手をつかんで離さない撩にあたしは何度目かの抗議の声を上げる。
アパートに着いてから、撩はあたしの手をつかんで黙り込んだまま、あたし達が住む部屋へと向かう。
「ちょっとあんた人の話聞いてるの?」
そう聞いて帰ってきた言葉は
「聞こえてる」
だった。
Wild Hevan〜 昨日までの今日 〜
帰ってきた…。いつもくつろいでいるリビングのソファに座って香は一息ついた。
所在なさげに、香が座ったのを見届けた後リビングを出ようとする撩の後ろ姿を見、そして自分の姿を見下ろして香は撩に気付かれないようにため息をつく。
今の自分の格好はルチアーノの船で着せさせられていた黒のドレスだ。
思えば今回の事件は着替える事が多かったような気がする。
集英会では赤のドレス。
そしてルチアーノの船では黒のスリットが入ったドレス。
一目でブランド物と分かるそれは薄布の光沢のあるサテン地の黒いシルクで肩を出している為今の時間には少し肌寒い。
それ以上に香を所在なさげに且つ心許なくさせているのは、太股まで大胆にスリットが入った身体のラインがはっきりと分かる細身のドレスと、帰ってくるなり有無を言わさずにリビングへと連れてきた撩の態度だった。
キャッツアイで一息ついた所までは撩の態度はいつも通りだった。
美樹や海坊主、それに依頼主である藤岡浩司とその恋人でもあり香の中学時代の友人の一人でもあった加納絵里がいた為か、相変わらずと言っていいほどの態度で香をさんざんため息つかせた。
とは言え、海外にまで連れていかれそうになった香を撩が気づかっていたのは香にも分かっていたし、嬉しかったのは本当の所だが。
それも最初のうちでキャッツアイにつく頃にはいつもの態度に戻っていたのだから、ため息ぐらいでても仕方ないだろう。
美樹や海坊主の好意でそこで軽い夕食に預かったまではいつもの態度だった。
香もそんな撩にいつものように応戦してしまうのだからどちらとも言えないが。
ともかく、撩の態度が変わったのはキャッツアイをでてミニクーパーに乗り込んだ瞬間からだった。
さっきまでの余韻を残しながら香が撩に話しかけようとした時、撩の態度が変わっている事に気付いたのだ。
そして車は発進し撩は一言もしゃべらなかった。
撩が怒っているのだなと言うのは、気付いていた。
ただそれが自分に向けられているものかあるいは第三者に向けられているのかまでは分からないが、今回の件に関しては自分に向けられているものだと香は感じた。
香が連れて行かれた時の状況は海坊主や美樹に聞いているはずである。
今回連れて行かれたのは、美樹や絵理が連れて行かれたと香が判断してしまった為に起こった事。
最も、美樹はとっさの機転を利かせてタンスの中に絵理と共に隠れていたのだからあの状況では気付けるはずもない。
それを聞かされていても、やっぱりそれに気付かない自分のミスだったのではないのかと香は考えてしまう。
だが、撩は何も言わない。
言わないのはいつもの事だと半ば諦めている香はせめて自分の言葉は聞いてもらおうと口を開くが撩は
「後で聞く」
と言うのだから取りつく島もなかった。
で、部屋に戻ってからはこれだ。
撩は何処に行ったのだろう。
ふと、香は思った。
出かけているのか??
などとそんな考えも浮かぶが、さすがにそれはないだろうと否定する。
不機嫌さといつものポーカーフェイスに身を包む相手の心情など元来自分を隠す事など出来ない香は、撩の心情を推し量る事などそうそうできない。
果たして撩はどうしているのだろうか。
呆れているのだろうか。
そこまで戻るのはいつもの癖で。
それを言えば
「お前のせいじゃない」
と切り捨てられるのもいつもの事だ。
自分のせいじゃないと言われても自分を責めてしまうのはどうしようもない事で。
香が攫われなければ、撩はわざわざ危険を冒してまで集英会の事務所にもルチアーノの船にも乗り込まなくても済んだのだ。
そうすれば自分は…。
そう、自分はこんなドレスを着る事もなく、ルチアーノに迫られる事もなかった……。
こんなドレス……。
そう思って香は思わず苦笑した。
着る事なんてそうそうないだろうと思われる有名ブランドのドレス。
背中はVの字にカットされ右足の付け根までスリットが入るドレスだった。
ため息ついでに香は無性に着替えたくなった。
香が今身に付けているもので、香のものは何一つない。
上下おそろいの下着は今ごろ警察にでも押収されているのだろうか。
ルチアーノからドレスを渡された時に下着もあった。
その下着は身に付けたくはなかったが、ドレスは身体にフィットし自分が身に付けているものだと下着の線がはっきり出る。
手渡された下着はドレスに線が出ないように作られたものだった。
嫌がらせのようにせめて下着だけは!とでも思ったのだが。
どうあがいても目立つそれに諦めて、香は結局その下着を身に着けたのだった。
そして、イタリアに連れていかれるかも知れない理不尽と新宿を離れなくてはならない恐怖は香の中でひどく大きかった。
船で都心を眺めていた時。
一瞬だが『ある事』が香の胸に去来した。
こういう事が起こるたびに考える事。
『自分は撩の側にいてはならないのだろうか』
という疑問である。
City Hunterへの人質にされる事はやはり多かった。
ほんのちょっとした隙を相手はよくついてくる。
こういう時、香は自分がもう少ししっかりしていれば、連れていかれる事もなかったし、自分を助ける為に撩が来る事もなかった。
香は撩が助けに来てくれる嬉しさよりも、撩に助けられた、助けに来てもらったという申し訳なさでいっぱいになってしまう。
自分がプロではなく、やはりプロから見れば香は素人でしかないから。
でも、結局香は撩の側にいる事を選ぶ。
今回もそうだったし、そしてこれからもそれは変わる事がない。
それは、兄秀幸が死んで、撩にその事を聞かされた時に決めた事だ。
この男と共にいること。
兄の後を継ぎたかったから……なんてきれい事でも何でもない。
ただ単純に撩に魅かれたからだ。
初めてあった時から。
どうしようもなく香の心をとらえて離さなかった。
それが、危険と隣り合わせだと理解していても。
そう…考えても、このまま側にいてもいいのだろうかという思いもないわけではない。
ふと、考えが堂々巡りになっている事に気付く。
撩の側にいたい、でも自分のせいで撩に迷惑をかける。
でも………。
その堂々巡りをずっと香は続けていた。
最初から……プロとしての自覚を持ち始めてから。
撩の側にいる事で、それが撩への弱点になると言う事を知らされ始めてから。
結局は同じ考えになるのだから、香は自分の考えに苦笑せざるを得なかった。
「何笑ってるんだ?」
顔を上げると香の様子を不思議そうに見ている撩がマグカップを二つもって立っていた。
「……別に……」
「そうか?香、ホレ」
香の言葉に深く追求しないでマグカップを香に渡す。
「コーヒー。のむだろう?」
眠れなくなるかもという思いはどこかに飛んで香は暖かそうに湯気を出しているマグカップに手を伸ばす。
香がマグカップを受け取るのを見て、撩は香の隣に座った。