溺死体が波にさらわれてしまったあと、たましいがもがき苦しみながら沈んでゆくところだ。わたしは石を投げたあとでふと海の底の暗黒の世界を思ってみた。想像を絶する水圧に順応するために、たましいが小さな硬い塊りとなってびっしりと群れている光のない世界、そこへいま投げられた石も沈んでいく。
 人やものを殺めるつもりがないのなら、石を投げることは<意志>を投げることではない。<意志>でないものをぼんやりと遠くへ投げるのである。<意志>されないものは放物線を描いて海に入る。ほんとうならそれでおしまいだった。<意志>されないものは投げられるやいなや永遠にわたしたちの記憶を去っていなければならない。けれども石は海に入ったところでわたしに海の底の不安を惹起させた。この場合<意志>されずに放られた石はわたしの無意識というほんの数秒の空白を経て逆に今度はわたしを<意志>したと言っていい。このとき底に沈んでいく石ははたしてわたしに対してどのような能動的な意味を待ったのだろうか。わたしに対してなんらかの<意志>を伝播してきた石は、わたしの深層にどのような傷を刻みつけたのか。
 石が何を<意志>したか、わたしには分かるはずもない。ただそんなことがあってから度々同じ夢をみるようになった。石が沈んでいった息苦しい海の暗黒へわたしもまた沈んでいく夢である。石はいつの日かわたしを同じ場所へいざなうもりなのか。不思議なことに目が覚めているときでもときに海の底を思い出して妙に懐かしく思うことがある。まさかわたしの前世が海の底の目のない魚だったわけでもないだろうが、近頃それがしきりときになってしかたない。

春昼の指とどまれば琴も止む 野澤節子

2012.04.27

 琴の音色ではなく琴を弾く指に焦点が定まっている。当たり前の事象であるが、こう詠まれてみると、不思議な感覚を禁じえない。琴と指とその音色がそれぞれ意思を持っているかのようだ。琴の音の止んだ静けさが夢の世界のようである。『未明音』

春の山たたいてここへ坐れよと 石田郷子

2012.04.24

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 ここに来て、私の隣に坐りなさいといっている。作者は女性、春の山を叩いているのはおそらく若い男だろう。叩いたものが「春の山」だから俳句になる。若々しい感性によってうまれた一句。『秋の顔』

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