のうてんきな日記

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2024/04/12(金) 09:57:50

<携帯変更終了>

以前から、ソフトバンクの会社から「3Gサービス終了のお知らせ」が届いていて、携帯機種の変更を迫られていたんですけど、元日の令和6年能登半島地震で、4月15日まで延期して使えていたんですが、とうとう私達のところは、また延期に入らなかったので、今度は本当に解約されてしまうので、昨日、ドコモの会社に行ってきました。

私の家は、どの会社の携帯でも良かったんです。ただ、家から歩いてでも行ける所に、ちょうどソフトバンクの会社があった時代があって、その時に中国に2年間行くことになったので、「ソフトバンクは海外に強い携帯だから、持って行きな。」と言われて、店が近くにあって大喜びだったんです。でも、東日本大震災の後しばらくして、その店が他の場所に引っ越してしまって、どこに行ったのか?分からなくなって、探したけど、やっと見つかった時は、数年前、大型ショッピングセンターの中だったんです。遠いし、「ちょっとソフトバンクのお店に行って、分からない所聞いてくる。」とか、手軽ではないので、携帯電話、ドコモに変えたんです。私の両親はとっくにドコモだったんですが、私1人だけ、「最後までソフトバンクでいたい。友達のメールアドレスも入ってるし、会社にも登録しているから。」と言って、そのままにしたんです。でも、先月、会社からメールが来て、「メール配信停止」と書かれていたので、もうどうでも良くなりました(笑)。

それで、とうとう重い腰をあげて、新しい携帯にしました。ソフトバンク時代の携帯メールも使えるらしいのですが、「330円」かかった上に、自分で手続きするのがめんどくさい状態だったので、「それなら使えなくて良い。ドコモで新しいメールアドレスもらう。」となって、その場で新しいメールアドレスにしました。でも、正直、(こんなに長いの?)と思いました。今では、なりすまし防止とかハッキングの恐れもあるので、メールアドレス、なるべく長く設定するみたいですね。びっくりしました。もうメールは、かなり長く書けるので、携帯電話番号のSNSで問題なくなりそうです。

ただ、メールの打ち込み画面、私は、パソコンのキーボードの方が好きです。ピアノ習っていた人にとっては、打ちやすいし、スピードアップできたのが、パソコンでした。覚えてしまえば、ローマ字打ち込みの方が楽です。でも、携帯の方は、「句読点が打ち込めない」ので、苦労しています。分からないけど、「、、、。」とか?こんなの、使う機会あるんですかね???私には分かりません。「。」とか「、」しか、使わないんですけどね???わけがわからないです。それで、メール、打ちにくいです。

とりあえず、今でも連絡を取り合っている友達と親戚にだけメールして、新しい携帯になったことを伝えて終わりました。電話番号は変更していないので、電話番号を知っている人からは、SNSでメールしてくれたり、電話かけてくれれば、つながるので、放っておこうと思います。とにかく、メール打つのに一苦労なのが、今の私の携帯電話のSNSです。でも、かなりの文字数書けるみたいで、助かりました。今までは、「70文字」だったので、嫌だったんですけどね。ただ、長文書けるようになるまでには、時間がかかりそうです。

でも、1つだけ付け加えると、会社内で使用しているスマホ型携帯と同じ画面なので、使い方最初から知っているのと同じで助かりました。どこをどう使えば何ができるか?ある程度分かります。ただ、会社では、数字しか打ち込みしたことないんだよね。文章は打ち込んだことがないんです。だから、ちょっと文章に手間取っています。画面が同じなので助かったけど、会社内では数字だけだったから、(あれ?)と思いました。でもま、慣れている携帯なので、なんとかなるでしょう。携帯電話の携帯メールアドレス、ボーダフォンから一度も変更しないで利用してきたのですが、今回、消えました。新しくドコモのメールアドレスになったけど、残念ながら、自分で設定したメールアドレス名じゃないので、難しすぎて、使えないです。お笑い種ですね(笑)。でも、昨日は疲れました。頭が痛くなりました。でも今朝は仕事、頑張ってきました。汗だくで帰宅して、今ゆっくりしています。また夕方出勤です!


2024/04/09(火) 09:40:49

<新年度>

3月下旬から小学校が春休みになって、去年親達が離婚したこともあって、甥っ子が一週間泊まりに来ました。でも、毎日毎日、よくも飽きずにゲーム三昧で、おさんどんの1つも手伝わなかった割には、私の方がまいっていたようで、4月1日、交代で母が弟の家に行って、父と私と犬一匹が残された翌日、倒れました。朝から起きられなくて、15時になってやっと起きてきました。頭痛がひどくて、転げまわっていました。口当たりの良い物ばかりで、ポカリスウェットとかアイスクリーム等を食べ、惣菜でかきあげうどんとか茶碗蒸しを買ってきて食べました。惣菜、ありがたいですね。母が先週末に戻ってきて、やっとホッとしましたが、今週もおかしいです。

深夜、変なことがあります。突然、懐中電灯が私の顔にあたったので、
「どうかしたの?」
と聞いた日もあったのですが、今朝がたは、もっとびっくりです。朝起きてきて、母に、
「私のベッドのそばに来た?」
と聞いたら、
「行かない。」
と言ってました。どうなっているのか?

今朝がたと言っても、「夜中」と母に聞いたのですが、夜中、いきなり、確かに、母よりは若い感じの人でしたが、私のベッドのところに来て、頭を両腕で抱きかかえるようにして、耳元でささやいたんです。
「高熱を出して、病院に入院して、大騒ぎしたんだ。」
とかね。(何それ?)と言う感じでした。

私はむしろ、甥っ子と「マリオカート デラックス」ばかりやっていたせいか?夜中の「夢」は、びっくり仰天でした。最初に若い女性が大型バスを運転していたんですが、私が運転手になったんです。そしたら、途端に狭い道に入って、動けなくなって、「この曲がり角、どうやって曲がるの?」と言って、若い男性と運転手を交代しました。そしたら、その運転手は、その曲がり角から遠ざかるようにバックして進み、広い道路に出ました。そこからはもう「ハイウェイ」を気持ちよくバスが走ります。でも、上空からの眺めは、「アリゾナ州の風景みたい?アメリカ?」と言う状態でした。ただ、私、何で、「アリゾナ州」と思ったのか?分からないのですが、とりあえず、高速道路の脇には、「サボテン」が立っていました。茶色の土の見える風景を、バスは気持ちよく走りました。建物の中に入ってきて、やっと私自身が目を覚ましました。

新年度スタート。会社では、私が所属する部署に初めて、女性のナンバー2が転勤してきました。会社に入って、今月下旬で8年半が過ぎますが、女性の上司は初めてです。同じ建物内に別の会社もありますが、そっちは、女性の上司、私が入社した時からいました。私とは会社が違うので、普通に接してきましたけど、今度はどうやら直属の上司のようです。新年度スタート、どうなるかな???でも、とんだスタートとなりました(笑)。


2024/03/29(金) 09:58:03

<毎年お騒がせ>

毎年お騒がせになっている、私の会社の転勤発表と挨拶なんですが、本日、転勤挨拶を聞いてきました。
「転勤してきた人と、転勤して出ていく人が、名前も姿も同じなのに、中身が違う。」
と言うのが私の第一に感じたことでした。さすが・・・「変装」ですね(汗汗)。もう慣れました・・・。

今年の転勤発表に関しては、正直、疑問が1つありました。発表ではなく、転勤者に渡す「記念品代」と言うか、「花束代」と言うか、「贈り物代」でした。

まだ会社内で転勤発表もしていなくて、さらに(まだ転勤発表するには時期が早いのでは?)と思う時期に、いきなり、女子更衣室内で、お金の受け渡しがあったんです。そしたら、
「今年転勤して出ていく人、5人で、500円。任意だけど、あなたももし良かったら?」
と言う話があったのですが、私、その日、お金は持ってたけど、なんだか嫌で渡さなかったんです。理由は、「係りの人の部署が違うから」なんです。記念品代でも花束代でもなんでもいいけど、転勤者に渡すための物を買うお金を集める人は、「総務」と決まっていたんです。でも、そことはまるで関係ない部署の人が集めるというので、うさんくさく感じて、お金を渡さなかったんです。しかも、「5人、って多くない?」とも思ったし、昨年は、「誰さんも転勤する。」と聞いていたのに、実際は転勤しなかったり、お金を集めに来なかったので、渡さなかったんです。しかも、昨年末から新年にかけて、1人完全にいなくなっているのに、何の話もありませんでした。正社員だから、転勤だと思うのですが、何があったのか?分からないんです。入社時からずっとお世話になっていたのに、挨拶も、どこに行ったのか?も、退職なのか?も、分からないんです。だから、気持ち悪かったんです。母に話したら、
「それ、「詐欺」じゃない?」
でした。そう思うよね???

でも、今週半ばに出勤したら、廊下に転勤発表が掲示されていて、転勤者の他に、(内部転勤?)みたいなものも発表されていて驚きました。内部部署移動のことみたいですが、今まではそんな発表はなかったんです。いきなり移動して、あっちこっち動いていた感じでした。だから、びっくりしました。だから、「5人」くらい転勤するのは知ってました。そしたら、その日にお金を集めに来たので、「任意」と言われても、お金は渡しました。今まで通り、「総務」の人がお金を集めに来たので、「OK」と思いました。ただ、母は、もうそういうお金、渡して欲しくなかったみたいでした。まあ、「変装」だしね(笑)。でも、こちらは、「お餞別」もそうでしたけど、残る従業員同士の「いじめ」もあるんです。
「お餞別なんて、渡さなくてもいいんじゃないの?たった半年しかいなかったのに、非正規でお給料が少ないお前が、何でお餞別渡すの?「任意」なんじゃないの?任意なら、渡さなくてもいいんだぞ。」
と父に言われましたが、結局、
「私だけ誰にもお餞別渡さなかったら、「常識ない」とか、先輩達に睨まれて、いじめられる可能性あるから、渡す。他の先輩達も、みんな非正規でお餞別渡しているから。」
と言って、お餞別を内回りで一緒に働いてきた社員にだけ渡していたのが、コールセンター時代だったんです。でも、別の部署に移動して、フルタイム労働を引退したら、もう「花束代」として集めるわずかな金額を「総務」の係りの人に渡していただけだったんです。それも昨年は、「総務」の人が集めに来なかったので、誰にも渡さなかったんです。だから、今年も渡さないつもりでいたんですけど、まあ、その仕事をする部署の係りの人がお金を集めに来たので、他の人との兼ね合いもあるので、渡しました。ただ、やっぱり、「変装した人の転勤挨拶」だったので、(ふん。)と言う感じでした。本人ではないからね(笑)。今年もお騒がせの転勤発表のようです。大笑いです。


2024/03/20(水) 09:54:04

<地に落ちた?>

先週、某新聞記事を読んでいたら、(あれ?同姓同名?でも年齢が一致している。職業名も同じ。彼女かしら?)と思って、そのまま内容も中途半端にして、パソコンを立ち上げて、メールを書いて、その勢いで出しました。翌日、メールの返事が来て、(ああ、やっぱり、彼女だったんだ。)と思って、大喜びでした。半信半疑だったのは、「団体に所属していた時代が記載されていなかったから。」だったんです。でも、私と同じで、不思議と、彼女の同姓同名も、なかなか、いるようでいない気がしたんです。それに、年齢も聞いていたのと同じだったし、職業の日本語教師まで一緒では、(もしや?)と思います。返事が来て、13年ぶりにメールがつながって、大喜びでした。

彼女が青海省に来たのは、2010年7月でした。私はちょうど2年目に入ろうとしていた頃でした。団体から派遣されては来ていたけど、中国滞在期間が長く、中国語がペラペラだったこともあって、「研修免除」だったんです。そのために、彼女は少し、違ったんです。
「やっぱり、団体の研修受けてないと、友達がいない。」
これが現実だったんです。正直、研修中に仲良しになる人達が多いので、後から入ってくると、同期達ともよそよそしくて、仲良くなれないんです。そのために、不都合なことも多かったんです。それに、団体仲間の中には、「研修を受けないなんて、許せない。いくら団体がお金なくなってきて、貧乏になってきたからといって、研修免除って、頭に来る。団体に入る人は、中国語なんてできてもできなくても、研修を受けるべきだ。」と言って、嫌っていた人もいたくらいでした。実際、私の前任者の研修時代を聞いていると、「それは嫌だな。」だったんです。中国派遣の人達が数人いて、ほとんどが中国語の初心者だったので、その人達でクラスを作ったそうです。でも、1人だけ中国滞在期間があって、中国語がペラペラだったそうです。それが私の前任者だったんですが、その人は、いつも1人で、問題集をやっていたり、他のことをやっていたりして、教室も先生も同級生もいなかったそうです。同期はいても、一緒に勉強する仲間がいなかったり、先生がついていなかったそうです。「自習」だったそうです。でも、研修は受けていたので、他のことは一緒だったので、誰も恨む人はいなかったようです。いろいろと違うことをやってみると、その人1人だけおかしなことになることもありますが、彼女は、「研修なんて受けたくなかったし、面倒くさいから良かった。」とだけ言ってました。本人がそれで良いなら、それに越したことはないですからね。

彼女は、大学院卒の最終学歴で入ってきましたが、それも新聞では隠されていて、悲しかったんです。(他の大学の教授出してくるなら、彼女だって、引けを取らないのになあ。まあ、大学ランクは別格で違うけど。)と言うのが新聞記事を読んでの感想でした。ある意味、「団体に参加する意味は?」と思うからなんです。彼女を受け入れた青海省内の大学では、私が赴任したころから、熱心な日本語教育をしていて、その当時派遣されていた団体仲間とは仲良しになっていました。
「次の要請の仕事をしているんだけど、今度の人は、なんでかんで「大学院卒」じゃないと嫌みたい。大学側が、「大学院卒しかいらない。」と言ってる。まあ、仕方ないけどね。隣の大学で、大学院卒を受け入れたから、競争したいのかな?」
と言っていて、実際に現実を知っている北京事務所とか東京本部では、「そんな人いないよ。」だったんです。後任の手配の仕事は、配属先に派遣されている前任者の仕事でした。でも、そこに偶然、彼女が受験してきて、配属が決まったようでした。私は、それ以上のことは分からないけど、ちょっと新聞記事を読んでいると、(団体の扱い方って、こんなに悪いんだ。)とだけ思いました。団体を終えた後、「準教授」「教授」の道ならいいんですけどね。私のように、彼女は、ニート期間とかないんです。ある意味、大学の講師とかしていて、団体をステップアップにするのかな?と思っていたくらいだったんです。私は、大学の講師経験はないですからね。だから、当時は、ちょっといろいろと壁を感じた部分もあったんですけど、新聞を読んで、(連絡取ってみようかな?このチャンスを逃したら、もう連絡取り合う機会もないかもな?)と思いました。

ちなみに、私の派遣要請は、すごく単純だったんです。中国人の同僚が言ってたんですけど、
「大学院卒なんていらなかった。正直、「大学さえちゃんと出ていれば誰でもいい。」だったよ。それに、仕事したことない人の方が良かったから、嬉しかった。あなたは仕事したことないと言っているから、助かった。仕事したことある人、逆にいらなかったんだ。」
と言う状態でした。

結局、私と中国人の同僚って、同じような時期に大学院を出ているんです。私の方が半年早いんです。そのために、私が「ニート3年」の期間は、彼にとっては、「銀行マン時代が半年くらい。それから青海省のこの大学の日本語教師に転職して2年が終わって、3年目に入るところです。」だったんです。つまり、1人しかいない同僚に対して、ベテラン教師は必要なかったんです。ある意味、少し話相手になる程度で、中国人の同僚が劣等感を持たない程度で、お互いに悩みを相談しながら仕事をしてもらえるような人で、少しだけ日本人より優越感を感じられる状態の人なら、それで良かったんだと思います。ある意味、私は、大学院を出た後、仕事がなかった時代が3年あるので、それが劣等感ですよね?逆が中国人の同僚です。大学院を出たのは私よりも半年遅いけど、仕事がバッチリあって、経験もあるので、私よりも上になるのに適任者になります。だから、ちょうど良かったんだと思います。「誰でも良かった。」とか「大卒ならそれでいい。」とか「大学院卒なんて言う経歴、邪魔だからいらなかった。」とか、散々そう言ってましたね。まあ、大学によっていろいろあるけど、(「大学院卒しかいらない。大学院卒じゃないなら、団体からの派遣なんて受け入れない。」とかすさまじかったのに、帰国後が私と大差ないなら、気の毒だな。)と思いました。団体の名前も地に落ちた感じですね(笑)。


2024/03/12(火) 09:57:50

<祖母の記憶>

最近、「盗聴器」で、「背が高くなった。2メートル、3メートル、4メートルになった。」とか「太った。体重が100キロを超えた。200キロを超えた。」等等、変な放送があるが、私もちょっと妙なことがある。それは、「盗聴器」でも言っていた「背が低くなる」の方だった。

ある日、犬の散歩をしていたら、急に、(あれ?道路と目の位置が近い気がする。背が縮んだのかな?)と思いました。正直、今は亡き祖母は、
「年取ってくると、背が縮んでくるんだよ。不思議と腰が曲がらなくても、背中が曲がってきたり、いろんなところが落ち込んできて、背が低くなってくる。おばあちゃんも、昔は背が高かったんだけど、今は低い。」
と言っていたんです。それで、母に、その話をしたら、
「それは、60歳過ぎてから起きることで、少しずつそうなるけど、あんたはまだまだそんなはずないでしょう?」
と言われて終わりました。でも、私、「背が高くなる」と言うのは信じられなくても、正直、「背が低くなる」は、信じることができるんです。やっぱり、育つ時に祖母が一緒にいて、いろいろ教えてもらっていたので、「年取ってくると、背が低くなる」は考えられるのですが、「大人になってしまった人が、どんどん背が高くなる」と言うのは、分からないんです。

この「盗聴器」では、どうやら、過去にどこかで「注射」されたことが原因で、背が高くなったり、背が低くなったりするらしいのですが、私には、そういうことは分かりません。勉強したこともないし、現実社会で聞いたこともありません。ただ、自然と年を取ってくると、背が縮んできたようになって、背が低くなるのは知っています。私の祖母が生前そう言っていたからです。

大河ドラマ『篤姫』、チャンネルがうつるところで放送していると分かったら、不思議と見ています。私の亡き祖母は、まだ私が「生理」も知らなかった頃、男の子と女の子の話をしてくれました。話を聞いていると、どう見ても、「男の子の方が良いのでは?」と言う話し方でした。まだ山奥の方に住んでいた、小学校に入学する前の話でした。でも、祖母は、ニッコリ笑って、
「女の人の方が良いこともあるよ。女の人は、「玉の輿」と言ってね。どんな人と結婚するか?によっては、自分では信じられないところに行くことができるし、見たこともない世界に入ることもあるよ。男の人は、それはない。この家に生まれたら、嫌でもその家の中から出られない。頭がものすごく良くて、いろんなことができる能力がある人に生まれてくれば、世界を股にかけて仕事をしたり、自分の力で自分の人生を切り開いて、生まれた家から外に飛び出すこともできる。運が良ければ、他の人の養子に入って、どんどん上に行くこともできる。でも、普通は、それはできない。女の人は、結婚相手がどういう人か?によっては、上にも下にも行ける。女の人の方が良いこともあるよ。」
と言っていました。

祖母の時代は、こうだったんです。
「どんな人のお嫁さんになるか?によって、綺麗な着物を着て、美しい小物や持ち物に囲まれて、良い暮らしができることもある。男の子には、それができないこともある。どんな家に生まれるか?によって、難しくなるのが、男の子だな。勉強して、自分の力で世に出ることができないと、ダメだから、育てるのも大変だ。誰か育ててくれた良い男性を息子に持った方が幸せなこともあるよ。」
と言ってました。昔の人だったんだと思います。

私の祖母は、母方の祖母でした。だから、父とは、血がつながってなくて、母と血がつながっていました。だから、結構両家の対立もありました。父は、自分の一族の話をするのが好きで、私が小学校高学年に入ると、暇があると、その話をしてくれました。でも、祖母は、自分の家に関する話になると、急に口をつぐんで、
「そんな話、するもんでない。せっかく世の中が、「家」だの、何だのという身分制度をなくして、良い暮らしができるようになって、どの家も中流階級みたいになって、こんなに幸せに暮らせるようになったのに、冗談じゃない。そんなもの、また復活させて、持ち出されては迷惑だ。」
と言って、決して話そうとはしませんでした。

ただ、一度だけ、
「うちは、こうがみだ。」
と言って、それっきり、口を閉ざしました。私には、何のことやら、さっぱりわかりませんでした。今の家に引っ越してきて、祖母に、
「お父さんは、こう言う家系だと言っていた。おばあちゃんの方は?」
と聞いたら、突然怒ったようになって、そう言いました。母には何も話したことがありません。母に一族の話を聞いても、
「お母さんは分からない。」
と言ってました。でも、それっきり、祖母も口をつぐみ、
「うちは、水飲み百姓だ。」
とだけ言うようになりました。

あのう・・・これも「盗聴器」で聞こえてくるんですけど、裁判で、こういう「お家制度」をなぜ復活させているんですか???私には分かりません。父母にも、それぞれ両親がいます。祖母の方は生きていたので、生前話を聞けたかもしれませんが、祖父の方は私が生まれる一年前に亡くなっていたので、母から聞いています。でも、母は、長男ではないし、長女でもないので、ほとんど分からない様子でした。でも、一方で、父にも祖父母がいます。こちらも祖母だけが生きていて、祖父は早く亡くなったので祖父とは会ったことがありません。

でも、最近、大河ドラマ『光る君へ』とか『篤姫』とかを見初めて、(私が子供の頃は、「学歴」「学歴」と言っていた祖母の記憶が強いけど、実際は、「あんたのお嫁さんに行く姿を見たいなあ。」とか、それが本音だったんじゃないかな?)と思うことがあります。祖母が生前語ってくれた話を、少しずつ思い出している今日この頃でした。


2024/03/05(火) 09:51:25

<日記に書いておく!>

3月ですね。大河ドラマ『光る君へ』を見ています。平安時代ですね。「怨霊に取りつかれる」とかね。びっくりです。今、一番気になっているのは、このセリフのやり取りです。
「日記に書いておいたらどうですか?」
「日記には書かん。絶対に書かん。あんなものには、書かん。」
と言う夫婦のやり取りです。私の場合は、逆なんです。母とのやり取りなんですが、
「そう言うのは、日記に書いておいたらどう?」
「そうする。絶対に日記に書いて、みんなに読んでもらう。」
と言う状態です(笑)。だから、このセリフのやり取りを聞くと、(むむ?)と思います。でも、こういうキャラクター、好きですね。先日のセリフは、
「私のような「勤勉な者」に向かって・・・。」
と言うところですね。(自分で言うか?)って思いましたが、面白かったです。

大河ドラマ『篤姫』も、久しぶりで見ています。薩摩を出立して、とうとう江戸に入ってきましたね。船のシーンがびっくり、中はちゃんと畳の部屋だったんですね。びっくりしました。さすがに、「怨霊」とかがなくて、嬉しかったです。江戸時代から明治時代だから、歴史がちゃんと残っているから、やっぱり、作りが違いますね。それに、将軍家に嫁ぐ姫様だから、着物が綺麗です。豪華な着物を交換交換着ているのが好きです。韓国ドラマもヨーロッパの映画もそうだったけど、正直、女性が主役だと、豪華な服装を望んでしまいます。日本なら着物、韓国ならチョゴリ、ヨーロッパならドレス、身分が高ければ高いほど、豪華絢爛な服装なので、それを見ているだけで幸せな私だったりします。そこがちょっと寂しいのが、大河ドラマ『光る君へ』だったりします。まだ「十二単」のシーンが少ないんですよね。『源氏物語』だと、全部「十二単」みたいな物語なんですけどね(笑)。

私、最近ちょっと「スッキリ」しました。あまりにもこの「盗聴器」でいろいろ言われると、(え?何?学歴詐称?何の話?)と思っていたからです。連動して、社内でもいろいろあったので、(どういうことかな?)と思っていました。長い間の謎が解けて、ホッとしました。

そうそう、今朝思い出したのは、こんな会話でした。青海省の配属先で「居留登記」をやった時、私の家に青海省の外事の人達が来てくれたことがあったんです。同僚教師と青海省の外事の男性2人が私の家に来て、いろいろ話をして、提出物を要求した最後に、「中国語で書かれた履歴書を提出してほしい。」と言われたので、北京事務所の中国人スタッフが訳した履歴書を提出しました。でも、私、一か所気になっていたんです。
「あのね。この字だと、「岩木」と言う漢字だから、岩手県になるの。間違ってるんだ。本当の漢字は、違うの。こっち。」
と言って、白い別の紙を持ってきて、それに、漢字二文字を書いたんです。そしたら、
「ああ、そうなんだ。でも、そんなのどうでもいいです。正直、履歴書なんて、嘘でも違っていても、漢字が間違っていても、こっちで調べるから気にしなくていいです。中国はそんなのどうでもいいよ。」
とだけ言われた記憶がよみがえったんです。(え?)と思いました。

同僚教師は、留学先が北海道だったんです。だから、「岩木山」と言うのが岩手県にあるのを知っているのかどうか?分からないけど、正直、「北京事務所の人の中に、私と同郷出身者がいるのに、何で、「岩木」なんて漢字使っているのを放っておいたのかな?この漢字使われると、学校名が違ってしまうのに。」と思って、両親にもスカイプとかで話したことがあったんです。
「ああ、確かに、「岩木」では、ダメだね。日本人なら完全に岩手県と思うね。それに、中国人だって、岩手県を知っている人は、「これなら、岩手県出身ですか?」とか、別の県になっちゃうね。」
と言う話になりました。でも、中国側は、
「そんなのはどうでもいいよ。」
だったんです。

それにもう1つ思い出したら、私の履歴書って、いろんな面で、分からないことが多いから、「こちらで調べてみます。」になるのが分かることを言われたこともあったんです。ある意味、1つの分野にとどまってないから、調べてみないと本当のことが分からないんだそうです。やたらといろんな分野の勉強したことあっても、どれも物にならないし、ちゃらんぽらんなので、お金にかえるための仕事もないんだそうです。「広く浅く」で良いかもしれないけど、「一体何になりたかったの?」と言う状態だそうです。普通は、専門家になるために勉強するから、1つの分野の勉強だけで、それでお金をとるんだそうです。でも、私は違うから、いろいろと面倒だそうです。まあ、昔言われたセリフが、私を救っている部分もあったのかもしれません。気にしないで生きてきました。今転職するとしたら、気になるのは、「年齢」ですね(爆笑)。もう履歴書の学歴欄は、通用しなくなりました。この学歴で採用したところがあるのに、仕事が見つからないなら、次は年齢でしょうね。そう言う感じです。年取ってくると、転職は難しくなりますからね。ただ、今の所、転職は考えてないです。「定年まであと何年」がちらつくと、会社が置いておいてくれれば、それでいいです(笑)。贅沢言わなければ、両親も健在だし、甘えているのが私だったりします。ふとそんなことを考えていた今日この頃でした。


2024/02/28(水) 12:07:34

<ネット上でご報告>

昨日、半年に一度行われる会社のスキルアップチェックの結果をもらったんだけど、(あれ?自己評価は「○」にしたのに、上司の評価が「△」になっている。)と思った項目がありました。「コミュニケーションが取れているか否か?」と言う項目だったのですが、ちょっと「絶句」でした。まあ、しゃべらないので、「○」をつける方がおかしかったのですが、実際、遅刻項目に「△」を素直につけておいたのに、そっちは「○」になっていて、笑えたんです。団体時代は、「ノンバーバルコミュニケーション」だったりして、しゃべらなくても問題なかったんですけどね。アイコンタクトもあれば、以心伝心もあったんですけど、それもなかったんですかね?まあ、スキルアップチェックは、毎回、時給アップと連動しているので、何かと「ケチ」をつけられることもあります。仕方ないですね。でも、コールセンター時代の最大契約金の金額まで、時給を戻すことができたので、問題ないですね。私は嬉しいです。コールセンターから今の部署に移動して、一番ショックだったのは、シフトも減ったけど、やっぱり、時給がぐっと下がったことでしたからね(笑)。でもま、またコールセンター時代の最高金額までアップしてきて、良かったです。日本は、「ハイコンテキスト文化」、他の国には、「ローコンテキスト文化」と言うのがあるとか、そんな勉強をしていた時代が懐かしいです。言葉を巧みに使って文章を書いたり、おしゃべりをするのが日本の言語なので、仕方ないですね。

この「盗聴器」で、携帯電話の話とか流れていますが、ちょっと私は違いますね。携帯電話、今の携帯電話、実は、令和6年能登半島地震のおかげで、2カ月半くらい延長になって、まだソフトバンクの3Gサービスを利用しています。本当は、2019年の7月に、母が、別の会社の携帯電話に変更するように言ってきたのですが、会社内の様子がおかしかった上に、ちょうどその時に上司から言われたセリフが、「1日3,4時間労働とかに変更してもらえないか?」と言う話だったので、嫌だったんです。その上、翌年からは、ナンバー2が交代していて、いろいろと、メールアドレスとか変更手続きをしないといけないことがあって、嫌だったんです。IDもパスワードも忘れていたしね。いろいろと、変更すると面倒くさいこともあるんです。

でも、「盗聴器」の話をすると、本当は、違うんです。この「盗聴器」、私の耳元でささやくのは、「もうすぐ結婚して、携帯電話は、結婚式にプレゼントします。」とか「もうすぐパソコンも新しくなって、あなたがアメリカに行った後、両親のパソコンは一番最新のものになります。」とか、そう言われると、(何も、ギリギリまでこの携帯電話とかパソコン、使っていてもいいよね?)となっていただけなんです。私、ホームページもそうだったけど、「変更苦手」なんです。違う機種に変更したり、新しい物に買い替えたりすると、新しい物を覚えないといけなかったり、古い物がもったいないと考えたり、いろいろあったんです。

私、団体時代に、団体説明会のために、茨城県に3回、福島県に1回行ったことがあります。その時の茨城県の話があるんです。まだ2006年とか2007年だったと思います。
「帰国後300万円貯まったのを父が見て、こんな話をしてくれたんだ。もし、会社の非正規雇用にしかなれなくて、最初の3,4年くらいは、フルタイム労働でも、途中からたったの3,4時間労働くらいにしてくれないか?と上司から言われたら、その通りに動いてみてほしいんだ。とね。それで会社が何をやっているのか?知りたいみたいなんだ。親も、自分が団体に参加して、海外に行く時は、まだ下の方の役職で、何もわからなかったみたいで、自分の子供が会社に非正規で雇われても、不思議と正社員になれなくて、転職をしたり、悶々と悩む日々を送っているのを見ていただけだったんだけど、今度は、出世して役職名も変わったから、違う考え方みたいで、急に「貯金もあるし、少し心の余裕も出てくるだろうから、家から通って、あまりお金を使わないようにして、会社の動向を見てほしい。お金を使ってしまうと、それができないから。」と言われたんだ。今、どこの会社も最初の数年は良いけど、それからどんどん労働時間を減らすことばかり考えているらしい。それでどうするのか?子供も20代からどんどん年も取ってくるし、見てみたいみたいだ。学歴も関係なくて、高卒でも大卒でも、女でも男でも、非正規なら扱い方は同じだそうだ。大の大人の男を、非正規だからと言って、給料もろくに払わないで、労働時間もほとんど与えないで、どうするつもりなのか?と言う感じだった。」
と言っていたんです。(どういうこと?)と思って聞いていました。ただ、この話をしてくれた人は、男性で、団体で海外から帰国した後、団体に就職して月25万円で3年契約になったので、その人がその道を歩む必要性はなくなったという話でしたけどね。まあ、その後の人生は分かりませんが・・・。

非正規雇用された人も、「人間」なんです。正社員だけが人間ではありません。正社員が月に30万円もらえるなら、私達非正規雇用だって、月に30万円もらいたいんです。でも、非正規雇用されると、正社員になれないどころか、数年で労働時間を減らされるなら、そのまま会社の言う通りに動いて、その後会社が自分をどうするつもりなのか?見てみる人が欲しいということだったんでしょうね。私がその道を歩んでしまったのが、今の会社でした。ただ、そうするためにも、
「団体に参加して、海外を2年間だけでいいから、経験してきてほしい。海外経験がないと、どうしても、非正規は弱い。強みを持ってほしい。それとお金も貯金して持っていてほしい。そうじゃないと、弱くなる。せっかく高校とか大学教育を受けさせてもらえた若者なんだから、ぜひ人生の2年間くらい、若い時に、フリーターとか就職できなかった人達に、世界を見てきてほしい。」
それが、当時の団体へのお誘い文句だったんです。

今、2024年。正直、母は、「これだけお金が稼げるなら、車を買って、窓口とかに移動してほしいと会社が言うなら、そうしてほしい。」と言っていた時代もありました。でも、正社員なら月30万円でも少ないのに、私達非正規は、月にたったの5,6万円になってしまって、貯金もなく、自動引き落としにしておいた保険料とか、自分で支払いに行っている物とかもあるので、まるでお金を払うためだけに働いているだけで、貯金はどんどん切り崩しになっていて、とてもじゃないけど、車なんて運転する所の候ではなくなったところに、「公害病」がちらついたというのが、私の人生だったんです。来月で私、今の部署で丸4年を終えて、4月から5年目に突入します。最初はフルタイム労働+超勤でも、途中から不思議と労働時間数を減らされるその非正規の勤務状態に、一体、会社では何をやっているんでしょうか?私はスパイではないし、会社にいる時間数はごくわずかなので、分かりません。もし報告できるなら、「すみません。会社を追い出された状態なので、会社のことは分かりませんが、非正規雇用で、こう言う風に途中からは貯金も残らないのでは、生きていけませんね。正社員は人間でも、非正規は人間ではないのでしょう。」と言う報告をネット上でしておきます(笑)。仕方ないですね。これは、ある意味、裏からお金でももらってないと、できない人生選択、生活ですね(笑)。


2024/02/26(月) 10:55:45

<心の整理のための日記>

先週、大河ドラマ『篤姫』を見ました。去年放送していた時は、チャンネルが入らなくて、見ることができなかったんです。今年は、私の家でも見られるチャンネルみたいで、放送していて、びっくりしました。鹿児島を出発するのは、どうやら今日みたいですね。私、大河ドラマ『篤姫』を毎週楽しみに見て、その後、中国青海省に旅立って、びっくり仰天、(私って、「篤姫」みたい?)でしたね。結局、青海省の配属先の大学の日本語学科を終わらせるために派遣されたようなものだったから、どうしても、「篤姫」みたいに思っていたんです。どうして、そう言う役目を担わされる人は、遠い場所から来るのでしょうかね?ただ、私は、その青海省から戻る日が来て、今日本にいますけど、「篤姫」は、江戸幕府が終わっても、そのまま江戸に残って、東京にいた人だったんですよね。ちょっと懐かしくなりました。

先日の日記の続きを少しだけ書いておきます。「修士号」の話です。私、青海省の配属先の大学にいた時に、同僚もみんな大学院修士課程を出ているというので、「修士号」を聞いたことがないわけではないんです。ただ、答えが、やっぱり、私と同じように、「所属先」と言う気がするんですよね。理系の2人の同僚には、「修士号」を聞いたことはないんですけど、赴任した時からずっとお世話になっている文系の同僚には、「修士号」とか「専門」を聞いたことがあるんです。でも、何度聞いても、「僕は、「異文化コミュニケーション」専攻です。」と答えていて、「専門ですよね?だから、「異文化コミュニケーション」です。」と言うので、「それじゃあ、「社会学系なの?」」と聞いても、「そういうのは、分からないです。僕は、「異文化コミュニケーション」です。」と言うばかりで、実際、「社会学部系統、社会学研究科とかなのかどうか?」さえも、ハッキリ言ってもらえなかったんです。それでいて、「教員免許は持ってるんですよね?」と聞くと、「教員免許は持ってます。」と言うので、「ああ、そうなんだ。」と言う会話でした。

私、中国人の同僚もこんな状態で、「修士号」のこと何も知らないみたいだったし、求人票=要請にも、「修士号の種類を問う記載はなかった」んです。

私、以前、この日記に、私の「修士号」は、「社会学修士」です。と書いたことがあります。実際、持っている資格は、「社会学修士」です。だから、求人票に「文学修士を有する方」とか「教育学修士を有する方」と言う記載があったら、応募できないんです。それに、一度も見たことがない求人票でもあります。つまり、「社会学修士を有する方」と言う求人票は、一度も見たことがないんです。私が探している求人票には、ないのかもしれないです。それに、先生方も、「社会心理学なんて勉強しても、就職ないよ。」と言ってたので、最初から期待していなかったですしね。だから、例え、その「修士号を詐称していた」としても、「お咎めなし」なんだと思います。それに、正直、この「盗聴器」で言っているような「修士論文を書いた人には、もれなく何か1つ修士号を与える」とか、そういうのは、分からないです。正直、「修士号=論文だけ」なら、私が所属していた大学院ゼミの人達は、全員「修士号取得者」だと思います。修士論文を書いて、その内容から、修士号をもらえるからなんです。自分がもらえた修士号の種類は、ゼミ生それぞれ違うと思いますけどね。

でも、「大学院修士課程修了」と言う資格は、完全に違うと知っています。これは、必修科目何単位、選択必修科目何単位と言う規定があって、全部で何単位以上の単位が必要と言うのが条件です。中には、「専門じゃないのに、何でこんな科目取らないといけないの?」と言うものも授業を履修しないと「修了」にこぎつけることはできません。例えば、私は、「社会心理学」と言う所属先でありながら、「臨床心理学の科目を履修した」と言うことがあります。それに、「実習単位を何単位以上履修すること」と書いてあったら、それを履修します。私のゼミの担当の先生は、「これとこれとこれとこれは、必ず履修してください。」と言ってくれました。でも、それだけでは、正直、「修了できない」んです。先生が暗記している授業科目だけを履修していると、最後の最後に、「単位が足りないので修了できません。」となります。先生が知っているかどうか?分かりませんが、先生が何科目か必ず履修するように言った科目名の他に、何単位か、自分で好きな科目も履修しないと、修了できないんです。

ちなみに、私よりも一学年上の先輩は、他の先生達がいろいろ話をしていたり、本人達が話しをしていたりして、ちょっとだけ小耳に挟んでいます。「実習単位が足りないから、あなたより一学年上の先輩は、2人いるけど、どちらも大学院修了できないよ。それでいいのかな?それとも、自分が把握していないだけで、実際は他の実習授業の科目で履修できているんだろうか?」と言ってました。また、私と同学年の人達は、「臨床心理学の科目、取らないの?」と聞くと、「臨床心理学は苦手だから、他の授業でとる。それも、来年履修する。」とか、必ずしも、一年生の時に履修を終えていないんです。二年生でも履修する科目を何単位かとっておいたのを知っています。だから、私とは同じ授業科目で履修していない可能性もあるし、私が知らないだけで実際は履修できていない可能性もあるんです。ただ、これだけは事実なんです。「修了証書授与式の日はちゃんと出席していて、修了証書らしきものを全員受け取った。」と言うのが事実です。今は、どの大学もそうだと思うけど、他の人の修了証書とか卒業証書の内容を見せあう人って、あまりいないと思います。だから、内容がどうなっているのか?なんて、分かりません。卒業証書を全員受け取ったと思っていたら、ある人は、卒業証書でも、ある人にとっては、「単位修得証明書」とかだったと言われても、(何それ?)です。そういうのは、分からないです。「単位修得証明書」って、正直、事務室でいくらでも発行してくれるもので、申し込みをしておくと、卒業証書授与式の後、薄っぺらい紙でもらえる人もいます。卒業証書は分厚い紙ですけど、単位修得証明書は、薄っぺらい紙でもらっているのが私です。成績証明書とかも薄っぺらい紙です。就職活動に必要だと思ったので、何枚か印刷してもらって、持っています。発券機がある大学だったりすると、自分でプリペイドカードでいくらでも発行してもらえます。私の場合も、確か、プリペイドカードだったと思います。それ以上は、私も知らないです。「修了証書をもらえなかった人でも、修士論文は書いたから、修士号だけは持っている。」とか、そいうのは、分からないんです。それに、やたらと英語の原書読みばかりの授業が多かったから、英語の翻訳がある程度できない人は、単位を落としてしまって、せっかく履修登録はうまくいっても、修了できなかった人とかも、大学院には大勢いると思います。そう言う個人的な話は、お互いにしないので、分かりません。個人的な話をしないまま、大阪を引き上げてきましたしね。仕方ないです。ちょっと気になったので、書いておきます。


2024/02/21(水) 10:20:07

<修士号の種類?>

この「盗聴器」で、修士号の種類とか、いろいろ放送しているみたいだけど、そういうのは、分からないです。私、大阪を引き上げてから、就職活動をしたんだけど、正規雇用就職を目指した就職活動だったはずなんだけど、あの時代は、不思議と、「ニート、フリーター就職支援」と言う状態で、(正社員の就職活動のはずだ。)と思っても、実際に就職説明会に行くと、「非正規雇用の募集しかない」とか分かってしまうし、「修士号の記載義務はない」ので、たぶん、自分の修士号を知らないままずっと生きてきて、たまに、「修士号を書いてください。」と言われると、普通に、「所属先=社会心理学」を修士号の欄に記載したんだと思います。

この「盗聴器」を聞いていると、(ふうん。そうなんだ。)としか思いません。大学院の社会学研究科に所属していると、修士論文の内容によって、「文学修士」「社会学修士」「教育学修士」「心理学修士」とかの中から、1つだけ、その修士論文に該当する修士号がもらえるんだそうです。例えば、「社会学専攻」だったのに、もらった修士号は、「教育学修士」と言う人もいるそうです。「社会心理学専攻」だったのに、もらった修士号は、「文学修士」と言う人もいるらしいそうです。でも、私、いくら何回も何回もこの「盗聴器」で放送されても、大学に所属して働いている友達も身近にいないし、家にもいないので、分からないです。それに、「2部=夜間部の大学院には、修士号はない」と言われても、分からないです。

ただ、この「盗聴器」を聞いていて分かったのは、(ふうん。つまり、大学院を修了した人は、何種類かの修士号のうち、1つの種類だけは、修士号もらえるんだな。)と言うことだけです。高校とかには、あまりないですよね。「高卒」と言っているけど、例えば、「危険物取扱」と言う資格があって、工業高校出身だけど、その資格を持っていても、持ってなくても、「高校卒業しました。」と言えますよね。でも、大学院は、どうも違うみたいです。「大学院卒(=大学院修了者)なら、修士号も何かしら1つだけ持っている。」と言う状態みたいです。大学院修了者が修士号を持っていないというのは、ないみたいです。でも、持っている修士号の種類によって、例えば、求人票に「教育学修士を有する者を募集します。」と書いてあれば、「社会学専攻だけど、教育学修士だったんだよな。じゃあ、この求人票、受験してみるか?」と言えるみたいです。でも、合格者の内訳を見ると、「この求人票って、実際は、日本語教育学専攻の人が欲しいから、大学院時代に文学研究科とかに所属して、書いた修士論文の内容で、偶然「教育学修士」を取得できた人しか、合格にはしないみたいだ。」と言うらしいです。結局、所属先によって、いくら論文が教育学修士もらえる修士論文だったとしても、2年間勉強してきたこととか、学部時代に勉強してきた分野の中に、「日本語教育学に関する授業はゼロだった」と言う状態だと、やっぱり、いくら名前が同じ「教育学修士」を取得できたとしても、その求人票には合格しないということでしょうね。実際、私も、求人票に「文学修士を取得した人募集」と書いてあったら、(私は文学修士持ってないから、応募しない。)となります。仕方ないですね。修士号の種類が違うと、せっかく持っていても応募できない代わりに、一度も勉強したことなくても、修士号の種類の名前が同じだと、応募はできるみたいですが、不合格になるそうです。日本語教師の勉強一度もしたことないのに、偶然「教育学修士」の求人が出たから応募しても、不合格ですよね。

ちなみに、団体は国際協力で、正直、海外だから、大学に所属していた経歴は、絶対に全部書いた方がいいので、そうしていました。初めての海外旅行でドイツに行った時に、現地添乗員だったバスガイドさんが、面白いことを教えてくれたんです。「日本では、年齢が18歳の時に大学に行って、4年で卒業して、それから働く人の方が就職に有利で、30歳とかで大学に入ると、その人は、せっかく大学を卒業しても、絶対に就職できないですよね。でも、外国は、何歳で大学に入ろうが、何歳で大学院を卒業しようが、自由ですし、そう言う人の方が就職に有利になります。だから、絶対に大学の名前とか、年齢関係なく、海外に行く場合は、書いた方が良いです。」と言う意味合いの話をしてくれたんです。だから、海外を受験する時は、所属した大学名や大学院名は、詐称しない方が有利に働くと思います。そう言う人を求めているのが海外だからです。

それに、「日本文学科」は、元々、日本語教師に近い学問も存在します。私は、偶然『源氏物語』と言う作品をテーマに卒論を書きましたが、私の大学にも、「言語学分野で卒論を書いた人がいる」と言うのが現実です。それに、2年生までとか、あるいは、3年生までは、言語学の授業も存在して、単位を取らないと卒業できない状態なのも現実です。でも、最後の最後に言語学を選ばなかったので、卒論は文学になっただけです。そう言う場合、むしろ、社会学系統の分野よりも、はるかに、「日本文学科卒」と言うのを前面に出した方が有利だと思ったので、詐称してないんです。

ただ、会話は別ですね。合格後は、他の人に知られないように学歴話題を避けたり、他の人に自分のマイナス部分を知られないようにしたり、いろいろ工夫はしています。でも、周囲が、何の理由でそうしたのか?分かりませんが、「誰さん(私のこと)は、大学院卒で、どこどこ大学院修了です。」と教えたりするので、致し方ないです。知っている人は知っています。ただ、日本文学科を卒業しているということは、たぶん、青海省の配属先の大学しか知らないと思います。同僚は知ってますが、団体仲間は、誰一人、団体に所属していた時代は、知らないと思います。今、手紙のやり取りをするようになって、大河ドラマ『光る君へ』がきっかけで、手紙に、日本文学科卒の話をしているのが現実です。実際、大阪ではないです。大阪は、「国文学科」と言う言い方をしていて、私は、一切所属していなかったんです。だから、いろいろありますね。

修士号の種類書き間違えても、あまり気にならないのは、仕方ないです。所属先は、履歴書って、書かないといけないし、所属先は覚えていても、修士号の種類なんて、正社員募集の応募の願書にも書いたことないので、覚えてなかったんだと思います。今まで詐称箇所も分からないで生きてきて、不自由したことはないけど、あまりにもこの「盗聴器」がうるさいので、少しストレス発散に、日記に書いてみました。詐称箇所が分かったけど、正直、どうでも良いです。


2024/02/19(月) 10:54:09

<最近の私>

以前は、頻繁に、大好きなアニメやドラマを見ると、感想を書いていたなあ?と思います。昨夜の大河ドラマ『光る君へ』は、平安時代の文化を見せてくれた気もします。ただ、外の広場でのお芝居を見ると、(韓国ドラマの真似かな?)と思ったりもします。でも、一番びっくりしたのは、(これが、「雨夜の品定め」の原型かな?)と思う場面が出てきたことでした。ただ「雨昼の品定め」と言う気がしましたけどね(笑)。紫式部と清少納言を男性陣が品定めしていて、面白かったです。自分がやられたら、『源氏物語』にも登場して不思議はないよね。

でも、正直言うと、物語を好きになると、怖いこともあって、試験で点数取れないんだよね。私、高校の教育実習に行った時、同じ教育実習生とそんな話ばかりしていました。「私、先生達が授業で話してくれた「面白い話」は覚えられるんだけど、試験の点数が取れないんだよね。」とね。でも、実際に教壇に立っている本当の先生方にその話をすると、「私は逆でした。」と言われて、(なるほど。)でした。実際、点数が取れる人が勝つ世界ですからね。史実と物語は違うから、いろいろありますね。正直、紫式部と清少納言って、宮中にあがってから知り合って、どっちかが、(あれが今をときめく有名な誰さんなんだ。)みたいに感動する場面があった気がします。先に宮中にいた清少納言を紫式部が見て、そう書いていたのか?分からないけどね。だから、宮中に上がる前、それも結婚もしないうちに、清少納言と紫式部が出会うって、なんか不思議なんですよね。あまりにも将来名を残すことになる有名人同士を早々と会わせすぎているのかもしれないけどね。でも、有名人が出てこないと、寂しいのも事実だよね(笑)。私の大学時代の先生は、「雨夜の品定め」が好きみたいで、熱が入りすぎていた先生でした。だから、ちょっと昨夜は、感動しました。

先日の日記ですが、いろいろ思い返してみましたが、私、団体を3回受験していて、願書の書き方とかいろいろ変更点があって、いろいろ思い出してみたんですけど、「修士号」の記載って、なかったと思います。実際、「学会発表の経験があれば、記載してください。」と言うのが1回目の受験であって、それを書いたことはあった気がするんです。でも、2回目の受験から、記載箇所がなくなったので、学会発表の経験の記載は、しなくなりました。それから、もう1つ言うと、「最終学歴の卒論・修士論文等の論題を書いてください。」と言うのがありました。それで、修士論文の題名を書いたことは記憶しています。ただ、それも、1回だけだった気がするんです。それも、最初に受験した時ではなくて、3回受験した中の一度だけ記載をするように指示されていたきがするんです。それと、「通信講座」ですが、日本語教師の資格のために、「通信講座」で資格を取っても良いと言われていたのは、実は、1回目の試験の時だけなんです。その後、インターネットの受験資格の記載の中から「通信講座」が消えたので、2回目の面接試験の時に、こちらから「通信講座で日本語教師資格を取るのは、問題ありませんか?最初の受験の時は、ネットに書いてあったので、安心していたんですけど、今回からネットの記載が消えたので、通信講座はダメになったのかな?と思うんですけど?」と言ったら、「大学院も出ているし、大学も出ているみたいだから、単位のドッキングで何とかなると思う。それは心配しないで受験してきてください。」と先生に言われました。面接官が4人で、2人は事務局の人間、2人は日本語教師の技術試験のために来た大学の教師達だというのは、実は、団体説明会の時に聞いて知ってました。事務局の方は、日本語教師の実力はほとんど知らなくても良いけど、事務手続きの方だけ見ている、それでいて、日本語教師の顧問の先生達が人事の方は、日本語教師の実力だけを審査するので、実際、書類手続きの方は重視していないと聞いたんです。

それから、「修士号」って、他の企業団体を受験する時は、記載の必要性はないです。私の場合、大学院の所属先と修士号の名前が違うことに気づいたのは、正直、帰国後の話でした。国際交流基金と言うところで、日本語教師の専門家だか何かを募集している求人票を見つけた時に、「教育学修士」という「修士号」が必要と知って、(私は、どんな修士号だったんだろう?と思ったんです。それで調べたら、絶句だったんです。(私、修士号も所属先も、全部一緒に考えてて、一貫して、団体時代は全部所属先を書いていたんだ。この修士号なら、私、国際交流基金のこの求人票は受験できないな。)と思いました。

実際、団体の要請を見ると、修士号を求めていた求人票もあったんですけど、それは「アフリカ派遣」だったんです。私、アフリカはなるべく希望したくなかったので、求人票に「教育学修士」とか書いてあっても、(アフリカみたいなところで、何でこんな修士号を持っているかどうか?と問うわけ?必要ないと思うけどな。それに、日本語教師の資格持ってて、大学とか大学院出ていて、派遣できる国と要請があるなら、どこでもいいよ。特に修士号を求めるような要請に私が応募する必要もない。どうせ、人事が勝手に決めたところに派遣されるんであって、私が行きたいところに行けるわけじゃないしな。)と思って、重視しなかったんです。願書にも書く欄がなかったしね。まさか、もう既に団体に参加して、日本での研修も全部終わって、中国北京に行ってから修士号を書かされることになって、ちゃんと所属先だけを書いていたとは知りませんでした。

団体って、すさまじく書かされる書類が多くて、「署名」「捺印」の多いことね。でも、それも、外国に行くというのは、こう言うことなんだ。と理解して、文句も言わないで、普通に書いてきました。そして、「署名」「捺印」していました。だから、どれがどこで使われる書類なのか?分かりませんでした。北京事務所にいた時に、事務所の人に聞いたら、「あなたと同時期に派遣された人達から後の人達は、全員大卒です。中華人民共和国が大卒しか要請しなくなったので、大卒以上しか派遣できなくなっています。ただ、あなたよりも前に中国入りした人達は、ほとんど高卒とか短大卒とかで、大卒は少ないかもしれません。」と言われました。それに、私が第一回目の受験をする時には、まだまだ「短大卒以上」等の記載がある求人票が中華人民共和国から出ていました。正直、その時期は、不合格だっただけだったんです。合格して派遣される時は、「中国の日本語教師はあなたの時代から後は全員大卒以上しか派遣されていません。」と言われました。他の国に派遣される人達は、また違う条件で問題なく合格しているので、大卒以上だけではないと思います。アフリカ等では、「修士号記載が義務」と言う要請もあるのを、インターネットで知ってました。ここで間違ったら、不正、あるいは、詐称でしょうけど、中国って、それは必要ないと思ってました。知らなかっただけですね(汗汗)。


2024/02/16(金) 09:55:37

<つまらない話>

昨日くらいから流れている「盗聴器」に、(つまらないな。)と思いました。私の学歴詐称の話は、だいぶ前から流れていましたが、(え?修士号の詐称?はあ?)だったんです。しかも、つまらないのは、同じ詐称をした人の話なんです。団体時代の先輩の1人に、確かに、「大学院卒」と噂された先輩がいました。でも、ほとんどしゃべったことがないし、同じ部屋にいても、一緒にいる姿はないんです。しかも、完全に「北京のみで一緒」なんです。この「盗聴器」によると、その人は、大学2部卒と大学院2部卒と修士号を詐称したというのですが、(つまらない。)んです。帰国後の人生を聞いていると、大学2部に8000万円の借金があって返済済み、大学院2部の借金は2000万円で返済済み、約1億円は返済で来たと言うのですが、次が修士号80億円の借金だそうです。でも、それを返し終わらないうちに、結婚して、子供がいるんだそうです。それで今年に入ってから、急に裁判所から通知が来て、出頭したそうです。でも、最初から「6000万円」くらい貯金して、それで団体に提出した履歴書を詐称したというのです。それって、本当に団体に入りたくて、借金も返すつもりで、詐称したんですよね?それに、団体時代にいくら一カ月250万円くらいずつもらえて、それも借金返済に使って、本来は高卒だから、正社員就職できて、それで貯金もできれば、帰国後に就職もできて、返済できる状態が続いて、結婚もして、子供もいて、それのどこが面白いのか?分からないんです。

ある意味、彼女がつまらないんじゃないんです。大学院卒の中でも、「修士号の詐称」をした人の人生が、つまらないんです。私、この「盗聴器」を聞くまで、記憶がなくて、(そんなことしたのかな?)と思うんだけど、ただ、言えるのは、一貫して、修士号も大学院も「社会心理学」と団体時代に言ってきたことでした。北京事務所の人達からは、たまに、「大学院は、社会心理学なんですね?」と言われるので、「そうです。」と答えました。それが「詐称」と思ったことはないんです。でも、この「盗聴器」で、「社会心理学修士=架空」だというのです。「社会心理学修士なんていう修士号はない。」と言うのです。でも、そんなこととは露知らず、平気で、「社会心理学です。」と言ってきたのが私だったんです。今は普通の会社なので、誰にも言ったことないし、修士号の記載をさせられたこともないので、「社会心理学修士」何て言ったことないです。でも、団体時代は、確かに、「修士号を記載してください。」と用紙を渡されたら、迷わず「社会心理学修士」と書いていると思います。直筆でちゃんと証拠が残っているんだそうです。それも、願書ではなくて、北京事務所で書かせた書類に修士号の記載をする場所があったというのですよね。私には、記憶がないんです。でも、きっと、もし、そんな書類に修士号の記載箇所があれば、きっと「社会心理学修士」と書いていると思うし、それが「架空の修士号」であるなら、「詐称」と言うか、「間違い」ととられたと思います。

ただ、つまらないのは、「私自身もそうだし、友達もそう」なんです。結局、「文学修士」と書こうが、「文学部修士」と書こうが、「帰国後の人生、何か得したことありますか?」と言う問題なんです。私、帰国後、誰からも、「あなた、研究所に勤めて、こう言う研究しませんか?修士号、ちゃんと持っているんでしょう?」と言われたことないんです。私と同じ青海省に派遣された、一年後輩の友達も修士号を持っていると聞いていますが、彼女も、この「盗聴器」を聞いている限り、「良い就職とは思えない」んです。「講師?つまらない。」なんです。私の場合は、もっとひどいんです。「修士号って、そんなに価値ないの?」と思うと思います。帰国後3年間仕事がなくて、就職したら、途端に1年3カ月後にクビになって、転職しています。1年3か月の間の内訳を見ると、「8時間労働+超勤とか、フルタイム労働じゃないの?これでは、転職したいのは、あなたの方じゃない?クビと言われる前に、普通、シフトが少なすぎて出ていくよね?それに窓口って、高卒の仕事だよ。大学院卒の仕事じゃない。」と言う状態です。実際当時の同僚で大学院卒だった高校の先輩は、そう言いました。「私なら、こんな扱われ方、我慢できないから、こんな会社すぐに辞めるけど?」と言われました。それくらいシフトが入ってなかったんです。週三日で5時間労働くらいなんです。それでは、お給料雀の涙ですよね?5万円がやっとだったんです。お手当も一切つかないし、交通費はあるけど、交通費だしね。それに、今の会社に転職しても、「コールセンター?それを4年半?それって、大学院卒の仕事かな?ある意味、1年くらいコールセンターで、その後は1年ごとに転勤して、出世して、あっと言う間に今は部長職とか、あるいは、本社勤務で東京にいるとか、それならいいけど、4年半過ぎたら、何?高卒でも、一番レベル低い高校ばかり集めても良いような部署で働いているの?馬鹿じゃない?正直、「修士号」ってそんなに価値が低いの?」なんです。

ある意味、「学歴詐称が面白い」のは、「高卒なのに、大卒にしたら、びっくりだよ。すごい勢いで出世して、お給料もすごく高くて、下の人が馬鹿に見える。まじめな人って、馬鹿だよね。嘘書いた方が儲かるし、恰好良くて、良い仕事できるよ。綺麗な制服着て、恰好良いじゃん。」と言いいながら、実際はできなくて、会社から訴えられていて、罰金刑とかになっているのが裏で・・・とかなら面白いでしょうけど、私達の詐称と言う「修士号の詐称」って、つまらないです。

「修士号」って、ある専門分野の「エキスパート」になった証拠だから、ある意味、その仕事をさせないと分からないと思います。一般企業にも、「研究職」がある場所もあります。論文とか見ていると、(ふうん。生命保険会社って、研究所とか持ってて、研究員がいて、論文とか書いているんだ。)と思います。そう言う所で働かせて、ちゃんと研究して論文が書けるかどうか?を見て、「修士号、詐称しているんじゃないの?できないよ。」となるならいいけど、一般企業の一番下っ端で、高卒にしたら、「履歴書詐称とか学歴詐称と言われているけど、どこを詐称したの?高卒なのに、大卒にしたとか?高校のレベルを高く書いたとか?他はないよね?他はどこ詐称するの?」と言われるような、高卒ばかりいるような職場の一番下で働いていて、高卒には皆目見当もつかないような詐称で、私自身は、ある日急に降ってわいたように、「修士号の詐称をしています。」と言われても、(はあ?)と言う感じです。それでいて、同じ詐称をした人が、私にメールや手紙を出そうとしても、「メールは出せない。団体の役員仕事でメールアドレスは知っているけど、5000通出してもメールが戻ってくる。メールが誰さん(私のこと)に届かない。仲良しじゃなかったから、住所は聞いてないんだ。同期でもないし。」と言われても、みんな「つまらない」と思います。

ただ、その子のこと、覚えているのは、他の団体に所属していた大学院卒で、大学院卒しかやらせてもらえない専門職についていた男性の人から、「誰さん、自分と同じ大学で同じゼミでしたよね?と言ってきたんだけど、俺、覚えてないんだ。あの人が同じ大学の同じゼミにいたのかどうか?分からないんだ。適当に、「あ、そうなんだ。」みたいに返事はしたけど、分からないんだ。」と言ってました。お酒で酔った勢いで、確か、寧夏回族自治区の日本文化祭りに参加した時だと思います。それに、(普通、大卒で終わったり、高卒で終わった人にまで、「グループのプレゼンで必要なんだから、論文読んで。」なんて言わないよな?)と思ったこともあったんです。私、同期の1人から、彼女が大学院卒と聞いたんですよね。同じ青海省派遣の後輩は、北京事務所の人が、後任を選ぶ際に、大学院卒を配属先が希望しているとかで、頭を抱えていて、実際に青海省に来た後、名前が分かったので、インターネットで調べたら、大学院卒の記述があって、それを同じ職場にいる講師の先生に言ったら、「ああ、それなんだけど、どうも、違うみたいなんだよね。良くわからないけど、その名称の学歴、違うみたい。」と言われて、(え?何で?)と思ったんです。実際、3人とも、気にしたことないんだよね。どうなってるのかな?こんな学歴詐称みたいなものは、詐称をしたら、途端にお給料増えたり、出世して人もうらやむようにならない限り、つまらないと思うんだけど、どうなのかな?そんなに騒ぐほどの詐称なのかな?一般企業の非正規になったら、意味がないし、価値もないのが「修士号の詐称」だと思います。ただ、さすがに「80億円の借金」と言うのは、驚きました。それに、「大学院2部には修士号がない」と言われても、私には分からないですしね。分からない詐称って、つまらないので、誰も騒がなかったんだと思います。悪しからず・・・(笑)。


2024/02/07(水) 10:02:08

<まだらな記憶>

先日、弟からの一本の電話があり、ちょっと思い出したことがありました。(私って、そう言えば、幼稚園、年中の時、ほとんど通ってないよな?)でした。

私、すっかり忘れていたのですが、幼稚園の年中に入る時に、祖母が母に、「幼稚園に行ってきたの?それで、年少さんに入れるの?」と聞くと、母が、「年少さんは入れない。年中から2年保育にする。」と答えました。最初は、他の幼稚園に入園するつもりで、準備をしていましたが、急に、「あそこは、どぶ川に囲まれていて、幼稚園がフェンスで囲まれている。なんか嫌だ。」と言って、「広々とした環境があって、開放的な幼稚園が見つかったから、そっちに行かせる。」と言い出して、ギリギリで変更しました。そして、無事に年中さんに入園しました。入園してまもなく、先生に声をかけられました。
「この子、誰さんと言うんだけど、仲良くなって欲しい。この子、わけがあって、入園が遅れたの。あなたと同じだから、仲良くしてあげてね。」
私は、その子とすごく仲良しになりました。でも、不思議と、その子の方が、他の友達の方に行こうとしたり、私と喧嘩になると、私の方が他の友達に嫌われている気がして、段々、喧嘩が絶えなくなりました。でも、理由が分かりませんでした。それは、
「ねえ、誰ちゃん(私のこと)、今まで幼稚園お休みして、どこに行っていたの?」
と聞く人が1人もいなかったからです。先生も聞かないし、友達も聞かなかったんです。でも、私は、母から、ほとんど年中さんに通っていなかったこと、聞いて知っていたんです。でも、「記憶がない」んです。体が弱くて、小児科にばかり行っていて、育てるのが大変だったとは、中学の頃に聞かされましたが、実際、家で闘病生活をした記憶は一切ありません。(私、幼稚園を休んで、どこにいたの?)と急に不安になりました。それが先週からの出来事でした。

私、幼稚園は好きでした。でも、出席手帳を見ると、真っ白のページばかりで、月ごとに変わるシールが貼られていませんでした。ある日、シールが最後に終わった月を先生に見せると、先生が、「これはもう終わった。今はこっち。シールも違うよ。月が変わったからね。」と言って、新しいページを開いて、見たことないシールを貼ってくれました。(3か月以上あいているけど、何で?)と思いました。他の子と、少しずつ違いました。でも、私、幼稚園を休んで、家と幼稚園以外にいたという記憶は、一切ないんです。

年中さんの記憶は、遠足と文化祭、卒園アルバムの写真を撮る日と、年長さんになる直前の儀式の日に幼稚園にいたのをかすかに覚えています。(出席たくさんすると、画用紙がもらえるんだ。いいなあ。私はもらえない。)とショックを受けました。文化祭も、ほんのわずかしか記憶がなくて、(白いうさぎさんの大きなお人形作ったけど、私、ほとんど作らないうちにできていたよ。)なんです。その上、一番ひどいのは、「学芸会」でした。(年中の時は、「学芸会」、何やったの?)なんです。年長さんの時は、「ハメルンの笛吹き」の街の人をやったり、合奏で鉄琴を演奏したりしました。でも、年中さんの時の記憶は、どんなに頑張っても、思い出せないんです。

年中さんの時は、「誰ちゃん(私のこと)の家は山奥の方で、他の幼稚園児にそっちまで行く人がいなかったから、送迎バスを運転しなかった。でも、年長さんになったら、あなたよりももっと遠くの山奥の方まで行く子がいるから、その子と一緒にバスで通えることになったんだよ。」と先生が教えてくれました。私の母は、私が年中の時は、幼稚園に車で送り迎えをしていました。だから、「お母さんが調子悪かったりして、車運転できない時は、あんたは幼稚園はお休みしたの。」と言われました。でも、弟は、今の家に引っ越してきてから幼稚園に入園しました。同年齢の子がいたから、みんな一緒に、私が卒園した幼稚園に通ったのが弟でした。バスも全部一緒でした。そして、出席日数もバッチリで、3日しか欠席がないとかで、ちゃんと画用紙もらってきました。ただ、私も、年中さんの時には、画用紙、幼稚園からもらってきたんです。
「お母さん、卒園式に出られなかったから、幼稚園に呼ばれたの?あんたも行く?行かない?行かないなら、お母さんがあんたの荷物もらってくるから、お家でおばあちゃんといなさいよ。」
と言って、家を出て行って、卒園の時にもらえるものをもらってきました。その中に、「画用紙」もありました。だから、ずっと、(年長さんの時は、出席率高くて、ご褒美の画用紙をもらえた。)と思って生きてきました。でも、年中の時は、ほとんど幼稚園に行ってないはずです。覚えているのは、
「誰ちゃん(私のこと)は、お弁当、すごくこぼすから、先生、お掃除大変みたいだよ。少しお弁当こぼさないで食べられるように頑張ろうね。先生に迷惑かけるからね。」
と母によく言われていたことだけでした。弟に子供ができて、どうも私に似て、体が弱いみたいで、徐々に子供の頃の思い出がよみがえる今日この頃でした。


2024/01/29(月) 10:54:46

<賭け?>

大阪を引き上げた時に、段ボールに入れて送った物が、そのまま部屋にあったり、炬燵が使われないままになっていたりして、その上、東日本大震災が起きて、さらに両親や弟の荷物がなだれ込んできて、自分のものではない物が増えたりして、片付けないでそのままにして、部屋がごったがえっていたのですが、明日、エアコンの取り換え作業が行われるので、昨日、部屋の片方だけ空間を作って掃除したら、パソコンのインターネット回線等の装備が机の上から落ちて、コードにからまって、宙ぶらりんになって、助かりました。下まで落ちたら、もう終わりだと思ったけど、落ちませんでした。掃除機を持ってくると、犬がすさまじくワンワン吠えるので、コードを引っ張って、机の上にあったものを落としてしまったんです。青くなったけど、助かって、良かったです。昨日はインターネットやらなかったけど、今日はちょっと確かめるためにやってみました。

先日、初めての住所にハガキを出してみました。日本航空に正社員の友達がいたので、連絡を取ってみようと思ったのですが、メールでは大量になりそうなので、ハガキにしたんです。ただ、住所は、まだ中国に出国する前にもらっていた住所なので、(「あて所」で戻るかな?)と言う不安がありました。中国から帰国した後、仕事で引っ越したのは知ってましたが、正直、両親が住んでいる家だったり、大企業とかに勤めている人だと、毎年転送したりしている人もいるから、結構「賭け」だったんですけど、まだ返送されてきていないです。「返送」って、すぐに戻ってくると思っていたんですけど、一番長くて、「一週間」と言うのが以前あったので、ちょうど一週間くらいの今日、ドキドキしながらポストに行ったんですけど、戻ってなかったです。明日戻るのかな?と思いつつ、(戻らなければいいな。)と思っています。ある意味、連絡がなくても、住所がつながると思うと、いつか、「もう一通」になるからなんです。「宛所」って、永遠につながらない状態になるのが分かるから、寂しいです。

私、「住所がない」と言うのは「嘘」の部分あります。でも、あまりにも古すぎて、つながらないんです。一番頭に来たのは、東日本大震災後に発行した高校の同窓会名簿だったんです。最新の名簿のはずなのに、手紙を出したら「宛所」で戻ってきて、頭に来たんです。ショックでした。仕方ないですけどね。

私達、中国派遣組は、東京研修で一緒だった30人くらいの名簿があります。ただ、出国する前に、こう言われたんです。
「この住所は、帰国後は使えない人が多いと思うので、出国前にはつながるけど、海外派遣2年を終えた後は、つながらない可能性があります。」
と言われていました。ある意味、「実家の住所」の人達は、家族ごとその住所からいなくならない限り、「親元に届いてくれるかもしれない。」と期待します。だから、住所に出すことはあるけど、話題がないのが「手紙」だったりします。

それに、これは、大阪にいた時に聞いたことあったのかな?

付き合いが激しかったり、日本全国に多くの元職場の同僚や友達がいる場合、一度住んだことがある住所は、必ず「転送」をかけるんだそうです。毎年のように「転送」の手続きをして、郵便局から必ずぐるぐる回ってでも自分のところに届くように手続きを欠かさない人がいるんだそうです。特に、男性になると、付き合っている人達が、日本全国、世界各国になる人がいるんだそうです。そうなると、必ず、どの住所に出しても、本人に届くように手配しておくんだそうです。長年付き合ったことがなくても、突然手紙を出す人がいるかもしれないし、たまに来る手紙が重要だったりするので、そういう手続きをするんだそうです。日本航空とかだったら、世界各国、日本全国だし、どうかな?と思いました。ある意味、大企業でも良いし、大学の教授連中でもいいと思います。ただ、普通の大学の先生だと、それはやらないみたいです。学長とか学会の会長とか、地位が上の方になると、やってくれるのかな?と思ったりします。

でも、1つだけ、書いておきます。
「病気で死にそうだから、手紙書きました。」
と言うのは、期待しないでください。こういう手紙は、毎年年賀状のやり取りや暑中見舞いの手紙をくれる仲良しだけ、手紙が好きな人で、毎年欠かさず手紙をくれる人だけです。

逆が、お祝いごとです。
「結婚しました。」
とかです。これだと、不思議と、20年付き合ってなくても、連絡することがあります。ある意味、縁起の悪い話の時は、静かに、仲良しだけ、ずっとつながっていた人だけの世界になります。でも、お祝いごとの時は、新しい付き合いが始まったり、古い付き合いを復活させたりするので、手を広げます。ただ、もう、
「どこどこ会社の正社員になりました。」
と言うお祝い事は、あまり古い人達には、手紙を出さないと思います。やっぱり、付き合っている人だけになるでしょう。私、今更正社員になれたとしても、後せいぜい10年かそこらで定年だからなんです。そういう年齢になったら、20年前の人達にいきなり手紙書いても仕方ないです。そんなもんです。初めて出す手紙とか、長年付き合ってない人達への手紙は、何か「話題」がないと難しいです。ごめんなさい。


2024/01/26(金) 10:06:09

<カモフラージュ?>

今使っている「5年ダイアリー」に、毎日少しずつ日記を書いていますが、最近ちょっと驚いています。(去年も会社に出勤すると、朝一番にトイレ?今年も同じなんだよな。)でした。下痢ではないんだけど、会社に出勤するとすぐにトイレなので、体がどうなっているのかな?と思います。ただ、おかげさまで、「便秘なし」です(笑)。でも、ここ数回ですが、トイレに行った後、めまいがして、倒れそうになるくらい、体がフラフラする日があります。これは今までなかったです。どうなっているのかな?と思います。

この変な「盗聴器」が入って、本当か嘘か?分からないまま聞かされて、ストレスがたまると、この日記帳に書いていますが、正直、(子供の頃に心あたりがある。)とか、そういうものもあります。でも、そういうのは、いくら「手紙に書いて欲しい。」と言われても、こちらから切り出すのは難しいです。大河ドラマ『光る君へ』ではないですが、世の中が騒いでいると、(私も昔、『源氏物語』、読んでたんだよな。最終的に専門にして、卒論書いたんだ。)と思って、突然手紙に書いても不思議に思わない時期だと、簡単に書いてしまいます。でも、そうでもないと、書けないですね。「きっかけ」がないし、相手は、そういう話題に触れてもいないし、難しいです。

この「盗聴器」で、不思議なことを聞いていました。「登録者」と言うのは、散々聞かされましたが、最近聞くのは、「一方的に書く人に選ばれる条件」です。どうやら、「文学部出身者で文学で卒論を書いた人は、一方的に書く人に選ぶことはできない。」と言うのです。そして、私が手紙を書いている人達は、「言語学」だというのです。同じ日本文学科でも、「言語学」の人だと、「一方的に書く人に選ぶことができる」んだそうです。

正直、日本文学科の中に「言語学分野」があるんだから、卒論「言語学系」と言う人は大勢います。それに、大学院時代の先輩の1人は、「大学時代は、あなたと同じ日本文学科に所属していました。でも、卒論は「言語学」だから、「文学」は分かりません。」と言われたんです。正直、私も「言語学は分かりません。」なんです。団体時代に「日本語教師」をしていましたが、「日本語教師」は、「言語学」が必要なんです。だから、日本語教師資格は、日本文学科に所属しても、大学によって、資格を発行しないところも多くて、私の大学も、日本語教師資格は、いくら「言語学」で卒論を書いても、日本語教師資格は取れないんです。そのために、もう一度、日本語教師資格を取るために大学に入り直すのは嫌なので、「通信講座」で取得したんです。だから、「カモフラージュ」が多かったのではないか?と思います。同じ大学の日本文学科にも「言語学」の友達がいて、ずっと年賀状のやり取りをしてきて、大学卒業以来、欠かしたことはないんです。その上、大学院時代も、「日本文学科出身だけど、卒論は「言語学」だから、どちらかと言うと、社会学系に近くて、文学系からは遠い学問なんだよね。」と言われたことがあります。その人が、先輩で、私の「KJ法」とか、夜遅くまで手伝ってくれたんです。それに、同じ日本文学科出身だから、他の先輩よりも話しやすくて、いろいろと相談にのってもらったり、先輩と日本文学科時代の話をしたり、いろいろと会話もありましたし、話題も必ずしも大学院だけではなかったんです。大学は違うけど、日本文学科は同じなので、こちらの話もしたんです。でも、「言語学」の人と「文学」の人では、少し違うみたいです。

ただ、「病気の人は、日本文学科で「文学」で卒論を書いても、「一方的に書く人に選ぶことができる」」と放送していました。病気だと、「頭の体操」が欲しかったり、「書く」と言う作業が「リハビリ」になったりするので、日本文学科卒業で「文学作品で卒論を書いた」と言っても、「一方的に書く人に選んでも問題ない」んだそうです。ただ、「病気の証明が必要」なんだそうです。いろいろと放送されていますが、本当のところは、分かりません。ただ、1つ言えることは、文学の人って、文章違うんだよね。正直、「エッセイ」でも卒論通過、「小説の文体」でも卒論通過、「独自の文学表現をちりばめた論文」でも卒論通過等等、文章が必ずしも論文体じゃなくても、卒論は、通過します。その理由、先生に聞いたら、
「小説家もいますから。」
なんです。結局、いろんな文章を書く人が、将来、世の中に出ていくと考えるから、必ずしも、研究者のように「論文体じゃないと卒論認めないということはない」んだそうです。難しいですね。確かに、小説の文章って、論文じゃないものね(笑)。エッセイストだって、論文体じゃないから、誰でも読めたりするんだもの、その通りだと思います。「これじゃなければダメ」と言うのは、ないと思います。難しいですね。それに、他の社会学部系統に入っても、エッセイとか小説並みの文章が書けると、「論文体が書けなくても、文章は書けるから、論文通過」と言うのがあります。私、大学院って、この類の論文通過なんです。だから、先輩の中で、私の修士論文を読んだ人は、
「何でこんなに文章を飾っているの?」
と聞いてきました。こんな修士論文が通過できるというのは、確かに、信じられないことなのかもしれないです。難しいですね。


2024/01/24(水) 10:50:56

<無邪気な頃>

子供の頃、「外国人」を見ると、「外人。外人。」と言って、ジロジロ見ていました。

小学校に通っていた頃、帰宅しようと、通学路を歩いていた時のことでした。小学校から堤防を通って、橋を渡って、また堤防に入るのですが、橋を渡って、堤防に入った途端に、私が口を切りました。
「外国人って、この辺には、白人ばかり多いけど、体が真っ黒の「黒人」と言う人種もあるんだって。見たことある?なんか真っ黒い人なんて、気持ち悪いね。どんな感じなのかな?」
と言うと、友達は、大きく目を見開いて、
「え?あなたは、黒人見たことないの?私、黒人見たことあるよ。すごく恰好良いよ。私、黒人好きだよ。」
と言われて、(え?)と思いました。小学校2年生くらいだったと思います。

あれから数十年が過ぎて・・・。この「盗聴器」、怖いです。

小学校の頃、何年生だったか?すっかり忘れましたが、
「この学校には、クォーターがいる。」
と言う噂が流れました。
「クォーターって、何?」
と聞いたら、
「外国人と日本人の間の子は、「ハーフ」と言うでしょう?でも、「クォーター」は、「四分の一」だって。分からないけど、先生達がしゃべっていたのを聞いたんだ。この小学校には、おじいちゃんかおばあちゃんに外国人がいる人の子供がいるんだって。その人は、「クォーター」だって。」
「誰なの?」
「さあ、そこまでは知らないよ。誰が「クォーター」か分からないよ。」
と言う会話でした。

でも、この「盗聴器」、あれから数十年が過ぎて・・・仰天。

私とあの日無邪気に会話をしながら一緒に小学校から帰ってきた仲良しの友達は「黒人家系」、私は「白人家系」どういうこと?

不思議な「盗聴器」でした。私には分かりません。確かめたこともないです。ただ、黄色人種の証拠となる「蒙古斑」は、私には、「ない」と言われて育ちました。ただ、それだけです。体の色は、どう見ても「黄色人種」です。不思議ですね(笑)。


2024/01/19(金) 10:04:14

<記憶>

本日、お年玉年賀はがきの切手交換に行ってきました。今年は、届いた年賀状に当たりがなく、買ったのに使わなかった年賀状で1枚だけ当たって、嬉しいことに、またしても、「十二単」みたいな切手をいただいてくることができました。干支ではなかったんですね・・・。

私、ふと子供の頃を思い出しました。小学校4年生のある日のことです。教室の一番後ろにあるランドセルを入れるロッカーと一番後ろの席の人の間を歩いていた時に、急に気を失って、しゃがみこみ、うずくまっていたことがありました。
「誰ちゃん、誰ちゃん、大丈夫?どうしたの?」
と言う声がして、(?)と思って目を覚ますと、ものすごく心配してくれている先生の顔がアップで目の中に入ってきて、その後ろで心配そうに見ている友達の姿や、取り巻きのように輪を作っている同じクラスの人達がいました。
「あの?私、どうしたの?」
と聞くと、
「誰ちゃん、覚えてないの?あなた、ここをこう歩いてきて、突然ここで座り込んで、動かなくなって、眠っているというか、気を失ったんだよ。」
と言われて、(?)と思いました。私、確実に、途中までは記憶があるんです。友達としゃべりながら歩いていたけど、急に何が起きたのか?分からないけど、そこで記憶が切れていました。体操お座りみたいな姿で座っていたみたいだけど、記憶がないんです。椅子とロッカーの間だったので、どこか宙ぶらりんに腰が浮いていたような状態でもあったのですが、記憶は、立って歩いていた時が最後なんです。座ったのも覚えていないんです。
「大丈夫です。私、どうしたのかな?」
「ああ、良かった。誰ちゃん、急におかしくなるから、びっくりした。慌てて先生呼んできたんだよ。」
と友達が言ってました。

この「盗聴器」には悪いけど、こんな風に、私が目覚めた時に、心配そうに私の顔を覗き込んでいる人達がいて、いろいろと教えてくれないと、分からないこともあります。急に倒れて治療して、元いたところに戻して、私が何事もなかったように動きだしたのを見て、ホッとして、それでも気づいて欲しくて、「あなたは、さっき、ここで倒れて、こうして、ああして、病院に運ばれて、治療して、戻して、また働き始めました。」と「盗聴器」で放送されても、記憶もなければ、誰にお世話になったことも知りません。私はいつも通り仕事をしていただけになります。それは、仕方ないですね。その反対に、小学校4年生の時の記憶は、ちゃんとあります。教えてくれる人、心配してくれていた人達がいたからなんです。仕方ないですね。

私、久しぶりに記憶があるんですが、不思議です。夜中に、母が薄明りの赤い電気の下に来て、腰をおろして、
「お待たせしました。・・・。」
と言って、電話で話し始めた記憶が残った日がありました。でも、母に聞いたら、否定されました。だから、(あれは夢だったのかな?)と思うけど、実は、すごくリアルだったりします。私の脳味噌、最近、さっぱりわからないです(笑)。


2024/01/15(月) 09:58:07

<心穏やかに>

先週、某日の朝、会社に出勤して、女子更衣室から出て、職場のフロアに向かう時に、ドアに手を挟んで、右手の中指をかなりひどく捻じ曲げてしまって、青くなった。(痛い。)と思った時に見た指は、まるで、「「山」と言う漢字の成り立ちの最初の字」みたいな感じになっていた。それに、ぞうきんを絞るように、指先がねじられていて、爪で肉を切って、指から血が出ていた。でも、骨は折れていなかったようなので、職場におりていって、仕事をした。でも、それからも指が痛くて、パソコンから離れていました。何事もなくて良かったです。私はむしろ、指が取れたかな?と思うほど、痛かったです(汗汗)。

そして、昨日の大河ドラマ『光る君へ』の第二回目を見ました。私、一番最初に、紫式部が「十二単」を着て、「重い。」と言って倒れるシーン、面白かったです。正直言うと、『源氏物語』とかばかり読んできたので、宮中言葉や生活しか知らないで来たので、(え?これって、現代の言葉じゃないの?)とか(庶民って、平安時代にこんな生活していたの?)と言う新鮮さがあります。びっくりしました。『源氏物語』から離れて、作者の話になって、いろいろと面白いです。これからどうなるのか?展開が分からないので、面白さも出てきました。

それに、最近思ったのは、「陰謀」って、似合う役者と似合わない役者がいますね。すごく似合っている役者さんが演じると、すごく面白いです。似合わない役者さんがやると、(え?この人がこんな悪役?合わない。サスペンスドラマの殺人犯ならいいけど、平安時代とか、時代劇関係って、自分で殺人やらないで人を使ったり、家に使えている人を使うから、いろいろあるんだよな。はかりごとだから、人と相談するのも上手じゃないと困るしな。)と思いました。いろいろと面白いです。

私、久しぶりに胸がワクワクしているのが、『光る君へ』の登場でした。

でも、「十二単」を見て、1つ思い出したのは、福井県に旅行添乗員の仕事で、某高校に訪れた時でした。私、本番近くまで、「十二単」の経験を、中国人の高校生達にさせるとは知らなかったんです。それで、すごく驚きました。

ただ、今なら言えることが1つあります。それは、正直、「日本人でさえも、一回も「十二単」なんて着たことないのに、無料で中国人が「十二単」を着られて、うらやましいな。」と言うことでした。それに、その後、すさまじい金額になったのを知っているからね。
「このお金、誰が払うんですか?」
と上司に聞いたら、
「さあ。」
と言われました。予算オーバーだったんです。それも何百万円も予算オーバーなんです。私に連絡が来なかったので、ギリギリまで知らなくて、全部高校側に任せていたら、仰天の結末でした。私の方から電話しても、「授業中で今いません。」ばかりで、連絡取れないので、その旨も上司に伝えていました。確か、100万円くらいまでしか外務省はお金を出さなかったんです。まあ、仕方ないですね。お金は自腹だったのかな?と思いました。私も「十二単」、着たかったな。「重い。」と言って倒れてみたかった私でした(笑)。


2024/01/09(火) 11:47:13

<平安の世が?>

今年は、「平安の世が幕を開ける」と思って、楽しみにしていた『光る君へ』ですが、初回の終わりに、ショック。(え?藤原道長のお兄さんに、紫式部のお母さんが殺されたの?)とばかりに、もう「殺人事件」で、仰天でした。

私、子供の頃、『源氏物語』が大好きだった友達がいて、小学校の頃から、『源氏物語』を読んでいて、(すごいなあ。)と思っていたんです。私は読めなかったからね。でも、ちょうどその頃、ある年のお正月に、『源氏物語』の実写版が放送されて、すごく良かったんです。作者の紫式部が『源氏物語』を書いているんだけど、藤原道長が続きを楽しみにしていて、紫式部をせかすんです。「続きはまだか?誰々はどうなったのだ?」とね。それで、紫式部は「はいはい。藤原道長様が続きを読みたがっておられる。」と言って、文章を書きだして、物語が進んでいくストーリーだったんです。光源氏役は、確か、東山紀之さんだったと思います。

でも、そのイメージをがらりと替えたのが、今回の『光る君へ』でした。(これじゃあ、紫式部のお母さんの敵が藤原道長のお兄さん?)だったんです。いやあ、平安の世も、殺人事件でスタートでは、ショックですね。

私、子供の頃に見た『源氏物語』の実写版が好きだったけど、実際に「古典」として勉強したのは、高校3年生の時でした。進路も決まってなくて、「大学どこ受験するの?」と言われて、「ん?それじゃあ、『源氏物語』でもやるか?」と言っただけだったんです。結局、「日本文学科なら、なんとか大学行けそうじゃない?日本文学だし。」だったんです。ある意味、団体に参加する時に、「日本語教師なら、できそうじゃない?日本人だし。」と言うのと、まるで同じでした。

でも、大学で『源氏物語』を卒論に選んだのは、別の理由でした。『平家物語』と『源氏物語』があったので、「源氏と平家で悩んでいる。」と友達に言って、大笑いしていたんですけど、友達の1人が、「私、『源氏物語』にする。今から面接受けてくる。」と言って教室を出て行ったので、彼女の後、「私も行ってくる。源氏にすると決めた。」と言って、簡単に『源氏物語』に決めたんです。正直、『平家物語』が嫌だったのではなくて、その先生だと「合宿あり」だったんです。『源氏物語』を選んだ人達の中には、「合宿が嫌」と言う人、多かったんです。そしたら、びっくり、同じ高校出身者ばかりで、(え?)でした。でも、私、同じ高校出身者の友達と一緒に行動しなかったので、卒業する直前くらいに、「あなたは、この人達よりも下の高校出身だとばかり思ってきました。」と、担当の先生に言われたんです。(え?)と絶句しました。

卒論が『源氏物語』だったので、一生懸命、登場人物を覚えて、必死でいろんな人の翻訳を読んだり、その当時人気になっていた、瀬戸内寂聴さんの『源氏物語』にどんどんはまっていきました。でも、先生は、
「瀬戸内寂聴の『源氏物語』は認めない。研究者じゃないから、嫌だ。」
と言って、嫌いました。だから、私、参考文献には一切、瀬戸内寂聴さんの名前や文献は書きませんでした。単位欲しかったので、工作しました(笑)。

でも、今年、まためぐりめぐってきた紫式部と藤原道長に大喜びで飛びつきました。『光る君へ』が、こんなに物騒な幕開けになるとは思っても見ませんでした。『紫式部日記』と言うのがあるけど、どこまで分かっているのかな?と思います。紫式部のお母さんは、「病死」なら「病死」でいいのに、やっぱり、一波乱起こさないと気が済まない脚色で、驚きました。でも、平安の世だと、「陰謀」「陰謀」「陰謀」なんだよね。「いじめ」と「陰謀」が出てきて、陰険な世界になりそうですが、華やかな「十二単」も楽しみなんです。ヨーロッパならドレス、韓国ならチョゴリ、そして、日本なら着物、平安時代なら「十二単」です。楽しみです。

ただ、卒論のようなものがないので、途中で飽きるかもしれません。その時は、どうぞ「悪しからず」と言う感じです。でも、毎週楽しみな大河ドラマが幕を開けて、嬉しいです。


2024/01/08(月) 09:57:32

<年始>

元日に弟と甥っ子が家に戻って、午後から犬と散歩に出たら、帰ってきて、「地震分かった?」と聞かれて、仰天、令和6年能登半島地震が起きていました。原子力発電所や津波を心配して、この日は、石川県、富山県、新潟県の3県を放送していましたが、被害が分からなかったので、テレビを見ていました。翌日、初出勤を終えて帰宅すると、石川県一色の放送になっていて、慌てて、富山県出身だけど、今現在東京在住、でも、お正月は富山に里帰りすると言っていた元団体の同期の1人に連絡を取りました。津波警報で避難していたようですが、すぐに連絡が取れて、自宅に戻っていました。テレビでもあまり放送しない場所だったので、(大丈夫かな?)とは思っていました。

でも、その日の夜、今度は、日本航空の日航機と海上保安庁の海保機が衝突炎上して、仰天しました。日本航空にも、団体時代の同期がいます。ニュースを見ていたら、日本航空側は、飛行機は真っ黒に燃えてしまったけど、乗客乗員にけが人ゼロ、死者ゼロのようで、ホッとしました。今でも日本航空に同期が勤めていれば、おそらく、対応に追われて、忙しい日々のスタートとなったでしょう。(日本航空なんて普通入れないのに、すごいなあ?)と思っていたら、自宅が飛行場の近くだったらしく、親も飛行場に関する仕事をしている人らしく、上手に入れたような話をしていた記憶がありますが、定かではありません。みんなうらやましがっていたけど、本人は、やはり、最初から良い会社に合格して働いた人だったので、言動は違いました。帰国後は会社を辞めたい話もしていて、(馬鹿だな。)と思っていました。彼とは連絡を取り合っていませんが、帰国後数年間は、「JAL」と言う会社名をメールに書いて送ってくれていました。今はどうしたかな?と思います。

日本航空の正社員だった彼は、不思議な話がありました。団体の東京研修で初対面を迎えた時に聞いた大学名が、徐々に崩壊しはじめ、中国では、「誰さんと同じ大学なら、違う大学名のはずなのに、おかしい。」と後輩から聞かされ、仰天しました。「私は、その大学名でもないよ。」だったんです。違う大学名だったんです。それに、この「盗聴器」が入ったら、大学名がさらに4つくらい出てきました。大学名が多くなればなるほど、年数も考えるのが私なので、不思議でした。でも、学歴がおかしいのは、彼だけではないのが、団体だったんですよね・・・。

石川県は、私は行ったことないけど、同郷で、高校だけは私と同じだった従姉が住んでいました。団体に参加した後、帰国して、最初は自宅にいたんだけど、就職がなくて、徐々に県外に出て行って、落ち着いたところが、石川県で、正社員になったと聞きました。でも、10年くらい時が過ぎた2018年、「団体に行っていたせいか?また発展途上国に行きたくなったみたいで、会社辞めて、ラオスあたりで働きたいみたい。世界で活躍したいのかな?」と言う話が飛び込んできました。結婚もしていないし、子供もいないので、好きなことをやって生きていきたかったんだと思います。彼女のお母さんが私の母の姉で、そこから情報が入っていたんですけど、今は、まるっきり情報が入ってこないので、分かりません。連絡先不明で、海外にいるのかどうかも分からないです。

富山県には、団体時代の同期と逆で、東京都出身だけど、大学院を出た後、先生が富山県に連れて行ったみたいで、本人も先生に連れられて、富山の大学に就職した従兄がいました。富山で結婚する時に、奥さんになる人を私の家に連れてきて、会ったことがありましたが、それっきりです。もう20年以上も前の話です。私よりも10歳年上だったので、いつも情報は彼のお父さんから入ってきました。
「大学院に行くのは良いけど、先生にかわいがってもらえないなら、大学院なんてさっさと出て行って、就職した方が良い。」
と言ってました。ただ、当時まだ生きていた祖母が従兄のことを聞くと、決まって、
「息子は、教授にかわいがられているみたいで、教授があちこち連れ歩いて、何かと面倒見てくれる。それならそれで、ずっと大学院に残って、就職先を教授に面倒見てもらった方が有利だ。早くお給料をもらえるようになってもらいたいけど、まあ、東京にいて、東京の大学院に通っているのだから、好きなことやっていても問題ない。田舎から東京に出していてあんなことやられたら、たまったものではないけど、大学院ってそんなところなんだろう。男だし、好きにさせておく。ただ、就職してくれないと困るから、教授にかわいがられているかどうかだけは、親も気にしている。今の所、教授が就職先を探してくれそうだから、放っておいている。」
と言ってました。

私もそうだけど、大学院と言う世界は、「担当教授にかわいがられているかどうか?」と言うのが重要です。もし、逆なら、「担当教授は、就職先を探してくれそうにないから、ダメだ。」と言って、大学院を出て行った人の方が幸せになります。私よりも10歳も年上だった彼がいたから、大学院情報が手に入ってきて、私もいろいろ考えることができました。私と違って、理系で、大学院博士課程まで進んで、富山の大学に就職出来たと聞いていました。でも、今は音信不通で分かりません。

難しいですね。石川県に住んでいた従姉も不思議なんです。団体に参加する時に、新聞発表が「高卒」だったんです。「○○高校を卒業して、団体に参加します。」と書いてありました。(大学は?大学院は?どうなってるの?)と思いました。でも、私が団体に参加する時は、もっとひどくなってました。(名前しか新聞に掲載されていない。どうして?これでは、経歴不問で参加できる団体か?あるいは、私が中卒と思われる。従姉の時の方がまだましだ。一応、高卒にはなってるから。)だったんです。

これが私の新年スタートからの一週間の心と記憶の葛藤でした。地震が呼び起こしたとんでもない記憶だったんです。今年はどんな年になるのかな?びっくりでした。


2024/01/01(月) 10:37:23

<謹賀新年>

新年おめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

今朝、弟と甥っ子が帰りました。4泊5日我が家にしていきましたが、ゲーム三昧でびっくりしました。朝起きたら宿題?と思いきや、「宿題は忘れてきた。」と言って、一切勉強はしないで、テレビを見ているか?ゲームをしているか?でした。

私もゲームに誘われ、「スーパーマリオ3」をやってみましたが、1面もクリアできないで終わりました。小学校5年生の時に遊んだものでした。

「初代スーパーマリオ」もやってみました。名前が変わっていて、「スーパーマリオ3Dワールド」?とか言ってました。5,6回やって、ショートでクリアできたものの、「250」とのこと。しかも、旗までジャンプできず、低い位置で終わりました。甥っ子は?と言うと、「1UP」だそうです。どちらもポイントの意味は不明。

ひどいのは、「マリオカート」。ビリでもいいから、必死に全周終わって、ホッとして、次の画面に進もうとしたところ、
「失格」
と言う表示が???

怒り心頭。

愚痴三昧に代わり、
「朝から勉強もしないでゲーム?」
「朝から布団もあげないでゲーム?」
と母に愚痴りました。

今年の新年は、少々頭に来てスタートでした。ゲームなんて大嫌いだ。

こんな私ですが、今年もよろしくお願いします。


2023/12/30(土) 13:58:19

<良いお年を>

今年も一年間、日記読んでくださって、ありがとうございました。28日に母と弟と甥っ子が来て、元日まで大勢で生活しています。「あっという間に料理がなくなる。」と母に言われました。ずっと少ない人数が当たり前になっていたので、ちょっと量が分からないんだと思います。そして、職場の方は、「仕事納め」でした。退勤ボタンを押した時に、いつものように、「○○さん、次のシフトは何月何日何時からです。」の表示がなくて、ただただ「お疲れ様でした。」と書いてあって、ショックでした。(来年の予定は?)と思いました。でも、紙のシフトは入っているので、安心しています。

先日、テレビを見ていて、ちょっとびっくりしました。本当にあった飛行機事故の様子でした。
精神面を理由に、3カ月後に会社を退職する辞表を出した数日後に、飛行機のパイロットだった機長が、常務をしたところ、飛行機の着陸の際に、事故を起こしたという話でした。

私、この「盗聴器」で、散々、「会社を辞める」と言うのを聞かされたのですが、実際、「3カ月後に退職すると分かったら、勤務シフト減らしたり、部署替えたりして、退職準備に入るのでは?その方が良いのでは?」と思ったことは、特にありませんでした。でも、テレビを見て、(精神的なものが原因で辞表を出して、3カ月後に会社を辞めることにしたなら、辞表を出した後、パイロットやらせるべきじゃなかったね。)と思いました。ただ、精神的な面が理由と言うのは、本人の心で、辞表には書かなかったのかもしれないけど、「危険」だと思いました。初めてね。

私、団体の時、出国日も決まってたけど、帰国日も決まってたんです。最初から帰国日決まってて、知ってて中国に行きました。でも、中国青海省から北京に引き上げて、北京で数日滞在して仕事して、それから帰国になるので、知らなかったのは、「中国青海省を引き上げる日」だったんです。これは、ギリギリまで分かりませんでした。分かったのは、引き上げの1カ月くらい前のことでした。
「北京事務所から、各省を引き上げる日を通知するメールを、配属先の上役に送ります。皆さんからは、引き上げ日を上司達に告げる必要はありません。上役に直接メールを送信しますので、上からの指示を待ってください。メールが送信された後、それぞれの配属先から、謝恩会や送別会の話があると思います。だから、自分の口からは、絶対に省から引き上げる日を配属先の人達に言う必要はありません。」
そのために、2011年5月半ば、北京事務所から直通連絡で、青海省の配属先の大学の上役の人達に連絡が行ったことが分かり、私は、ずっと黙っていることにしました。でも、困ったのは、
「先生は、いつ日本に帰るんですか?」
「先生は、青海省から出ていくのは、いつなんですか?」
と質問され、
「あなた達は、何も聞いていないの?」
と思ったことでした。それに、それを聞いたのは、学生達の卒論答弁の日で、中国人の同僚教師からだったんです。それで、
「明日」
が答えだったんです。学生達は、私のところに来て、
「どうして、青海省を引き上げる日を、私達に教えてくれなかったんですか?謝恩会もやりたかったのに・・・。」
と言って、涙をこぼされました。それに、卒論答弁も、午前中の部の人達は何事もありませんでしたが、トップクラスが集まっていた午後の部の人達は、昼食休憩の時に私の青海省引き上げ日が翌日と知らされ、ショックを受けて、卒論答弁は泣きながらになってしまって、めちゃくちゃになりました。私は、事情を知らなかったので、怒ったんです。そしたら、
「先生がいなくなる日が明日なんて、知らなかった。」
と言って泣かれたんです。
青海省の配属先の大学に私の引き上げ日を連絡してくれたのは北京事務所でしたが、「あなた達自身で言う必要はない。黙っていてください。」と言われたので、黙っていたら、悲劇にしかなりませんでした。まあ、いろいろと組織には組織の事情があるんでしょうけど、学生達には、気の毒でした。仕方ないですね。

ふと思い出しました。それに、一カ月後に引き上げと分かってから、急に仕事にやる気をなくしたり、急に仕事量を増やされたりする人がいるのも知っています。会社を辞める時って、難しいですね。これで今年の年末になりました。また来年もよろしくお願いします。


2023/12/26(火) 11:23:27

<「登録」が消えない?>

今年も終わりですね。今年のクリスマスは、父と2人で、アップルパイとショートケーキ買ってきて食べました。本当は、甥っ子が2泊3日くらいで滞在するはずだったんですけど、来なかったので、生チョコケーキの予定が、私の大好きな生クリームケーキになったので、良かったです。母がいないので、家事が私になっていますが、お惣菜を買ってきて食べたりして、仕事で帰宅が遅い日も助かっています。便利な時代に生まれてきて、良かったです(笑)。

この「盗聴器」で、「登録」と言うのがあって、理由は分からないけど、私の「登録」だけが、不思議と長い年数残ってしまって、司法関係者とか警察関係者はそれを見ることができるみたいな話が聞こえてくるんですけど、それって、簡単な気がします。この「盗聴器」聞いていると、いろいろ話してくれるけど、私、こう思うんです。

都会にいる時は、やっぱり、「所属先がハッキリしている」んです。そのために、頻繁に携帯やメールで連絡を取り合っています。でも、私の携帯は、「業務用ではない」んです。そのために、「登録可能」なんだそうです。携帯が業務用で、私用携帯を持っていない人は、登録できなかったり、「一方的に書く人」と言うものに選ぶことができないんだそうです。でも、私の田舎は、不思議と、私が就職できても、正社員には決してなれないし、不思議と、メール管理者になれないんです。業務用携帯も持ってないです。今の会社では、コールセンター時代が4年半ありましたが、会社内では、電話を握っていても、業務用は持たされてないんです。それに、メールも、特殊なインターネット機能ではやってたんですけど、「メールフォーム」と言うのは、持ってなかったんです。だから、支店同士しかやり取りできないメール機能だったんです。

それに、もう1つ言うと、田舎に戻ってくると、誰とも私用携帯を使ってメールや電話をしなくなるだけではなくて、「過去に所属していた場所と音信不通になる」と言う特徴を持っているんです。ある意味、「連絡を取り合う=会う約束をする」と言うのがあります。それがないと、メールのやり取りも、ネット上の「掲示板と同じ」になるんです。掲示板って、「話題が特定されているもの」があります。例えば、「アニメ話題ならOK」とかね。そうなると、ある程度はアニメの話でずっと掲示板に書き込むことができます。でも、一般の話だと、正直、「今夕飯の支度しています。」とか「明日は朝の家事を終えてから出発するから、たぶん、10時半過ぎじゃないとダメ。」とかになります。そうなると、「つまらない」んだと思います。それに、子供の頃から、文章が得意な人と、苦手な人がいます。得意な人の文章って、自分の文章が下手だと分かってしまうので、「もらいたくない」んです。私とメールのやり取りをすると、嫌でも、「この人、文章上手だから、嫌だ。」と言うのがあるんじゃないかな?と、これは想像だけど、思っています。理由は、やっぱり、長文を書いた時に、メールの返信がやたらと少ないからなんです。多い人は、自分のメールに大量の返事が来るはずなんです。でも、私は、少ない方なんです。それに、用事がない限り、返事も出さなかったりします。大阪時代は、用事があるから、私用メールを使っていたり、メーリングリストを使っていました。団体時代は、用事だけではなくて、海外に住んでいることもあって、実は、「生活の話題も重要」だったんです。そのために、何を書いても問題なかったんです。普通は、生活の話って、書かないですよね?大阪時代も、生活の話を書いたことは、ほとんどないです。せいぜい親くらいですね。でも、中国時代は、中国の生活習慣が日本とは違うので、面白半分に書いたり、悩んだりして、書いているんです。異文化理解、異文化コミュニケーションに悩んで文章を書いています。だから、ちょっとメールの文章の「質が違う」んです。

最後は、私の友達と言うか、今までの人生で関わり合った人達が、広範囲に及ぶために、「登録が残った」んじゃないかな?と思います。ある意味、団体時代の友達とは、特定の人2人くらいと毎年のように手紙のやり取りをしているみたいなところがあるけど、大学院時代の人達とはゼロ、まるっきりやり取りをしていない様子だったり、正直、高校時代の友達は、誰一人として手紙もメールやり取りしていないんです。でも、大阪時代の友達や先生と、メールや手紙がつながっている人もいれば、地元の大学の友達と手紙のやり取りが見られて、年に12通以上やり取りしている友達もいます。ある意味、特定の集団の友達には、すさまじく手紙を書いているのに、ある集団には、忘れ去られたように、「ゼロ通」なんです。そのために、「登録が消えないで偶然残ってしまった」んじゃないかな?と思います。47都道府県に知り合いがいる人って、事情がある人なら、いくらでもいるけど、手紙もメールもやらないから、ダメだったんだと思います。ある意味、1人でもいいから、年がら年中メールのやり取りをする人がいると、登録できないんだそうです。そう言う風に「盗聴器」で放送されています。田舎にいる限り、業務用携帯は持つことがない私だったし、そうかといって、私用携帯で連絡を頻繁に取り合う人もいなかったし、所属したことがある集団すべてに手紙やメールのやり取りをする友達がいるわけでもないんです。だから、偶然、「登録が残った」んだと思います。違うかな?私が聞いていると、そう聞こえるんだよね(笑)。


2023/12/22(金) 10:35:41

<頑張れ自分!>

最近、生活が変わっていました。11月に弟が離婚して、12月に入ってまもなく、甥っ子がキャンプ中に火傷して、夜電話が来て、両親が病院に迎えに行って、その時はそれで終わって、弟と甥っ子が家に帰って終わるはずでした。でも、家に帰った翌日に電話が来て、
「火傷したところから露が出ていて、水が出てきているから、病院に行く。」
と電話があって、それで、いろいろ話をしていたら、奥さんがいないから、母が手伝いに行くことになったという話になって、トントン拍子に話が進んで、12月11日のお昼から、母が、迎えに来た弟の車に乗って、弟と甥っ子が住む家に行きました。弟が住んでいる場所は、雪が深いので、スノータイヤをはいていない母の車では、ダメなんです。それで、布団とか、いろいろ持って出かけました。

ただ、母は、昔から、「携帯電話が嫌い」で、充電器を持って行かなかったんです。
「充電器持って行ってね。」
と言ったら、
「そんなの必要ない。」
と言って、押し返してきました。でも、弟の家には、固定電話がないので、用事があっても、母に電話がつながりません。電話しても、「あなたがおかけになった電話番号は・・・。」と言うアナウンスしか流れないんです。それで、電気屋さんに注文していた話も、いろいろと話が進んでいるんだけど、私と父では応対難しい部分もあって、やる気なくて、来年に先延ばししてもらいました。それも、母とは連絡取れなくて、弟の携帯にメールして、それでやっと連絡が取れている感じです。結局、3次元みたいになってます。母が電話して来る時も、弟の携帯番号で電話してくるので、弟が仕事から帰ってきて、母と一緒になってから、やっと電話が来る感じです。それ以外は、連絡ないです。

でも、考えてみたら、母は、甥っ子が生まれた時に手伝いに出た時も、
「お母さん、あの家にいるの嫌になった。嫁の子供だし、嫁の親も手伝いに来るみたいだったから、お母さんはさっさと帰ってきた。」
とか言って、実際、3週間くらいの予定で出かけたのに、たったの一週間持ったかどうか?くらいで、さっさと帰ってきたんです。ちょうど4月生まれの子供だったので、春で、雪もなかったので、自分の車運転していたので、自由が効いたんだと思います。

でも、今回は、雪の関係で、車を置いていったので、父が、
「火傷、もうかゆみが出ているなら、治るな。いつお母さん帰ってくるの?」
と聞いても、予定通りで、年末にならないと帰ってこないそうです。父からしたら、
「当分こっちには来れない。」と言ったのが11月下旬に家に来た時なのに、それから三日置きくらいに家に来るので不満だったんです。「仕事」と言っては家に来ていました。でも、今度は、「仕事」と言って家に来るなら、「お母さんも連れてきて。」と言われるのが落ちだから、弟も来ないんだと思います。結局、母が弟のところに行ってしまったら、家事全般が母なので、楽だし、母を返そうとしないと、父が思っているみたいです。まあ、私もだけどね。弟の行動が違うから頭に来ているんだと思います。「来ない」と言ったら、三日置きに来て、母を連れて行ったら、「なしのつぶて」で、こっちから連絡しないと電話も寄こさないので、父がびっくりしています。

私は、夕飯とか作っています。家事全般私の仕事です。仕事しながらだから、スーパーで買ったものを並べることもあれば、自分で作ることもあります。洗濯物も、会社から帰ってきてからやります。いろいろと生活変わって忙しいです。犬の散歩は父と交代で、私が仕事の日だけ父が犬の散歩してくれています。早朝出勤なので、朝ご飯は夜準備しています。いろいろ目まぐるしいですが、来週は母が帰宅するので、待ち遠しいです。


2023/12/09(土) 11:37:16

<悩みから解放へ>

今日、仕事の帰りに、パーマ屋さんに行ってきました。髪の毛が長くなって、髪を洗うのが面倒になってました。でも、それ以上に、髪の毛が大量に抜けるのも(?)と言う感じで心配でした。でも、今朝は、足取りもしっかりしていたし、体調も良かったし、何と言っても、天気が、すごく良いお天気でぽかぽか暖かかったので、最高でした。帰りに、本屋さんに寄って、来年の手帳とレターセットを買ってきました。たまに行くので、もっとレターセット欲しかったのですが、気に入ったのが1つしかなかったので、仕方なかったです。1つだけ買ってきました(笑)。

私、学生アルバイトの他で、最初の仕事になったのは、どうしても、中国青海省だったので、分からなかったのですが、今の会社に入って、先月半ばくらいにやらされた仕事で、(え?)と思いました。知っている人と知らない人では、心理が違って複雑で、迷いました。でも、今朝は、スッキリ心も晴れていました。

子供の頃、「秘密基地」とか、好きだった人いると思いますが、私もそういうのが好きでした。『ドラえもん』を見ていると、セメントで作られた丸い形の物が空き地にあって、そこでよく遊んでいるのが分かります。私も、そういう空き地があって、そこで「かくれんぼ」をしていました。たくさんの白いセメントの丸い形の物が置いてあって、隠れていました。上になっているものもあれば、横になっているものもあれば、完全に墓石もありました。それに、キャラクターとかの石像もありました。

ある日、男の子と女の子数人で遊びに行って、かくれんぼをしていた時、大きな声がして、怒られました。
「そこで遊んでいると、怒られるよ。そこは、どこどこ石材の持ち物で、あそこは、「やーさん(やくざ)」なんだ。見つかったらただでは済まされないよ。さっさと出ていきな。石が崩れて下敷きになったら死んでしまうよ。」
と怒られました。

ただ、その時から、この話を知ってました。
「あそこの石材は、やり口が汚くて、「やーさん」入ってるから、どうしても裁判が多いんだ。裁判のたびに、店を閉めるから、石も動かさないで置きっぱなし。それでも平気で、裁判終わると店を始めるんだ。裁判中は、仕事できないから、店が閉まっているところがあったら、裁判の可能性があるよ。」
とね。

だから、この「盗聴器」、好きじゃなかったんです。裁判をやっている人は、仕事をしてはいけないはずなのに、今は仕事をしてもいいのかな?とね。私は子供の頃に知った話なので、今現在の話は、分かりません。裁判が長引けば、仕事をしないではいられないので、仕事をするのかもしれませんが、経営者が裁判をしている時は、店を閉めないといけないんだそうです。従業員も会社を辞めたり、裁判中は仕事を休みにしないといけないそうです。裁判が終わると、また店を開けて、何事もなかったように営業するんだそうです。

従業員が裁判をしている時は、どうなんですかね?経営者には問題がないけど、従業員の場合は、会社に出勤してくるのでしょうか?
「誰さんが裁判をやっている。知らないのか?」
と「盗聴器」で言われるたびに、(それならなぜ、会社に出勤してくるの?)と思っていたのが私でした。

でも、心が晴れて良かったです。知らない人ならどうでも良いのに、知っている人だといろいろと悩むのが人間ですね。中国時代に、中国で知り合った人達のことを知っても何とも思わなかったのは、やはり外国人だったり、昔からの知り合いではないからでしょう。そして、仕事を始めてから知った人は、どうでも良いのが、また日本で仕事をすると言うことだと分かりました。どうしても心が揺れてしまうのは、昔からの知り合いの秘密だと、今年、分かりました。髪の毛を切って、さっぱりして、心もスッキリしました。ホッとしました。良かったです。


2023/12/06(水) 10:52:43

<携帯機種変更に悩み>

昨日、携帯電話会社から、来年1月いっぱいで、今の携帯機種のサービスが終了する旨の通知が来て、驚きました。(電話一本で、無料機種と交換できる。それも来店しなくてもいい。それなら、こっちの方がいいな。)と思いました。ただ、無料機種だと、ガラケーで、一種類しかなくて、他は選べないし、スマホデビューもできないんだけど、正直、お金、それほどないです。

でも、本音は、「お金じゃない」んです。

私は、携帯を使えなくなる半年くらい前から、ずっとパソコンや携帯を使って、いろいろとメールを出してみました。ある意味、この「盗聴器」から聞こえてくる話が、「うるさい」と言う部分もあって、メールを出してました。でも、私が出せばこそ、メールの返事が来るけど、私が出さなければ、メールも電話も来ない状態なので、迷っていたんです。

一カ月の基本料金と使用料金、合わせて、「3000円前後」なんです。これをキープしていたかったんです。母が数年前に、携帯を変えて、他の会社にしたら、基本料金が「6000円以上」で、びっくりしたんです。私、そんなだったら、お金、払えないんです。

(来店しなくてもいい=契約変更なし!)なら、その方が嬉しいんです。父名義の携帯だったんですけど、父も年取ってきて、他の会社に変更して、私自身の名義にするように言われても、お金が持たないし、父の名義にしてもらうのも、気がひけるんです。使わない携帯だけど、緊急連絡のために、携帯は持っていたいんです。でも、スマホにするかどうか?ずっと迷っていて、(どれくらい自分は携帯使うのかな?)と思って調べてみたけど、結局、「使わない」が答えでした。仕事で携帯使わないと、どうしても使わないです。

携帯電話もメールも、難しいんです。男の人相手だと、「結婚前提でお付き合いするの?もし、違うなら、メールのやり取りとかやめてほしい。」と親に言われて、ダメになります。親の気持ちになったら、当然です。女の人相手だと、「相手の友達は仕事ちゃんとしているんでしょう?あんたは違うんだから、連絡取り合うと、あんたが卑屈になるから、やめてほしい。」となります。お互いに、同じくらいの仕事をしていないと、連絡を取り合うというのは、難しいんです。一方が仕事しているのに、一方が暇だったりすると、ダメです。でも、少しでも仕事しているので、今は少し連絡を取り合えますが、スマホは必要ないかな?と思ったりしました。まだ「思案中」ですけどね。でも、ギリギリまで待ってみると、いろんな案内きますね。来店しても良いけど、いろんな意味で悩んでいて、まだ古い携帯機種のままの私なのでした。


2023/11/28(火) 11:00:11

<嘘と現実>

先週の土曜日だったかな?早朝の仕事を終えて、帰宅しようと会社を出たら、目の前の側溝で工事が行われていて、絶句しました。旗を振る人がいて、道路の車の誘導などをしていたんですけど、(まさか?私がトイレを使ったから工事しているって、こういうこと?)と思いました。心臓が止まりそうになって、しばらく茫然としてしまいました。私の体から出てくる有害な化学物質の種類や放射性物質の種類によって、配管を移動する時の様子が違うらしく、遠くまで移動するものもあれば、近くで止まるものもあるらしいのですが、その日は、不思議と、盗聴器の放送がなかったんです。「あみだくじ」とか「左にしか曲がらない」とか「右しか曲がらない」とか、「ジグザグに動く」とか「気まぐれで、自分が曲がりたい所で曲がるからどこで出てくるか分からない」とか、いろいろ放送されていたんですけど、放送しない日に限って、「目の前」だったんですかね???私、「盗聴器」から流れてくる放送、ずっと聞いていましたけど、トイレに出てくる有害なガスの種類とかが放出される場所によって、工事する場所が違うのは聞いてましたけど、実際に工事しているのを見たのは、初めてでした。ただ、「盗聴器の放送がなかった」んです。だから、それ、私がトイレを使用したから工事になったのではないよね???とも言いたいんですけど、そこを通りすぎてから、やっぱり、私のトイレ使用が原因みたいな放送がされたんです。ショックでした。

話は変わって、犬の散歩の話なんですが、最近「恋の季節」が到来したみたいで、毎日のように同じ場所に行くようになりました。家の近くなので、帰宅も早くて、1時間半くらいで帰宅したりして、暗くならないうちに帰ってこれるので、問題ないのですが、「メス犬」が目的なので、「クンクンクンクン」していて、とても恥ずかしい部分があります。

ただ、最近困っているのは、その「メス犬」が住んでいる近くに、貸家さんがあるのですが、その貸家さんの一軒に、前々から、会社の「副」の上司にそっくりの人が住んでいるんです。たまに、昼間通りかかると、その家の住人が確認できるんですけど、(あれって、まさか?「副」の上司とかじゃないよね???)とびっくりしてしまうんです。

ただ、困ったのは、いつもは、その家を通りかかっても、犬は不思議とそこでトイレすることはなくて、そこを通りすぎてからトイレするんですけど、昨日は、もうしっかりと、その家の後ろでウンコされてしまって、(えええええ?)とショックだったんです。

私、「副」の上司に似た人が、不思議と、午後の時間帯に犬の散歩コースになっている場所にある車屋さんで洗車の仕事をしているのを知っていたんです。少し変装しているのか?ちょっと勝手は違うんですけど、今年の9月に洪水で車が全滅してから、閉鎖になっているんです。洗車の人も、姿を消しました。そのために、(洗車していた人、どうしたのかな?)と思っていたんです。会社の「副」の上司に瓜二つくらいに似ているんだけど、ちょっと洗車の人の方が、太っていたり、顔がちょっと大きいんだよね。だから、同一人物かどうか?分からないんだけど、困ったことに、今年4月から、変装した人達が入ってて、背丈も毎日違うし、体重も違うし、仕事の仕方も違って、あきれていたんだけど、今年9月の洪水を境に、姿を見たことないんだよね。

その時の作業着が、貸家さんの洗濯物干しのところに干してあったこともあったんだよね。貸家さんの中が綺麗に丸見えで、鍋を1人でつついているのも見たことあるんだよね。やっぱり、何度見ても、会社の「副」の上司に似ているんだよね。でも、まさかね???とりあえず、犬がすごくご執心で困っているんだよね(汗汗)。どうなっているのかな???何回も同じところを回るし、すごく恥ずかしいんだよね・・・。

この「盗聴器」で、「副」の上司の名前が、会社内にいる時のネームカードと違うんだよね。会社内にいる時は、苗字は同じでも、名前は「訓読み」のネームカードのフリガナなんです。でも、この「盗聴器」は、苗字は同じだけど、名前は「音読み」なんです。それで、びっくりなんだけど、名前を「訓読み」にすると、同姓同名が山ほどいるんです。私の会社の元従業員で退職した人も同姓同名なんだそうです。でも、名前が「音読み」だと、1人、心当たりがあって、会社のコールセンターの時に、歌うように名前を名乗ったので、「え?」と立ち止まったら、「早く名前書けよ。そういう名前なんだよ。」と怒鳴られて、(え?やくざ?)と思ったんです。それに、住所も、貸家さんの住所ではないんです。私がたまに犬の散歩で行ったことがあるかもしれないけど、正直、最近は工事中ばかりで、犬が行きたがらない場所の住人なんです。

私、コールセンターの仕事柄、名前や住所や電話番号散々聞いてるけど、覚えられないです。正直、一日に50件以上の電話を受けていると、忘れるのも早いし、悩んでいる時間もないし、泣いている暇もなかったし、くよくよしている時間もなかったんです。(どの電話もほとんど同じ。)となってしまって、一本化してしまって、文章に書くと、「苦情が多い」なんです。「やくざみたいな言動のお客さんが多くてつらかった」なんです。仕方ないですね。一人一人なんて記憶に残らないです。それが本当の話でした。


2023/11/22(水) 10:41:57

<動揺>

10月半ば過ぎくらいからでしょうか?私がトイレを使った後、猛毒が出るらしく、この「盗聴器」からかなり変な放送が流れていました。
「計器系が壊れた。買ってくる。」
「自然界にはない有害物質が出ている。」
「放射性物質が出ている。」
とにかく、分からないことばかり放送している。
「公害病の人がいるのか?これは、カドミウム。これは水俣病。これは・・・。」
と言う放送もある。工事の人達が頑張っているらしい。

ただ、こちらは、ラジオでもない、空から飛んでくる放送を聞いているだけで、本当か嘘か?分からない。むしろ、ほとんど「嘘」だと思った方が「得」だったりもする。実際、私の「結婚」の話も、この「盗聴器」から聞こえてくるだけで、実際にプロポーズをされたことはない。「嘘だ」と思った方が「得」なのは、一度こんなことがあったからである。

「誰さんが会社を辞めた。」
と言う放送が何度も何度も流れた日、出勤すると、会社内が「ひそひそ」としていた。
「誰さんって、会社辞めたの?」
「わからない。でも、これでそう言ってるよね?」
という会話だった。でも、そこへ現れたのが、「誰さん」だった。
「あ、もうこの話、やめよう。嘘だ。もうこれ、信じられない。」
その日を境に、誰もこの「盗聴器」の話をしようとしなくなった。

実際、「誰さんが辞めた。」と言う話は、その人が嫌われていれば、嫌われていたように、「あの人辞めたんだって。良かった。私、あの人、本当は嫌だったんだ。」となるし、好かれていれば好かれていたで、「どうして会社辞めたの?誰さん、もっと頑張れないのかな?私らに内緒で何で急に会社辞めるのよ。」となる。でも、一番気まずいのは、悪口を言った人になる。その人が会社に戻ってきたら、いじめられるような内容の話を、「辞めた」と聞いて安心して言うこともある。そうなると、会社内も悪くなるので、「これで言ってることは、信じないようにしよう。」となり、「これは嘘つき機械。」となるのである。

でも、さすがに、先週、困ってしまった。青い作業服を着た男性に声をかけられた私は、固まってしまった。
「計器系の仕事で来たんですけど?」
「え?私は、何も聞いてないです。」
となりました。それに、外を見ると、数人の作業員が駐車場にある何やら「蓋」の類をいじって、いろいろと試しているのが分かった。(それなら、トイレの話って、本当の話なの?)となった。

ただ、その作業員の顔、私に声をかけた人が不思議と、以前会社にいたことがある、隣の会社のナンバー2だった人にそっくりだった。でも、その作業員の顔、私が前から知っている別の人かもしれないとも思う。ただ、問題は、「計器系」と聞いて、重さをはかる普通の「はかり」だと思って、別の従業員が窓口に案内するところまで私が目撃したことだった。「盗聴器」は、有毒ガスなどの計器系を放送していたが、はかりの方も「計器系」と言うのも分かる気がするためだ。どっちが本当なのか?分からないけど、とりあえず、私達の会社は、「これで流れている放送は「嘘」だ。」と思う方が気楽だったから、たまに本当の話になると、体が固まってしまったり、パニックを起こしたりすると予想される。いやはや・・・(笑)。でもま、人生いろいろですね。本当か嘘か分からない幸せな私の日記でした!!!


2023/11/15(水) 10:10:50

<ウォークラリー>

先週の日曜日、3年間中止していた「ウォークラリー」が開催されたので、大喜びで参加してきました。

朝から頭痛がひどかったのですが、なんとか行けそうだったので、飛び入り参加でした。会社のシフトが決まってなくて、申し込む時は名前を書けなかったんですけど、シフトが入らなかったので、参加しました。でも、朝から頭痛があって、なんかトイレが心配で、出発ギリギリまで家にいて、外に出たら、
「出発したよ。」
と言われて、慌てて追いかけました。いつも通り、近くの三重塔だったけど、山登りコースではなかったので、坂がなくて助かりました。平地を歩いて、最後の坂が急だったけど、前は砂利だった気がします。アスファルトで固めていたけど、まるで「滝」を埋めたようで、急な坂で、のぼるだけで、息切れがひどかったです。そこで、水をもらって、Uターンでした。

帰ってきたら、いつものように公園で消防団の消火活動とか抽選会をやるのではなくて、雨もパラついていたので、近くの集会所に行って、抽選会だけやって、帰ってきました。

今回は、両親がそろって「お菓子セット」で、私は「くだものセット」でした。父が受付したので、抽選券は全部父がもらったのですが、私に「はい」と言って渡されたのが、「くだものセット」だったんです。大喜びでした。

でも、その後、頭痛で倒れて、犬の散歩は父に頼み、選挙は欠席して、ずっと炬燵で寝ていました。炬燵の季節になりました。

でも、久しぶりのウォークラリー、楽しかったです!!!


2023/11/10(金) 10:11:10

<ふと思い出して>

ここ数日、すさまじい頭痛と歯痛があって、なんだか頭がどうなっているのか?分からなくなっています。

私、先日、日記を書いていたら、最初は大雨だっただけなのに、遠雷の音が聞こえてきて、(え?雷?)となって、慌ててパソコンを閉じたんです。ちょっとその時の続きを書くと、実は、10月28日にお会いした先生、私、最初はもっと若い人で、私と大差ない年齢だと思っていたんです。でも、セミナー中に、「還暦」と言われて、(え?)となったんです。資料を見ると、「准教授」と書いてあって、(これじゃあ、なんかひどくない?)とか思いました。正直、京都大学出身だったので、(あれ?)と思ったんです。普通、それだったら、こんな地元の変な「蔵」みたいなところのセミナーなんかに呼ばれて、喜んで、大阪から来ることはないと思ったんです。ましてや、今週末もセミナーをやるんだそうで、確か、明日だと思います。ただ、私は、興味がないテーマなので、不参加ということで、予約はしてきませんでしたが、普通、大学の先生って、そんなにあちこち飛び歩いて仕事しないです。そりゃあ、関西地方で、普通電車で簡単に移動できる距離なら分かるけど、大学に招待されたわけでもないのに、「蔵」みたいなカフェで、たった12人くらいの人数で、セミナーを開きますかね?年に一度だって、ためらうのに、月に一度くらいずつ開くセミナーが、大阪と東北を行き来するセミナーって、なんか分からないんです。ましてや、もう定年だからね。「還暦」だったら、「定年」だよね?再雇用にしても、「准教授」と言うのがね・・・。分からないんです。

私、正直に書くと、今回の地元の「蔵カフェ」でセミナーを開いた先生と一緒だった場所、大阪時代に通っていた大学で、東京大学の先生をしていて、当時、テレビや新聞で騒がれ始めた、私とは違う分野なんだけど、今回のセミナーの先生とは全く同じ分野の先生が、大学でセミナーを開いたんです。その時、本来は、別の場所で授業を受けているはずなんですけど、
「あなたの研究テーマと同じようなテーマでセミナーを開いてくれる先生が、東大から来るから、こっちの授業よりも、そっちを優先しなさい。」
と言われて、その日は、途中までは、いつも通りその授業を受けていたんですけど、途中で授業を抜け出して、途中から、東京大学から来てくれた先生のセミナーを受講したんです。その時に、驚いたのは、学生というよりも、先生方が多く出席していたことだったんです。大阪だから、京都大学を始め、上から下までいろんな大学の先生や学生達が参加していることを知って、びっくりしたなんてものではなかったんです。それに、いつもは、テレビとか新聞でしか見られない先生を、まじかで眺めながら、セミナーを聞くことができて、嬉しかったんです。ただ、そんなに年取った受講生は、実は、いなかったんです。その時に、このセミナーに参加した大勢の受講生の中に、今回「蔵カフェ」に来てくれたセミナー講師がいたのではないか?と思ったんです。2人は東大と京大だし、全く同じ分野出身の先生同士だから、東大から来た先生が近くにいると知ったら、セミナーを受講したのではないか?と思ったんです。でも、今年「還暦」を迎えるような年齢の人は、いなかったように思ったので、(記憶違いかな?)と思ったりしました。

実際、最初は、学会の受付業務をしたり、担当教授の学会に参加したりしていたので、その時に会ったことあるのかな?とも思ったけど、そっちだと、正直、「分野が違う」んです。学問領域も分野も違うんです。ただ、関西って、移動が楽なんです。京都と大阪なんて、簡単に行き来できます。東北で考えているような移動ではないんです。だから、(もしかしたら、学会とかに参加した先生かな?分野違っても、学会って、自分の研究と似ているテーマがあって、似通っていると感じると、参加する先生って、いるんだよな。)だったんです。勉強したい先生達が多いからね。でも、「准教授で還暦」となると、なんか京都大学が泣けてくるし、それでは、私達のような地元に来るとなると、他に目的があるか?あるいは、地元を馬鹿にしているか?そんな気がするんです。それに、地元側も、「地元だからこれくらいでいい。」と先生を馬鹿にしている気もするんですよね。だから、なんか嫌だったんです。

最近、kiroroの「未来へ」と言う曲をテレビで聞くことが多くなりました。私は、中国青海省にいた時に、学生達から、「前の先生(私の前任者)は、「未来へ」と言う曲が好きで、私達に教えてくれました。先生も一緒に歌いましょう。」と言われたんですけど、私は、「未来へ」と言う曲、当時は知らなかったんです。学生達が歌ってくれたけど、私は知らなくて、ダメだったんです。帰国してから、(あの曲はどれだったんだろう?)と思っていたけど、最近、「カラオケバトル」みたいなテレビ番組に良く出てくる曲に「未来へ」があって、学生達が歌ってくれたことを思い出しました。私は、あまり歌手が歌う曲、歌えなかった人だから、学生達がショックを受けたんです。アニメ曲ならかなり暗記したけど、学生達が好きなアニメとも一致しなくて、なかなか難しかったんです。漫画は知ってても、アニメを知らなくて、主題歌を中国語でも歌えなかったりして、いろいろありました。難しいですね。最近ふと思ったので、書いておきます。


2023/11/07(火) 10:15:25

<雷の前に>

10月28日の後、久しぶりに外出したこともあって、すごく疲れたみたいで、一週間、体がすごくだるかったです。

私、10月28日のセミナーの後、先生と一緒に写真を撮ったんですけど、支部会の方が写真を送ってくれたので、A4の用紙だけど、印刷して、本棚に飾りました。私、真っ赤なコートを着て行ったんです。だから、ちょっと嬉しかったですね。支部会の方と、先生と、3人で写真撮ったんですけど、周囲は真っ暗だし、先生と支部会の男性2人も明るい色じゃないし、私1人だけが、真ん中で、真っ赤なコート着て、目立っています。写真にとると、赤が映えるんですよね。後ろは本棚になっているから、びっくりしたんですけど、
「これ、カフェに見えない。大学の先生の研究室内で写真撮影しているみたいに見える。」
だったんです。実際は、喫茶店だったんですけど、先生の研究室で写真撮っているみたいでした。わざわざ大阪の大学からセミナーに来てくれていると知って、最初はびっくりしたけど、地元がこっちだと分かったら、(なるほど。)でしたね。

でも、ちょっと、ガッカリなんです。先生は、(ここは、自分の育った地元で、地元はこうだから、いいや。)かもしれないけど、地元でも、ちゃんと、大きくて広くて明るい教室をセミナー教室にして、大学の先生をお呼びして、セミナーを開いている場所、ちゃんとあるんです。地元にも大学あるしね。だから、なんか、かわいそうでした。

実際、元々は、「蔵」だったんです。そこを「喫茶店」に改良したところだったから、狭くて真っ暗で、なんかショックだったんです。限定12名と言う理由も分かったけど、なんか誘う気ないです。

今、雷です。パソコンやめます。


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