<めくるめく思い>
また6月になりました。世の中は、東日本大震災から14年を数えていますが、私は、中国から帰国して14年を数えています。ちょうど同じ数字だから、覚えているのかもしれませんがね。
先月、同窓会の出欠ハガキの受取人を経験して、ふと団体時代を思い出しました。(人間って、同じ学校出身だと思うと、喜んでしゃべるよなあ?)と思いました。ただ、(違う学校名が2つ出てくると、やっぱり、しゃべりたくないのは、お互い様かな?)とも思いました。団体時代に、1人の人から2つ以上の大学名を聞いた人は、少ないです。実際は、2人しかいなくて、同期だけです。でも、同期じゃない人の中には、1人の人間で「4大卒」と言う話と「短大卒」と言う話を聞いたことがある人もいます。ただ、私達就職難世代は、この「盗聴器」で話しているみたいに、簡単に、「架空大学」とは思わないんです。困ったことに、「編入試験を受けて」と言う人もいれば、「事情があって、再受験だった。」と言う人もいます。中には、「2つ学校名が出てきても、1つは卒業してないよ。」と言う人もいます。「1つ卒業してから編入したから、大学は2つ卒業しているよ。」と言う人もいます。それに、年数も違います。「最初の大学は1年しか行ってないんだ。1年の時に別の大学を受験したら合格して、そっちに行って、全部で5年しかかかってない。一浪した人と同じだよ。だから、正社員になれた。」と言われる可能性もあります。人によって、どの年齢の時に次の大学に入ることができたか?によっては、スムーズに正社員就職できていることもあります。それに、(この大学を出ているなら、同じ大学だよな。でも、こっちの名前の大学だったら、違うわ。私が出た大学は中退している人だ。)となります。だから、難しいんです。
私の時代は、「就職難」と一言で言っているけど、会社企業の断り方に、こんなのもあったんです。「世の中不景気で、雇ってあげたくても、雇ってあげられないんだ。もう少し景気が良くなったら、求人出そうと思ってるし、雇ってあげられるかもしれないけど。」と言うのがあるんです。そうなると、「年数稼ぎが欲しい。」んです。ある意味、大学を卒業した後、ただバイトしながら家にいるとか、ただ家にいるだけと言うよりも、学籍を持って学校で学びながら、次の好景気を待って、卒業年度に就職活動するから、その時代に好景気ならいいな?と言うのもあったんです。だから、平気で、年数を稼ごうとしたんです。ただ、次の就職活動で、「ない」と言うのを知らなかったんです。この考え方の裏には、「団塊の世代」が影響していました。「団塊の世代は、学校を卒業する時に、就職できなかった人達だったんだけど、不思議と、2、3年くらい過ぎたら、急に会社企業が人を欲しがるようになって、正社員就職が可能になった。年齢なんて関係なかったよ。何歳になってても、人を欲しいと思う時は、平気で雇うから、あんた達も、学校とかにもぐって、次の就職活動を狙った方がいいかもしれない。」と言ってました。そういう背景があって、異なる大学名を2つ3つもっている人がいても、不思議ではない背景がありました。
私の地元は、他と違っていると思います。トップ校出身者が、大学を出ても、不思議と就職できなかったんです。それで、高校名によっては、「大学2つ書いてある。これ、あの高校出身者にはよくあるんだよな。」と言って、「信じる」んです。これを「架空」と思わないんです。「あの高校出てる人達って、大学受験しても合格しないから、平気で毎年受験したり、周囲も大学受験を毎年やらせるのを奨励したりしてて、本当の話だと思う。嘘の履歴書ではないんじゃないか?」と分かっているんです。都会は分かりませんが、地元は、親達も先生達も、どこか「大学受験を毎年やるのを奨励している」んです。だから、困ったことに、履歴書を見て、「これ、信じる。おかしいと思わない。嫌だ。」なんです。
私自身、異なる大学名が2つ出てくるのが本当の履歴書で、その時代に大学名以外を書こうとすると、会社名を必死で探さないといけないので、めんどくさいものがあります。ある意味、「詐称する方がめんどくさい」んです。それに、無職時代も6年もあります。無職を有職時代に詐称しようとしても、「会社名が分からない。」と言う状態で、やりたくないんです。それに、田舎だと、魅力的で、どうしても合格したい会社企業なんて1つもない場合もあります。「本物の履歴書を書いて落とすなら、落ちた方が良いな。」と思って、本当の履歴書しか書かない人もいます。それが分からない人もいるのかもしれません。「自分は、どうしてもこの会社に入りたかったから、架空の履歴書を書いた。」と言う人にとっては、私の気持ちは分からないと思います。「こんな会社、どうせなら不合格がいいな。」と言う会社もあるんです。そうなると、嘘を書きたくないんです。
ただ、職歴は、大阪時代から知ってましたが、「職歴欄と資格欄は、いろいろある。」んです。「この会社に入社するには、日本語教師資格はいらない。むしろ、書くと都合が悪い。」と書かないこともあります。「教員免許は、持っていても、会社企業を受ける時は、書かない方が有利。」と言う話は、教員採用試験会場でも耳にできるくらい、有名です。講師採用されていた人を雇いたくないのが会社企業と、誰もが知ってるからです。それに、「ボランティアの経歴は、履歴書に書かない方が良い。落とされる原因になる。」と言う話もあります。だから、「日本語教師ボランティア」と書かないと行けないところを、「棒国際交流協会」とだけ書いて履歴書を提出します。業務委託も同じです。「外務省」と書くところ、「外務省と書いたら、こういう良い所で働いてきた人には、別の会社の方が良いんじゃないかな?」と言って落とされるかもしれないから、一般社団法人の実際に仕事をしていた職場を書く。」と言うのがあります。いろいろと変更されてきて、「履歴書の書き方1つ変えれば、合格につながる作戦。」と言うのがあります。それでいて、「不正にならない。」んです。理由は、「この人は、本当のことを書いた履歴書では、絶対に合格できないから。」なんです。難しいですね。「仕事がない時代に、就職活動中と書くと、落とされるなら、行を抜かせば良い。」とかね。「ただし、面接で、「この時期は何をしていたんですか?書いてないけど?」と聞かれたら、素直に、「就職活動中でした。」と言わないとダメ。」と言うのがあります。難しいです。ふと昔を思い出しました。
<今月の話ダイジェスト>
今月は、もう下旬になってしまいましたね。前半は頭痛がひどくて、後半から、同窓会の出欠ハガキの受取人を引き受けて、楽しみにハガキが配達されるのを待っていました。
ただ、私、ちょっとびっくりしました。ストレスになるので、ここにだけ書いておきます。
私、最初に同窓会の会長さんに会った時に、「300人以上、良くわからない人達がいるんです。大学に在籍を確認すると、在籍はしているんだけど、卒業が分からない人もいれば、その在籍さえも怪しい人がいるんですよ。」と言われたんです。それ以来、なんか、変な気分なんです。
私、高校生の時、実は、大阪にいた時に通っていた大学、知らなかったんです。高校3年生の時に、「模擬試験の名前」を見て、先生が生徒に質問したら、誰も分からなくて、びっくりして、「高校3年生でこの大学名分からない?」となったんです。ある意味、受験生、少ないんですよね。それに、卒業生となると、(この県にそんなにいるのかな?)なんです。会長さんに話しを聞いても、(不思議。そんなにたくさん地元にあの大学の卒業生いるなら、何で噂にならないんだろう?)なんです。だから、びっくりなんです。
同窓会の出欠ハガキの受取人はしていましたが、(この人って、こんな大学に行った人かな?)とか思うんです。ただ、同窓会の会長には、「知っている人は、1人くらいしかいなかった。ただ、顔や姿は知らないです。名前に記憶があるだけ。部活動か何かやってなかったですかね?荷物に大きく名前書いてあるのを見た気がするだけです。」と答えておきました。そしたら、別の冊子を見せてくれて、卒業年度が分かって、「これなら、私と同時期ですね。」と言っただけなんです。ただ、姿の写真を見ても、分からなかったんです。
困ったのは、他の人の名前と住所でした。(こんなところに、この大学に通った人、いたの?)でした。外から入ってきた人にしては、名前に記憶があったりして、なんとなく嫌な思いがしたんです。(昔から地元にいた人で、高卒の気がするんだけど?)なんです。母なんて、ハガキが来たら、早速電話帳で調べたりしてました。知ってるみたいでした。それに、会長さんが持ってきた名簿を、郵便物を渡した日に、一緒に眺めたんですけど、(こんなにこの大学卒業した人、いないはずだな?)でした。ある意味、「大学に在籍していて、大阪にはいたんだけど、卒業できなかった。」とか「他の都道府県出身で、仕事でこっちに来た。」とかならいいんだけど、どう見ても、(この地元に生まれ育って、地元から外に出たことない人のような気がするんだけど?)でした。
それに、もう1つ不思議だったのは、(若いのに、病弱な人が多いのかな?)でした。会長さんが電話をかけているそばでいろいろ聞いていたんだけど、ほとんどの人の欠席理由が、「体調が悪い。」だったんです。私のように、中華人民共和国とかで働かざるを得なくて、その時にいろんな変な病気もらってきているなら話は別なんだけど、そんなに多くの人が病弱なんですかね?「仕事が忙しい。」と言う理由がないのが不思議だったんです。ある意味、大学を出た男性なら、仕事を持っていたりして、「仕事が忙しいんです。すみません。」ならいいんですけど、まるで私に真似したように、「体調が悪いんです。」だったんです。なんかびっくりでした。年取った人なら話は分かりますけど、私よりも若いので、(え?)だったんです。
なんか、いろんな意味で、当日だけ関わっているのと違うので、薄気味悪いですね。ただ、郵便物が一通も届かないうちに、私自身の欠席は表明したので、ホッとしたんですけど、そうでなければ、「出欠ハガキを見ていて、気持ち悪い、薄気味悪いから、欠席します。」が理由になります(笑)。どう見てもおかしい気がして、嫌だったんです。
なんか、やっぱり、最初に聞いたのが、耳に残ってるんですよね。「300人以上名簿に名前を載せていて、卒業生だと言ってるけど、調べてみると、どうも違うんだよね。」と言うのがね。「在籍していた記録が大学にあるならいいんだけど、それさえもない人がいる。」と言うのがね。まあ、いろいろ知ってしまうと、いろいろありますね。生まれてから成人するまでずっと住んできた場所なので、適当に答えておくしかないです。「知っている人はいるみたいだけど、同姓同名の別人かな?」です。仕方ないですね。でも、良い経験になりました。たまには、同窓会の出欠ハガキの受取人も良いですね。少し世界が広がりました。話を聞くだけではダメなものもあります。これが5月中でした。
<ゴールデンウィーク>
今年のゴールデンウィークは、大阪関西万博があるにもかかわらず、寂しそうだな?と思っていたら、弟が「11連休」と言ってきて、絶句。
3月から会社の支店と支店が合体して、やっと少し慣れたところで、ゴールデンウィークです。ゴールデンウィーク前は、かなり仕事量が多い日もあったけど、昨日は大したことなくて、ほっとしました。最近、体がすごく重いです。今朝は、体がすごく熱くて目覚めてしまって、それから眠れないまま朝になって、足が痛くて、歩くのが大変でした。3月は、超勤料金で稼ぎました。超勤料金だけで9000円以上、すごいでしょう?びっくりです。会社は、スキルアップ制度やってて、時給アップが臨めるから、嬉しいけど、時給が上がると、超勤したがるんだよね。でも、私、ずっと一番下だったから、定時で帰るのが習慣でした。先輩達は、びっくりして、嫌がってた人もいたけどね。それに、もう少し言うと、非正規という枠組みの中で仕事しているから、「正社員はもっと稼げるんだから、長時間働いてお金もらって何が悪い?」と言うのは、ないんだよね。非正規は非正規で限度額あるから、それを超えると、違法になるんだよね。それくらいは知ってたけど、人間関係考えると、「まあ、先輩になったら、超勤もいいか?」でした。単純です。
私、3月下旬から髪の毛がどんどん金髪になっているみたいだけど、びっくり。両耳の横髪は、不思議と黒髪が多いみたいで、後ろが少し金色が多いみたいですが、どちらかと言うと、黒っぽいです。でも、頭の後ろが、黄色に見える日もあって、びっくりします。ただ、午前中は、銀髪や白髪に見えても、午後は金髪になる日もあれば、逆の日もあります。横髪は、不思議と黒髪が多いみたいです。私、金髪、不思議と、抜こうと思わないです(笑)。ただ、今までなかった「カール」が入ってきて、毛が太かったのに、細くなって、ちょっと前と違うんですよね。手触りも違うし、髪の毛を洗った時の様子も違うんです。なんかこう、頼りないというか、ふにゃふにゃです。黒髪の「バサッ」と言うのがないです。
私、人種調査、たぶんだけど、「3回」はやったことあります。大阪に行った直後、大学の入学式のすぐ後だと思います。それが最初です。その後は、団体の面接試験の待合室でやったと思います。最後は、団体の訓練中にやったんだと思います。ただ、すべて「黄色人種」で提出しています。それに、「こんな調査、何するの?」とか「黄色人種じゃない人って、いるの?」と、不思議でした。何の意味もない調査、そんな気がしていました。
この「盗聴器」、1つだけ不思議です。人間は、「比較されたくない。」と言うのが本当なのに、「しゃべってくれない。」と言われます。正直、詐称したのは、別の場所で、今の会社ではないので、しゃべらないです。前の会社では、他の会社の仕事と比較しただけで、すさまじく怒られたし、今の会社は、過去のことを聞きたがらないです。ずっとそうだったので、しゃべらないです。それに、「友達に会いたい。」と言うのは、もうないです。私が子供の頃、母が、同窓会の案内が来ると、こう言ってました。「ずっと会ってないと、お腹が出っ張っている。」「太って恥ずかしい。」「体型がゆがんだ。」「おっぱいのハリがなくなった。」「頭がハゲてしまった。」とか、女性もそうだけど、男性も、会うのを嫌がるんだそうです。私も、似たようなものです。それに、めんどくさいです。もう一つは、「扶養手当」です。シフト見ると、私、誰かの扶養手当に入っているみたいなシフトを一年前から作られています。そうすると、「何で扶養手当なんて入るの?」と言う声が「盗聴器」から聞こえてくるけど、私、生前の祖母から、「一カ月に30万円取れるなら、扶養手当には入らなくていいよ。でも、それができないなら、扶養手当に入って、仕事は縮小した方が、たくさんお金もらえるよ。」と言われていたんです。それに、「出世できる環境にいるなら、上に行って、下を見るのも必要だから、扶養手当は、出世する人になったら、もらわない方がいいよ。」でした。まあ、子供の頃に聞いた話だから、今は、「一カ月に30万円ではなくなっているかもしれない」けど、今の人達の正社員のお給料分からないからね。
最近、体がだるいです。パソコンもあまりやらなくなりました。でも、たまにパソコン立ち上げて、ネットやって、体調が良ければ、日記書きますね。ゴールデンウィーク、楽しんでくださいね。
<外国人の血?>
4月スタートで、会社が支店と支店が合体したので、仕事量が増えて、へとへとくたくたです。今朝も汗びっしょりです。
最近、自分の髪の毛の色が変わったことで、今まで外国人の話を書いてきたけど、ちょっと心境が違うんです。正直、この「盗聴器」で、私の団体の同期達は、全員に近いくらい、「日本国籍以外の国籍を持てる人達」と放送されていて、数年前からびっくりしていたんです。団体の受験の時に、「日本国籍以外の国籍を持つことができる人は、記載してください。」と言う項目があって、「ここは記載しなくていいのか?」と聞いてきたのは、実は、父だったんです。誤字脱字チェックを頼んでいたので、父が気づいたんだけど、「私に他の国籍があるの?私は日本国籍しか持ってないよ。」と言ったら、「あ、そうか。それなら、まあ、いいか。」と言って、終わったんです。ただ、それ、確か、一回目の受験だけで、2回目と3回目の受験の時は、そういう項目、消えていたと思います。
私、団体の同期達12名の中で、実は、当時、「外国人ではないか?」と疑ったのは、「2人」だったんです。1人は、山東省派遣の人で、京都大学出身と言われていた人でした。苗字が漢字一文字で、中国語を熱心に勉強していて、まあ、漢字一文字の日本人の苗字って、たくさんあるけど、やっぱり、「中国に行きたい。」と言うのが心に引っ掛かって、「もしかして、中国人なの?」と聞いたことがあったんです。そしたら、「違うよ。単に、漢字一文字の苗字と言うだけの日本人だよ。」と言われて、「あ、そうなんだ。なんか、中国人の血を引いた家族なのかな?と思ったから、聞いてみたんだ。」と言う状態でした。もう1人は、寧夏回族自治区に派遣された同期でした。実は、一度も彼女に聞いたことはなかったんですけど、子供の頃、京都に行くと、大勢の外国人を見かけたんです。両親は、それを見ると、「韓国人かな?顔がなんか韓国みたいだよな?それに、言葉が分からない。ヨーロッパは、英語以外にも、映画が多かったから、なんとなく、フランス語かな?イタリア語かな?とか分かるんだけど、どうも、中国語とか韓国語の気がするんだよな。」と言ってたんです。その中でも、「韓国人の顔」と言うのがあったんです。それで、実は、彼女のことを、(韓国人かな?)と思っていたんです。
ただ、帰国してから13年が過ぎた去年、同期の看護師の1人が、どうも女優の宮崎あおいさんと分かってから、(それなら、1人は、確実に、タイ人の血を引いている。)と思ったんです。それから急に、(もしかして、この「盗聴器」正しいのかな?私も、子供の頃、一度だけだけど、おばあちゃんから、「あんたには、生まれつき蒙古斑がない。」と言われていた。そうなると、他の同期達も、同じか?)と思ったんです。つまり、私達の同期達は、外国籍を持つことが可能な、外国人の血を引く一族の子供が多く参加していたのでは?と言うことだったんです。
会社に入ってから、今の会社だと、今年の10月で10年になります。会社って、不思議と、「似たような苗字、名前の人ばかり雇う。」とか、「集団特性」が見られるんです。つまり、似ているのが名前でも何でもいいんですけど、とにかく、「同じ集団に属している人達は、不思議と同じ要素を持っている人達で構成されている。」と思ったんです。「この集団には、こういう集団特性が見られる=団体の私の同期達は、もしかしたら、外国籍を持てる人達で構成されていたのかもしれない。」と言う感じだったんです。
実は、団体時代に、外国人の血を引いている可能性とか、外国籍を持てる可能性がある、と言うのは、会話としては、もう合格しているからどうでも良いかもしれないけど、受験が終わって合格するまでは、「純日本人」と思っていたかったと言うのが本音でした。そうじゃないと、不合格になると思っていたんです。
でも、帰国後は、難しいんです。会話した内容を吟味して、この「盗聴器」を信じると、例えば、「誰さんは、一番年下で、教科書問題が起きた後で、世界史とかいろいろ変更になった後だから、きっと、盧溝橋に研修に行って、日本人が中国人にやったことを知って、涙を流して泣いたんだね。私達の時代は、まだ教科書に載ってたから、免疫があったのかな?涙出なかったけどね。」と言っていた会話があるのですが、困ったことに、彼女の家系が「中国人」だとしたら、困ったことに、こうなります。「中国人の一族だったことと日本が教科書問題の後に高校生とかになった子だから、盧溝橋とか知らなくて、日本人と中国人の血を引いているがために、その狭間で泣いたのかもしれないね。日本人って、中国人にこういうことをやったと言われても、日本人の血も、中国人の血も、両方引いているのが私なんだ。とね。」となったりするんです。つまり、意味合いが違ってくるんです。あの時の涙の意味が違うんです。不思議と、私達、中国に入ってからは、一度も、「あなたは、外国人の血を引いているの?」と聞いたことがなかったんです。日本にいる間に、たった1人だけ、「あなたは、中国人なの?」と聞いた同期がいたのが、私でした。ただ、私がいない場所で、こういう会話がなされていたかもしれないけど、それは分からないので、あくまでも、私がいた場所では、こういう「あなたには、外国人の血が入っているの?何人?」と言うような会話はなかったんです。私も、一度もしたことなかったんです。
それに、中国青海省では、韓国人のクラスメートが、「僕には、生まれた時から蒙古斑がない。」と言っていて、「どうして?黄色人種なのに、蒙古斑がないなんて、おかしいよ。」と言った会話をしました。今、「ごめんね。私も、おばあちゃんから、生まれた時から蒙古斑がない。と言われてたの、あの日あの時、青海省では、忘れていた。あなたは、人種何?」と聞いてみたいです。彼に、「白人みたいに白い肌で綺麗だよ。」と言ったら、「白人?冗談じゃない。あんな生っ白い肌、大嫌いだ。もっと黒い方がいい。男だから、黒い方が男らしい。」と言ったのが、中国青海省時代の彼でした。ただ、私から見ると、私よりもはるかに肌が白くて、体毛もほとんどなくて、うらやましかったんだよね。私の方が男みたいで、彼の方が女みたいだったんです。それくらい、体の色や体毛は、正反対の「生まれつき蒙古斑がない人同士」だったんです。びっくりだよね。また彼に会いたいです。
<金髪の子供は欲しかったですが?>
新年度スタートですね。
私、やっぱり、変、です。3月下旬くらい、先々週くらいから、私の髪の毛の色、変色しています。
数年前から、抜け毛、とても気にしていました。美容室にも相談していました。髪の毛を洗っている時に、大量の髪の毛が抜けるので、「ハゲるのではないか?」と心配していました。
数週間前、母が私に言いました。「あんたも、年取ったね。髪の毛が白髪になってきた。白髪多いね。」とね。私は、(父に似たんだから、将来は白髪だと思っていたよ。)と、どうでも良く応対しました。(ハゲるよりまし!)とね。
でも、先々週くらいから、白髪の中に、黄色い色素が入りこんできて、最初は、(何この黄色?薄い黄色、気持ち悪い。)だったのですが、その黄色い色素がキラキラ光り輝き出してびっくり、(金髪?)。
私の髪の毛、まるで理科の実験で使う「試験管」に、黄色い色素を流し込んで、しばらく時間が経つと、金色に輝く「金髪」になるみたいなんです。どうなってるのかな?
私、白髪が光に反応して、「銀色」に輝いている時は、「無視」していました。「銀髪」と思ったことは、一度もないです。ただ、さすがに、「黄色」って、白髪とは違うんんですよね・・・(苦笑)
私、祖母が、自分があの世に行ってからのことを考えて、「あんたには、生まれた時から蒙古斑がない。」とか「母方は、秋田の血を引いているから、家に白人が生まれても不思議じゃないからね。」とか、父が、「お父さんのおじさんに会いに行く。」と言った時には、不思議と、私より少し年上の男の子が一緒で、その子が白人だと分かったりして、(あれ?)と言うのはあったけど、小学校の時のことは、すっかり忘れて大人になって、大阪や東京や、今では数年前から地元で何度も見かけている男性になったけど、それでも最初は誰だか分からなくて、やっと本名思い出して、そしたら・・・本名思い出してわずか数か月後には、私の髪の毛が、金髪?
人生、生きていると、面白いです。免疫をつけたのは、どちらかと言うと今は亡き一緒に住んでいた母方の祖母と、父ですが、ううん、今では、隠さなくても、私よりも他の人の方が、私の髪の毛を不気味に思っていることでしょう。うむ。信じられない!!!私、もう何歳なんだけど???
<手紙の話>
春休みに入って、母が弟のところに行きました。甥っ子がまだ小学生で離婚したので、長期休暇に入ると、母が出かけていきます。母は、田舎から少し都会に行くので、甥っ子は逆に我が家に来たがらないのが分かります。これが逆だと面白いんだけどね(笑)。
話は変わりますが、私が、最初に「手紙を書いて欲しい。」と言われたのは、実は、「盗聴器」なんです。「手紙を書いて欲しいんや。」と言う声です。声の持ち主は知ってます。困ったことに、当時は、(何で手紙なんて書くの?)だったんです。2018年の夏に、会社から救急車で運ばれて緊急入院した後、しばらくたってから、急に「盗聴器」で言われ出したんです。
でも、それが、2020年以降、急に具体化するんです。ただし、「盗聴器」なんです。
「俺、「新聞部」と「ドイツ語」だけ、手紙に書いてくれればいいから。」
となりました。ただ、本人に面と向かって言われたこともないし、「盗聴器」からしか聞いたことがありません。ただ、こちらもやっぱり、声の持ち主を知っています。
そして、もう1人、これが厄介なことに、昨年春から夏にかけて始まったんです。
「自分とは、26000日以上一緒にいた。だから、毎日手紙かメールを書いて欲しい。何か書けば、自分の名前が出てくるから。」
とまあ、こちらはさらにびっくりするような状態です。(26000日以上一緒にいた?いつ?どこで?私は知らないよ。)だったのですが、やはり、声の持ち主は、知っています。ただし、やっぱり、「盗聴器」だけなんです。
私、小さい時に、「裁判で使ってもらえるのは、広告の切れ端でも何でもいいから、とにかく、「直筆のみ」だからね。「直筆」しか、相手にされないからね。」と言われて育ちました。これは、「遺書」の話をしていた時でした。だから、裁判をやる人が、直筆の手紙を欲しがるのは、なんとなく分かります。
ただ、「手紙を書いて欲しい。」と頼んできたのは、男性3人だけです。それもすべて「盗聴器」です。だから、誰にも、手紙を書くように頼まれていることを言えないでいます。この日記に書いておこうと思います。
でも、1つだけ、別の話があります。「盗聴器」では散々聞かされましたが、まさか?現実に話しをしてもらえるとは思っていなかったことがありました。それが、大阪時代の話です。
「県内の同窓会には、この名簿に載っている他に、約300人以上の人達が登録してきたんだけど、実際に調べてみたら、大学に在籍しているみたいなんだけど、卒業が分からないんです。」
と言う話でした。聞いた時は、(え?)と思いました。ただ、あれから2年くらいでしょうか?少しずつ思い出すたびに、同窓会に手紙を書いて送ったり、恩師に手紙を書いたりしています。こういうのは、ある意味、「何か気が付いたことがあったら、連絡してほしい。」と言う気持ちが込められたお話だと思ったからです。人間は、当時知りえたことでも、心に蓋をして生きてくることがあります。それに、「吹聴?それとも、詐称?」と思うこともあります。どっちだか?分からない話を耳にすることもあります。そういうのが参考になればなあ?と思って、たまに筆をとっています。
団体時代は、おそらく、団体時代の同期と思われる、女優の宮崎あおいさんがきっかけで、裁判やっていると、初めて、「盗聴器」とは別に、実感したんだと思います。ただ、正直言うと、たった2年間だったし、半年に一度団体仲間に会う程度だったし、事務員ではないので、深いことは何一つ分からないんです。まあ、気づいたことがあれば、何かきっかけを作っては、メールや手紙を出すようにしていました。「公害病」でも良かったし、「親知らずの抜歯」でも良かったんです。
そして、「盗聴器」で頼まれた「新聞部」と「ドイツ語」は、私も「新聞」は何かと縁があって、書くことがあったんですけど、「ドイツ語」って、書くことないのが現実です。「中国語」なら、中国に行ったので、書くことがあるんですけどね。「ドイツ語」って、書くことないですね。それに、「盗聴器」聞いてると、(確かに、26000日私と一緒にいたという話、この男、本当なのかも?)と思いますが、まだまだ百の位までしか日数が出ていないとのことで、あれまあ?と言う状態です。面白いですね。ちょっと日記に記してみました。
<年休消化明け>
3月は、2カ月連続で行われていた年休消化明けとなりました。シフトが元に戻って、新しい仕事が入ってきたので、出勤すると超勤のような日々が始まっていました。ただ、今週は、少し緩和されていて、シフトがあまり入ってないので、2月中の抜歯と抜糸の後、ようやっと昨日、歯医者さんに行ってきました。抜歯と抜糸は、大きな病院でやりましたが、また新しい歯を入れるために、以前通っていた歯医者さんに戻ってきました。昨日は、1月に差し歯の治療で歯を入れたのですが、その下が歯肉炎になっていたようで、また治療しました。ただ、血がいっぱい出てきてしまって、なかなか止血できなくて、型を取るまでに時間がかかりました。来週、新しい歯ができるそうです。
大きな病院で、親知らずを抜く相談をしましたが、どうせ欠けた歯が隣だった上に、同じ麻酔でできるということだったし、将来的には抜かないとダメになると知って、2本一緒に抜きました。感染病の薬をもらってきて、飲みましたが、体調が悪くなりました。そんな時に弟と甥っ子が来て、日帰りで帰って行ったのですが、帰宅後、電話が来て、弟が高熱を出したと知り、感染病を心配しましたが、違ったようで、ホッとしました。
職場で新しい仕事が入ってきて、量が増えたので、体が再びくたくたになるようになりました。元々肉体労働だったので、父から、「肉体労働はシフトあまり入れられないからな。」と言われていました。今の部署に移動して、汗びしょびしょで帰宅するようになって、肉体労働と知ってすぐに言われました。だから、シフトが少ないのは仕方なかったのですが、量が多くなればなるほど、やっぱり、仕事をする時間が長くなるし、覚えないといけないものも増えたので、さらに時間が長くなって、超勤、超勤、超勤、となっています。超勤料金を稼ぐ楽しみもできましたが、お休みなると、どで〜としてしまいます。仕方ないですね。
私、一番心配していたのは、「シフト復活があるか否か?」と言う、たった一点だけでした。仕事はどうでも良かったんです。ある意味、「時給制」と言うのは、仕事内容、どうでも良いんです。「時給制は、労働時間が長ければ長いほど、お給料がもらえる。」としか認識していないからなんです。私が子供の頃、母と一緒にスーパーに行ったら、同級生のお母さんがレジをやっていて、「仕事なんてない方が楽でいいの。黙って立っているだけでも、その時間さえまぶっていれば、お金がもらえるから。」と言われて、「なるほどね。」と言って笑って帰宅したんです。それが時給制なんですよね。
逆が、固定給みたいな仕事です。仕事内容も重視したいけど、仕事量も仕事時間も欲しいんです。ある意味、団体時代は、固定給と同じだったんです。時間に左右されたお給料はもらったことないんです。ただ、旅行していても良いし、家にいる時間が長くても良いし、週に2日しか仕事なくてもいいし、週に1日しか仕事がなくても良かったんです。ただ、「そんなに仕事がないのに、お金払っている方が馬鹿臭い。」と言って、北京事務所の中に反対者がいたというだけだったんです。「日本の税金からお給料払ってるのに、あなたのような仕事しかない人は、困る。」だったんです。でも、東京本部側では、「仕事が何もなくても、中国の、派遣された配属先にいてくれるだけでいいよ。」だったんです。だから、意見がちょっと東京本部と北京事務所で違ったんですよね。だから、中国人の同僚からも言われていたんです。「僕は、あなたと違って、時給制なんです。大学の授業の分だけしかお給料をもらえないから、あなたがたくさん授業持たなくてもいいでしょう?どうせ、日本から定期的に決まったお給料もらえるんだから。僕は、違います。働かないと、お給料もらえないんです。それに、中国は共産国だから、昔は、働かなくても、働いても、同じようにお金もらえたんです。それなら、働かない人の方が得だからね。あなたは、どっちかと言うと、働かない方が得の人です。僕は違います。働かないと、お金もらえないです。だから、授業を僕に譲ってくれてていいです。」なんです。
中国時代は、「2年間は安心」だったんです。だから、青海省の配属先では、「仕事がなくても、3年生37人しかいない大学だから、仕方ない。」と言っていたし、中国人の同僚の方が、講師で、時給制なのを知ってたから、私が授業入らなくてもお金がもらえるのをうらやましがっていたのを知ってました。だから、どうでも良かったんです。ただ、北京に行くと、言動を変えたんです。「仕事ないから。」とね。そうじゃないと、北京長期滞在が難しいんです。「仕事がある」ということは、ある意味、「北京にいなくても良い。」なんです。でも、「仕事がない」となると、「仕事がないから青海省にいても仕方ない。北京に長期滞在したい。」なんです。実際に「仕事がある」と嘘をつく方が、利点ないんです。だから、「仕事ないんだ。」と言ってたんです。それに、青海省内の他の配属先の日本人にも、「仕事ないんだ。」と言ってました。他の人みたいにいろんな授業の話をできないからなんです。でも、あっさりと、「当たり前でしょう?3年生37人しかいないのに、仕事あるわけないでしょう?」と言われるのが落ちだったんです。まあ、いろいろ難しいですね。
今月は、体が少し痛いです。やっぱり、肉体労働は、体にこたえますね。歯医者さん、頑張って通ってます。奥歯だと、つい「新しい歯、入れなくていいかな?穴あいたままでもいいかな?」と思ってしまいますが、抜歯と抜糸が終わったら、また行くと言っていたし、またお手紙もらってきたので、昨日頑張っていってきました。面白いことに、「歯が欠けたまま放って置くこと約2カ月近く、一度も歯痛がない」ので、仰天しています。公害病を嫌でも疑っています(笑)。
<変な話と盗聴器から>
先週、歯医者さんで抜歯してきました。親知らずと欠けて半分になった歯の2本一緒に抜いたんだけど、感染病や痛み止めの薬と抜歯の手術代を合わせて、「8000円くらい」だったんです。1万円準備していって、お釣りが8000円くらいならいいんだけど、どうなってるのかな?今度は、「抜糸」なんだけど、いくらくらい準備していけばいいのかな?と思った今日この頃でした。
2月中、「盗聴器」、変な放送ばかりしています。私が仙台とか東京とか警察署内で仕事をしているらしく、放送されているのですが、私は、いつもの職場に行って仕事しています。あまり、映画『007』みたいな話は、現実では、一度も見たことがないです(笑)。
ただ、1つ言うと、変なことが一度だけありました。夕食を食べていた時でしたでしょうか?母が私の顔を覗き込んで、
「あんた、警察署で働いてもいいよね?警察署でもどこでも、働く場所があれば、それでいいよね?」
と聞いてきた日がありました。それで、
「うん。別にいいけど?何で?」
と答えたら、
「そうだよね。別に警察署で働いていてもいいよね。それならいいんだ。何も、警察の事務でも何でも、女の人の仕事はあるんでしょうから?」
と言うので、
「はあ?」
だったんです。
私は、その日の話、「転職」と言う意味とかで聞いたんです。今の会社に入って、しばらくしてから、でもまだ、コールセンター時代だったと思います。その時に、急に話をされたんです。ちょうどその頃、高校の先輩が窓口に配属になってきていて、その先輩も警察署で働いているとかいないとか、そんな話があった時代でした。両親と高校の先輩のお母さんは、里山登山の仲間で、いろいろと情報が入ってくるので、たまに、(え?何それ?)と言う変な話もありました。例えば、
「あんたの会社って、退職すると、非正規でも退職金がもらえると聞いたんだけど、本当?」
とかでした。私は慌てて、
「非正規には退職金はないよ。何言ってるの?お母さん、変だよ。誰がそんなこと言ったの?」
と怒った日もありました。
ちょうどそんな頃、あるいは、高校の先輩が会社を辞めた後くらいだったのかな?一年も働いていなかった先輩だったから、どれくらいの時期に話しをされたのか?分からないけど、私は、(何かあるのかな?会社が警察署の仕事なら紹介してくれるんだろうか?それとも、転職の時に、何か「ツテ」でも警察署にあるんだろうか?確かに、警察官にならなくても、事務なら、非正規でいいもんなあ。そんな仕事が私にあるのかな?それとも、別の誰かが警察署で働いていて、嫌がっている人でもいるんだろうか?私は、どっちでもいいけどな?ただ、せっかく今の会社で働いているのに、変なことを聞く母だな?)と思っただけでした。
とりあえず、私の脳味噌は、かなりぶち壊れている部分はありますが、仙台や東京、警察署で働いていると言われても、分かりません。いつも通り、会社に出勤して、いつもの部署で仕事をしているだけの日常です。たまにしか日記書かなくてすみません。東京で私を見かけても、たぶん、私は分からないんだと思います。「盗聴器」、変だよね???
<非日常>
最近、私の脳味噌、『冬のソナタ』のイ・ミニョンさん(ペ・ヨンジュン主演)が、別の名前の時代の記憶が脳にちらつくシーンとまるで同じだと思いました。たまに、割って入ってきたように、変な記憶がよみがえります。脳味噌の不思議ですね。
最近思ったんだけど、私の仕事は、団体で中国に行っていた時代と東京で仕事をしていた旅行添乗員時代は、たぶん、かなり特殊な仕事で、私にとっては、「非日常」でした。毎日のようにスケジュールがあるわけではないけど、目にうつるものが、新鮮だったり、スケジュール帳に、出張予定を書いたりして、「後少しで北京に行ける。」とか「後少しで京都旅行だ。」とか、どこか楽しみがありました。手帳や用紙を渡されても、「予定が入っている。」でした。それも遠方に行く予定でした。
でも、今の生活は、違います。いつもの日常があるだけです。職場では、毎日同じ仕事をしています。コールセンター時代に、お客さんから、「あんたは、毎日朝から晩まで、一日中、他人の名前だの、住所だの、電話番号だの、そんなことばっかり聞いてるのかい?」と言われたことがあります。実際にそうだったんです。毎日それしか知らない毎日でした。そういう毎日が連続になると、「非日常」が鮮明に顔を出してくるのかもしれません。逆に、「日常」に関しては、「さあ、いつもと同じように電話の前にいて、電話受けていたよ。」としか分かりません。日付を聞かれても、「毎日電話受けしてたけど?」なんです。それは、今の部署の仕事も同じです。出勤したら、目の前にある仕事を「単純作業」と言う言葉で片付けて終わりになります。無我夢中で「単純作業」をやって終わってきます。「今日何をしたの?」「ああ、いつもと同じように、これをこうしてこうしたよ。」です。特に「非日常」を感じることはありません。日付を聞かれても、「さあ?毎日同じだけど?今日は少し量が多くて超勤しただけ?」とか、そんな毎日です。
でも、「非日常」は、ちょっと違います。あちこち出張予定があればあるほど、スケジュール帳は、満杯になります。「空きがないね。」となります。「京都に行った日?それなら、何月何日何時頃ですね。」となります。記憶だけではなく、記録をとろうとするのも、「非日常」になります。「誰さんと会ったのは、ちょっと待ってね。ああ、手帳に書いてあった。何月何日何時頃だね。」となります。「毎日同じだから分からない。」と言う返事が消えてしまうのが「非日常」なんです。
いつものつまらない「日常」が続くと、裁判で必要な要素は消えていきます。「正確な日付なんて分からない。」になります。逆に、「非日常」は、鮮明化していきます。
「これは、いつの記憶なの?私、ベッドに寝ている。そばに、あれ?男性がいる。え?私のベッドに入ってくるの?うそ?私、いくらなんでも、もう大人。ちょっと、変なところ、触らないでよ。私、くすぐられるの、苦手なんだから、え?そんな馬鹿な?この男、変!」
これ、いつの記憶かな?今年に入ってまもなく、いきなり残った記憶に唖然。
その後の記憶は、(ふん。)としてベッドに寝ている私がいて、知らん顔してジャージに袖を通している男性がいる。そこに誰かが入ってきて、「え?」となった。私は相変わらず「ふん。」でした。
「非日常」も、韓国ドラマ『冬のソナタ』と同じでは、「何月何日何曜日何時頃」とか、分かりません。でも、これだけは分かるみたいです。
「エピソード記憶」
これが私が感じたつい最近の出来事でした。すごいですねえ・・・!!!
<謹賀新年>
新年おめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
今月は、年休消化になっていて、お休みが多いので、前もって言ってくれれば、旅行計画の1つも立てたのに、中国と同じ現象が起きて、突然、年休が多くなっていたので、旅行に行けませんでした。ただ、元日から激しい頭痛とひどい吐き気に襲われて、朝起きてきたけど、ふらふらで、ポカリスウェット久しぶりに飲みました。ただ、大晦日の夜の「そば」が美味しかったので、ちゃんと朝ご飯食べることができました。
お正月は、3日のみの出勤でした。早朝出勤でした。明日から連続で出勤が入っているので、その前にネットしています。
年末に欠けてしまった歯の話ですが、歯医者さんでレントゲンを撮っただけで帰されたのに、なんだかすさまじく歯をいじった後のように激しい頭痛に悩まされて、(やっぱり、歯、ボロボロに砕けるまで放っておこうかな?)とか思ってしまいました。ただ、予約してあるので、今週は歯医者さんに行きますけどね(笑)。体調が良ければね。
先月13日、金曜日。忘れもしないです。毎日新聞に団体の特集記事が掲載されました。今現在ブータンに派遣されている男性でした。私、活動報告よりも、経歴に目が入ってしまって、それっきりダメです。私、会社内で、「中卒」と言う噂があったんですけど、「新聞のせい?」と言う状態です。私のいとこも団体出身ですが、新聞掲載は「高卒」でした。ただ、私が聞いている話とは違います。学歴違うんです。だから、知っている人が見ると、(嘘?誰さんは、高卒じゃないよ。)となります。私の場合は、新聞掲載が「名前だけ」でした。そうすると「中卒」になります。今ブータンに派遣されている男性は、高校名から大学院まで全部記載されていました。こうなるとブータン派遣の男性だけが「大学院卒」になります。新聞の影響って、大きいですよね?それは、テレビよりは影響少ないかもしれませんけどね???
私、人生を考えた時に、就職活動は、不思議と、「新卒なら高学歴有利」ですが、「非正規就職は低学歴有利」と言うのが、私の県なんです。ある意味、正社員になれなかったら、徹底的に学歴は低い方が有利なんです。そうなると、就職活動には、むしろ、「中卒と思われていた方が有利なのが就職」と言う感じがします。「高卒も有利では?」と言う声が聞こえてきますが、「高卒だと、学校名によって、低くてもダメなら、高くてもダメ。」なんです。だから、高校名を伏せてくれたのは、むしろ、新聞に感謝でした。
でも、結婚とか子供になると、どうかな?と思います。結婚する時に、「学歴?あるよ。」と言っていろいろしゃべっても、新聞を持ちだされて、「あんたは、名前だけだよ。中卒じゃないの?あんたのいとこは高卒、こっちのほら、今ブータンにいる人は大学院卒だよ。」と言われたら、終わりです。子供も同じです。「あんたみたいな馬鹿の子供はいらない。」と言うのもあります。
「せめて高卒になりたい。」
ちょっとばかりひどい新年の幕開けになりました。正直言うと、会社内も同じなんです。私の会社、シュレッダーがすごく多いですが、「シュレッダーでもなんでも仕事だからやれ。」と言うのは分かりますが、「結婚するなら、シュレッダーなんてやらない女性が良い。なるべく、綺麗な制服とか着て、パソコンとかやって、綺麗な仕事をして、恰好良くしている女性が良い。」と言う男性が多いと思います。だから、難しいです。もう結婚を考えなくて良い年齢とか既婚者なら、シュレッダーも良いけど、結婚を考える年齢なら、あまりシュレッダーって、やらせたくないです。「売れない女性になるから。」です。私は、正社員ではないので、ちょっと考え方、違います。申し訳ございません。
こんな私ですが、今年もどうぞよろしくお願い致します。
<生>
今年の漢字一文字、「生」です。
私、中国から帰国してから、不思議と、「帰国後は余生」と言われた通り、「人生残りわずか」と思って、必死になって、文章を書きまくってきました。ほとんどブログとかこの日記帳でした。でも、不思議と、ある時を境に、「生きられる」と思うようになって、ちょうどその境目を超えてきた年が今年一年だった気がします。だから、この漢字「生」を選びました。
私、自分の身に起こること、あまり不思議に思わなくなりました。「公害病ではないか?」と疑った2011年2月から、自分の体が人とは違うことに気づいていました。だからでしょうね。でも、これは、「公害病とは関係ない」と思います。私のまぶたは、子供の頃からずっと見てきましたが、「一重まぶた」でした。でも、今月下旬、鏡で自分の顔を見たら、(この人、誰?)でした。私のまぶた、両目のまぶたとも、「二重まぶた」になっていたんです。すごくびっくりしました。目の中にも一段できていて、目の上のまぶたにも二段できていて、三重まぶたみたいに見えるんです。私、子供の頃、「二重まぶただと美人だよ。」と言われて、「こうやると二重まぶたになるよ。」と言われて、試したことがあったけど、二重にはなりませんでした。そしたら、「大人になったら、急に二重まぶたになることもあるよ。」と言われて、(ふうん。そうなんだ。)と思ったけど、実際に「二重まぶた」になった自分を見て、(整形もしていないのに、気持ち悪い。)でした。整形手術でもしているなら、「プチ整形」だと思いますが、私、整形手術はしていないんです。顔って、変わるんですか?今年最後の疑問でした(笑)。
年末に歯が欠けてしまって、今度は金歯が取れたとか言うのではなくて、虫歯なので、また歯医者に通うことになりました。でも、レントゲンを撮っただけで終わったので、歯は穴があいたままお正月を迎えます。「お餅は、歯がないからいらない。」と言いました。歯が欠けているので、お餅、食べたくないです。大好きなお餅だけどね。
先週、新しいシフトをもらって、絶句しました。(年休消化してなかったから?)と思いました。来月は、年休ばかりやたらとあるので、びっくりしました。ただ、母にシフトの話をしたら、「年休だもの、お給料もらえるもの、いいでしょうよ。」と言われました。その通りですが、「年休を貯めて、海外旅行に行く。」と言うのには、前もって言ってもらいたかったです。旅行計画、立ててないです(泣)。
今年も終わりですね。今月は見事に一日しか書いてなかった日記帳で、今日で二日目ですが、今年も一年ありがとうございました。
楽して綺麗になれるなら、楽して痩せることができるなら、楽して給料もらえるなら、もう何も言うことありません。ただ、病気も入っているみたいなので、健康的ではないのかな?と思ったりしています。
こんな私ですが、来年もまたどうぞよろしくお願い致します。
<今年一年の会社の様子から>
今年に入ってから、会社の様子がおかしくて、いろいろ書いていたんですけど、11月に気が付いたら、同じ小学校出身者とか、その小学校に関係ある人達に囲まれて仕事をしていることが分かって、(え?)と思いました。
私、今は亡き祖母から、生前、こんな話を聞いていたんです。
「ちょうど40代に入る前後くらいからかな?不思議と同じ職場に、同じ学校だった、昔一緒だった人がたくさん入ってきて、気が付くと、一緒に働いているんだよね。そうすると、今まで何事もなく、「俺はどこどこ学校中退。」と言っていた人の中から、だんだん不満が出てきて、「俺、あの学校せっかく行ったのに、卒業しておけばよかった。」とか、愚痴るようになって、仕事しなくなって、気が付くと、会社辞めたんだか?いなくなってるんだよね。その後、不思議と、前一緒だった友達が自分のまわりから消えて、新しい人達の中に入るんだ。人脈切り替えみたいなのが同時に起きて、新しい人脈に入る直前にやるのが、この変なやり方なんだ。それに、どこからともなく、会社が昔の知り合いを集めてくるんだよね。あれ、どうやって昔の知り合い集めるのか?不思議なんだ。」
と悩みながら話していたんです。
今思うと、ちょうど、自分の息子や娘が、会社で40代に入って、人脈切り替えみたいなものが行われていても不思議ではない時期に、私に、それとなく話してくれたんだと思います。
ただ、私の方は、「昔一緒だった知り合い」と言っても、一発で気づかないようになっているんです。(気が付いたら、11月。あの人が来たのは、今年4月。)とかなんです。それに、もっとびっくりしたのは、入社の時からいる人だけど、苗字が違うんです。(男性は、滅多に苗字を変えない。)と言う思い込みが女性にはあります。でも、それを覆すかのように、苗字を簡単に変えてしまうと、「初対面の人」と認識してしまうんです。「こんな苗字の人、知らない。初めて。」なんです。でも、姿は?違うんです。姿は、ずっと一緒にいると、分かってくるんです。(子供の頃は、私の方が小さかった。だから分からなかった。今は背丈、私の方が少し低いかな?でも、苗字、この苗字ではない気がする。こんな珍しい苗字なら、もっと前から噂で聞いたことあるよなあ。)なんです。いろんな意味で、難しいです。知っていても、苗字が変わっただけで、「知らない人」と認識するので、よく見ようと思いません。でも、声とか背格好とか、特徴的なものは、昔と変わらなかったり、不思議と「子供の頃の顔の面影がある。」なんです。
私の会社に、「名前は聞いたことあるけど、姿が違う。」と言う人がいます。名前も、最後の一字が違うんです。姿が違うのは、「もし誰さんだったら、ものすごく体が大きくて太っているはず。今痩せているとしても、そんなに細くなってるかな?」とかなんです。第一、名前の漢字が一字でも違っていたら、少し顔が似ていても、「別人」と認識します。体型はまるで違うから、余計なんです。
ただ、私の祖母が言っていたことが本当だとしたら、変なのは、「義務教育」です。「義務教育」では、相手が怖がって会社から逃げていくことはしないです。それに、不思議と、一発で分かる同級生はいないです。年上、年下、同学年、そして、不思議と「あの人って、小学校はいたけど、中学校、こっちだったの?親の転勤でこっちにいないよね?」とかなんです。「小学校は隣の小学校だけど、高校時代、こっちにいないよね?だって、電車で一緒に通ってなかったもん。」なんです。不思議と、「見たことあるけど、よくは分からない人。」と言うのが選ばれて、私の会社に次々に入ってきているみたいなんです。
私、団体時代の最後に、東京で別れたんですけど、その時、「自分、一度別れたら、もう二度と会うことない人生なんだ。」と言っていた同期の男性がいたんです。「高校も会ったことないし、大学もない。だから、きっと団体もないよ。これで最後だから、みんなと最後まで一緒にいるよ。」と言ってたんです。それで、「私も同じやな。」と応答した同期の女性がいて、私も「あ、それ、私も同じだよ。一度別れると、不思議と再会しないんだよね。一度も会ったことない。」と言ったんです。でも、私、団体の人とはほとんど再会ないです。再会しても、別の人に変装していて、つまらなかったり、いろんな意味で、あまり関係ない人なんです。でも、小学校時代の人は、不思議と、本名とか姿も自分なんです。でも、少し違うのは、苗字が違う気がしたり、本名は記憶あるけど、姿が違ったり、なんか変なんです。それで気づくのが遅れています。まだまだそう言う人、私が知らないだけで、いるんですかね???師走に入りました。
<去年の今頃から?!>
11月も下旬に入り、だいぶ寒くなりました。会社内で起きていることが分からなくて、いろいろと日記にも書いていましたが、ただ、手紙は、難しい部分がありますね。近すぎると書けなかったり、遠すぎて書けなかったり、逆に、受取人の学歴と内容が合わな過ぎて書くのが気の毒だったり、昔書いたことがあるから楽に書けたり、一度も話したことないから書くのが難しかったり、いろいろです。
大阪にいた時に、頻繁に天王寺の「ラ・パウザ」と言うイタリア料理店に友達と一緒に行ってました。不思議と外国人が多く出入りする店で、従業員にも外国人がいました。私、田舎育ちで、外国人を見つけると、「ガイジン、ガイジン」と言って、ジロジロ見る性格があって、ちょっと失礼な人になってるんですけど、その店でも似たようなことがあったんです。
友達と一緒に、その店に行くようになったのは、大阪に出て2年半後からでした。映画に行くようになって、最初は、天王寺のいろんな店で食事をしていました。でも、「高い」とか「遠い」とか「メニューがめんどくさい。」となったんです。「パフェも食べたいのに、この食堂にはパフェがない。」とか、いろいろ出てきたんです。それで、「お昼は、マクドナルドで、夜は、ラ・パウザでいいよね。」となって、途中から、ある程度定着してしまったんです。金額も慣れていてお手頃だし、メニューも考えなくて良くて、「たまに違うの食べようか?」とか「この前来た時は、キャラメルパフェだったから、今度は、ストロベリーパフェにする。」とか、最初から決めていたりしました。
そこの従業員だった人のうち、2人の顔が目の前にあらわれたと知ったのは、会社の成り上がり課長の変装でした。(昨日までは、黒人の血が入ってない変装だったのに、この顔、急に黒人の血が入ってるよな?唇も下唇が大きすぎる。ただ、この人、大阪天王寺駅前のラ・パウザの店員だよ。ただ、もっと背が小さい人だけど?)が始まりでした。この変装をしてきた初日に分かったんです。
同時に、(そう言えば、もう1人、だいぶ前から、大阪天王寺駅前のラ・パウザの従業員そっくりの人いるなあ?)と思ったんです。ただ、今考えると、最初は、「別人」だと思います。最初の頃は、背も高いけど、完全に、「黒人」だったんです。「黒人の混血で、珍しいな。」と言うのが最初の印象でした。だから、大阪天王寺駅前のラ・パウザの人とは、違う人だったんです。でも、去年の今頃から、急に、私が仕事をしていると、すれ違いざまに、私を下から見上げるようになったんです。(誰?)と思いました。その頃は、黒人ではなかったんです。(白人?いや、白人にしては、顔が違うけど、黒人なら、もっと色が黒いよな?)だったんです。そのうち、遊び心で、(この人、インディアンにしたら、似合うなあ。)と思ったんです。インディアンの白とか赤の羽根付き帽子みたいな被り物をしたら、かなりしっくりいくと思ったんです。インディアンの血を引いているのかな?と、瞬間に思ったんです。ただ、(見たことある。)とは思わなかったんです。
でも、人間って、1人より2人、なんです。ペアであらわれたら、(え?)となったんです。(この人とあの人、どちらも大阪天王寺駅前のラ・パウザの店員だった人にそっくりだよな?)だったんです。中身は違うのは、ある程度知ってました。1人は、成り上がり課長の変装で、背が高すぎてダメだし、もう1人は、インディアンに似ている方が、大阪天王寺の人だったのに、完全に黒人としか思えない変装の人が最初に来ていたし、今は、困ったことに、毎日、「背丈が違うんだけど?」なんです。私と友達は、背丈が違うんです。インディアンに似た人は、私よりは背が低いけど、友達よりは背が高いのを思い出したんです。そうなると、私の顔を見るには、彼は、私を見上げる形じゃないと、見えないんです。それに、あまりしゃべらない人だったから、声を知らないんです。今は、背が高くてやたらと声が大きくて明るい人は、大阪の人ではなくて、背が低くて暗くて、声を出さない人が大阪の人と言う気がしました。
会社内で変装する理由は分からないんですけど、ちょっとびっくりしているんです。
ただ、1つ思ったんです。この「盗聴器」を聞いていると、私の手紙を読んで、大喜びしてはしゃいだり、盛り上がったりする人と、冷める人にわかれているんです。結婚相手を選ぶ時に、「誰さんがいいんじゃない?」と言って、その人を好きになると盛り上がるけど、自分が知らない人を相手が好きになっても、「ふうん。結婚したんだ。」と言う程度で、結婚相手には興味もないのと同じなんです。その違いで、手紙が通過したり、通過しなかったりするのかな?と思ったりもしたんです。結局、その集団にいた時に、私がその集団内のどの地位にいたのか?が原因だと思います。馬鹿にされていた私が、好きになる人はレベルが高いとつまらないですよね?逆に、馬鹿にされていた人の方が馬鹿にしていた人よりもレベルが高いと分かると、手紙もいらなくなります。逆に、その通りだと、大喜びします。年上だと思っていたら、やっぱり年上かもしれない?と思ったら、嬉しくなります。年下だと思っていたら、年上だと知ってショックを受けることもあります。文章が大人びていると、「年上じゃない?」と思うけど、両親がそれを見て、「あんたより頭が良いだけじゃない?」と言うと、つまらなくなります。これって、びっくりなんですけど、当たらずとも遠からずだと思います。馬鹿だと思っていた人がそのまま馬鹿なら大喜びするけど、違ったら、嫌になります。頭が良いと思っていた人が、年上なだけだったら、大喜びします。自分と付き合っていた時に、どんな集団を形成していたのか?によって、手紙が嬉しかったり、嬉しくなかったり、周囲が通したかったり、邪魔したかったりするのかもしれません。裁判をやっている人達のようです。私には本当のところは分かりませんけどね(笑)。
<変装の中身は?>
11月ですね。ウォークラリーを楽しみにしていたんだけど、なんだか分からないうちに終わってしまったみたいです。回覧板、父任せだったからな?でも、不思議と人数が少ないみたいで、抽選会も「80番」くらいしか聞こえてこなかったので、(人数少なかったのかな?)と思いました。前日の夕方には、テントが立つのに、それもなかったしね。ただ、朝、「公園で体操しているよ。」と父が話していて、その後、マイクを通して男性が話しているのが聞こえたけど、スタートのピストル音は聞こえてこなかったんだよね。雨降ってなかったから、消防団の消火活動の様子もやると思っていたら、それもなかったし、抽選会もさびしそうだった。だから、なんか、今年は「ウォークラリーの宣伝が悪かったのかな?」と思いました。ただ、毎年ウォークラリーの景品が良いから、すごく稼ぎ時なので、ちょっと残念でした。
昨日は、朝から、「この変装している人、誰さんだよね?」と笑ってしまいました。どう見ても、成り上がり課長みたいだったんです。
私、この「盗聴器」で、「変装している人が分かる」みたいな放送されているみたいだけど、正直、分からないです。変装された人は、会社の従業員だったり、友達だったり、小学校時代の先生だったり、知り合いだったり、いろいろいるみたいですけど、変装している人、つまり、お面をかぶったり、かつらをかぶっている人は、分からないです。
でも、たまに分かる時があるんですよね。でも、考えたら、(普通じゃない人達が分かるだけなんだよな。)なんです。例えば、東京で働いていた時、同じ寮にいた男性が変装しているのを見て、(あれ?誰さんかな?元ガーナ派遣で、東京の寮にいた誰さん。)とか思うのは、考えたら、「一緒に住んだことがある」とか「彼が無意識にやっていたらしいダンスが特徴的」とか、あるいは、「私を見る目が変装された人と違う」だったんです。
私の会社の従業員って、結構、「私を嫌っている」あるいは「特に私に興味がない」んです。それなのに、他の人が変装すると、やたらと意識しているのが分かって、(あれ?)と思うんです。その人本人だったら、私のことなんて知らん顔するのに、違う人が変装してその人に成りすましているために、すごく私を意識して眺めているんです。そのために、(あの人、おかしい?今日の誰さん、別人みたい?)からスタートして、(ゲッ、あの時のあの人だ。)なんです。
それに、白人の男性で、子供の頃から父の親戚に会いに行くと言われた時だけ会っていた男性は、一緒に住んだことはないけど、「変装した姿を知っている」んです。白人だから、他の人と違って、ちょっと特徴あるのは事実なんですけど、それだけじゃなくて、「六本木ヒルズで会った時と同じ変装をしている。」とか、他の場所で会った時に見た姿と同じ変装しているんです。それに、やたらと私にそっくりに変装していたり、従業員に似た人がいると、少し化粧する程度でその人になってしまったりするだけなんです。だから、(あれ?どっちかな?)なんです。
すれ違っただけでは、変装した中身までは分からないんですけど、「声で分かる」人もいるんです。「あれ?大阪時代に所属していた合唱団の部長?」とか、不思議と分かったりします。成り上がり課長は、逆で、「声がいまいちわからない」んです。身体的特徴とか、昔一緒にいた時に見せた癖とか歩き方とか照れ屋さんとか、不思議とたまに一緒にいた時に見せた特徴的なものが一致して、(あれ?お面の下、成り上がり課長?)と思ったりするだけです。
ただ、これもびっくりなんですけど、たまに、「あれって、昔の局長?」と思うことがあるんです。理由は、その局長が私の前にあらわれた時の様子なんです。ハガキを送ると、熱心に直筆で丁寧に文章を書いてくれるんだけど、一緒に働いていた時は、すごく冷たい感じの人で、ほとんど一緒にいたことがないんです。そのために、ほんの一瞬一緒にいた時に見せた姿を彷彿とさせて、「あれ?元局長の誰さん?」になるんです。「立ち方が恰好良すぎ」だったのが最初の印象だったりするんです。特徴的な立ち方する男性だったんですよね。恰好良いんです。その姿になると、(あれ?)なんです。それに、たまに声を出すと、(あれ?)だったりするんです。あまり知らない相手のために、一緒に働いていた時に数回見た程度の部分が変装後に浮き彫りになると、(顔は別の従業員だけど、中身は元局長の誰さんだ。)になります。
だから、必ずしも一緒にいたかどうか?あまり関係ないと思います。ひどいのは、「あれ?あの人、窓口にいた電話の人?」でした。私、姿を知らないんです。名前はフルネームで知っています。電話の内線で声しか分からないんですけど、ちょっと接して、声をかけられた瞬間に、「あれ?窓口の元電話やってた人?内線の人だよな?」でした。だから、いつも一緒にいる人が必ずしも分かるか?と言うと、違うんです。むしろ、いつも一緒にいる人は、近すぎて見えないように自分が工夫したりしています。知りすぎると一緒に仕事できないので、無視です。逆に遠くにいると、黙って見ていて、覚えたりします。無視されるから追いかける人もいます。ただ、誰にでもそうするわけではないので、「変装した人が分かるのは、こうだから。」とは言えないんですよね。難しいです。
<ストレス解消に!>
昨日は、会社の帰りに、選挙に行ってきました。衆院選、一番大きな選挙でしたね。テレビで、地元は立候補者が「高校の同級生」みたいな報道で、びっくりしました。私は大学の同窓生がいたので、選挙に行ってきました。夜の放送では、(え?勝つの?まさか?)でしたが、今朝の新聞で、(ああ、僅差で負けたんだ。良かった。健闘したなあ。)でした。でも、就職のこと考えると、これから就職活動?と思ったりもしましたが、ああいう人達って、結構就職あったりするんだよね。
中国から帰国してしばらくして、高校の同級生が選挙に立候補したことがありました。私と同じで、東日本大震災の時に海外だったみたいで、(まあ、高校の同級生だから、応援しておくか?)と思って選挙に行きました。ただ、大差で落ちましたけどね(笑)。今何をしているのかな?もう選挙には出てこないです。正直、高校時代はまるで知らない人でした。同じクラスにでもならない限り、高校の同級生って、分からない人が多いんですよね。何かきっかけがあればしゃべるんだろうけど、そういうチャンスもないまま来ると、知らないまま、同窓会名簿があるから知っている。みたいな感じになるんだと思います。
この「盗聴器」聞いていると、(馬鹿みたい。人任せなんじゃない?)と思います。私、以前は、そんなに友達いない人ではないんです。不思議と、仲間になっても、すぐに別れがくるので、連絡を取り合っていないというだけで、友達がいないというわけではないんです。それに、別れが早ければ早いほど、友達同士の付き合いは、どうでも良くなるんです。(どうせこれから一緒にいる人ではない。)と判断した方が、不思議といろんなことしゃべってくれるんです。(これからずっと付き合わないといけない。)と思うと、「黙る」んです。
それに、友達って、「ねえ、これ、どうなってるの?なんでみんなこうじゃないの?ああじゃないの?」って、結構しゃべりますよね?今の会社って、そういうのがないだけなんです。不思議と、「あれ、誰さんじゃない?」とか、教えてくれる人はいないです。不思議と、「ここに一緒に行こうよ。」と言う人もいないです。でも、昔一緒にいた人達って、学歴に関係なく、「ねえ、誰ちゃん(私のこと)、あなたも一緒にここに行かない?」とか、「ねえ、みんなこうしてるんだけど、どうしてあなたはこうしないの?」と言う友達がいただけだと思います。それに、「大人数だったら、その中の数人は仲良しになるよ。」なんです。今の会社って、人数も限られているけど、私が入社してから、ほとんどメンバーの顔触れが変わってないんです。女の心理、知らないんですかね?その時に仲間になれなかったら、一生友達いないんです。その時に仲間になれたら、会社辞めないし、ずっと仲良しです。大集団の方が権力握っているなら、少人数の方は小さくなって生きていきます。だから、「馬鹿みたい」なんです。「これも知ってて欲しい。」とか「あっちの団体はこれが有利になったのに。」と言われても、あっちの団体にいた時は、私に近づいてきて、「一緒にこれしよう。」と言う人、1人はいたもん。なんです。今はいないもん。なんです。こういう違い、分からないんですかね?裁判になったから騒がれても、私は知らないんですけどね・・・。
この「盗聴器」で、私の父方の親戚に会う時に、1人の白人の男性とよく会っていて、「知り合い」みたいなのを利用して、「この人も知らないか?」と聞いてくるんですけど、どうも、苗字が英語風で、名前は日本名なんですけど、子供の頃は、父方の苗字で、全部日本名だったんだそうです。東京都出身らしく、「会ったことないか?」と探しているみたいだけど、残念ながら知りません。
ただ、似ている人ならいます。背が低くて、華奢な体つきで、髪の毛が黒くて、長く垂れさがっていて、肩より少し下くらいで切りそろえていると、なんだか女の子みたいに見えるんだけど、体つきは男の人なんです。遠くから見ると、(あれ?誰さん?)と白人の知り合いの男性にそっくりに見えたりするんですけど、実は、違います。白人の男性の方は、背が高くて、私に瓜二つくらい似ているんです。それに、少し太っているんです。私よりは痩せているけど、もう1人の体が華奢な男性よりは太っています。それに、並ぶと、私と背丈がほとんど同じくらいなんです。顔つきも違うんです。彼は、実は、子供の頃は、白人とは思えなかったんです。でも、成長するにつれて、(あれ?白人?)と分かるようになったんですけど、困ったことに、『千と千尋の神隠し』に出てくる「ハク」と言う男の子にそっくりなんです。ただ、大人になるにつれて、顔の輪郭が丸くなったために、どこか私にそっくりなんです。でも、化粧をしないとダメなんです。彼の方は顔が真っ白で白人と分かる顔なんです。すごく綺麗です。それに、目の色が違います。目の色が真っ黒なんです。私は、肌の色が黒いので、彼が私に変装するなら、少し肌色の濃い化粧をたくさんして、肌を黒くする必要があるんです。それに、目の色が、私は「金色」とか「茶色」みたいに見えるんです。たまに「鉛色」と言われることもあります。それに、年齢が違います。白人の男性は、私よりも二学年上のはずなんです。でも、体が小さい男性の方は、私よりもはるかに年下の男性だと思います。長丸っぽい顔をしていて、白人とは思えないんです。この「盗聴器」でも、「黄色人種」と放送しているみたいですが、何度見ても、(あの子なら、白人ではないな。)と思います。それに、小さい男性の方は、正直、「顔がすごく優しい顔している」んです。白人の男性の方は、素顔は優しいんですけど、仕事がきついのか?すさまじく「きつい顔」してます。それに、変装ばっかりやってて、化粧をして、髪の毛をぐちゃぐちゃにすると、私に瓜二つになるけど、困ったことに、体の関係で「男性」と分かってしまうんです。骨格が男性なんです。がっしりしているからです。その割には、女装が似合う人で、白人女性そっくりに化けると、私よりはるかに綺麗でびっくりします。白人の人は、とっつきにくいし、おっかない感じがします。ただ、不思議と雰囲気が似ているんです。正直に書くと、「子供の頃の白人の男の子に雰囲気が似ている」が正しいんです。私が「お兄ちゃん」と呼んで慕っていた頃の姿に、別の男性がそっくりなんです。ただ、顔とか体つきは、似てないんです。遠くから見ると、「なんか雰囲気似てるんだけど、違うかな?」くらいなんですよね。だから、難しいです。それに、白人の男性の方は父方の親戚の席に出てきますが、もう1人の男性は、一度も会ったことないまま大人になっていると思います。どちらも、本名とか苗字や名前は知らないけど、姿は知っています。不思議ですね。
<最近の出来事から>
先日、犬の皮膚がんが見つかって、手術しました。犬の手術は、大阪にいたりして、あまり家にいない日に行われたので、送り迎えもしたことなかったので、緊張しました。ちょうど会社の出勤が夕方だったので、朝預けて、夕方退勤した後、動物病院にお迎えに行って、母と合流して、連れて帰ってきました。1つだけ大きなできものができていたので、「癌かな?嫌だな?」とは言ってたんですけど、実際は、「2つあったよ。」と言われて、手術の傷痕が痛々しくて、かわいそうなので、ペット服を買いに行って、ピンク色のペット服を着せました。「男の子だから、水色がいい?」と聞いたけど、ピンク色を購入してきました。ピッタリサイズが合うので、水色も購入しようか?と思ってますが、今の所、ピンク色のお洋服を着ている我が家のワンちゃんでした。なんだか心臓止まりそうなくらいびっくりして、胸がつぶれそうでした。まだ通院あるし、抜糸も終わってないです。でも、お洋服姿、かわいいです(笑)。
今週、便器の交換をするそうで、家にまた工事が入るようです。でも、なんだか変なんですよね。「便器取り替えるのに、何で奥の部屋の壁を直すの?」とか、なんか変です。ただ、心配なのは、トイレの回数が多いことなんです。「1日で使えるようになるんだよね?」と母とも話していたのですが、トイレが近くて、すごく頻繁にトイレに行くようになってるので、トイレがない時間どうしようか?今から心配なのに、「夜もトイレないの?」となって、「夜トイレ行く人もいるのに、どうするの?」となってたのが今朝でした。地震で壁があちこちぶち抜かれていて、壁の修理もしたいみたいですが、今回は、トイレの便器の交換とトイレ内の壁紙の交換だけ聞いていたので、今朝はびっくりしました。でもま、新しいトイレになるみたいなので、喜んでいます。
私、この「盗聴器」、ちょっとだけびっくりしたんです。だいぶ前から、(何で弟が両親に大金払ってるの?)だったんですけど、ついこの前、犬の手術代の話になった時に、父が、
「誰々(弟の名前呼び捨て)が振り込んでくれたお金がおろせない。どうやっておろしたらいいのか?分からない。」
と言って、ATMに向かっていって、一応お金はおろせたみたいなんですけど、次のセリフは、
「誰々(弟の名前呼び捨て)から振り込まれているお金、なんだか気持ち悪いから、さっさと使ってしまいたい。」
と言い出して、(え?)となったんです。ただ、母が慌てて、「それは、保険金を解約したお金でしょう?」と言ってたんですけど、それでも、なんだか、「胸糞悪い」みたいな勢いだったんです。どうなってるんですかね?
それから、「盗聴器」の話、もう1つあるんですけど、私、大学院時代のゼミの先輩や後輩とは、手紙のやり取りしていないです。この「盗聴器」では、「手紙を出しているけど、届かない。返送手続きをしている。」と言ってますが、私はその現場にいたことないので、手紙が私に送付されているのかどうか?分からないです。
ただ、1つだけ言っておくと、この「盗聴器」が正しいなら、私、大学院時代の先輩や後輩とは、手紙のやり取り、できないです。ある意味、「一般会話ならできる」「諸侯の挨拶ならOK」状態ですが、例えば、専門知識や研究で手紙のやり取りをするなら、できないんです。「ヒューマンエラーで手紙のやり取りをしたい。」と言うなら、それは、「通過するのを待ってください。」なんです。私自身は、「そういう手紙のやり取りはしたくない。」なんです。「お互いの近況報告ならOK」です。
でも、正直言うと、私、今、会社内で一番下っ端なんです。部署も一番下で、高校のレベルで言うと、一番下の高校のランクの人達がやる仕事の部署なんです。正社員なら、1日中会社にいて、「そう言う仕事もやるけど、上の人がやる仕事もするよ。」だから、問題ないんですけど、そうではないです。「2時間なら2時間しか会社にいないし、一番下の部署なら一番下の部署の仕事しかしていない。」です。だから、私の方から大学院時代の先輩や後輩を求めることはないと思います。諸侯の挨拶状が来ているなら、待っているけど、私から手紙を出して、いきなり「自尊感情について語りましょう。」と言われても、「ごめんなさい。分からないです。」と言う状態です。「セルフハンディキャッピングについてはどうですか?」と言われたら、「私の高校では、十八番です。」となるだけで、つまらないんです。「自己開示について語りましょう。」と言われたら、「現在、自己呈示中で、会社の人達は、私については、何一つ分からない状態になっています。」と言うのが返事で、まるで研究の論にはなりません。「統計について語りましょう。」と言われたら、「大学院時代も今も統計は無知のままです。」と言う状態です。だから、あまり手紙のやり取りしたいと思ってないんです。
それに・・・もう1つ言うと・・・私もあの高校出てる人間なんですけど・・・「大学院時代抜きで私の話ができるというなら、やらせてみれば?」と言う変な気もあるんです。それでダメなら、慌てて手紙通過させるようになるんじゃないの?大学院抜きでできるなら、その方がいいでしょう?なんです。私、大学院の裁判、やってること、知らないです。私が、自分の友達の中で裁判やっているのを知ってしまったのは、「宮崎あおい」と言う芸名を持っている元同期なんです。頭に来るなんてもんじゃないです!!!大河ドラマ『篤姫』、大好きだったのに、主役を見ていると、なんだか頭に来ています。(どうりで最新作ないよな?どうせ裁判でしょう。)です。ただ、同期だったので、どうなのかな?私にも関係あるのかね???ないと思いたいけど、ちょっと心当たりがあるので、裁判やってるなら?と、手紙やメールの量は増やしてはいますが、同じ高校と大学院時代の先輩や後輩、ゼミが違う同級生とは、一切手紙もメールもやってないんです。ただ、「院卒とは手紙やメールやってますか?」と言われたら、「院卒の人と手紙もメールもやってるかもしれません。」と言う返事しかできないです。理由は、会社内に大学院卒がいると分かっているので、知らず知らずに転勤挨拶のお返事を書いたら、その人が大学院卒だったということはありうる話だし、大阪時代の大学のゼミの先生とは手紙でやり取りを続けています。それに、昨年10月に地元でセミナーを開いてくれた先生も大学院卒で、今でも手紙は書いています。本当は手紙書くの、やめようかな?と思ったんです。返事もないし、それっきりになる気もするからね。そしたら、(あれ?あの車の運転手、先生だよね?)となった8月のある日の翌日、(頭に来た。暑中見舞い、書こう。)だったんです(笑)。だから、一応、手紙の返事はほとんどなくても、全くなくても、手紙だけは書いています。それに「隠れ大学院卒」と言うのが会社にいるので、もしかしたら、大学院卒に手紙が渡っている可能性はあります。会社の人とはメールのやり取りがないです。電話と手紙だけです。
10月の犬の手術で、もう会社に入って、「9年」を感じます。犬は9歳半になりました。もうお年寄り、悲しいです。今の犬は、私の今現在の会社の合格お祝いだったりしたので、一緒にいる年数が、今の会社にいる私の年数と同じなんです。大笑いですよね。
<年齢の話>
この「盗聴器」で流れている「年齢の話」、面白いね。西暦と旧暦の年齢計算の話なのかな?と思って聞いています。西暦、太陽暦になる前は、旧暦で、太陰暦を使用していたと聞いているけど、年齢計算が違うというのは、知りませんでした。旧暦で計算すると、私の年齢は、「8歳」とか、変な話で、面白いです。しかも、私の人種が、もし「白人」なら、「36歳」だそうです。面白いですね。
私、年齢、あまり気にしたことないです。正直、子供の頃から、不思議と、「あまり長生きしない」と思って来たんです。特にひどくなったのは、中国から帰国してから数年後からでした。既に今の会社に入社していたんですけど、不思議と、「私はもうすぐ死ぬから、自分が中国で経験してきたことを、書き記さないといけない。」と言う強迫観念に縛られるようになりました。帰国してすぐは、特にそう言う状態ではなくて、就職がないから、何もすることないし、中国の経験を今時間があるうちにブログや日記に書いておこうと思っただけでした。でも、どんどん自分の人生の時間が短く感じるようになると、急に「急がないと」「急がないと」と思って、必死になって文章を綴っていました。特に、その頃は、もう「手紙」になっていて、不思議と「公害病」の話ばかり書くようになってました。
私、子供の頃、祖母から変な話を聞いたことがありました。「不思議と40代になると、人脈切り替えがある。それまでの人脈とお別れして、新しい人脈の中に入る。」と言われていたんです。どう言う意味か?分からなかったけど、どうせその頃は死んでしまうと思っていたから、どうでも良かったんです。大阪時代に本屋さんで立ち読みした占いも、びっくり仰天で、「3年後くらいに外国に行って、数年住んだ後、帰国する。帰国後は、ずっと同じ場所に住んで、(一生を)送る。」みたいな文章なんです。ただ、「一生を」と言うところを()にしたのは、「想像」なんです。ただ、この時の心理、違うんです。「私、帰国後は同じ場所にずっと住んで何をするの?いや、またどこかに行く気がするけど?」と言う変な予感だったんです。
それで、再び、「生きる」と感じたのは、ここ数年くらいの出来事なんです。2,3年前くらいから、「あれ?私、今度はすごく長生きする気がする。」でした。「公害病」とかどうでも良くなって、急に、「長生きするよなあ?死なないよね?」だったんです。それ以降は、あまり「死ぬ」と言う話はしないようにしていたんですけど、西暦の年齢計算が仕事をしている短い人生に対して、定年後の人生の方が長いというなら、合っている気がしています。不思議と、これからは、すごく長すぎる人生のスタートのような気がしています。
私、「年齢」に関しては、気にしたことないのには、理由があります。子供の頃、友達のお母さんが、結婚する際に、年齢を少し下に下げたんだそうです。そしたら、結婚後、旦那さんからすごく嫌がられたらしく、「お見合いする時に、少し年齢若くして言っただけなんだ。」と言う話だったんだそうです。結婚した後、年齢が違うと分かっても、嫌がられたんだそうです。そんな話は聞いたことがありますけど、私、実は、年齢、どうでも良いんです。
大阪時代は、私より年下の人に囲まれているのが分かったので、「私の方が年上」と言ってきました。ある意味、もし私が「白人」なら、「年上に見える」と言うのは、知ってました。不思議と人種の中で、白人と黄色人種なら、白人の方が年上に見えるんだそうです。それに、体のことが分かってから、「こんな体だったら、年上に見えるだろうな。」と分かりました。体が人よりも重いのかもしれない部分があると分かってきたからです。今は、脳味噌がおかしいみたいで、記憶が変な時がたくさんあります。
私、地元では、「地元の大学出身者」になっています。ただ、高等学校だけは、違います。教育実習の都合上、履歴書違うんです。大阪は、逆なんです。「大阪にある某大学出身で大学院進学者。」となっています。実際、最初の頃は、地元の大学の話をしたんですけど、みんな嫌がるのが分かったので、それっきり話をしなくなって、2年後に一緒になった人達には、年齢も含めて、全て隠したんです。でも、それから2年後にまた別の場所に所属した時は、一直線で履歴書通ったようにおしゃべりするように変わったので、全学歴知ってるはずです。ただ、そこを去ってからの経歴は知らないだけなんです。
私、『アニメ三銃士』のアラミスが好きなんだよね。トレビル隊長には、「女」とか「本名」とか話してあるけど、銃士隊の仲間とか、パリの人達には、「男」で「アラミス」で通っている。でも、故郷の、「ノワージ・ル・セック村」だったかな?では、「女」で「ルネ」と言う名前で通っている。
私、そう言うのが好きなんです。会社とか学校、企業団体には、普通に履歴書書いて、それで通過して、同僚とかそこに住んでいる人とか同級生には、でたらめの履歴書を言うんです。それでいて、不思議と、そこを離れる運命だから、そうするんです。この「盗聴器」で、ある正社員が、どうもそうらしくて、不思議と、配属先の支店にいるのは、たった2カ月くらいで、後は吹っ飛んであちこちで仕事をしている人がいるんだそうです。だから、どこに行っても、「どうせ自分はまたすぐここを出ていく。」と思う付き合い方をその支店でやるんだそうです。おしゃべりも、すぐにいなくなるのを前提にやるんだそうです。私、それでいいと思うんですよね。
もし、それが嫌なら、こうしてもらいたいんです。『花子とアン』で偶然見たんですけど、「ここを出て行ったら、何をするの?」「まだ決まってないんです。とりあえず、家に帰って、何か仕事を探してみようと思ってます。」と言ったら、「それじゃあ、ここで英語の先生をずっと続けてやっていきませんか?ただ、今まで先生だった私とは同僚になってしまうけど、それでいいなら?だけど?無理に?とは言いませんけど?」とね。昔は、その人を引き留めるために、一生懸命仕事を提供したと言う話、ドラマとか小説で知っているけど、私は違う人生だったんです。どこに行っても、「2年契約終わりだから、帰る。」「じゃあ、さよなら。」「1カ月半の東京生活終わり。もう帰る。」「そうなんだ。それじゃあ、また。」でした。誰一人、「ここに残って働いたらどうか?」と言う人、いなかったんです。だから、全部出会った人に出たらめの経歴を言うの、大好きです。それのどこが悪いんですか???実は、逆が、ずっと一緒にいる人なんです。何もしゃべらないか(地元、または、今の会社)?本当のことだけをしゃべるか(大学院時代)?一時期の真実だけを話すか(地元の大学の話を知らない大阪の人達)?のどれか?になります。今の所ね。この先の人生では、まだ分かりませんけどね。
ただ、年齢詐称は、興味ないです。私、自分が年下の方がいじめられるせいか?年上で、上にしてもらえている方が幸せなんです。ごめんなさいね。
<同じ人と一緒でもいい条件?!>
今朝は急に寒くなって、ベストを着ていきました。暑かったり寒かったりで、嫌ですね。最近「盗聴器」を聞いていて、思ったんですけど、「8時間+超勤」、私、やっていていいなら、お金のために、やっていたかったというのが、本音です。ただ、1つだけ、「合っている」んです。ずっとそれで働いてきて、問題がないためには、「好きな人同士」じゃないとダメなんです。好きな人同士だと、集団行動するようになるので、朝から一日中お弁当時間も含めて全部同じメンバーで過ごしても、実は、あまり問題ないんです。お弁当なんて、交代交代ですし、おしゃべりも話題が似ているので、飽きないんです。同じ話題でいつまでもしゃべっています。私は女なので、平気なんです。
先日、同じ県内で、「結核」の集団感染があり、仰天しました。私、地元の大学の1年生になったばかりの時、いきなり、学校から、「結核患者が皆さんと同じ学科の同級生から出たので、レントゲン写真を撮影してください。レントゲンだけでいいです。」と言われて、「結核」のために、レントゲン写真を撮影したことがあったんです。同級生の中には、「運が悪い。元々こんなレベル低い大学に入りたくなかったのに、結核?」と言う人もいれば、「レントゲン写真撮影してくれるなら、いいね。」と言う人もいましたけど、「結核患者の人って、誰かな?病院に入院しているのかな?それとも、学校通ってきているのかな?迷惑だよね。学校来てたら。」とか、いろんな不安が飛び交って、噂になりました。私の家では、「最近新薬が開発されて、すごく良い薬が出たから、結核は将来なくなる。」と言って大喜びしていたんです。それなのに、「結核菌が新薬に打ち勝って、さらに強くなって、また姿を現してきた。」とか言われて、(え?)となりました。「結核菌も薬に負けて死滅するわけにはいかないんでしょう。新しい薬が出たら、それに対応して、強くなるのが結核菌みたいです。」とか、いろいろ言われて、(そんな馬鹿な?)でした。
ちょうどその頃、私、大学に入学して、まだ半年も経たない頃で、付き合っていた友達も、それから4年間で入れ替わりました。ただ、不思議と、この大学では、「友達定着型」だったんです。つまり、「4年間同じ友達しかいない。」なんです。「10人少々の友達と4年間一緒」なんです。その友達のグループの中で、「今日は誰さんがこの授業に出席しているから、一緒。でも誰さんはこの授業履修していないから、今日は会えない。」となっていただけなんです。しかも、大学キャンパスは結構広々としていて心地よいけど、周囲にお店や遊ぶところが全くないんです。そのために、「今日は1限から5限まで授業があって、中1限くらいあいているんだけど、どこにも遊びに行かないで、学校にいる。」とか「私は2限くらいあいてるけど、遊びに行く場所ないよね。あなたの授業一緒に受けようかな?でも馬鹿みたいだから、行かない。」とか、そう言う状態だったんです。それに、「空き時間は空き教室でトランプゲームやおしゃべりを楽しむ。」と言うのが基本で、キャンパスから出ることはほとんどない生活だったんです。他にも大勢同級生や先輩や後輩がいても、ほとんどしゃべったこともないです。同じ友達だけと見事に4年間一緒に付き合ってきたのが私です。お弁当も一緒だし、学食も一緒だし、授業も一緒で、空き時間も一緒で、問題なく4年間同じ人だけです。それで問題を感じたことは一度もないです(笑)。
でも、職場って、そう言う風にならないんです。入ってみると分かるんだけど、既に、最初にいた人達が大勢集団になっていて、その集団に入らないといじめられたり、無視をされたり、1人だけ仕事をさせられたりするんです。それで、「どうやったら私も仲間に入れてくるの?」と言って泣きながら寄っていけば、「こうするなら仲間に入れてあげてもいいよ。」と言うことでもあるのか?不思議と、その仲間に入れる人と、入れない人が出てくるんです。私は、不思議と、同僚達の仲間に入れなかったんです。そのために、孤立型になったんです。
孤立型になった後、「私、お弁当の時間、窮屈。同じ人とばかりずっと一緒に会社の中にいるなんてできない。ニュースも分からないし、何一つ勉強にもならないし、新しい知識も入らないし、新しい人との付き合いもないし、つまらない。」となって、お弁当の時間、外に飛び出して行ったんです。「会社に一日中いると息がつまる。」と言ってね。しかも、家に帰ってきて、「新聞読んだことない。」と言ったこともあります。
この「盗聴器」では、男性の話だったし、私が知っている東京の職場の話だったんですけど、正直、男性の方は、分かりません。その男性は、会社の中に「8時間+超勤」でいると、社交性も薄れるし、同じ顔しかいないところで一日中いるのは息が詰まるし、会話がつまらないし、出張したいし、お弁当の時間は外に必ず出たいというだけなんだそうです。それに、やっぱり、「勉強にならない。」なんだそうです。男性の場合は、女性と違って、友達との付き合い方が違うからなんです。でも、私は、女友達の中にずっと一緒にいられるだけ仲良しで、おしゃべりの話題も似通っていたら、それで十分満足なんです。大阪時代の2年間にも、そう言う時代があるんです。2人とか3人とか4人くらいでべったんこで、いつも一緒で旅行も一緒で、すごく仲良くて、その中の2人は、毎月一回必ず映画館に行って、「一日映画3本立て」と言って楽しんでいました。ある意味、「同僚と仲良しだったら、8時間+超勤の方が私は嬉しいけどな?」でした。ただ、女の人達って、問題があって、「その集団に入れないと、仲間外れになるから、職場にいることができない人がいる。」だけだと思います。それに、「一匹狼が好き」と言う女性もいるしね。それに、「こういうことやったら、仲間に入れてあげるよ。」みたいな、宗教的ゲームも、嫌いな人大勢います。だから、「そんなことやらないと仲間に入れないなら、仲間外れでいいよ。」だったりします。ただ、そうなると、「5時間にしてもいいかな?」と言われると「はい。」だし、「2時間でもいいかな?」となると、「はい。」なんです。
理由ですか?「友達がいないから、職場にいてもつまらない。」と言うだけです。ダメですかね???
<人違い?からスタート>
10月ですね。涼しくなっても、パソコン、やらないですね。ごめんなさい(笑)。
私、高校生だったのかな?友達と一緒にどこかのお店の入り口にいた時に、3人の男の子が入ってきて、すれ違ったんだけど、その時、友達が、
「あれ、誰ちゃん、どうしたの?」
と真ん中を歩いていた男の子に声をかけたんです。その時の名前が、今の会社の成り上がり課長と同じだったんです。それで、もしかしたら?と、ずっと頭にあったんです。まだ小さい時に、私の母校となった小学校の校庭で姿を見かけた記憶は、今年の5月に思い出していたんだけど、同時に、(誰さんの友達か知り合いなのかな?)と思ってたんです。それで、その友達を中心に、(誰か知っている人いないかな?)と思って、小学校の同級生とかにも書いてみたんです。結局、同じ小学校だった記憶はないからだったんです。でも、連絡を取り合っている友達は、ごくわずかだし、地元に残っている人も少ないから、情報ゼロのまま、ずっと半年間過ごしてきたけど、9月に入る直前くらいから、(大学院だ。大阪だ。それなら、ダメだ。)になって、それから手紙もメールもあまりその話題に触れなくなって行ったんです。結局、非正規みたいな形で入社して、1カ月足らずで課長職になったのが解せなかったんです。そんなことやっていいの?だったんです。どこの田舎の馬鹿がそんなことやってるの?でした。でも、大学院卒なら、話は違うかもしれないんですよね。ある意味、「裏がある」と思うから、怖いんです。
「あれ、誰ちゃん、どうしたの?」
と声をかけていた友達には、最後まで話をするために、メール連絡をし続けていました。でも、考えてみたら、思い出せば思い出すほど、(大学院を書かないと、連絡取り合っても仕方ない。)と思いました。結局、一方的に連絡をするだけで、メールが届かないんです。ラリーできないから、その友達かどうか?教えてもらうことができないので、進めるしかありませんでした。たぶん、誰さんが知っている人ではないと思いますけど、それも分からないんです。
私の小学校に来た人達は、幼稚園が大きく分けて2つあったんです。同じ地域から同じ幼稚園に行っている人ばかりではないので、他の幼稚園に行った人を知っているのは、同じ幼稚園の人だけだし、住んでいる場所が違うと、子供の頃の友達って、分からないんです。だから、私が知らないだけで、友達の家の近くに住んでいた可能性もあるし、そこから別の幼稚園に通っていた可能性もあって、同じ小学校に入学しようと思って何度か来ていたけど、入学を辞退した人かもしれないんです。あるいは、別の地域からその日だけ親戚宅に遊びに来ていた人とも考えられました。
ただ、お手紙とかメールって、難しい側面があるんです。私、高校の同級生、1人も連絡を取り合っていないんです。「競争心」があるから、卒業する時に連絡を取らないまま卒業した友達とは、それっきりなんです。それに、今更、連絡を取り合って、どうするのかな?とも思います。それに、もう1つ言うと、この日記もそうだけど、「大学院」と聞いて、読むのを辞めた人、いると思います。逆に、「大学院なら読んでみたい。」と言う人もいると思います。それに、「勝った。」「負けた。」と言うのもあるので、手を広げたくないんです。
私、大学を2つ梯子してるんですけど、最初の大学は、レベルが低いんです。知名度もありません。偏差値が低くても、誰もが嫌がっていたけど、そこしか合格しなくて、仕方なく通っていました。そう言う人が、別の大学に行って、少し偏差値が高くなると、高卒にも恨まれるけど、同じ大学出身者なら、もっと恨まれる可能性があります。同窓生になっているけど、心理が違うんです。通っている時は、平気で言えるんです。「中退するかもしれない。新しい大学に行ってるけど、つまらない。」だったからなんです。だから、知っている人はいるんです。でも、今になったら、「こういう人生を送ってきたから、今会社でこうなった。すごいでしょう?」ならいいんです。でも、違うんです。「大学を卒業する時に正社員になれた人は上役になれたかもしれないけど、私みたいにあちこち大学梯子した人は、非正規で出世ゼロで、お給料も安いし、シフトも入らないよ。」となると、なんだか話したくないです。「次の大学は卒業してないのかな?」と思われても仕方ない人生しか送れないのが今の日本ですからね。だから、あまり話したくないんです。
むしろ、大学院に進学したことを知っている人とか、私と一緒にいた時に、今の会社の成り上がり課長も一緒にいたと言う事実がびっくりなんです。私の友達って、今の会社の課長、知ってるの???なんです。学校違うから、びっくりです。それに、思い出せば思い出すほど、今年3月までいた副部長も私の大阪時代の友達が知ってるはずだし、2018年度の部長兼主治医も大阪時代の友達が知っているはずだし、びっくりなんです。大阪在住だったらしい、子供の頃から何度となく会ったことがある白人の男性も、私の友達が知っているはずなんです。どことなく、日本国内が狭いんです。
ただ、「話せる相手」と言うのは、「学歴を気にしない人」じゃないと困るんです。ある意味、どうでもいい人です。いろいろと心理があるからめんどくさいですね。むしろ、通っている時の方が、「卒業できるかどうかわからないし、中退するかもしれない。」と言う話し方なので、平気で、「どこどこ大学に行ってるんだ。」と言っていたんです。1つ大学出てしまってから大阪の大学に行ったので、それが可能だったんです。つまらなかったのも事実だったんです。やっぱり、大学なんて、どこに行っても同じだと分かってから、ダメだったんです。ある意味、私のやり方では、「就職できない。」からだったんです。難しいですね。
<涼しくなって!>
「暑さ寒さも彼岸まで」と言うけど、涼しくなってきて、やっと落ち着いてきました。暑くて、今年は、パソコンやりたくなかったです。中国から帰国した後数年間は、パソコンを立ち上げて、ブログや日記を書かずにはいられなかったけど、今では、クーラーをつけてまで、パソコンをやりたいと思わなくなっていました。今年4月に携帯電話を新しくしたら、結構長文が書けるので、パソコン離れが始まっていました。でもまた涼しくなったので、パソコンに戻って来れたら嬉しいです。
この「盗聴器」で、団体時代の同期の1人で、看護師だった友達の話が入ってくるのですが、(私と誰さんが、患者と看護師の関係になったって、どういうこと?)と不思議でした。私が彼女に連絡を取らないのは、特に、何の問題もありませんでした。ただ、帰国後、彼女には仕事があるのが分かっていたし、年齢が、どうしても10歳くらい年上の女性だったことが原因で、連絡を取りたいとあまり思わなかっただけなんです。でも、彼女が私に話してくれた故郷が愛媛県で、その愛媛県で、大きな地震があったと知った今年4月に、ちょうど携帯も新しくしたばかりだったし、長文も書けるようになってたので、安心して、短文のメールを送信したんです。そしたら、思いがけず、メールの返信があったんです。その頃から、「私と誰さんは、中国から帰国してすぐに宿泊した先のホテルで、私が倒れて、患者と看護師の関係になった。同期だけど、私が彼女に助けてもらったために、同期だけの関係ではなくなった。」と言う放送が流れたんです。
私、まるっきり、記憶ないです。ただただ、彼女と13年ぶりに連絡が取れて、愛媛県の地震にはあまり関係ないと知って、喜んだだけでした。むしろ、「患者と看護師の関係になった。」って、どういうこと?記憶ないよ。でした。今年は、今まで連絡取っていた団体時代の同期だけではなく、日本航空や愛媛県地震のこともあって、いろいろと少しずつ連絡を取る人を増やしていました。まさか?の情報で、(本当の話?)と思いました。正直、それならそれで、むしろ、仕事がなくても、彼女にだけは連絡を取り続けないといけなかったのではないか?とも思います。ただ、13年の月日が、一番良い状態になってからの連絡と言うこともありえます。正直、仕事がないのに連絡をしても、迷惑なだけですからね。
先日、職場で、タイムカードが磁気エラーを起こしたみたいで、いきなり、入力もできないし、解錠もできなくなりました。総務の人がその直後に知って、「後で直してあげる。今はこの紙に退勤時間を書いてくれればいいよ。」と言ったので、そうしたんですけど、なかなか直してくれないので、(おかしいな?)と思いながら、別の人にその旨を話して、仮の対処をしてもらいました。
私、会社に入ってから、不思議と、他の先輩の非正規社員から見ると、何事もおかしいみたいで、「何で窓口の解錠ができないの?いちいち開けてあげるの、めんどくさい。解錠できるようにしてもらって。」「何であなただけパソコン使えないの?IDを部長に言ってもらってきて。」「パソコン使えるようになったのはいいけど、アクセス権がないのでは仕事ができないよ。あなたが1人で仕事できるように、部長に言ってアクセス権もらわないとダメだよ。これでは何の仕事もできないし、その仕事をするたびに私のIDを貸すのは嫌だ。」「他の人の社員証の上にあなたの写真とかを張り付けただけだから、交換するね。解錠とかは問題ないからそうしてきたけど、自分のを交付したから、変更。」とか、とにかく、何か月もたってからやったものもあれば、誰かが気づいて言ってもらってやったのもあればで、「なんか、誰さん(私のこと)の時は、どうも他の人と違うね。シフトも入ってないし、研修も行くはずなのに行かないし、どうなってるの?」と散々言われました。
そのせいか、他の人から言われるのが怖いんですよね。「これ、早く作ってもらって。やってあげるの、めんどくさい。」とね。今の部署に移動になってからも、「何であなただけパソコン開かないのかな?誰さんに言って、IDもらってきて。」と言われるんだけど、上司を見ると逃げ回ってるし、「誰さん」と言う人は、非正規で総務で、私の部署と違うから、その人からIDを発行してもらうことはできないのに、どうも今の部署の人がそれを知らなくて、(どうなってるの?)だったんです。
部署移動すると、1つ困るのは、「知識が違う」でしたね。今考えると、前の部署で知った知識の方が、ある意味、「上の知識」のものがあるんです。逆に、今の部署の仕事は知らないので、先輩達に仕事は聞くことになるので、知らない人は知らないみたいで、完全に私が下みたいな扱いなんですけど、困るのは、「それ、違う。」なんです。結局、前の部署で知っていた知識があるので、先輩の言うことが聞けない部分と聞ける部分があるんだけど、先輩の方は、違うんです。完全に私の方が下として扱うから、しゃべれないんです。学歴ではないです。下には教えない知識と言うのがあるのも知ってます。でも、それとも違うんですよね。仕事上は、下に教えない知識山ほどあります。ただ、パソコンのIDとかは、全員同じ人から発行してもらっていると思い込んでいたのが、私だったのかもしれないです。たまに日記書きたくなりました。
<学会で出会った人は?>
一カ月近く書いてなかったんですね。暑くて、ぐったりしていました。やっと少し涼しくなったかな?と思います。甥っ子との夏休みも終わり、ホッとしています。台風が多くて、びっくりしています。お盆の出勤の時は、台風の避難指示で「特休」をもらえて、約15分で帰宅しました。初めての経験でした。
最近、ちょっと思い出します。今回は、学会です。私、学会に参加したのは、北海道と兵庫県と、二つあります。北海道は見学で、兵庫県は発表でした。北海道の時、初めて懇親会に出ました。L字型の不思議な部屋で、私は、折れ曲がった先にあった窓の近くのテーブルでした。でも、上の挨拶の時は、Iの字の所の一番後ろに行って、挨拶を聞いてました。私は文系だから、理系がいるなんて知りませんでしたが、挨拶をした人が、「今日は理系の皆さんにも来ていただいています。」と言っていて、前から2番目か3番目くらいの列が、理系の人達で占めていたようで、一斉に後ろを見て、軽く会釈していました。その中に、どうも、私の会社の上司がいて、私の労働時間を削った人がいたようです。正直、その上司も、また変装で、多くいたんでしょうか?やたらと頭の良い上司もいれば、そうではない人もいたんです。ただ、労働時間を削るとなると、言葉巧みに上手な言い回しで話を持ち込まないといけないので、頭の良い人がやったんだと思います。2人だけの部屋で、ずっとしゃべっていた記憶があります。ただ、もっと前に会っていたとすると、北海道の学会の懇親会会場のような気がします。
その北海道で、もう1人記憶があります。今の会社の「成り上がり課長」です。立食パーティーだったので、ある程度お酒が進むと、席を回り始めます。挨拶をしながら、お酒で乾杯して、おしゃべりしながら先に進みますが、彼は、私の真後ろに立って、話しかけてきました。挨拶をして、自己紹介をして、少し一緒におしゃべりして、一緒にテーブルにある食べ物を食べて、あっという間に姿を消しました。今考えると、姿も声も似ています。あの日、一緒にいたのかな?ムーンライト九州の翌年が北海道学会、そして、次の年が兵庫県の学会で、年明けの3月が大分県になります。そんな馬鹿な?!
次は、兵庫県の学会です。私は発表でした。「どうせ私の発表なんて見に来る人いないよ。何で資料なんて作成しなければならないの?どうせポスター発表の前に突っ立っているだけの壁の花にしかならないのに。馬鹿みたい。」と言って、「印刷用紙もったいない。」とか言って、先生に配布資料を作るように言われたので、ろくに印刷しなかったんです。「10部前後あればいいか?10人も来たらすごいわ。」でした。
でも、当日、すごくたくさんの人に並ばれて、1時間の発表と質疑応答時間がものすごく短く感じました。先輩達や同級生達とは、「写真撮影しようね。ポスターに指を差し出して、人に説明しているようなポーズをして、ハイチーズ。とか、やらせの写真でいいよね。」と約束していました。でも、当日は、理由は分からないけど、並ぶお客さんが多くて、自然な発表風景の写真なら撮影できるけど、やらせはできませんでした。冷や汗だらだらだったし、統計は分からないし、資料は底を尽きるし、「答えられないのに発表するの?そんないい加減?」とか言われるし、「統計分からないって、どういうこと?」と言われるし、もう散々でした。チャイムが鳴って、終わる頃、(どうしよう?まだお客さんならんでいる。)と思ったら、同級生の友達が声をかけてきて、「いい加減、もう時間なんだから終わりにしなよ。片付けしないとダメなんだから、お客さんには、もう終わりだと説明して、帰ってもらった方がいいよ。」と言われて、そうしました。そしたら、後ろに並んでいた数人の中の1人が、「資料だけでももらえませんか?」と声をかけてきて、「え?」と思いました。(椅子の上にもう資料ないの、分かってるはずなのになあ?)と思いました。それで、「すみません。もう資料ないんです。準備した資料、少なかったみたいで、すみません。」と言って謝って帰ってもらったんです。
あのう・・・「資料だけでももらえませんか?」と声をかけてきたの、今の会社の「成り上がり課長」なんですかね???そうじゃないことを祈ってるんですが・・・。私の過去、これ以上知られたくないんですけど???最悪な話ばかりになってきたよ(泣)。
私、その後、資料の話を先生としたら、「普通、お客さんが1人も来ないと思っても、大量に資料を印刷して準備するものです。何で、そうしなかったんですか?」と怒られました。そんなこと言ってもねえ・・・。先輩達や同級生達の発表見てても、お客さんがいる人って、ほとんどいないんです。「知名度」があればこそ、結構人が集まってきて、発表聞きたい人がいるというだけで、知名度も名声もない人では、ダメなんですよね。だから、不思議だったんです。「裏あり」ですかね?なんか怖いんですけど???
私、立食パーティーって、学会をきっかけに、あちこちで経験あるんですけど、歩き回ることが一度もないんです。自分の所だけにして、動かないんです。そしたら、徐々に、「あなたが一番偉いんですか?」みたいになって、(え?)となったことがあります。中国時代だったかな?「普通、一番下と言うのは、あちこちのテーブルを回って挨拶をするものなのに、あなたは歩き回らないから、一番偉いのか?とね。」みたいなことを聞いたことがあります。そんなつもりではなく、ただ、社交性がなかったり、他のテーブルに行くのがめんどくさいだけだったり、お酒持ってあちこち歩いて、そこのテーブルの食事をちょこちょこ食べるのが嫌だったりするだけなんです。ずっと陣取ったテーブルでおしゃべりして、食事するのが好きだっただけなんですけどね。いろいろと面倒ですね(汗汗)。でも、人生って、面白いですね。
<頭が痛い夏>
今日、2週間滞在していた甥っ子が自宅に帰っていきました。今週は、スイミングスクール、午後からだったので、一日だけ、仕事がない日に見学に行ったんですが、行く前に、「今日は喉が痛い。」と言うので、黙って聞いていたら、「(ゲームをやっている)部屋の埃がすごいから。」と言うので、頭に来て、母がよく私達が習い事に行きたくなかったりして、ぐずっている時に言うセリフを言ってしまいました。「スイミングスクールに行って、プールに入ったら治る。」とね(爆笑)。一度言ってみたかったです。正直、甥っ子、スイミングスクールなんて行きたくないの、知ってたんですよね。三日で短期教室が終わるようになっていて、その後三日の短期教室に申し込んでも、コーチが変わったり、メンバーが変わったりするんだけど、コーチの悪口とか言いだすと、(ああ、そう言うこと言うと、「嫌ならやめていいよ。」と言われるのを待ってるんだな。)と分かるんです。でも、逆手に取らないとダメなので、大笑いでした。正直、甥っ子って、小学校に通っているのかな?と不思議に思いました。最初のコーチは大好きだったみたいだけど、次のコーチが気に入らなくて文句を言い出して、いろいろあった翌日の朝、母が、出勤前の私に、甥っ子のスイミングの様子を聞いてきたのですが、正直、私の答えは、プールのそばの窓ガラス越しに見ているだけなので、「分からない。」が答えなんです。コーチと直接対話もないですし、フロントとの対話もないんです。それに、少しずつ疑問もわいてきていて、(なんだか、スイミングスクールで成長している気がする。普通は、学校で成長するよな?)だったんです。スイミングに通うようになってから、いろいろと話すようになったのですが、普通は、学校だけで十分なんですよね。これでは、まるで、止まった針が動きだしたのが、スイミングスクールみたいなんです。私、不思議と、6年間仕事がない時期があったんです。その時期に何が起きるか?と言うと、例えば、「パソコンがすごくできた時代があったのに、仕事がない期間のせいで、パソコンができなくなった。」とかなんです。続けていないと、できなくなったり、突然やろうとしても、ダメだったりするんです。「お酒を飲んでいた時は平気だったのに、たまにお酒を飲んだら酔いすぎて、体がおかしい。」と言うのもあったんです。それに、団体時代に、「3年間家にばかりいて、仕事したことなかったから、しゃべろうとしても、会話できなくなってたり、発表すると、緊張しすぎて、息ができなくなったり、変なんです。」と言ったら、「会話も訓練だから、ずっと会話してないと、他の人としゃべれなくなりますよ。」と言われたんです。その日の朝、母にいろいろ甥っ子の様子を聞かれて、思わず、「あの子、小学校に通ってるの?小学校なんて、行ったことないんじゃないの?」と言って怒ってしまいました。夏休みの宿題は持ってきているんですけど、どう見ても、問題集がおかしくて、(変なの?)でした。学校の宿題って、学年が違う宿題は出さないのに、漢字ドリル、一学年下のドリルだったんです。それに、ただ漢字をなぞるだけで、「練習しないの?」でした。算数は自分の学年の問題集でしたが、なんだか、母に聞いているのが、最初から最後まで全部一緒じゃないとできないみたいで、(普通、宿題をやって、「ここが分からないんだけど、教えて?」とかじゃないの?)でした。(全部教えて?って、どういうこと?)でした。学校の宿題だけやっていればいいのに、学校で学年が低い時の宿題なんて出すのかな?と不思議でした。むしろ、父親である弟が、適当に市販の問題集を買って、「これ、おばあちゃんの家に行ったら、やってきな?」と買い与えたような感じにも見えたんです。私、下の学年の勉強ができなくて、小学校3年生の時に小学校1年生の時の算数の足し算、引き算、小学校2年生の掛け算、そして、小学校3年生の割り算とか、遅れてやってました。公文には通ったことないけど、本屋さんに問題集が売られていたので、父が買ってきて、すごくやらせたんです。でも、それって、「学校の宿題とは言えない。」んです。学校の宿題って、確実に、どんなに勉強遅れていても、その学年専用の勉強の宿題しか出さないはずなんです。だから、ちょっと狐につままれたようで、嫌だったんです。「本当にあの子、小学校に行ってるの?」と言って、母と出勤前の早朝に喧嘩になりました。それが現実でした。
それから、この「盗聴器」、昨日の放送分から仰天です。私が大阪にいた時に、友達と2人で、「ムーンライト九州」と言う夜行列車に乗りました。今は走っていませんが、当時は、走っていたんです。新大阪駅から乗車して、博多駅まで乗りました。その後、山口県の友達と合流して3人になって、ハウステンボスに旅行したんです。ただ、その時、全席指定だった「ムーンライト九州」が新大阪駅に到着して、私達2人が乗り込むと、私達2人の席は、お互い通路側だったんです。「えええ?通路側なの?込んでいるとは聞いたけど、なんかショック。」と言って、「どっちに座る?」と言う話になったんですけど、私、若い男性が座っている方に座ったんです。でも、その後、「最悪。」と思うことがあって、でも、乗車している最中は一言も言えなくて、とりあえず、翌朝その男性と分かれた後に、友達に、「いやあ、もう最悪だよ。隣に座った人、もう何日風呂に入ってないんだか?体臭が臭くて、夜眠れなかった。」と言ったんです。「ええ?そうなの?私はそういうのはなかった。」と友達は言ってましたが、友達が座った方には、その匂いは行かなかったんだと思います。それで、母にも電話した時に、「いやあ、体臭ひどい人はひどいんだね。何日くらいお風呂に入らないと、あんなにひどい体臭になるんだろうね?でも、なんか、体臭とは思えない部分もあったんだけど、どうなんだろう?男性だしね。」と言ったんです。
でも、ちょっと「ひどい」ですよね。なんで、その「ムーンライト九州」に乗った時に、偶然、全席指定の隣の席になった男性が、今の会社の「成り上がり課長」なんですか???
いや、あの、確かに、素顔は似ていると言えば似ているし、その後、大分県で再会した時の白衣姿の男性とも顔は似ているけど、正直、夏の暑い盛りに行ったハウステンボス旅行の時は、肌の色がこげ茶色で、大分県の旅行の時は3月で、肌の色は真っ白だったんです。同じ人なの?それに、体臭とは思ったけど、正直、乗ってからしばらくは、臭いも何もなかったんです。夜になって、しばらくして、(何この臭い?)と思うようになったんです。持ち物のようにも思ったけど、体臭としか思えなかった部分もあって、「体臭」にしたんですけど、あのう・・・3月中旬に非正規みたいに会社に入ってきて、4月半ばには既に課長になった、今現在の「成り上がり課長」なんですか???あのう、その人だと、またもうなんでこの運命、笑えるんですけど???私の人生なんか変だよね。指定席って、自分で選べないし、普通、席が空いていれば、2人一緒に窓側と通路側を予約できるはずなのに、「ムーンライト九州」は、満席に近い状態で予約して、どちらも通路側で窓側取れなかったんです。
しかも、その後苦情になってて、友達は、「青春18切符、夜切り替えで、ハウステンボス駅でさらにお金をとられて許せない。絶対にお金はJTBで支払っただけだと聞いていたのに。」と言って、「戦う。」と言ってたんです。だから、裁判やってても、不思議じゃないんですよね。「私はやらないから、やるなら、1人でやって。」と言ったんです。これ、ホテル内の会話なんですよね。正直、「ムーンライト九州」で、隣の席に乗っていた男性が、今の会社の「成り上がり課長」なら、私の学生証、見られています。ショックだ・・・。合わせる顔ないじゃんね。ただ、正直言うと、「喧嘩しなくてよかった。」です。臭いが原因でトラブルになって、大喧嘩したら、今は気まずいですからね。私、自分の体臭もすごくて、他の人と一緒にいるのが一番嫌な時代だったので、他の人の体臭、文句言えなかったんです。文句言うと、「女のくせに、あんたの方がちゃんとしたらどうだ?」と言われる可能性の方が高かったからなんです。くわばら。くわばら。人生何が起きるか分からないですね(冷や汗汗)。
<本音の日記>
8月に突入しましたね。小学校が夏休みに入り、今週明けから毎日のように、午前中、スイミングに通う甥っ子と一緒に、私もスイミングに行って見学をしていましたが、今朝は仕事が多くて、汗びしょびしょになってしまって、帰宅してすぐにシャワーを浴びたので、スイミングに行く気がしなくなりました。靴下を取り替えるのも嫌なので、母が付添で行っているので、私は家でゆっくりすることにしました。
スイミングは、小学校3年生の時に、突然空き地だったところに建設されて、スタートしました。私も開店したばかりのスイミングスクールに入って、習い始めました。私の場合、他のプールで父に教えてもらった平泳ぎの手の動かし方とクロールのバタ足といった、変な泳ぎ方の癖があったので、その癖を直さないといけなくて、泳いだことがない小さい子達とはちょっと違うスタートでした。ただ、ビート版とヘルパーを使って、最初からちゃんとバタ足とか息継ぎとか教わるので、順序良くクロールとか背泳ぎ、平泳ぎ、バタフライに入っていきました。癖があったけど、自然となおっていって、いろいろ泳げるようになりました。今は、昔とだいぶ違う遊びや泳ぎがあるみたいで、小さい子供達が泳いでいるのを見ると、(これはやったことないなあ。)と思ってみていました。
仕事がない時は、最初から甥っ子と一緒にスイミングに行きますが、仕事の日は、後から追いかけます。でも、最近、なんだかちょっと寂しい風が吹いています。今日は涼しいので、あまり感じませんが、7月中、(この「盗聴器」で「会社で英語をやる。」と言っているけど、とりあえず、一日中クーラーの中にいたいなあ。家の中のクーラーではなくて。)と思っていました。それが、今週になって、スイミングスクールになって、見学の時に約1時間半ほどクーラーの中にいるんですけど、困ったのは、朝9時10分には家に帰宅できるという私のシフトでした。
人間って、「新型コロナ」とか、「病気」とか、大義名分がある時は、シフトが緩やかなのは大変うれしいのですが、段々元気になってくると、(もう少し内務なんだから、仕事欲しいなあ。とりあえず、夏は、クーラーの中で仕事をしていたい。)と思うようになります。それも自然にそうなりました。一日中家にいると、どうしても「おやつ」ばかり食べたり、「冷たい物」や「甘い物」を食べたくなり、一日中口と胃袋を動かしている始末です。職場にいれば、自然と「おやつ」がなくなるので、そう言う面を見ても、(職場は、お金が貯まる方で、お金が消える方ではないな。家は逆だな。)と思ってしまいます。それでも、ないよりは良いので、スイミングの見学に通っていたのですが、今日は、だいぶパソコンやってなくて、メールチェックもやってなかったので、甥っ子がいない間にチェックしようと思って、パソコンを立ち上げました。また夕方出勤だし、少し家で休もうと思っています。
最近スイミングに行くようになって、違う世界を見て、だいぶ「新型コロナ」ではなくなってきているのに、自分だけが取り残されたように、家にいる生活が続いているのが、なんだか寂しく感じました。甥っ子がいなければ、甘えん坊で、まだまだ家にいる自分を許せる気がするんですけど、甥っ子、いくら両親が離婚したとはいえ、夏休み全部母の所なんですかね?こうやって、スイミングに入れたり、児童館に預けたりして、自分の住んでいる場所で頑張る人もいると思うんですけどね。それに、一番見ていて思ったのは、「優越感」です。ある意味、親にとっては、ここは故郷ですが、甥っ子にとっては、都会が故郷です。都会育ちの人間にとっては、田舎なんて好きではありません。会話も自然と、「どこどこに住んでいるんですってね。」となりますが、結局は、「こっちは田舎、僕のところは都会。」と言うのが分かります。難しいです。それをふと感じました。両親が離婚して、夏休みや春休み、冬休みを少しばかり親の田舎で過ごすだけなら良いけど、あまりにも長期間同じ場所にいることになって、しかも、そこが本当の自分の居場所ではない人間にとっては、「ここにいることになったら大変だ。」と言う心理が生まれるので、友達になった人にも意地悪したくなったり、大人にも悪口を言って、自分が嫌われるように仕向けて、「僕は都会のどこどこの子供。」となるようにしたいのは、私達人間の心理だと思います。子供も大人も同じなので、長期化すると、子供も不安になると思います。猫を飼ったらしく、たまに家に帰るなら、お盆休みは、猫のために、親子2人で自宅で過ごして、私達の方は、お客さんのいない、つまり、甥っ子と弟がいない、静かでゆっくりしたお盆休みを過ごしたいと思いますが、どうですかね???まさか?お盆休みも全部甥っ子預かるの???それとも母が甥っ子の家に行くの?そう思ってしまう私がいます(笑)。仕方ないですね。不安は田舎に預けられる甥っ子だけではなく、私にもあるということです。最初、「来年の夏休み、息子を預かってもらう場所に、お医者さんの家があって、その家は子供3人いて、子育て慣れているから、息子も預けようと思っているんだ。」と言う弟の言葉を聞いて、母が「そんな、他人の家に預けなくても?孫がかわいそう。いくら子供が多い家でも、他人だよ。夏休み、孫をあずかろうと思うんだけど、お父さんどう?」と聞いて相談したのが始まりでした。去年の秋頃でした。でも、正直、夏休み全部とは思いませんでした。疲れた・・・。
<夏休みに突入?!>
小学校が夏休みに入り、甥っ子を預かる予定でしたが、甥っ子の方が、猫を飼ったばかりらしく、母を連れて行きました。でも、甥っ子、なんだか変なんですよね。普通、いくら勉強できなくても、小学校くらいって、「勉強」って、気にするものだと思うんですけど、まるで気にしている様子がなくて、薄気味悪いんです。ゲームの話は散々していて、「マリオカート」とかしゃべっていきましたが、「勉強できないんだ。割り算教えてほしい。」とか、何かないんですかね?今の子供達って、勉強できなくても平気なんですかね?確かに「夏休みの友」は消えましたけど、「算数ドリル」とか「国語ドリル」とか、宿題は他にあると思うんですけど、何もしゃべらないし、なんだか変な子なんです。春休みで宿題はないとはいえ、一週間預かって、一分も勉強しない子供って、なんか薄気味悪い。できないのも気にしないなんてね。小学校くらいの時って、勉強できないのを気にしているのが普通で、中学校くらいになって、段々他の人との差が分かってきたり、自分が行く進路が他の人と違っても不思議じゃないと思うようになってから、「自分は頭悪いから、こっちに行こうと思う。」って感じで、一引き、二引き、になるんじゃないかな?と思うんです。小学校くらいの時は、他の子と競争するくらい勉強気にして、「自分はできる」と思いたいし、親も「家の子は頭が良い」と自慢していたい時代だと思うんですけど、今は違うんですかね???
学校なら、1学期終わりですけど、3月中旬から4月半ばにかけて、非正規から課長職にのぼった変な男性の話なんですけど、正体が分かったら、(はあ。大学院生時代がある方ね。)でございました。私、正直言うと、彼で思い当たるのが、「小学校に入学する前の校庭で見かけた子」なんです。私はその小学校を母校としましたが、彼の方は、別の小学校だと思います。それに、地元が関係すると恐ろしくて、(もしかしたら、上司が不在の会社になってたから、「課長職やってくれませんか?」と言われて、気安く引き受けた、馬鹿な高卒の非正規なのかな?)と思った次第だったんです。
でも、思い出してみれば、(ああ、どうでもいいや。)でした。会社内で、「変装」が流行っているのは何度も書きましたが、課長は、朝と夕方で顔が違うんです。朝は黒人の混血の人みたいな人、夕方は長丸で、混血とは思えない人なんです。でも、痩せている人が太った役をやるのは簡単ですが、逆は難しいんです。実際にすごく痩せているらしく、自分の体で出勤してきて、顔だけ偽物を私に見せつけた翌日、プライベートで私の前にあらわれたら、さすがに私も分かりました。(体は課長。顔は素顔。素顔は、私の知っている人。)でした。車を運転して私の前を通り過ぎる時は、さらにいろんな顔があって、懐かしい顔もあったんです。
私が一番鮮明に覚えているのは、大分県でした。湯布院温泉の旅館の前で、3段くらいの石段の上に立っていたら、その階段をのぼって温泉旅館の入り口から入っていく白衣の大集団と遭遇しました。4列縦隊くらいだったでしょうかね?40人から50人近い、大集団でした。その一番後ろから数人くらい前の方を歩いていた男性が、突然花壇の前で立ち止まりました。列を離れなければ、私から一番遠い場所を通って、石段をあがり、旅館の入り口から入っていく場所を歩いていた人でした。隊列を離れて、少しずつ後ろに行って、一番後ろの方に並び、花壇から離れて、外側に並びました。そこを歩いてくると、自然と私の真後ろになり、私を追い越す時に、肩すれすれにすれ違いになりました。(危ない。何なのあの人?)と思いました。隊列を乱してのことだから、「わざと」だと思いました。旅館の入り口の近くに、木札があり、読んでみると、もう忘れましたが、
「理化学研究会御一行様?」
とかなんとか読めたんです。今、ネットで検索してみましたが、良くわかりませんでした。
正直、これが本当なら、彼は、当時大学院生だと分かってしまいました。私をからかったなら、私ともう少し前に、どこかで会っていると思います。それも大人になってからです。私の正体(当時私は、大学院修士課程在籍中)を知っていて、わざとやったんだと思います。でも、私は、白衣を着ている大学院生の男性に心当たりがなくて、(何で向うは私を知っているみたいなんだろう?私は知らない人なのに?)と思っていたんです。顔は覚えていましたが、今は、会社内でもプライベートでもなく、車を運転している最中に2度、大分県で会った顔とすれ違っただけです。プライベートで徒歩で会った時は、また別の顔で、正直、私と駅構内や本屋さんの立ち読みですれ違っていた男性の顔なんです。リラックスタイムの時の顔だったのが、プライベートの時だったんです。逆に、車の運転と大分県の白衣の男性が一致するのは、どうも、緊張していたり、何かやっている時でしょうね。人間って、顔つき、その時その時によって変わりますからね。ただ、1つだけ言えるのは、相手に興味を持っていたり、知っている相手でないと、モーションかけないんです。自分と同じくらいの人だと思うとやるけど、自分とかけ離れすぎているとやらなかったりして、ある意味、無視して知らん顔で通り過ぎます。そう言う心理を考えると、(大学院生の時にどこかで知り合って、私が知らず知らずのうちに会話なんてしていたりしたのかな?あの頃は、誰とでも、名刺交換したり、気さくにしゃべっていたもんなあ。)と思います。
ただ、年齢が、子供の頃の記憶をたどって、私と同じくらいの年齢と判断すると、おそらく、私はいろいろ遅れているから、大学院修士課程、彼の方は、大学院博士課程あたりではないか?と思います。第一、「研究会」に所属している時点で、学部生とは思わないし、大分県まで旅行して、研究会やっているというのは、たぶん、その世界ではかなり有力な研究会だと思います。その分野の人でも、誰でも参加できるとは思えません。教授に言われて、お金と相談する間もなく、参加しているんだと思います。後で、教授の御覚えめでたくなくなるのは怖いでしょうからね(笑)。
まあ、思い出したら、ホッとしましたが、びっくりです。会社内は、カツラとお面で、さっぱり誰だか分かりませんが、3月と4月は、私の小学校時代の同級生の顔立ちにそっくり、ただし、子供の頃だけ、逆に、朝の黒人との混血の人は分からない。ただ、夕方の「長丸」の顔は、どうも彼の子供の頃の顔だと思います。今現在の顔は、ちょっと違うんですよね。どれとも合わない顔が素顔です。素顔なら分かるんだけど、変装が分からなかったのが私でした。心スッキリしました(笑)。
<オオカミ少年>
7月に入って、今週は少し体調が悪いです。朝から頭痛がひどかったり、ベッドで寝たり起きたりを繰り返す日が増えています。足が痛いし、頭も痛いし、だんだん、体力がなくなっている気がします。ただ、暑さが少しやわらいできて、梅雨になっている気がする分、涼しさがあって、楽になりました。
この「盗聴器」、とうとう「結婚」に飽きたんですかね?実は、「結婚」と言う話が盛んになされるようになったのが、2019年7月下旬からなんですけど、それより少し遅れて、「英語」の話題もあるんです。理由は分からないけど、団体時代のように、「英語の特訓」をしてから、結婚してアメリカに転勤する夫についていくというシナリオなんです。でも、一度もそれが現実化したことはないので、気にしたことないだけなんです。
英語の話題は、2020年になる前くらいからスタートしたわけではないんですけど、不思議と、「3月中旬から東京に行って、本社で英語を勉強して、それから4月から5月にかけて渡米。」と言うのが最初だった気もします。そのうち、「団体と同様に、6月頃までに英語を終わらせて、7月に渡米。」と言うのが流れました。そのうち、それが現実にならないと、「8月のお盆前後くらいから9月末までに英語を勉強して、10月に渡米。」と言うのが流れました。すごいのは、天皇家の結婚と一緒になっていたこともあり、「10月半ばくらいまでに英語を終えて、11月半ばに渡米。」と言う放送もあり、(どういうことかな?)と思ったら、(ああ、天皇家の方ね。)と言う時代もありました。ただ、それが終わってからもすごいんですよね。「何月から英語を勉強して、渡米。」と言う放送、こんなの何度も何度も繰り返して、面白いんですかね???私、さっぱりわからないんです。
それに、変な放送は、2021年度の5月半ばからなんです。リアルなんですけど、現実化しなかったんです。「5月12日で今の仕事を終えて、15日以降くらいから英語を開始して、2カ月くらいやって、7月下旬に渡米。」と言う話なんですが、クラスメートがいるんです。そのクラスメートが、びっくりなんです。「副部長から3日で部長になった人」なんです。ただ、その人に聞くと、「別の支社で英語の勉強終わったから、もうやらないよ。誰さんと一緒に英語を勉強するなんて、おかしい。」と言う状態らしく、「笛吹けど踊らず」なんです。
でも、今年は、「笛吹いたら反応がすさまじかった」らしく、放送が鳴りやまないんです。「成り上がり課長」と呼んでいる、3月中旬から非正規で入ったと思っていた男性が、いきなり4月半ばには課長になったんですけど、6月に入る前くらいから、「英語を勉強する」と言う話があったんですけど、私のクラスメートになるらしいのです。でも、それが毎年恒例の「嘘」と分かった6月半ばに、すさまじく心が荒れたらしく、反応がすさまじかったそうです。まあ、「オオカミ少年」をやられると、信じる人と信じない人に分かれるけど、会社で英語をやったことがなかったみたいで、楽しみにしていたのに、「嘘」と知ってショックだったのかな?と思っていたんですけど、実際は、数年前に、私が入社した後、東京の本社だかで、1対4で英語の講習を受けたことがあるという放送もなされているんです。でも、今度は、その時の英語とは違うみたいで、その後、「英語を使った仕事がある」みたいで、「提出期限が迫っているから英語をやりたい」と言う放送みたいなんです。
ただ、「オオカミ少年」をやられている私の方は、この「盗聴器」だけでしか言われていないので、(どうせまたお流れの情報なんじゃないの?まゆつばものだよ。)と思っているので、何の対応もしないのですが、正直言うと、頭痛がひどくて寝てばかりいる上に、日本語でも文字を読むのが嫌になっているのに、英語の文字を読むのも嫌だし、会話は苦手でまるでできないんですよね。ましてや、「中国語も週一回やる」と言っているんですけど、私、最近、以前は聞こえなかった時計の針が動く音がやたらとうるさくて、小さな音も敏感に耳に入るようになって、これからなら中国語を勉強するのに適しているのかな?と思ったりもするんですけど、なんだか分からないんですよね。
とにかく、「人の噂も75日」と言うけど、2019年度の7月下旬以降、「結婚」と「英語」の話が「盗聴器」から流れては、すべて「嘘」と言う状態が続いているので、もう嫌なんですよね。免疫のない成り上がり課長が騒いでも、私の方は、「もうあきらめた」と言う状態です。動く時は動くんですけど、前評判があった時は、不思議とおじゃんにする方向で動くのが世の常なんですよね。ただ、1つ言うと、「団体ではこういうことは一度もなかった」んです。学校と同じで、「次の予定表」と言うのがきちんときて、変更になればなったで、「変更になりました」と言う案内が来るので、嘘をつかれたことはないです。正直、実際に対面式とかで上司から話をもらったことはないので、信じてはいませんし、こんな「盗聴器」、どうでもいいですけど、最近は、どうも成り上がり課長の声がうるさくて、「一緒に勉強しましょう。英語やりましょう。」とか言われるんです。変な課長が転勤してきたものです。英語の後仕事がある人は良いけど、私が英語やって、渡米しなかったら、何が残るんですかね?非正規の痛いところは、部署移動した後、また同じ場所に戻るなら、あまりやりたくないんです。「いじめ」とかいろいろあるからね。正社員なら転勤するから平気でも、こっちは気が気じゃないです。ちょっと数年の思いを書いておきます。
<昨日の日記>
昨日、パーマ屋さんに行ってきました。同級生に会えるようになったから、嬉しいです。でも、なかなか重い腰があがらないんだよね。数年前から髪の毛がすさまじく抜けるので、「ハゲ」まで心配しているし、髪の毛が長くなってうるさくなっても、なんだか体調悪くて、遠出するのが嫌なんです。でも、仕事帰りに少し遠出して、髪の毛を切ってきました。帰りに本屋さんに寄って帰ってきました。立ち読みしてたんですけどね・・・。
本屋さんで立ち読みしたのは、『紫式部日記』に関する本ばかりでした。私の記憶が正しければ、
「あの人が今をときめく清少納言様か・・・。」
みたいに訳せる文章が『紫式部日記』にあると思っていたんですけど、見当たらないんですよね。
私、大河ドラマ『光る君へ』、好きで毎週欠かさず見てはいるんですけど、紫式部と清少納言が宮中に上がる前からかなりお付き合いのある友達と言うのが解せないんですよね。宮中にあがってから、清少納言の姿を見て、上記のセリフを言うのが紫式部だと思っていたんです。
でも、困ったことに、「年表」見ても、(これだと、紫式部と清少納言って、同じ時期に宮中にいたのかな?)と不思議なくらいになってしまって、分からなくなりました。ある意味、中宮定子が亡くなって、清少納言もいなくなってから、中宮彰子の時代が来て、紫式部が宮中にあがるみたいなんですよね。これって、どういうこと?まあ、平安時代の話だから、あまり良くわかっていない部分もあるのは分かってますが、ちょっとびっくりなんです。
しかも、紫式部って、結婚生活、たったの3年で、子供1人女の子がいると分かりました。それに、びっくりしたのは、藤原道長から頼まれた形で、『紫式部日記』に記すようになったのが、中宮彰子の出産記録とは、恐れ入りました。「日記」と言っても、私もそうですけど、必ずしも今日の日記ではないし、必ずしも自分のことだけではないですけど、紫式部は藤原道長の命令みたいな部分があると知って、仰天だったんです。
『紫式部日記』の最後の方には、平安時代に有名になった女流歌人や女流作家の批判が書かれていて、清少納言の悪口も書いてましたけど、これは、高校か大学で習った気がします。ただ、問題は、やっぱり、『光る君へ』なんですよね。お互いに切磋琢磨して競争相手だったから批判文書くとは思うけど、この作品を見ると、(あんなに仲良かったのに。)と思ってしまうんですよね。(現実には、ほとんど会ったことないんじゃないかな?)と言う気がするんですよね。作品を読んで、いろいろと自分なりに批評しているだけの気がするんです。仲良しだったから批評したのではなくて、お互いにあまり知らない人同士だったのでは?と思います。まあ、勝手な推測ですけどね。
最近、本屋さんでの立ち読み、長時間はやったことなかったんですけど、昨日はちょっと調べたいことがあったので、書店にある本を探して調べていました。レターセットを購入して帰ろうと思っていたんですけど、新しいレターセットではなくて、私が持っている物とか、前からあるのを知ってた物だけだったので、買いませんでした。久しぶりに、私の本屋さんでの立ち読みが実現しました。
この「盗聴器」で、会社の「成り上がり課長」がそばにいたような放送されているんですけど、駅前を通りかかった時に、目の前にいた人がそうですかね?正直、背が高すぎる気はしましたが、体つきは似ているんです。顔はちょっと違いますが、見たことある顔ではあります。ただ、職場内の姿とまるで違うので、挨拶はしてないです。髪の毛を切った後、本屋さんでも見かけていて、大河ドラマ『光る君へ』の概要が書かれた前編、後編を立ち読みした後、1メートルくらい離れたところで雑誌を立ち読みしていた人が、どうも駅前で会った人にそっくりでしたね。ただ背丈は、「成り上がり課長」に戻ってましたけどね。背中丸めて立ち読みしていれば、背は低く見えますかね?靴でいくらでも背丈調整できるので、分からないですけど、実は、顔も違うし、髪型も違うんです。最近分かったのは、課長の髪型、毎回違うから変だな?と思っていたら、どうも「カツラ」のようです。顔はどうしているんですかね?貼りものでもべたべた貼って、顔を丸くしてたりするんですかね?私には分かりませんけどね(笑)。でもま、「盗聴器」と現実にちょっと心当たりがあったので、書いてみました。昨日は久しぶりに楽しかったです。
<職場内での不思議な映像記憶?>
昨日の午後、突然残った映像記憶です。会社に行って、女子更衣室に入って、トイレに行って、戻ってきて、ずっと1人でした。「ぼぅ」としていたら、急に窓ガラスの風景が遮られました。1人の男性が、私に背を向けて、窓の外を眺めながら立っていたんです。ブルーがかった白衣を着ていて、こちらを振り向こうとはしませんでした。私の目の前には、横から頭を斜めにしながら、顔をのぞきこんでくる男性がいました。ただ、この男性の顔には、見覚えはありませんでした。(誰?)と思いました。そのうち、いつの間にか、どこからともなくあらわれたもう1人の男性が、窓に背を向けて立っている男性に声をかけているようで、ブルーがかった白衣の男性が横を向きました。横顔が少し見えました。でも、誰だか分かりませんでした。3人とも分かりませんでした。そして、時計を見ると、時計の針が逆に動きだしました。(え?)と思ったら、その瞬間に記憶が途切れました。そのうち、「残像」のように、脳裏にちらつくようになりましたが、その時はもう、部屋には誰もいませんでした。私1人でした。そのまま遠くを見ていたら、目の前にある病院の屋上に1人あがってきて、体操をしていました。そのうち、私と同じ部署の女性が1人入ってきて、もう1人別の女性も入ってきて、女子更衣室はにぎやかになりました。
女子更衣室は、男性が入るためには、上司でも、女性社員の付添がないと入れません。私が女子更衣室にいるから、男性3人が入れたのか?それとも、私の後ろに何人か人がいて、女性もいたのか?私には分かりません。しかも、音声はまるでありません。何か話しているなら、会話が耳に入るはずですが、無声音でした。
私、実は、会社の女子更衣室、何度も何度も変な記憶があるんです。ただ、不思議と、「1人ではない時の変な記憶」なんです。普通、男性が女子更衣室に入ってきた時に、他の女性社員がいれば、こうなると思うんです。「入ってもいいよ。」とか「ねえ、上司(役職者名)が来たよ。」とか、急に騒がしくなったり、気づかないで私が黙って座っていると言うことも考えられないんです。だから、一度も書かなかったんです。
でも、女子更衣室の記憶って、「つまらない」んです。むしろ、昨日が一番長い記憶で、動画のようだけど無声音で、結構動きがあって、面白かったんです。いつもは、ただ、私の顔を覗き込む男性がいる記憶だけなんです。でも、「盗聴器」で、「「誰ちゃん(私のこと)、結婚しようね。」とか言っていた。」とか、正常な時に変な放送ばかりされるので、余計日記とかに書かなかったんです。でも、頻繁に変な記憶は残っていたんです。ある意味、気が付いた後、女性社員が部屋に何人かいたこともあって、「ねえ、今、男性が何人か入ってきてなかった?白衣姿にも見えたんだけど?」とか「副の上司が入ってこなかった?」とか、聞いてみたいんですけど、これ、結構勇気がいるんです。結局、本当に女子更衣室でそんなことがあったなら、必ず、私自身も記憶があると思うし、私に記憶がなくても、他の人が教えてくれると考えてしまうからだったんです。
でも、昨日は、(この人、誰?)からスタートしたのが、後姿だけ見せていた、ブルーがかった白衣を着た男性だったんです。背は私と同じくらいで、髪の毛は普通におかっぱみたいになっていて、顔は横顔しか見せませんでした。逆に、私の目の中にドアップで入ってきた男性は、優しそうな顔で、ニコニコしながら、私の顔を覗き込んで、私に背を向けている男性の方を指さしました。いつの間にか目の前にあらわれたもう1人の男性は、白衣だったのか?普通の服だったのか?それも分かりませんが、ブルーがかった白衣の男性に声をかけていました。声をかけていた男性の方は、少し鼻筋が綺麗で、細い顔をしていました。ブルーがかった男性の方は横顔は少し見えましたが、不思議と目だけが印象的でした。
人間って、同じ場所にいると、違いが分からないことがあるのかもしれません。急に時間が過ぎ去っても、分からないんです。職場のフロアで仕事をしている時も、(何で私、ここに倒れているの?)と言う朝の記憶もあるんです。横になっているけど、頭の方だけ高くなっていて、外を通る男性社員の姿が見えて、(私、どうしてこんなところで寝ているの?)と思いました。朝の仕事中の記憶です。そして、別の場所では、もうほとんどの人が出勤してきていて、私は棚の前に倒れているみたいで、人の足しか見えないので、(おかしいな。何で私の目の前は人の足しか見えないんだろう?背が高いはずなのに?)と思っている私がいたりしました。でも、本当に記憶があるのは、全部、何事もなくきちんと仕事をしている自分の姿だけなんです。だから、(この記憶は何だろう?)と思ってしまうんです。不思議ですね。ちょっと昨日不思議なことがあったので、書いておきます。
<最近の話から>
この「盗聴器」で、いろいろ言っているようですが、言われるとストレスになるので、バーチャルのこの日記に記すことにはしていますが、手紙とかメールには、やっぱり、きっかけが現実社会にあるか?この「盗聴器」の名称を知ることができない限り、書きたくないんです。「ラジオでこう言っていた。」と言うのは、「ラジオを知っているから書けること」なんですよね。それに、「有名人は簡単に名前出せるけど、そうじゃない人は名前出せない。」です。「個人情報保護法があるから。」です。
この「盗聴器」で、「俳優のきたろうさんの娘さんが、私の友達の誰さんだ。」と放送されているんですが、確かに似ていることは似ているんですけど、良くわからないです。ただ、中学生の時に、父と一緒にテレビを見終わって、「へえ。この人、「きたろう」って言うんだ。ひらがなで「きたろう」、面白いね。」と、芸名を口に出して言ったことがあったんです。そしたら、父が、変な顔をして、「あんたは、「きたろう」に会ったことあるはずだけど?」と言うのです。「え?」と言ったら、「確か、お父さんが聞いた話だと、あんたは、間違いなく、俳優の「きたろう」さんには、会ったことあるって、聞いたな。」と言うのです。「ふうん。私、知らないよ?」と言ったんです。たぶん、父と一緒ではなく、別の誰かと一緒の時に、俳優の「きたろう」さんと会って、父の方に連絡がいったんだと思います。でも、私は、記憶ないんです。どこで会ったのか?も分からないし、誰と一緒の時に俳優の「きたろう」さんと会ったのか?も分からないんです。ただ、父と、私と一緒に俳優の「きたろう」さんに会った時に一緒だった人達が、私の知らないところで電話とか会食とかして、情報交換したんだと思います。だから、この「盗聴器」聞いていて、すごくびっくりしました。
でも、こちらは、名前は出せないんです。昨日、弟と甥っ子が一泊して帰って行ったんですが、午後になって、犬の散歩に出たら、突然、
「誰々。誰々がこっちにきたから。」
と言って、年上の子が泣きながらその子のお父さんらしき人の方に近寄っていたんです。私が気がついてそっちを見ると、自転車が2台倒れていて、背の高い子が泣きながら父親らしき人の方に行ったんです。でも、その後ろから、背が低い子が、心配にそうについていってたんです。困ったことに、この「誰々」と言うのは、私の甥っ子と同じ名前だったんです。そのために、(何で甥っ子が弟と一緒に帰省しないで、まだこんなところにうろちょろしているの?)と思ったんです。びっくり仰天したんです。でも、よく見たら、「誰々」と呼ばれた男の子は、甥っ子よりも背が低いので、年下の子供のようでした。自転車事故のようで、年上の子は、「誰々」と言う私の甥っ子と同じ名前を持った子が、突然、ぐにゃぐにゃ運転して自分の方に来たからぶつかったと説明しているようなのですが、私は、ぶつかった瞬間を見ていないので、分からないんです。ただ、正面衝突のようでした。父親らしき人の方は、逆に、自転車がぶつかった瞬間を見ていたのか?「誰々がこうしたから悪い。」と言っている背の高い子の方を怒っていました。
私は、自転車事故というよりも、実は、「甥っ子と同じ名前」に敏感に反応してこの様子を見ていたんです。元々、堤防で、川を挟んで反対側の自転車事故だったので、私の方は、傍観者みたいになっていました。
実際、この「盗聴器」、嫌なんです。「同じ名前」とか「同姓同名」って、すごくたくさんいると思うんです。それなのに、まるで、私の家族や親族の人みたいに放送するんです。正直、甥っ子だけではないんです。弟の同級生の中には、奥さんの名前と似た名前の人が2人いたんです。弟が中学生の時に、頻繁に口にしていた人は、奥さんではなく、奥さんと一文字違う名前を持った、すごく似た名前の持ち主だったんです。同じクラスだったためか?家に帰ってくると、その人のことばかりしゃべっていました。(好きなのかな?)と思うくらい、頻繁にしゃべっていたんです。でも、困ったことに、高校に行ったら、途端に、しゃべる人の名前が変わったんです。実際、中学校は、相手のレベルが分からないんです。そのために、外見とか、一緒にいて楽しい人とか、同じクラスだからとか、そういう理由で好きになったり、家で会話にのぼったりするんです。でも、高校になると、レベルがハッキリするので、同じレベルの高校に行った奥さんになった女性の名前は頻繁に出てくるのですが、中学時代の時の女性の名前は、急に出てこなくなったんです。「あんた、前は、誰さんって言ってたよね?」と聞くと、「その人とは名前は似ているけど、別人。」と言うのが本当なんです。
私の家もそうだったんですけど、子供の頃は、頻繁に男の子の名前を出すんです。そのほとんどは、両親の知り合いの子供とか父の同僚の息子とかなんです。それで、不思議に思っていたら、高校に入る時に分かったんです。「誰さんの息子さんは、高校どこどこだから、娘の相手ではなくなった。」と言ったんです。つまり、高校がどこに進学できたか?どのレベルの高校に入ったか?によって、娘の結婚相手から姿を消すことが分かったんです。次が、大学だったんです。「誰さんの息子さんって、大学どこどこに合格したんだって。推薦だったそうだけど、これだと、娘はダメだな。娘は馬鹿だもの。」と言って、急にその日を境に、その子の話はしなくなったりしたんです。結局、自分の娘と将来釣り合う関係かどうか?と言うことを考慮して、いろいろ情報を集めてくるんだけど、高校のランクで、1人去り、2人去り、そして、大学ランクで、また1人去り、2人去り、なんです。
弟も同じだったんだと思います。中学校の時は、奥さんになった子の方は、一度も口にしなかったんです。似た名前でも、一文字は確実に違う子だったんです。でも、高校に入った途端に視野に入ってきたのが、中学校時は一度も口にしたことがない、後の弟の奥さんで甥っ子の母親だったんです。結局、同レベルの高校に進学したのは、中学校時代に頻繁に家で口にした名前の女の子ではなかったんです。苗字は全く違うんですが、名前が似ているんです。こういうのを、まるで私の弟の奥さんのように放送されたりするのは、嫌なんですよね。ハッキリとそうだと分かっているならいいのですが、甥っ子もそうですけど、家に来ると、(この「盗聴器」嘘だよな?)と思うんです。同じ名前なんていくらでもあるので、嫌なんです。同姓同名もいっぱいいるしね。最近ふとそう思いました。有名人なら名前、手紙でもメールでもネットの日記にでも書けるけど、公になってない個人名とかは、手紙やメールやこのネット日記にも、書けないんですよね。仕方ないですね。
<残像と記憶>
記憶が残るなら、何でもいいから、残って欲しいと思うけど、昨日の記憶は、まるで「残像」でした。音はありません。一枚の絵にしては、少し動きがあると分かるだけのものでした。犬と散歩に出て、いつもUターンする場所で一休みしていました。ちょうど家の影が大きくなっていて、涼しくて、気持ち良かったので、犬が伏せして休んでいました。その時に、急に、犬が血相変えて怒り、私の方に飛びかかってくる映像が目に浮かんで、(どうしたの?)と思った瞬間に、犬と反対側から、1人の男性があらわれました。背が高くて、痩せていて、綺麗な顔をしていました。手袋を外そうとしていました。一方で、犬がいる方からは、男性が2人くらい、急いで走ってくるのが見えました。2人ともびっくり仰天した顔をして、私のそばに来ると、私を見ているというよりも、犬と反対側にいる男性を見ているみたいでした。1人が少し腰をかがめた所で、記憶は途絶えています。これは一体何なのでしょうか?現実の私は、この記憶は、夢のようであり、「残像」のようにしか感じませんでした。理由は、犬はいたって静かに伏せしたままで、一休みに入る前の風景がずっと続いているだけだったからです。でも、もし、私の脳裏にふいに浮かんできた「残像」が本当なら、そこに残された男性3人くらいは、どこに消えたのでしょうか?その人達が現実にいたとしたら、彼らにとっては、その時間、実際に存在した時間だと思います。私にとっては、存在しない時間で、まるで映画のフィルムに数枚ほど変な写真が混じっていたような感覚なんですけどね。放送されたかどうか?一瞬で分からないくらいの短い時間にパラパラ放送されたかどうか?だと思います。こんな不思議なことって、おかしいですよね。びっくりです。でも、何の記憶もないよりもましです。
私、父方の祖母のことを以前少し書きましたが、私、祖母が生きている時に、「お父さんを生んだ時、どうだった?」と聞いたことがあります。食事中だったんですけど、祖母はびっくりしすぎて、食べていたものを吐きそうになったんです。「ええ?お父さんを生んだ時かい?」と言って、顔が青ざめて見えました。そして、「私が子供を生んだのかい?」みたいな変なことつぶやいて、「ああ、そうだね。もう昔の話だから、忘れちゃった。若い時の話だね。」と、変な話になったんです。不思議そうに見ていたら、少しは話してくれたけど、私には、(なんか、おばあちゃん、変。)でした。
いつも一緒に住んでいた母方の祖母も、あまり母を生んだ時の話はしませんでしたが、それでもたまに話してくれることはありました。でも、逆が、一緒に住まない祖母だと思っていました。自分の息子を生んだ時の話なんて言うのは、むしろ、孫が来たら、大喜びで話してくれるものだと思っていました。でも、逆に、恥ずかしそうにしたり、食べ物を吐きそうになったり、「私が子供を生んだのかい?」とか、変な反応で、(どういうこと?)だったんです。私は女だから、不思議と、「子供を生んだ時どうだった?痛かった?」とか、いろいろ聞きたいことが出てきた頃の年頃でした。ちょうど生理も始まっていて、自分の両親が生まれた時の話とか、聞いてみたくなっていた年頃に入っていました。それなのに、答えるのが恥ずかしそうで、びっくりしたんです。(子供、生んだことないなら、お父さんは誰の子?)と思うくらいだったんです。でも、父は、不思議とおじいちゃんにはそっくりだったんです。おじいちゃんの写真が祖母の家にあって、「ああ、それがおじいちゃんだよ。お父さんのお父さん。まだあんた達のお父さんが小さい時に死んでしまったけどね。」と言ってたんです。その写真と似ていたから、あまり疑わないで生きてきたけど、この「盗聴器」でいろいろ言われると、(なるほどね。)だったんです。それに、「記憶」も、おかしかったんです。それが、北大病院の記憶だったんです。まるで紛れ込んだ一枚の場違い写真みたいなものなのですが、私が「おばあちゃん」と呼んだことがない女性を、父は「母さん」と呼んでいました。私は、いつ「北大病院」に来たのでしょうか?「北大病院って、どういうこと?」と声を出したかったけど、声は出なくて、父と、「母さん」と呼ばれた女性が、2人になるために近寄って行った時に、私の記憶は途切れました。「北大病院」と言う言葉は、父の声で脳に記憶されているものなのですが、私が北海道に行ったハッキリとした記憶は、20代半ばだけです。
20代半ばに北海道に行った時も、不思議でした。学会で北海道に行ったのですが、叔母の家に泊めてもらって、10日間北海道滞在をしてきました。でも、不思議と、「お風呂入りなさい。」と言われて、「そうします。」と答えてお風呂に入ったんだけど、「もう3日目よね?私、このお風呂、初めて入る気がする。」だったんです。それに、困ったのは、叔母の家のお風呂に入ったのは、ほんの数回で、全日程ではない気がするんです。それに、私にあてがわれた部屋も不思議だったんです。確かに、初日はそこで寝たように思ったりもするのですが、「この部屋、本当に予定通りの泊数寝泊まりしたのかな?」と思ったんです。部屋の中を見回しても、毎日寝泊まりしている気がしなかったんです。食事は、不思議と毎日食べた気がちゃんとしていました。外食も多かったし、叔母の家で食べた食事も記憶がありました。ただ、お風呂と自分が寝た部屋の回数が、合わない気がしたんです。もしかしたら、自分の家とは違って、全く知らない家に泊まっているから、記憶が前の記憶で補えなくて、不思議と「まだら」になっていたのかもしれません。同じ家だと、別の日にお風呂に入った記憶が、その日の記憶に「代用」される可能性もあるからなんです。でも、その時10日間だけに使うお風呂や部屋は自分の家とは違うので、記憶のされ方が違ったのでしょうか?この時に「北大病院」に行ったというなら分かるのですが、もし他の西暦何年何月何日だとしたら、不気味です。人間って、飛行機の移動であれなんであれ、そんなに起きないものなのでしょうかね?もし、今の会社に入ってから北大病院に行ったなら、仕事はどうなっているのか?私は「休んだ記憶がない」んです。びっくりですよね。
私、最近、「記憶」に興味があります。この「盗聴器」で「この世からビーカー、丸底フラスコ、三角フラスコ、メスシリンダーの類はすべて消し去る。」と言って、私が近くにあるガラスで、理科室にあるような物に見えると、すべて壊してしまうと放送していますが、私が記憶しているのは、理科室に運ばれた小さなベッドに寝かされている時に、近くにビーカーとか丸底フラスコが置いてあったという記憶だけです。壊した記憶はないです。でも、不思議なのは、小学校の時です。「理科室の骸骨怖いよ。」と言われて、「骸骨って何?」と言って、「一緒に見に行く?」と言われて、一緒に見に行ったんですけど、困ったことに、(これ、見たことある。どこで見たんだろう?小学校の理科室じゃないよ。それに、こういう骸骨とはちょっと違う気もするけどな。これ、私、見たことある。もっと小さい時に。)と思ったこともありました。「ホルマリン漬け」と言う言葉も流行ったことあって、「どういうの?」と言って見に行ったけど、それには「気持ち悪い」だけの反応で、どうも記憶の中にそれをそれより以前に見た記憶はないようでした。特に「昔見たことあるなあ?」と言う記憶はなく、その上に記憶されたのは、もうアニメで、『ふしぎの海のナディア』でした。まあ、そんな感じですね。
<操作された記憶の奥に>
最近、「盗聴器」を聞いていて、いろいろ思い出しながら、(こういうのが影響しているのかな?)と思いました。友達の手紙にも書いたんだけど、私、中学校2年か3年の時に、友達から、「夏の登校日、学校に来た?」と聞かれた記憶があるんです。でも、私、当時は、学校は休まないで通っていたので、「ちゃんと学校に来たよ。私、学校休まないもん。」と言って、(変なこと言う人だなあ?)と思って、その周囲にいる友達も横目で眺めながら、さっさと自分の席に向かったんです。でも、「盗聴器」を聞いていて、いろいろ思い出していくうちに、(もし、私に、自分の記憶がない部分で「嘘」をついて生きてきたとしたら、「登録されている」と言う意味が分かる。)と思ったんです。結局、同級生や先輩後輩の間で、「誰ちゃん(私のこと)は、嘘を平気で突く人だ。」になっている可能性が高いからなんです。私、学校は休まないで通っていたけど、父が高校教師だったから、「出席停止」とか「登校日(4月1日、8月10日)」の扱いを知ってたんです。こういうのは、通知表の欠席爛には表記しないので、「出席停止7日間=欠席はゼロ日」と言う計算になるんです。だから、どうでも良かったし、毎年学校に行っているようなのは、脳味噌の記憶が代用してしまうことがあります。「去年の登校日で良いよ。」とね。でも、実際に、「記録には残ってないけど、記憶には残っている」なら、私の記憶にないけど、同じ学校のクラスメートとかの記憶にはバッチリ残っている、でも学校の欠席日数には入らないので、認識できなかったのが私。と言う変な出来事があると思いました。
私、中学校に入学する前、「クラス分け試験」があったので、友達の家に行って、友達を誘って、一緒に中学校に向かおうと思って、歩いていたことがありました。その時、中学校の体育館から校庭にかけての道のりをゆっくりと歩く、他の小学校の制服を着た二人組とすれ違ったんです。すれ違った瞬間に、「誰ちゃん。」と声をかけられましたが、周囲を見回しても、知らない2人の女の子がいるだけで、他に知り合いは見当たらなかったんです。それで、「無視」したんです。でも、その女の子2人のうち1人と、中学校2年生から2年間、同じクラスだったんです。それで、すさまじく私を目の敵にしたようにいじめるグループの中心人物だったので、「何で私のこといじめるの?」と聞いたら、「分からないの?」と言って、最初は答えてくれなかったんだけど、日を追うごとに、向うも理由を言うようになったのか?ある日、「何で私をいじめるの?」と聞いたら、あっさりと、「だって、私は、幼稚園の年長組の時に同じクラスで、あなたが「誰ちゃん」と覚えていたのに、あなたは、私を覚えていてくれなかった。覚えてないの?私、中学校の「クラス分け試験」の日、あなたに声をかけて手を振ったのに、あなたは私を無視した。」と言ったんです。
こういうことがあるなら、私の記憶は、「作られた物」なんです。むしろ、添い寝していた亡き母方の祖母が、「怖い夢を見たんだね。」とか、「あんたは、病院に一度も入院したことがない、健康で丈夫な子供で良かった。」とか、全部「嘘」ですよね???もしそうなら、同級生が私をいじめた理由、説明がつく部分があるんです。「どうせ、誰ちゃん(私のこと)って、嘘つきだから、また嘘ついてくるでしょう。」と思うから、どの集団も、「登録されてるわ。(ニヤニヤ)」だったんじゃないでしょうか?登録した人は分かりませんが、登録を消す方法はいろいろあるのに、私は全国区で残ったんだそうです。もし、私が手紙を書けば、記憶がないので、「嘘」を書くから、自分達裁判をやっている人達にとっては、かなり「有利」になると判断したとしたら、びっくりです。
私にも「記憶」は、断片的かもしれないけど、あります。たまに「フラッシュバック」のようによみがえる記憶や、当の本人が私の目の前にあらわれることでよみがえる記憶、私が再び同じ場所に足を運んだ際に、ふいに(ここに来たことがある。)と思ったりする記憶が本当で、私がずっと「(本当の記憶だ。)と思ってきた方が「偽物の記憶」だった。」としたら、仰天です。祖母は、「私は健康だ。」と思って育った方が、強い子になると思って、怖かった入院中の話は忘れて、夢だと思ってほしかったんだと思います。でもそれは、他人には通じないでしょう。
私、人間も場所もそうなんですけど、東京で旅行添乗員をやっていた時に、「防災館」と言うところに行ったことがあります。東京の防災館なんて、初めて行ったし、東日本大震災の後で、震度7の経験もなかったから、防災館で初めて旅行客だった中国人の高校生達が経験するのを見たり、映像を見たりしました。でも、見学が終わって、外に出てくると、入る時とは違う場所に出たのか?「釣り堀がある?」と思ったんです。でも、「この位置からの釣り堀、見たことあるなあ。」とつぶやいたんです。
私、子供の頃、母方の親戚の家に遊びに行って、何日か泊まっていた時に、「一緒に釣り堀センターに行く?」と聞かれて、「用事が終わって、帰りに寄れたら、寄ろうか?」と言って、私の方は、先に別の場所に連れていかれたんです。でも、そっちはあまり記憶がないんです。でも、帰りに、「お兄ちゃんたち(従兄たちのことをこう呼んでいた。)が釣りをしているみたいだから、一緒に釣り堀センターに行こうか?」と言われて、一緒に釣り堀センターに行ったんです。でも、私は女の子だったし、あまり釣りに興味なくて、私が行ったら、「ああ、来たんだ。じゃあ、帰ろうか?」となって、一緒に帰ってきたんです。それに、「お兄ちゃんたち(従兄たち)」がいたのかどうか?記憶ないんです。おじちゃんはいた気がするんだけどね。(釣りって、こういうのなんだ。)と思って、ずっと見ていたけど、「つまらなかった」というのが本音だったんです。黙って座って、釣り糸を垂らしているだけで、面白くなかったんです。遠くに山手線が走るのが見えて、それを眺めながら、釣り堀の方を見て、他の人が釣りをしているのを見てたけど、すぐに引き上げて帰ってきたんです。山手線の電車内から見える釣り堀センターは知ってましたが、釣り堀センターから山手線を見たのは久しぶりだったので、思わず、「ここに来たことある。小さい時に、私、この釣り堀センターにいた。」とつぶやいたのが、防災館になってから訪れた2011年秋の旅行添乗員の仕事中だったんです。
こんな風に、本当の記憶と作られた偽物の記憶があるなら、本当の記憶に残る人達はどう思うでしょうか?「あの人、自分と一緒にいたのに、何で覚えていてくれないの?その日、あそこに、あの人と一緒にいたのに。」となります。それが裁判で必要なら、迷惑をかけているのは、完全に私になるから、「恨まれて当然」でしょうね。でも、全部覚えていないわけではないし、その場所に久しぶりに行くと、「あれ?ここに来たことある?」となるし、ずっと離れていた人と再会すると、その日から、その人との記憶が動きだすことがあって、どんどん昔を思い出す時もあります。人間の脳味噌って、不思議です。私から「嘘の手紙」が欲しい人もいたでしょうけど、今では、子供の頃のように、「私、ちゃんと登校日学校に来たよ。8月10日、私、みんなと一緒にクラスにいたでしょう?」と言って怒ることは、もうないです。子供の頃の記憶が操作されている部分があるなら、私が口にするたびに、「夢を見ていたんだね。」と言っていたものが本当にあった記憶になることもあります。そうなると、そこで出会った人達にとっては、私は「私は覚えていたのに、あなたは覚えていてくれなかった。」となります。中学校時代にいじめの原因になったのは、「私が友達を覚えていてあげなかったから」なんです。それと同じことが繰り返されたのが、裁判で必要な登録制度だったんでしょうかね???私は分かりませんが・・・。最近そう思います。私が嘘をつけばつくほど、「誰ちゃんが嘘をついて私を騙した。」と言って裁判に訴えて、お金をとることができるんだそうです。それを狙って登録を解除しなかったら、びっくりです。そう思いました。
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