槇村参議の姫君は先頃、無事、裳着の儀式を終えられて都人の中ではなかなか話題をさらう姫となられたのでありました。
先の左大臣様と言えば、若くして入道され今は海坊主入道と呼ばれる方で今は河原院と呼ばれる屋敷の六条大路のすぐ近くにお住まいであらせられ、北の方が猫をお好きで猫屋敷とも呼ばれておられました。
入道されては居ましたがいまだ帝のご相談役をなされ宮中に呼ばれる事も多々あられた入道様は弾正尹宮様とも旧知の中であらせられ、少将様とも官位の差を越えてよくお話になられるのはご自分が官位をお脱ぎになられたからとの事だと思われるのでした。
さて、槇村参議の二の姫様の裳着も無事に終わり入道様の北の方ともお文のやり取りをなされる二の姫様は北の方様のお誘いを受け木々の青も目に優しいこの日に北の方からのお誘いをお受けになり猫屋敷においでになられたのでありました。
入道様の北の方と言えば、かの光の君が若紫をお連れになられたように、北の方様もお若い頃宇治の方でお寂しい思いをなされており入道様がそんな北の方をお気の毒に思われご自分のお屋敷へとお連れしたのは有名なお話でもあられ、北の方様とあまりおかわりになられない二の姫様もその時のお話を夢物語のように何度も北の方様にお聞きになられ本日も同じように問い訪ねるのが主となられており貝覆いなどをしながらその事をお聞きしようとなさったら
「弾正尹宮様は通われていらっしゃるの?」
と北の方様がお聞きになるのだから二の姫様はなんと答えていいのか分からずに扇の影で俯いてしまわれ
「宮様は姫様の兄上様の乳兄弟。そう無体な事はなされないのでは?」
と北の方様が聞けば
「弾正尹宮様はお忙しいのであられせられるのでしょう。私を構う暇などあるとは思えません」
と優雅に答えればやってきた入道様が
「宮がそれほど薄情だとは思わなかった。姫もおつらいでしょう、わたしの方から宮にお伝えしましょうか?」
と二の姫様に問い訪ねれば
「いいえ、お気になさらないでくださいませ。宮様がお忙しいのは充分わかっております。それに美樹様や入道様、右大臣の一姫様を筆頭に二の姫様や三の姫様とはこうやってお会いする事が出来るのですから。現に今日は呼んで戴いたではありませんか」
と二の姫様が笑顔でおっしゃれば入道様と美樹様はそっと扇の影でため息をつき、姫様がどのような思いでいるのかと考えずにはおられなかったのでありました。
「入道様に申し上げます」
と女房が入道様を呼びに来れば、来客の正体に驚いた入道様は北の方様に
「どうやら客人が来たようだ。あとでこちらにも来るように言おうと思っているから少し待っていて欲しい」
とおっしゃられ入道様は女房に先導され寝殿の方へと向かわれたのでありました。
「一体どなたが参られたのでしょうか」
入道様は若くして僧籍に入られた方でしたから僧都でも来られたのかと二の姫様と北の方様は思われまた貝覆いを始められたのですが、そのうち寝殿の方から騒がしくなり入道様と共に参られたのは直衣姿もお美しい、弾正尹宮様であらせられたのでした。
「こちらに参られたのは宮様であらせられましたか。どうかなされたのですか?」
北の対の主人らしく北の方様の言葉に弾正尹宮様は
「北の方様は本日もお美しい限りで、入道様の奥方としてはもったいないと思われてしまいますが…。本日の用は二の姫の迎えに来たのです」
と申されますから北の方様は
「二の姫様のお迎えは宮様ではなく姫様の兄上秀幸少将様ではなかったのですか?」
と訪ねられて二の姫様に確認すれば二の姫様も頷き宮様に
「兄上様はどうなされたのですか?」
とご不安そうにお聞きになられたのですから
「姫、少将は帝の急なお召しにより迎えに来るのが難しくなったのです。そのかわり、わたしが迎えに来たのですが…ご不満ですか?」
と申されますので二の姫も不満とも言えずに
「そんな事ありません。弾正尹宮様はお忙しくないのですか?お文などくださるとおっしゃったのに、なかなか文もくださらないようですから、てっきりお忙しいのだと思っていましたが?」
と申されまして弾正尹宮様もさすがにご自分のなさった事に対しお恥ずかしいのか扇を取り出し顔をお隠しになられたのです。
「宮様?」
「申し訳ありません。そう思われていたのなら謝りましょう。機嫌は直していただけますか?もし直していただけるのであれば、珍しい菓子が手に入ったので、差し上げる事が出来るのですが」
と弾正尹宮様は懐から懐紙に包まれたお菓子をとり出したのです。
「それはあまりにもずるいのではありませんか?弾正尹宮様。おかしで二の姫様のご機嫌をお取りになろうだなんて」
「…他に手段が見つからないので」
と苦笑交じりに言う宮様に二の姫様は
「北の方様、私が不機嫌とか機嫌だというのはあまり関係がないですわ。今ここで弾正尹宮様にお見せして頂ければ、問題はありませんわ。宮様、どうかそのおかしを私に見せくださいませ。もし出来るというのであれば、すこし、宮様のおっしゃる通り機嫌を直してもいいと思っておりますわ」
と、二の姫が言うのだから本当の事だろう…そう思って弾正尹宮様はそっと取り出せば二の姫様は
「宮様、私は兄上様が迎えに来てくださるまで帰りませんからね」
とそうおっしゃるから
「あなたは姫が不機嫌な理由をご存知なのか?」
と入道様がおっしゃれば
「姫が裳着を迎えてから、櫻香殿に行ってない事でしょう。たとえ少将とは乳兄弟と言えど、おいそれと私のような物が姫の所に参る訳には参りませんから」
と申されたので
「ならばお文ぐらい寄越していただければいいのに」
と二の姫様がおっしゃるから
「差し上げたら返事くださいますか?」
と弾正尹宮様が申しますので二の姫様はゆっくりと頷かれ
「兄上様に止められるかもしれませんが、それでもよければ」
とおっしゃるので宮様は
「それは…それは、ならばこっそり忍んでいきましょう」
と側で聞いている北の方様と入道様も驚くような事をおっしゃるので二の姫様は
「それが出来るのならしてくださいな。宮様は都一の色好みと申されますから、袴着や裳着を見た妹姫にまで手を出されるのでしょう?」
「いいかげん機嫌を直していただきませんか?少将はわが家に姫を迎えに参ります。いつまでも入道様や北の方様にご迷惑をかける事はないのでは?」
と少し不機嫌交じりにおっしゃえば
「そのような事はありませんわ。二の姫様とは近しい年者同士、姫様さえよければどうぞ、こちらでお泊まりになられても構いませんわ」
と北の方様が申されましたのです。
ですが二の姫様は少し考えられ
「北の方様のご好意はとても嬉しいのですが、やはり弾正尹宮様と帰ろうと思います。宮様ならば、気軽に、こちらのお屋敷に来れるとは思いますが、この度は宮様のおっしゃる通り、宮様と共に帰ろうと思っております」
とそう言うので北の方様は残念そうにため息をつかれたのでした。