[リストへもどる]
一括表示
タイトル「島のケルト」におけるエポナの不在?
記事No1596
投稿日: 2017/06/27(Tue) 15:14
投稿者Koh
参照先http://palladi.blogspot.jp
はじめまして.私は「ケルト神話」についてはほとんど無知なのですが,もっぱら語学的関心から最近ケルトに興味をもっていて,貴ブログの先月のエントリ,「『島のケルト』は『大陸のケルト』とは別モノだった。というかケルトじゃなかったという話」および「『島のケルトは実はケルトじゃなかった』から派生する諸問題」を興味深く拝読しました.

そのなかで「今知られている"ケルト神話"、いわゆる島ケルトにもエポナ女神は出てこない」「どおりでエポナとか島側にいないわけだよな?!」という記述が気になったのですが,マビノギ四枝の主要人物のひとりであるリアンノン (フリアノン) は伝統的にエポナと関連づけられてきたのではありませんか?
マビノギ第一の枝でリアンノンは決して追いつけない不思議な馬に乗った姿で登場し,後半では冤罪のために罰せられて数年のあいだ館を訪れる客たちを (馬のように) 背におぶって運ぶという辱めを受けることになります.また彼女の息子プレデリ (プラデリ) は誕生した夜に行方不明になったあとべつの邸宅の馬小屋で発見されてその家で育てられ,同じ日に生まれ育った仔馬を与えられてもとの家に帰還します.
短い話のなかで彼女と馬との関連はこれくらいのつながりですから,エポナなる馬の女神とどれほど関係があるのか私にはわかりませんが (神話学の方法についても無知ですし),少なくともマビノギオンの研究のなかではリアンノン=リガントーナがエポナを連想させるということはしばしば言われてきたことだと認識しています.中野訳もそうですし,英訳では Ford 訳 (1977) のイントロダクションや最新の Davies 訳 (2007) の巻末注もこれに触れています.釈迦に説法でしたらすみません.

貴ブログで説明されているケルト学の現況を踏まえれば,こうした注釈じたいが旧時代の研究を下敷きにしたものであって,たしかにかつてはエポナを連想させたかもしれないがそれは先入観によるものであった,という可能性も否めません.そういう意図で島のケルトにエポナはいないとおっしゃるのでしたら聞き流してくださればと存じます.

タイトルRe: 「島のケルト」におけるエポナの不在?
記事No1598
投稿日: 2017/06/27(Tue) 20:20
投稿者岡沢 秋
どうもいらっしゃいましー
私もケルトは全く判りません! 最近付け焼刃で色々読みました!


> そのなかで「今知られている"ケルト神話"、いわゆる島ケルトにもエポナ女神は出てこない」「どおりでエポナとか島側にいないわけだよな?!」という記述が気になったのですが,マビノギ四枝の主要人物のひとりであるリアンノン (フリアノン) は伝統的にエポナと関連づけられてきたのではありませんか?

その解釈で正しいです。が、それはもう10年くらい前には通用しなくなってました。

そもそもマビノギオンの中に登場するリアンノンが神様という扱いではないうえに、大陸側でケルトの文化が途切れてからマビノギオンが書かれるまでに500年以上が経過し、名前も違うし信仰として同じだったかも証明出来ないし、…と批判されて主流からは外れ、で最近の研究では民族も違うしケルト文化が伝来してないとなって、もはや関連づける要素が皆無になってしまいました。文学研究はそのへんの反映が遅いのかも。

元々、リアンノンとエポナを結び付ける説自体もかなり「島のケルト」に好意的な派閥のものだったんじゃないかと感じています。

「馬」と「女性」という部分以外に関連性がありません。今まではその程度の関連性であっても、全て「古代のケルトから繋がっている"だろう"」という推測の元でこじつけられてきました。今後はそれが見直されます。その意味で「ケルト神話じゃなくなる(本来の姿に戻り、ようやくまともに研究が進む)」という記事を書きました。

今までのケルト神話の比較って、「ヘラクレスとスサノオが似てるよね」くらいのレベルでやってたとこがあったように思います…。