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タイトルはじめまして~歴史的に実在する「ケルト」と現在の「ケルト」~
記事No1643
投稿日: 2018/02/15(Thu) 18:26
投稿者tm
はじめまして。
何年か前から貴サイトやブログを楽しく拝見させていただいております。

さて、『歴史的に実在する「ケルト」と現在の「ケルト」は別モノであるという話/再まとめ 』の中で「ケルト語圏の人のDNAは氷河期の終わりから連続していて〜」と書かれていますが、
ケルト語圏(ブリテン諸島)に移住があったという研究結果があったように思います。

Copyright 2007-2017 Karapaia さまからの引用ですが

”アイルランド人のルーツは、新石器時代のひとりの女性と青銅器時代の3人の男性の中に見つけることができた。この女性はバリナハティ・ウーマンと呼ばれていて、1855年にベルファスト近くの5200年前の墓から発見された。
 彼女のゲノム配列は2015年に判明し、現在のスペインやサルディーニャ島の人たちと遺伝子的に似ていることが明らかになった。おもしろいことに、彼女の祖先は中東の出身だということもわかった。
 青銅器時代、東ヨーロッパからやってきた人たちがアイルランドに定住した。3人の男性の先祖は、ウクライナやロシアに隣接するポントス草原の出身だ。4000年前の青銅器時代のグループが、現在のアイルランド、ウェールズ、スコットランドの人たちと遺伝的にもっとも近い。”

鉄器時代の移住については否定されていると思いますが、こういった移住の可能性についてはどのようにお考えでしょうか?
お返事をいただければ幸いです。

タイトルRe: はじめまして~歴史的に実在する「ケルト」と現在の「ケルト」~
記事No1644
投稿日: 2018/02/17(Sat) 00:06
投稿者岡沢 秋
いらっさいませ。カラパイアは動物の動画とか楽しいサイトですよね。たまに見てます。

元になってる話は、たぶんこれでしょうかね。
https://www.rte.ie/news/2015/1228/756583-irish-genes/

もうちょっと判りやすいのがこれ
https://owlcation.com/stem/Irish-Blood-Genetic-Identity

元論文までは読んでませんが、祖先を割り出す場合はDNAの持ってる変異部分を見ますよね。
たぶん5,200年前の女性の持つ変異が中東起源
4,000年前くらいの男性3人のY染色体の持つ変異がウラル山脈とかの起源
ってことかと。
これは、彼らが直接的にそこから来たという意味じゃないです。
そこで発生した変異を持っているという意味なので、何百年か、何千年かかけて辿り着いているってこと。

で、ここで示唆されている地域っていうのは、農業・牧畜と金属加工文化の起源地に近いですね。紀元前4,000年だとちょうど最初の農耕民が現われたとされてる頃なので、ここでいわれてる男性たちは農業持ってきた人らの子孫なんでは。

まああの、西ヨーロッバはあんまり詳しくないので、もっと詳しい人ならもっと詳しく説明できるんでしょうけど。

タイトルRe^2: はじめまして~歴史的に実在する「ケルト」と現在の「ケルト」~
記事No1645
投稿日: 2018/02/17(Sat) 15:33
投稿者tm
青銅器時代の男性たちの祖先の足跡をたどれるナショナルジオグラフィック日本版の記事があります。
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/20150305/438058/

”「ヨーロッパに最初にやってきた人々は狩猟採集民でした。そこへ農耕民がやってきて狩猟採集民と混ざり合いました。その後、東から新たな集団がたくさん移動してきたのです」”
”約4500年前、ロシアとウクライナにまたがる平地や草原からの大集団が移住したことを示す痕跡が見つかった”

アイルランド青銅器時代の男性たちは上記の草原からの大集団の子孫にあたります。農業技術とともに移動してきた人々の子孫は新石器時代のバリナハティ・ウーマンですね。
ちなみに黒い肌で話題になったチェダーマンは狩猟採集民のようです。

そして重要なことに、草原からの大集団はインド・ヨーロッパ諸語をヨーロッパにもたらしたのではないかと言われています。そのインド・ヨーロッパ諸語のひとつがケルト語派です。

http://www.pnas.org/content/113/2/368
”This turnover invites the possibility of accompanying introduction of Indo-European, perhaps early Celtic, language.”

この考えに従うならば従来の鉄器時代のケルト人の移住を否定しながら、青銅器時代初期のこととしてケルト語派とその話者のDNAの拡散を説明することができ、その可能性が指摘されています。

従来のケルト人観を粉砕する研究ということでどうでしょうか。

タイトルRe^3: はじめまして~歴史的に実在する「ケルト」と現在の「ケルト」~
記事No1646
投稿日: 2018/02/17(Sat) 21:36
投稿者岡沢 秋
そこまで自分の考えがまとまっているなら、どう考えてますかとか他人に聞かなくてもいい気がしますが…。ここらへんは定説があまりないジャンルですし。「いやーそういう説もアリなんじゃないですか?」としか。

あんまりコメントのしようがないですが、インド・ヨーロッパ語族自体がどこから来たのかはこれだけだと結論出せないですね。

あと「かつてのケルト観」ってどのへん想定されてるんでしょうか…。
今も昔も「学術的にウラの取れているもの」と「取れてないけどなんとなく正しいことにされているもの」の二通りしかないように見えます。

タイトルRe^4: はじめまして~歴史的に実在する「ケルト」と現在の「ケルト」~
記事No1648
投稿日: 2018/02/18(Sun) 08:43
投稿者tm
ケルト語圏の人のDNAは氷河期の終わりから連続していて、と書かれていたのでこういった新しい研究結果についてはどう受け止められているのかなと気になったもので、聞かなくてもと思われたようで申し訳ないです。
基本的によその記事や論文を切り貼りしてるだけなのであまりこれと決めつけているわけでないものですから、定説がないからこそ、「いやいや、ツッコむけどそこはこうじゃないか?」みたいな推測や見解を聞いてみたいなと思った次第です。いろんな見解を聞いたりしてあれこれ考えることは面白いですから。

インド・ヨーロッパ語族の起源についてもまだまだ決着するかどうかはわかりませんし、あくまで骨の結果であって言語と必ずしも一致するわけではないですから。多面的な分析が必要なのだと思います。


> あと「かつてのケルト観」ってどのへん想定されてるんでしょうか…。
これについては深い意味はなく鉄器時代にケルト人が例えばイギリスみたいな大西洋沿岸に拡散したよー、くらいのざっくりした考えを指してます。

タイトルRe^5: はじめまして~歴史的に実在する「ケルト」と現在の「ケルト」~
記事No1649
投稿日: 2018/02/18(Sun) 15:22
投稿者岡沢 秋
何をどう聞きたいのかがよくわかんなかったので、こちらも「??」となっていました。
多分こういうことだろうと話を整理してみたので、違っていたら言ってください。

まず、「ケルト諸語」を

アングロ=サクソン系の言語が入って来る前にブリテン島やアイルランドで話されていた言語で、現在はウェールズやブルターニュ地方など一部でしか使われない言語。ただし、いわゆる「ケルト人」が使っていた言語と同一かは不明なもの

と定義します。

この言語がインド=ヨーロッパ語族から繋がってるので、どこかで大陸→島への移住が成されなければならない。しかしインド=ヨーロッパ語族が西ヨーロッパに移住するのは、ブリテン島やアイルランドに最初に人が住み始めたよりも後のはず。とということはどこかで移住者が追加されて言語が置き換わったんじゃないか。

ということですよね?


これは、日本でいう弥生時代の開始と同じモデルだと思います。
縄文>>弥生への変遷の研究で、農耕技術のある人々は狩猟民より増加率が高いので次第に人口比として高くなっていく、というのをどっかで見た覚えがあります。(北九州の遺跡数と時代を変数にセットしてのシミュレーション)
実際アイルランドの人口とかは農耕技術の開始あたりでどかんと増えた形跡があるらしいので、技術を持ってきた人たちがインド=ヨーロッパ語族で、人口増加に伴って言語が置き換わっていったっていうのはまぁ、アリじゃないかな? とは思ってますが…

人の流れが判っても日本語の起源がよく分からないように、「ケルト諸語」の起源も判んないんですよね。どんな言葉を話してたか記録に残らないわけなんで。

あと、日本の場合、弥生系の人が入ってきても縄文系の人がいなくなったわけではないので、昔から遺伝情報は連続してることになってますよね。ブリテン島とかアイルランドもそれと一緒かと。ケルト人の移住が否定されたのは、住民の置き換えが起きていないって話と、ケルト諸語を話してる島の住人とそれ以外の住人の間で遺伝的な差異がないことが理由…。住民の置き換え(入れ替え)と、後から来た人たちが先にいる人たちと交雑しながら増えるのは違うってことですね。婚姻関係とかで入り混じったにしても、鉄器時代の前後で人の形質が大きく変わってるわけじゃないですし。


それと"従来のケルト観"というのがケルト人の島への移住のことを指しているのなら、それは何も確かな証拠がないまま言われてきたファンタジーなので、否定のしようがないと思います。説として成立してから反証をぶつけて覆すのなら判るんですけど…。

考古学の資料を遡ると1960年あたりには既に否定されてるので、一部の人文学にしか存在しなかった説で、従来どころじゃなくそもそも「最初から無かった」説なんじゃないかと疑ってます。

タイトルRe^6: はじめまして~歴史的に実在する「ケルト」と現在の「ケルト」~
記事No1651
投稿日: 2018/02/18(Sun) 23:23
投稿者tm
お返事ありがとうございます。
住民の入れ替えに関して興味深い研究記事がネイチャーにあります。青銅器時代に各地に拡散したベル・ビーカー文化がブリテン島に流入する時期に島民の遺伝子構造の90%以上が変化したという結果でした。
ただしあまりに衝撃的すぎる数字については反駁もあるようですが。
PNASの論文でも現代アイルランド人の様々な形質は青銅器時代の移住者の遺伝子に由来すると言われています。またY染色体ハプロタイプR1bについても青銅器時代の移住者に由来するようです。
ですのでかなりの規模の移住があったと思えます。

言語の交代については例えばイングランドでは多くの島民は英語を話すようになってからも遺伝的には鉄器時代からあまり変わっていないこともあるため、社会的な変化が大きいのならば原住民を駆逐しなくとも言語が変わることはあるのかなと。

また、ブリテン諸島からインド・ヨーロッパ語族の話になりますが、仮に農耕を伝えた人々が現在までヨーロッパ各地で話されているインド・ヨーロッパ諸語の古語を話していた場合、後からやってきた東欧からの大移住はヨーロッパ各地で農耕民の移住を上書きしていながら各地で言語だけは変わっていないという奇妙なことになってしまいます。


ケルト諸語については、現存していない言語であっても少ないとはいえ碑文や出土品や地名などから言語学的に検証されたうえでケルト語派として確認されていますので……?

タイトルRe^7: はじめまして~歴史的に実在する「ケルト」と現在の「ケルト」~
記事No1653
投稿日: 2018/02/20(Tue) 21:57
投稿者岡沢 秋
> 住民の入れ替えに関して興味深い研究記事がネイチャーにあります。青銅器時代に各地に拡散したベル・ビーカー文化がブリテン島に流入する時期に島民の遺伝子構造の90%以上が変化したという結果でした。

うーんと、つまり氷河期時代から連続しているわけではない、と主張したいんですか? それならそうと最初から言ってください。

繁忙期につき探している時間がないので、差し支えなければその論文タイトルがURLを張ってください。遺伝構造の、というのはミトコンドリアなのかY染色体なのか核なのかと、そもそも調査した母数はどのくらい? というのがあります。

母数少ないとそりゃぶっ飛んだ数値でます。

あと元の人口をどれくらい、移住者の規模をどれくらいと見積もってるかですね。確か農耕はじまる前のアイルランドの人口って2,000人くらいの見積りだったはず。

> 言語の交代については例えばイングランドでは多くの島民は英語を話すようになってからも遺伝的には鉄器時代からあまり変わっていないこともあるため、社会的な変化が大きいのならば原住民を駆逐しなくとも言語が変わることはあるのかなと。

つぅかウェールズの住民とかでも北方系の遺伝子が均一に入ってるので遺伝子と言語は別問題かと。

タイトルRe^8: はじめまして~歴史的に実在する「ケルト」と現在の「ケルト」~
記事No1657
投稿日: 2018/02/21(Wed) 16:34
投稿者tm
記事で一番に話題にしたつもりだったのですが話題の広げ方でかなり迂遠になってしまい申し訳なかったです。

・ケルト語圏含めヨーロッパで広域的に二回の大きな移住の痕跡が確認されており氷河期時代から遺伝的に連続しているわけではないのではないか?

・後の時代の移住については現在、ケルト語派と言われている言語が広まる契機となった可能性があるのではないか?

上記二点についてのお考えをお伺いしたいです。



下のurlがベル・ビーカーについての論文です。
https://www.biorxiv.org/content/early/2017/05/09/135962

論文を紹介している記事がこちらです。
https://www.nature.com/news/ancient-genome-study-finds-bronze-age-beaker-culture-invaded-britain-1.21996

データについては、イベリア、ブリテン島、北イタリア、オランダ、南仏、中央ヨーロッパ…などヨーロッパ各地の新石器時代から青銅器時代までの170体、そのうちビーカーと関連あるものは100体(男性54体)です。ブリテン島の個体は60体です。
また既に調査されていた470体分ほどの別のデータも合わせているようです。

そして90%という数字についてはおそらくY染色体のデータから言及しているようです。
Y染色体ハプロタイプR1bは新石器時代のサンプルには完全に存在しなかった一方で、青銅器時代初期のブリテン島の男性では95%、青銅器時代中期では75%の割合で現れていたということから、ああいった表現につながったのだと思います。
記事のほうを見るだけで元の論文のほうを確認していなかったので不正確になってしまい申し訳なかったです。

私が不勉強なものですから間違いなどありましたらご指摘ください。


新石器時代のハプロタイプとしてG2やI2などが挙げられていますが、
G2が農業技術とともに移動してきた人たちで、I2が氷河が後退した時期にヨーロッパに移動してきた人たちのようです。

タイトルRe^9: はじめまして~歴史的に実在する「ケルト」と現在の「ケルト」~
記事No1662
投稿日: 2018/02/21(Wed) 23:18
投稿者岡沢 秋
> 記事で一番に話題にしたつもりだったのですが話題の広げ方でかなり迂遠になってしまい申し訳なかったです。

いえいえ、最初からもう一回読み直したらだいたい意味は判りました。
ご紹介いただいたのは、いわゆるビーカー人仮説ですね。なんかこれ昔からずっと論争してるような…。
あくまでこのジャンルにはさほど詳しくない私の意見としてですが、これはだいぶ偏っているのではないか、と考えています。今後変わるかもしれないですが、ローマ支配時代まではまとまった数の移住はなかった、という説をいちおう支持しています。
たぶん長距離移動してた人も少数はいたと思いますが、この時代まだ乗馬とかないんで徒歩だと劇的に勢力拡大は出来ないですし、大規模な人口移動を可能にするためには物凄いスピードで人口増加しつつ開拓しまくらないとムリ…(行く手に略奪する村がない! 笑) 現実的に考えて、小規模な団体がバラバラに移動するしか出来ないと思う。さすがに90%置き換わりは数値として飛び出しすぎな気がします。これだけ見ると。

また、インド・ヨーロッパ語系の言語の広まる年代は、青銅器時代ではなく、もっとだいぶ後じゃないかと思ってます。これは言語の変化するスピードからの推測をとりました。


まあでもこのへん、何が正しいかとかまだ分からない部分なんで、自分はxxだと思う! というのがあるのなら、そっちが正解だと思いますよ。私も限られた知識と資料からしか見られてないはずですので。

以上です。

タイトルRe^10: はじめまして~歴史的に実在する「ケルト」と現在の「ケルト」~
記事No1665
投稿日: 2018/02/22(Thu) 15:09
投稿者tm
>なんかこれ昔からずっと論争してるような…。

まあ、いろんなことの焼き直しですね。
ビーカー人について新たな知見が得られたこと(単一民族ではない等)なんかは面白いですが…

ヨーロッパの移住についての遺伝の研究結果はインド・ヨーロッパ語族のアナトリア起源説(農耕伝播)+クルガン仮説(牧畜民移動)を合わせたようなものですし。

そして技術の進歩によりそれまで手が出せなかった状態の人骨からも遺伝情報を抽出することが可能になったことで、問題が再燃したという感じかと思います。


>乗馬とかないんで

馬は家畜化されていたようですが、乗馬があったかどうかはすごく議論を呼んでいたようです。


>大規模な人口移動を可能にするためには物凄いスピードで人口増加しつつ開拓しまくらないとムリ…

ロシア南部の草原からおよそ1,000年の期間でアイルランドまで移住完了しちゃう、というのを早いと見るかどうかですね。

移住について便宜的に肯定的な立場から書きますと、ブリテン島への移住の開始時期で見れば500年ほどで草原地帯から移動してるわけです。
特に、ドイツのあたりから海を渡って移動するのがとても速い。
移住者の進出時には大西洋沿岸地域に交易網がすでに存在していたのかと思うほどです。大西洋に着目していたバリー・カンリフとかのCeltic from Westになにかしら記事があると思うのですが……

ウーニェチツェ文化の出土品のスズなどはブリテン諸島から持ち出されたものだということはわかっていますので広域的な交易圏がいつごろからどのように成り立っていったのかも気になるところです。

人の移動に関してはストロンチウム同位体の検査がもっと大規模に行われていくようになっていけば、育った場所と埋葬地などを統計的にダイレクトにみることができるようになるのではないかと思います。

人口や移動、結婚など社会形態などにも全く未解明なことが多く、まだまだ掘り下げられていく分野だと思います。




>何が正しいかとかまだ分からない部分なんで、

おっしゃる通りなので、何が正しいかよりもどのような意見がありうるのかが気になっていました。ありがとうございます。

お聞きしたかったのは結果が出てから数年の研究ですし学会のような高尚な場からも遠い身ですので、どのように受容されるのかを知ることが視野を狭めないために必要だと思っていました。
あれこれ調べて思考していくと、無意識に情報を取捨選択してしまうのでどうしても独りよがりの考えになりがちで偏ってしまいますから。

なにが正しいかは偉い学者さんが言語学、遺伝、考古学などからもっと多面的に何年もかけて検証していくことだと思います。


お忙しい中で長々とお付き合いいただきありがとうございました。

タイトルRe^11: はじめまして~歴史的に実在する「ケルト」と現在の「ケルト」~
記事No1668
投稿日: 2018/02/23(Fri) 22:52
投稿者岡沢@
うーんと、ここだけちょっと気になったのでコメさせていただきます
間違ってるよとかいう意味じゃなくて、その説を採用してもいいけど周辺地域の状況との整合性が取れなくなるよ、という話。

> >乗馬とかないんで
>
> 馬は家畜化されていたようですが、乗馬があったかどうかはすごく議論を呼んでいたようです。

たぶんデレイフカの遺跡ですよね。あれはちょっと飼育化の根拠としては難しいです。根拠論文を辿るとほぼ一人で全部かいとるやん! ってなるやつです。最近骨の年代間違えてた問題もありましたし、少なくとも周辺の遺跡の状況を見る限り、馬の飼育化も乗馬も、一般的になっていたとは言いがたい。(飼育化されて広まっていたなら、周辺の遺跡でも同様の痕跡が出てくるはず)
一般的になるのは前1,000年くらいからなら確実、というのがコンセンサスのとれてる内容かと…

考古学でもDNA解析でも、今まで判ってる内容と整合性が取れない/突出した数値になっている場合は、何か前提条件(比較対象や基準)が不適切な可能性がある、というのが自分の基本的な考え方です。

タイトルRe^12: はじめまして~歴史的に実在する「ケルト」と現在の「ケルト」~
記事No1669
投稿日: 2018/02/24(Sat) 22:56
投稿者tm
> たぶんデレイフカの遺跡ですよね
そうです。それに時期的にはヤムナ文化のことも念頭に置いていただければ。

> 考古学でもDNA解析でも、今まで判ってる内容と整合性が取れない/突出した数値になっている場合は、何か前提条件(比較対象や基準)が不適切な可能性がある、というのが自分の基本的な考え方です。

実際、私もデレイフカについては疑わしいとは思いますから信頼はおいてません。


しかし関連してもう一つ、考えの中にあったことがあります。
西へ移動したヤムナ文化と南シベリアのアファナシェヴォ文化の人々は土器や埋葬などから類似性が指摘されていましたが、遺伝的にも区別がつかないほど似ていたそうです。

この長距離の移動を可能にしたのは何なのか、という疑問があります。

また、ヤムナ文化とアファナシェヴォ文化の間には馬を家畜化した言われるボタイ文化があるのですが彼らが馬の家畜化に無知だったのかどうか。

家畜馬についての2012年のケンブリッジ大の遺伝的研究では現在のウクライナからカザフスタン北部の範囲が家畜馬の起源ではないか、とする一つの結果がありました。

タイムリーな話題ですが、ボタイ文化の馬が現在の家畜馬の祖先ではないという話も出てきました。(野生馬の絶滅で昨日ニュースになっています。
つまり他に家畜馬の起源を求めねばならないわけです。

一つの推測ですが、これらを解決するのがヤムナ文化における馬の家畜化かなと。非常に都合のいいストーリーなのでうさんくさいとは思います



いろいろ、とりとめなく書きましたが、おっしゃるとおりデレイフカの馬の年代はアキレス腱だと思いますので、裏付けが乏しいことは確かです。
このあたりついては意識的に広げて調べていこうかと。どうもありがとうございました。