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タイトル初めまして/ブログの記述/追記:古代エジプトの人名
記事No1588
投稿日: 2017/06/17(Sat) 22:13
投稿者夕音
参照先http://flowersred.x.fc2.com/index.htm
ブログが面白く、08年の記事まで遡って読んでしまいました。
エジプトに限らず様々な文化圏の話題が書かれた記事はとてもためになります。

昨日のケルト美術の記事なのですが、ケルト語派内部での差異を論じる文脈で語派の異なるイタリア語とドイツ語の差を例示するのは問題があるのではないでしょうか。
そもそもドイツ語はゲルマン語派であってラテン語の後裔ではないので、ドイツ語をラテン語の後裔というのは事実に反しています。

アボリジニの記事ですが、私のツイートをご覧になったのか他の方が指摘されたのかは分かりませんが、ディンゴについても追記してくださりありがとうございます。
5万年前の人々が(例えば沖縄の港川人のように)どこかで全滅してしまうことなくアボリジニの人々の祖先になったのは確かでしょうが、それ以降全く大陸外からの移住や交流が無かったと考えるのはディンゴの存在からしても無理があると思います。
断続的にインドやインドネシア辺りからの移住がありつつ、遺伝子プールに影響を与えるほどの人数ではなかった、という辺りが妥当では。


【追記】
古代エジプトにはどのような人名があったのか、英語でも構わないので人名を羅列したデータベースのようなサイトをご存じないでしょうか?
特に女性名が王名を眺めているだけでは足りません。

タイトルRe: 初めまして/ブログの記述/追記:古代エジプトの人名
記事No1589
投稿日: 2017/06/19(Mon) 21:44
投稿者岡沢 秋
どうもーいらっしゃいましー!
久し振りの掲示板へのお客さんだよ! 掲示板とかもう文化として死んだかと思ってました…

> ブログが面白く、08年の記事まで遡って読んでしまいました。

あーあの、、、昔のほう行くと中の人がピッチピチのティーンエイジャーだった頃の青臭いのとか出てくるんで、、、あの、、、

> 昨日のケルト美術の記事なのですが、ケルト語派内部での差異を論じる文脈で語派の異なるイタリア語とドイツ語の差を例示するのは問題があるのではないでしょうか。

言語学は手薄なのでまだ理解出来てない部分があるんですが、「ケルト語」っていう枠はどうも「ロマンス語」くらいのデカい枠みたいなんですよ。
ケルト語の差異って方言くらいだと思ってたんですが、アイルランドに"ケルト語"が入るのがおそらく紀元前3,000年くらいで、そこから独立して発展してるので…ケルト語内でも会話不能な場合があったりとか…。
たとえとしてはイタリア語とスペイン語あたりのほうがいいのかな?


> アボリジニの記事ですが、私のツイートをご覧になったのか他の方が指摘されたのかは分かりませんが、ディンゴについても追記してくださりありがとうございます。
> 5万年前の人々が(例えば沖縄の港川人のように)どこかで全滅してしまうことなくアボリジニの人々の祖先になったのは確かでしょうが、それ以降全く大陸外からの移住や交流が無かったと考えるのはディンゴの存在からしても無理があると思います。

後からの追加移住が全く無い、という記載をしたつもりもないですし、全アボリジニの最終結果と書いたつもりもないです。

記事にリンクした元ソースに記載のあるとおり、分析されたのは「1928年から1970年にかけて収集されていた111の毛髪サンプル」なので、最近のアボリジニの毛髪を広く集めれば結果は違うのかもしれません。ただ、記事にあるとおりアボリジニたちの同意を得て調査しているそうなので、無理やりやるわけにもいかず、今後の調査に期待というところではないかと。

また、母集団に対して少なすぎる移住者の痕跡は世代を重ねると消えてしまうので、出てこない可能性もありますね。

面白いのがオーストラリアには5万年前にもういるのに、ニューギニアへの移住がめちゃくちゃ遅いというところで、地図上の見た目の距離と、海流や風向を考慮した難易度は、必ずしも一致しないようです。ニューギニアとオーストラリアの間も距離のわりに難易度が高く、移住できるチャンスは少ないということでした。

一昔前までオーストラリアから出てくる石器が古すぎるんでオーストラリアでも独自に人類が進化したっていう多地域進化説があったりしたんですが、そこからだいぶ研究進んだなぁって感じです。

> 断続的にインドやインドネシア辺りからの移住がありつつ、遺伝子プールに影響を与えるほどの人数ではなかった、という辺りが妥当では。

…で、それが出来ないっぽいです。渡航の難易度的に。
そのへんは資料漁ると出てくると思いますんで興味あれば。。

> 【追記】
> 古代エジプトにはどのような人名があったのか、英語でも構わないので人名を羅列したデータベースのようなサイトをご存じないでしょうか?
> 特に女性名が王名を眺めているだけでは足りません。

「エジプト歴代王朝史」(東洋書林)を捜し求めいただけますと、各年代の各王朝の王族・貴族の女性名一覧が山のように手に入りますよ! オススメです!

タイトル古代エジプトの死生観/ケルト語/ニューギニア
記事No1590
投稿日: 2017/06/20(Tue) 12:45
投稿者夕音
参照先http://flowersred.x.fc2.com/index.htm
SNSの発達で、昔のようなホームページ文化掲示板文化はどんどん衰退していっていますね。
寂しいことです。

同年代でいらっしゃるのですね。
とても面白く、土日は昼間に読み始めて気付けば夜になったりしていました。

全てではありませんがざっくりと拝読していて個人的に一番興味深いと感じたのは、マスタバ→ピラミッドの死生観の変遷の話でした。
儒教と並ぶ中華文明に本源的な宗教の一角である道教においては、当初は抱朴子にあるように丹薬を作って飲むことで生きたまま地上にいるままにして不老不死を得ることを目的としていたのですが、しかし現実に誰も丹薬を作ることに成功せず、不老不死になれた人は誰もおらず皆死んでしまったという現実を前にしてはそうした死生観のまま信仰を保ち続けることは不可能であり、やがて修業を積むことで肉体を捨てて天に昇って仙人になり不老不死を得る、という死生観に変化しました。
なので、記事を読みながらエジプトにおいても同じようなパラダイムシフトが起きたのだろうかと、現実を悟ったのではないかという議論を拝読しながら感じていました。
ただし、墓を生前住んでいた宮殿に似せていることだけをもって墓の中で永遠に生きると考えられていたとは言い切れないと思います。
例えば中華文明では、儒教においては土の中に死者が暮らしていた居室を模した地下室を掘り、家具を同じように置いて、子孫に祀られて生き返った死者はそこで暮らすという死生観だったのですが、この行為は道教においては解釈が全く異なってくるのです。
そもそも中華文明の人々は死後の世界への関心がほぼ皆無であり、地上に神の子である洪秀全が治める「天国」を作り出そうとした太平天国や、地上に弥勒菩薩を降臨させて8万4,000年の寿命を得ようという思想だった弥勒下生信仰のように、他所から伝来した来世利益の宗教を現世利益の宗教に作り変えてしまうくらいだったのですが、無関心であるがゆえに深い思索もされず道教においては死後の世界(冥府)は漠然と現世と同じような世界だと考えられていました(人間の魂は死ねば霧散してしまうと考えるので儒教にはそもそも死後の世界という概念が存在しません)。
そして道教には副葬品を死者が冥府に持っていけるという考え方があり、ゆえに死者が冥府の役人と揉めた時に賄賂として渡して難を逃れるため、という理由で現在でも紙で作ったお金を遺体と一緒に埋葬したり、子孫が先祖に送るために紙で作ったお金を焼く儀式が行われたりしています。
つまり、道教的にマスタバを解釈すると「死後の世界に生前と同じ環境を持っていくために生前の暮らしを模した墓を作ったのだ」ということになり、必ずしも墓の中で永遠に暮らしていたと解釈する必要が無いのです。
具体例として、有名な始皇帝陵も、始皇帝があの宮殿で永遠に生活し続けるためではなく冥府に生前の環境をそのまま持っていくために作ったとされていて(徐福の起用などから分かるように始皇帝は「後に道教に発展する神仙思想」に傾倒していて儒教を信じていなかったので)、中には「始皇帝は兵馬俑で再現した秦の軍勢を率いて冥府を軍事制圧して支配しようと思っていたのではないか」という見解もあるくらいです。
ゆえに、もちろん儒教的な「墓の中で永遠に生きる」という解釈も可能ですが、道教的な「あの世にある楽園に王として得た生前の財産や環境を持っていきたかった」という解釈も可能なのでは、と。

ケルト語はケルト語派、ロマンス語はイタリック語派ラテン・ファリスク語群ロマンス諸語なので、ケルト語内部の差異と比べればかなり小さいはずです。
例えるなら、ちょうどヒンディー語とペルシア語の差と同じくらいの距離なのではないでしょうか。
分岐してからハルシュタット文化まで2000年近くというと、最大限長く見積もっても分岐してせいぜい1500年、最も短いものだと1000年未満という説もある琉球諸語を我々が聞き取ることが不可能であることを考えれば、それ以上の距離ですから、相互理解は不可能に近いでしょうね。
そもそも中世以降ケルトを称した人々の言語が本当にケルト人が話していた言語と同じ語派に属するのか、島嶼ケルト語と呼ばれるものとと大陸ケルト語と呼ばれるものが本当に同じ祖語から分岐したのかをも疑わねばならなくなってきたと思います。
これまでも大陸ケルト語と呼ばれる語群はPケルト語にもQケルト語にも分類できないとされていたようですし、大陸ケルト語の資料が少なそうなので難しいでしょうが、比較言語学からも両者が無関係であることが証明されるかもしれません。

なるほど、失礼しました。
5万年前の時点でニューギニア島に渡来した人々がいなかったということは、確かサフル大陸が生まれたのは最終氷期のことなので、つまりオーストロネシア人が到達する前から元々ニューギニア島にいたパプア諸語を話す人々は最終氷期が訪れて陸続きになった時にオーストラリアから移住した人々でありアボリジニと同源ということになりますね。
双方ともにオーストラロイドで人種的にも同じですし。


http://www.afpbb.com/articles/-/2920779?act=all

↑の記事を以前読んで以来ドラヴィダ人やオーストロネシア人は歴史上何度も断続的にオーストラリアに到達していたと思っていたのですが、アボリジニに関してそれほど知識があるわけではないのでいろいろ読んでみます。
日本ではごく一部の有名で人気な地域時代以外の日本語情報が非常に少ないので、マイナーな地域を追いかけるのは大変です。

海流というと、台湾を出発したオーストロネシア語族の人々(正確には台湾諸語と分岐したマラヨ・ポリネシア祖語を話していた部族)は南方では遥かマダガスカルやラパヌイにまで到達したのに、当時は黒潮の流れが現在と異なっており黒潮に乗ると太平洋の真ん中に流されてしまうために北は宮古海峡を越えられず、先島諸島にまでしか移り住めなかったという話を思い出します。
とはいえ、最大限慎重な言い方をしても上代日本語にオーストロネシア語由来の単語が大量に存在していることを否定する言語学者はいない(日本語アルタイ単独起源説を主張するモスクワ学派ですら認めています)わけで、オーストロネシア語を話していた人々が沖縄の島々を北上して九州にまで到達できなかったならば一体どうやってそれらの単語は日本にやってきたのだという話になってしまうのですが。

ありがとうございます。
さっそく探し求めます。