平安つれづれ物語

樺桜の君

 時の今上は毛利帝と呼ばれているお方であられました。
 彼の帝には妃の宮と呼ばれる中宮がありました。
 そしてその妃の宮と今上帝の間に出来た子供が…現在東宮となっておられました。
 かの東宮の名前は蘭。
 そう、世にも珍しい女東宮でありました。
 今上はそれはそれはその女東宮をかわいがられておられました。
 そして『樺桜の様に可憐で藤のように華やか』と中務卿宮が褒め称えた、とても美しい御方であらせられました。

 時を同じくして、都人の間を三人の若き公達の名前が上がっていました。
 一人は今上の従兄弟であらせられる中務卿宮優作様のご子息、右中将工藤新一様。
 秋の除目にて蔵人頭となられ頭中将と宮中の女官に大人気の人物。
 一人は兵部卿宮平蔵様のご子息、左中将服部平次様。
 頭中将新一様に一歩出遅れたものの帝の覚えもめでたい公達の一人。
 最後の一人は右大臣黒羽盗一様のご子息、右中弁快斗様。
 頭中将新一様と同じく秋の除目にて蔵人頭となられ頭弁として蔵人を束ねている人物。
 この三人の公達の名前が都人の会話に上らない日はなかったそうです。

 頃は、冬、しかも大みそか。
 明日は新年という大事な時に、女東宮の元に遊びに来た3人の姫君のことをお話しなくてはなりません。
 お一人は時の権力者、関白太政大臣であらせられる鈴木史郎様のご息女、園子姫。
 女東宮のご親友であり、好奇心旺盛な姫君でもあらせられます。
 お一人は、今上帝の弟宮であらせられる式部卿宮の姫宮、和葉姫。
 驚いたことに、左中将服部平次様とは筒井筒の中であらせられます。
 最後のお一人は内大臣中森銀三様のご息女、青子姫。
 右中弁黒羽快斗様とは筒井筒の中であり恋仲でもあらせられました。
 この3人の姫と女東宮の名前も、都人の会話に上らない日はありませんでした……。

「東宮様に申し上げます、頭中将新一様、左の中将平次様、頭弁快斗様がこちらにお渡りになられます」
 女房が御簾ごしにそう告げ退く。
「あらぁ、噂の三人の公達がこうやって目通りを願うんだからやっぱりココは違うわよねぇ」
 女房の気配がなくなったころ、園子はわたしに向かってそういう。
「でも、何で平次達がここにくるん?」
「青子、何も聞いてないよ。蘭ちゃんは知ってるの?」
 和葉ちゃんと青子ちゃんがわたしにむかってそう聞く。
「多分、今夜の宿直の事じゃないのかな?お父さんがなんか心配しちゃってね」
 とわたしは3人に向かってそういう。
 このごろ物騒だからって宿直する人を中将にしなくても良いと思うのだけど……。
 と今上帝に言えるわけもなく、わたしはおとなしくその言葉に従う。
 わたしの名前は、蘭。
 女のみでありながら東宮という立場にいる。
 本来ならば東宮と言うのは、女がなるものではない。
 父帝に男御子はなく、各宮は東宮になることを拒んだ。
 仕方なしに、わたしが東宮にたつことになった。
 よく大臣も許したと思う。
 はぁ、新年になることに気が思い。
 次の帝、次の東宮。
 問題が山積みなのに、後宮での物怪騒ぎ。
 そのために、父帝は東宮御所の宿直に帝の覚えも早い3人の公達を指名した。
「頭中将新一様、左の中将平次様、頭弁快斗様、おつれいたしました」
 女房の声に従い3人の公達の気配を御簾越しに感じる。
「頭中将新一、左の中将平次、頭弁快斗、帝の命により今宵、東宮御所の宿直に参りました」
 頭中将の凛とした声が聞こえる。
 この人の声は好きだと思う。
 けれど、わたしは顔を見たことがない。
 女だから…。
 わたしが実際顔を見て話したことがあるのは宮家のもの(中務卿宮・兵部卿宮・式部卿宮)と後見人の園子の父親で母宮(中宮)の兄君の太政大臣と東宮博士の阿笠博士とその助手の灰原の君ぐらい…。
 実際にはほとんど顔を知らない。
「平次、あんたへましたらアカンで」
「な、なんで和葉が東宮御所におんねん」
「なんでってアタシは、女東宮と従姉妹やで。従姉妹に逢いに来たってもえぇやんか」
「アホ、オマエ、いっツもココにおるんとちゃうか?」
 いつも目の前で繰り広げられる口げんか。
「服部、東宮の御前だぞ」
 それを止めたのは頭中将だった。
「あっすまん。すまん」
「はぁっとリー!!!!そんな口の聞き方を東宮にするんじゃねぇ」
「オイオイ、オマエまで喧嘩初めてどうすんだよ。東宮の御前だぞ」
 その頭弁の言葉に頭中将と左の中将殿はなかなおりしたらしい。
 この二人のけんかもいつもよね。
「クスッ」
 思わず、笑ってしまう。
「オメェのせいで笑われたじゃねぇか」
「…すまん」
 わたしが笑ってしまったことで気を悪くしたのか二人は落ち込む。
「ごめんなさい、笑ってしまって。ただあまりにも二人が仲いいから、うらやましいと思ったのよ」
 わたしの言葉に頭中将はいやそうにし、左の中将は嬉しそうにする。
「ちょっと今のは問題だったかもね」
 園子の言葉にわたしは軽く頷いた。
「頭中将、左の中将、頭弁、今宵の宿直をよろしくお願いいたします。この昭陽舎(梨壺)には私だけがいるのではないので。頼りにしています」
「もったいないお言葉ありがとうございます」
 そう言って3人は下がっていった。

 樺桜の君
「せやけど…いつもおんな。あいつ」
 東宮がおはす昭陽舎の宿直所で服部の中将が呟く。
「アイツって式部卿宮の姫の事か?」
「手に届かざるかな桐の木の花……だと」
「なんやねんそれ」
「式部卿宮のお気に入りの木だよ。彼の宮は桐がお好きだそうだ。それと式部卿の姫宮とをかけて誰かが歌った下の句」
 頭弁が服部をからかう。
「求婚した者は数知れず。全て式部卿宮にせき止められてるって噂だぜ」
「ただの幼なじみや」
「ただのね」
 はっきりと答えない態度に快斗はあきれたのかその話しは止める。
「快は内大臣の青子姫やろ?で…工藤の幼なじみって誰や?」
 不意に服部がオレに振る。
「あのなぁ、オメェらにいるからってオレにいるって事にはならねぇだろ」
「藤の姫は筒井筒とは違うの?」
 快斗がオレにそう聞く。
 前にした話しを覚えていたらしい
「せやけど、おれらが後宮におったころになるやろ?……藤壷で遊んどったんは」
 服部の言葉に快斗は興味深くオレの方を見る…。
 オレの筒井筒の姫。
 それが藤の姫だった。
 まだ、今上が東宮でもなく、先々帝が帝であらせられたころ、親王は後宮にいた。
 丁度、帝が譲位をなさるころで、次の東宮問題が勃発する寸前の頃だったのもある。
 オレの父は太宰府帥。
 今上は弾正尹。
 兵部卿宮は式部卿で式部卿宮はまだ無品親王だった様な気がする。
 そのころ藤壷(飛香舎)の藤が咲いていたところで遊んでいた姫がいた…。
 年のころはオレと同じぐらい。
 とてもかわいらしくオレは一目見て好きになってしまった。
 かわいい声…、いつも潤んだ瞳。
 姫をかたどる全ての物が愛おしく感じられていた。
「あの頃後宮におった姫いうたら…和葉と、女東宮ぐらいしかおらんで」
「じゃあ…女東宮?」
「んなわけねぇだろ。だとしても…無理だよ」
 女東宮だとしても…オレが手の届く相手ではない。
「そやな」
 オレの言葉に服部は頷く。
 もし、女東宮が彼の姫だったとしても…覚えてらっしゃらないだろうし…。
 第一、女東宮を自分の北の方にすることは無理だろうし…。
「…デ、新一。女東宮のこと実際問題どうおもってるんだ?」
「は?何言ってんだ?快斗」
「だーかーらー。女東宮のことどう思ってるんだってきいてんの。東宮っていうの抜きにしてだよ。オマエ、蔵人頭だろ?何度かは見てるんじゃねぇノ?」
 快斗の言葉に頷く。
 女東宮は帝の命で何度か清涼殿の方にお渡りになられることがある。
 そういうときは大概公卿(大臣)以外を人払いしているのだが、蔵人頭であるオレと快斗は何かの緊急時に帝にお目通りを願うときがある。
 その時に拝顔したことあるが……。
「で、どうおもった。艶やかな花の女王…牡丹って言うのが頷けると思ったけど」
 艶やか……かぁ。
 確かに何度か拝見した感じでは艶やかと言っても良いかも知れない。
 けど…艶やかと言うより可憐な……そう
「樺桜の君」
「源氏か」
 引用した語源に快斗がからかうように笑う。
「ワリィかよ」
「いや…新一がさ、源氏物語読むとは思わなくてさ」
 はっきり言おう。
 オレは源氏物語を読んでいない。
 母さんに読み聞かされるだけだ!!!
 いつもいつも
「新ちゃん、新ちゃん。優作って光の君みたいでかっこいいわよねぇ。優作が光の君だったら新ちゃんはその息子の夕霧の君ね」
 やめてくれぇ…………。
 勝手に人のことを登場人物と当てはめないでくれぇ。
「あぁ、でも源氏の君って浮気な方なのよね。まさか…優作、浮気してないわよねぇ」
 そう言って必ず、父さんの所に母さんは行く。
 コレが…毎回巻き起こる。
 暇だからって息子の所にやって来て源氏物語を語るんじゃねぇよ。
 といつも思う。
「カイちゃんはともかく…工藤が読んどるとは思わんかったなぁ」
 服部がぼそっと呟く。
「そういうオメェは読んだのか?」
「和葉につきあわされてな」
「オレは青子」
 そう言いあって二人はため息をつく。
「光の君がかっこいいって言いながら浮気な男はいやだって言いやがる」
「ホンマや…あいつら…矛盾しとるで」
 そう呟きあう幼なじみが側にいる二人だった…。
 藤の姫宮。
 君は…今…どこにいるんだろう。

「で、藤の君は見つかったの」
 突然園子に話しを振られる。
 三人の公達が下がって行った後、わたし達の話題は筒井筒&思い人の話しになった。
「藤の君って…蘭ちゃんが昔よう言うてた男の子の事?」
 和葉ちゃんの言葉にわたしはうなづく。
「蘭、わたし詳しく聞いてないんだけどさぁ、藤の君ってどんな人なわけ?」
「青子も詳しく聞いてみたい」
 内緒にしていたわけじゃないんだけど………。
 なにはともあれわたしは話しにすることにした。
「藤の君は、昔、藤壷で遊んでいた男の子のことよ」
 当時、親王(中務卿宮・兵部卿宮・式部卿宮・今上帝)は後宮にいて、東宮時代の先帝もおられた。
 先帝は飛香舎(藤壷)に中務卿宮は凝華舎(梅壺)式部卿は桐壷(淑景舎)に兵部卿宮は梨壺(昭陽舎)にそして、わたし達は弘徽殿にすんでいた。
「せやけど…アタシらと同い年言うたら平次と…頭中将ぐらいしかおらんかったと違う?」
 和葉ちゃんが言う。
 その和葉ちゃんの言葉に青子ちゃんと園子は色めき立つ。
「じゃあ、頭中将なんじゃないの?」
「きっとそうだよ。そのころ後宮にいた人なんて限られてくるんだもん」
「そうなのかなぁ?」
 3人の言葉に今一つピンとこない。
 藤の君。
 初めての出会いは藤壷の庭だった。
 藤が咲き誇る季節。
「楓、楓?どこに行っちゃったの?」
 わたしは殿舎で飼っていた猫の名前を呼びながら飛香舎の庭をあるていた。
 東宮のおはす所だと分かっていたけれど、東宮にかわいがられていたわたしは何も考えずにその場に走っていった。
 藤壷のある方角に猫が走っていったと思っていたのに猫はいなくって…わたしは泣きだしそうになっていた。
「こらっオメェ何すんだよぉ。くすぐってぇよ」
 藤棚の方から男の子の声がする。
 見てみると元服前の少年が猫と戯れていた。
「楓」
「この猫、君の猫?」
 少年はわたしの方に近づきながら聞く。
 身を包んでいる狩衣は絹で出来た上等なもの。
 一目でどこかの貴族の若君というのが分かった。
「そう…楓って言うの」
「もう、離しちゃダメだよ」
 楓を抱かせてくれながら彼はわたしに言う。
 深い深い色の澄んだ瞳。
「ありがとう」
「あのさぁ」
「何?」
 その場から立ち去りがたくて猫をなでて立ち止まっていたわたしに彼は話しかける。
「また…来る?」
「来るって……藤壷に?」
「ウン」
「あなたは…また来るの?」
「君が…来てくれるなら、オレはまた来るよ」
 そう言って彼はニッコリと微笑む。
「じゃあ、わたしも来るね」
 それが出会いだった。

 そうこうしているうちに年が明けて……新年の挨拶をしにわたしは清涼殿へと向かった。
 清涼殿では憮然としている今上とその側で呆れた顔をしている中宮がいた。
「ど、どうかなさったのですか?」
 女房がいるので、くだけないで聞く。
「どうもこうも……」
 今上が言うよりも前に中宮がせき払いをする。
 その途端衣擦れの音が響き、女房が下がったことが分かった。
「どうしたの?お父さん」
「どうもこうもねぇよ」
 わたしの言葉に今上…お父さんは苦々しく言う。
「お母さん…お父さんどうしちゃったの?」
 中宮…お母さんにわたしは問い掛ける。
「あのね、蘭。さっき大臣達が来たんだけどね…あなたの後見人問題が話題に上ったの」
 後見人問題?
 何、それ。
 わたしの後見人って園子のお父さんの太政大臣じゃないの?
「オメェが帝になったとき後見人はどうするかって話しになったんだよ。つまり、オメェの後見人っつーことは、オマエがオレだとすれば…後見人って言うのは英理のことだな」
 ?????!!
 ……って事はつまり、わたしの夫って事になるわよねぇ。
「…で…その後見人が…どうしたの?」
「そろそろ考えたほうが良いんじゃないのかっていう話しになったの」
「相手は?」
 わたしの言葉にお母さんは一人ずつ名前を挙げていく。
「…それもまだ保留よ。候補とすれば、とりあえず、右大将を筆頭に衛門督とか権少将とか」
 とまだまだ名前が上がっていく。
 ちょっと待ってよ……普通の姫ならいざ知らずわたし一応東宮よね。
 東宮の一の君候補にどうしてぞろぞろと名前が上がるのよっ。
「それから…頭中将に左の中将、頭弁も」
 ちょっと待ってよぉ。
 どうしてその3人の名前も上がるわけ。
 特に左の中将と頭弁。
「ちょっと待ってよっ。頭弁と左の中将には決まった方がいるのは知ってるでしょう?左の中将と筒井筒の式部卿宮姫の和葉姫の話は有名よ。それに頭弁と内大臣姫の青子姫が恋仲だって言うのだって有名じゃないのよ」
「しかたねぇだろ。東宮であるオメェの後見人を選ぶんだそれなりの家柄の人間じゃねぇとなぁ」
「だからって…だからって」
 よりにもよってわたしと従姉妹の和葉ちゃんと友達の青子ちゃんの幼なじみまで入れることないじゃないのよぉ!!!
 ともかく、新年はそんなこんなで始まったのである。