太政大臣の言葉にわたしはうなずく。
…時間がない。
それは薄々気づいてたことだ。
…ほんの数時間前までは少し時間をもらえれば大丈夫だと思った。
でも、……今は……全然だめ。
足がふるえてしょうがない。
手がふるえてしょうがない。
許してもらえるかわからない…。
彼がそうなのか確信出来ない。
「太政大臣…何日か待って貰えることは出来る?」
「よろしいですが」
わたしの言葉に太政大臣は静かにうなずいた。
「あと…1週間、んん3日…待って」
「3日でお決まりになりますか?」
「決めるわ…」
わたしの言葉を聞き太政大臣は下がる。
決める…なのかな。
確認に近いような気がする。
でも…違ったら?
違ったら…今からくる中務卿宮に言って…後見人を…決めてもらおう。
でも…。
考えるのは良そう。
中務卿宮にすべてを聞いてからでも遅くないよね。
「昨日の宿直の時間から数えて…12時間以上だよ…」
愚痴るように呟きながらオレは二条堀川の中務卿宮邸に戻る。
「あら、お兄さま遅かったじゃない」
部屋に戻ると乳兄弟が居た。
「…………オイ」
「何?」
「なんでおめぇが居るんだよ、灰原!!!」
「あら?私が居たら不満かしら」
灰原の言葉にオレは表情だけで応える。
「不満顔ね。それでも良いわ。今日わたしは、宮様からの伝言を伝えに来ただけだから、言ったら帰るわ」
そう言いながら、灰原は上座に座ったオレに体を向けながら言う。
「宮様って父さんか?」
「他に誰が居るの?他の方だったらちゃんとちゃんと言うわよ」
「で…伝言って何?」
「伝言…じゃないわね。アナタの好きな真実を伝えに来たって所かしら?」
「真実?」
灰原の言葉にオレはいぶかしげに眉をひそめた。
「真実とは何ですか?」
中務卿宮の言葉をわたしは聞き返した。
「真実とはアナタが聞きたがっている事ですよ。つまり」
「つまり…」
中務卿宮はわたしの言葉ににっこりとほほえんで応える。
「藤の君はどなたかということですよ。まぁ、もうおわかりでしょう」
「………わかりません」
本当にそうなのか…確信が出来ないから、わからないと答える。
「…でも頭中将…なんですか?」
やっぱり確認したくて…わたしは中務卿宮に問いかける。
「はい…そうです。あなたが言う藤の君は…私の息子、頭中将です。では、なぜ…私たちがあなたと頭中将…新一…にすべてを黙ってごまかしていたか…説明します」
わたしと、中務卿宮しかいないこの部屋の中で中務卿宮はゆっくりと言葉を紡ぎ始める。
「今から…10年前…まだ我々宮家がこの後宮に帝の命によりすんでいた時です。まだ、当時は故院もご存命であられましたことは覚えておいてでしょう。故院…いえ当時の呼び方で東宮とお呼びしましょうか。当時病がちであられた帝は東宮に御位をお譲りになるという話がありました。そして次の東宮…つまり帝が譲位なされた後、東宮になるのは誰かと宮中で話題になっていたのです。東宮の御子は桐宮(式部卿宮)と弾正尹宮(今上)のお二人。ご存じの通り桐宮の御子は和葉姫。弾正尹宮の御子は東宮あなたお一人…。東宮を桐宮(式部卿宮)か弾正尹宮(今上)にしてしまったら、次の東宮はどうなる…という話にまでふくれあがっていたのです」
一息ついて、中務卿宮は言葉を続ける。
「そんなおり、東宮と帝が我々宮家(中務卿宮・式部卿宮・今上・兵部卿宮)を呼び次の東宮の話になったのです。当時の段階で東宮になるのに適任なのは東宮とは従兄弟にあたる私当時は師宮と…帝の弟宮の式部卿宮(元兵部卿宮)だったのです。ですが…式部卿宮はなるきが全くなくってね。私も同様だったのだが…あなたと新一のことを…不意に思ってしまったんだよ…」
「わたしと中将のことを?」
わたしの言葉に中務卿宮は静かにうなずく。
「ちょうど、あなたと新一が、あの藤棚の下で…蹴鞠していたときだったね。姫であるあなたがやりたいとでも言ったのかな?」
当時を思い出す様に中務卿宮は言葉を紡いでいく。
「新一は藤の姫宮に逢いに行くときすごく嬉しそうな顔をしていたんだよ。…だからね…権力争いをしている大臣達に…知られたくなかったんだ。楽しそうなあなたと新一のことを…だから…我々はあなたを守るために、弾正尹宮を無理矢理、東宮にすることにしたのだよ」
そう中務卿宮は言う。
「無理矢理だと?」
「そうよ、あなたと、蘭姫様の仲を守るためにはそれしかないでしょう?蘭姫様を守るにも、彼女が東宮でなければならない。院も、宮家の方々も、故院も承知の上での事だったそうよ…」
灰原はそう呟く。
「だから…何も教えなかったわけか」
「えぇ、あなた…というよりも蘭姫様を守るためにね。で、どうするの?藤の君様」
突然、言われる。
どうするって…どうすれば良いんだ?
相手は仮にも東宮。
オレがどうこう出来る…。
「どうこうしたって良いんじゃない?あの方、殿上人となってるはずの藤の君を捜すために女房姿に身をやつしたんだから」
そ、そうだっっ。
「あら?知らなかったの?」
「今日知った」
「なら、良いじゃない」
オレの言葉に灰原は軽く応える。
「待ってるかもしれないわよ」
そして灰原はにこやかにオレに言ったのだ。
「でも…ダメなの」
半ば絶望的にわたしは言葉を吐いていく。
「どうかしたのですか?」
「中将は怒ってるわ…。きっと許してくれない」
「女房の藤式部として後宮内を徘徊していたことですか?」
中務卿宮の言葉にわたしはうなずく。
宮は知っていた。
あと知っていたのは今上と中宮、式部卿宮と兵部卿宮。
そして後宮に仕える女房(口の堅い)のみ。
他の人間は知らない。
「東宮だって言うことだましたことになるじゃない」
「大丈夫ですよ」
「どうしてっ」
大丈夫と言った言葉の意味がわからない。
「灰原の君に説明をお願いしたんです。彼女は全部知ってますからね」
「灰原の君は…やっぱり知ってたのね」
「まぁ、新一の乳兄弟ですからね」
申し訳なさそうに、中務卿宮は言う。
「東宮は、どうなさりたいのですか?」
「…謝りたい…謝ったけど、もう一度謝りたい」
「中将は気にしないですよ。では、謝ったら、次はどうしますか?」
「え…」
どうしよう。
「何を悩んでるんですか?蘭姫様」
「何って……」
歩美ちゃんの言葉にわたしは聞き返す。
「後見人は頭中将様にするんでしょう?」
そうだ…後見人問題があったんだ。
「中将は…受けてくれるのかな」
わたしがぽつりと呟いた言葉に中務卿宮は静かにほほえんだ。
「知らんかった…」
次の日…、中将は参内しなくてこの、藤壷にはいつものメンバーが集まっていた。
「ホンマに中将があの藤の君なんや」
「うん…わたしもね、確実に昨日聞かされて…びっくりしたの」
和葉ちゃんの言葉にわたしは応える。
「灰原の君が知っていたとはねぇ。まぁ、新一君の乳兄弟だもんね」
「快斗も、知ってたみたいだよ…。んーでも知ってたって言うのかな」
園子の言葉を受け、青子ちゃんが言う。
「オレは知らなかったって言うより気づいたんだよ」
「失礼するで」
二人の公達が、現れた。
「快斗っ」
「平次」
頭弁と服部中将だった。
「気づいたってどういう事?」
「青子から聞いた東宮のお話と新一から聞いたことの共通点であとは中務卿宮にかまをかけて見たんですよ」
「じゃあ、快は気づいとった上で工藤のことからかっとったんや。悪趣味やな」
「悪趣味って言い方ないだろ」
服部中将と頭弁の会話であたりは笑いに包まれる。
「でぇ、蘭ちゃん、どないするの?」
みんなの視線がわたしに集まる。
どうしたらいいかなんて考えつかないよ…。
まだ、頭中将に話もしていない。
「にゃおうん」
楓(2代目)の鳴き声がする。
「猫?もしかして、楓とちゃうの?」
近頃どこかに行っていた楓。
「蘭姫様、見てきますね」
「まって…わたしじゃダメ?少し、考えたいの」
歩美ちゃんを引き留めわたしは庭に降り立つ。
散り際の藤。
中将が舞った夜は…まだあんなにきれいに咲いていたのに。
「みゃおう」
楓がわたしの姿を認めたのか体をすり寄せてくる。
「楓、どこに行ってたの?心配したんだよ」
しゃがんでなでようとしたときふっと殿舎の方でざわめく。
何事だろうと立ち上がると頭中将がたたずんでいた。
ど、どうしているんだろう。
なんて考えて、そしてすぐに気づく。
参内しただけなんだよね。
「庭に…お降りになるとは思いませんでした」
「楓が…いたから…」
「お付きの女房に任せれば良かったのに」
「だって……」
何気なしに会話してふと思い出す。
謝らなきゃっっ。
「中将、ごめんなさいっっ」
「へ?」
中将は不思議そうな顔をしてるけど、そんなことかまってられない。
謝らなきゃって思いで頭の中がいっぱいなんだもん。
「あの…えっと…藤式部がわたしだっていうことでだましててごめんなさい。悪気はなかったの」
「……」
怒ってる…って言うより呆れてるよね。
東宮が、女房姿に身をやつして御所内を動き回ってるんだもん。
嫌われちゃった…かな。
「東宮、顔を上げてください。私は…嫌ってなんて…呆れてなんていませんよ」
「中将?」
うつむいた顔を上げると中将がにっこりとほほえんでいた。
「まぁ、驚きはしましたけど…。私の父や母のようなものではないので安心していますけどね」
そう言って中将は苦笑する。
「そう言えば、中務卿宮と北の方はいたずら好きでしたよね」
「こっちのみに全くならない迷惑なもんだけど…」
その言葉に笑みがこぼれる。
宮と北の方の有希子様とのいたずらは父様も母様も苦笑いしていたっけ…。
沈黙が走る。
どうしたらいいのかわかんないよ…。
腕に抱いてる楓に目を向ける中将に目を奪われる。
宮の話を聞いてわかってはいたけれど、実際にこうして目の前にしてみると…あのときのまま大きくなった感じがする。
『…藤の君』
ふと呟く。
声に出したつもりはなかった。
でも、中将がはっとしてわたしの方を見る。
もしかして口に出してた。
「父さんに聞いた?」
その言葉に…静かにうなずく。
「参るよな…黙ってるなんてさ…。オレが捜してるの知ってたくせに」
「捜してくれてたの?」
そう聞くと頬をかく。
「…お願い…しても…平気?」
心の中でホントは言っても良いのかな?と躊躇してる願いを少しずつ口に出す。
「…わたしのそばにいて…。わたしの…後見人に…なって…」
何を言ってるのかわからなくって泣きそうになる。
「…姫、オレは、姫の願いだったら全部かなえる。そう…約束したよな」
その言葉にうなずく。
「あなたが望むなら、オレは、あなたのそばに居ます。姫、幼き頃の誓った約束のままあなたの側に居ることを許してください」
「ホント?」
目の前に居る姫は涙ながらにオレに言う。
『ずっとわたしといてくれるの?』
小さい頃のまま潤んだ瞳は全然変わらない。
「側にいます。これからも」
「ありがとう」
にっこりほほえむ。
ふと手を伸ばし姫にふれる。
「そこまでよ」
クールな声がオレと東宮の間を割る。
「東宮様、今上を始めとし大臣達も殿上の間に集まってます。ご報告なさるのでしょう?」
「そうだっ、ありがとう佐藤典侍」
「では、参りましょう」
東宮は佐藤典侍に連れられ、清涼殿へと向かう。
「で、ごきぶんは、お兄さま」
オレと東宮の間を割ったのは灰原だった。
「あのなぁ、邪魔しておいてそれはねぇんじゃねぇの?」
「邪魔したつもりはないわよ。今後の事あなたに教えなくちゃならないからね」
今後?
今後ってなんだ?
「とりあえず、あなたが後見人になることの発表は…いまなさってるわね。まず、大内裏にほど近いそうね、中務卿宮邸のある二条堀川の近くに東宮御所を建設し、完成と同時に東宮様はそちらにお引っ越し。そして、あなたと婚礼の儀を行って男皇子が生まれたら東宮は廃太子となり院号を賜り、男皇子が東宮となる。とは言っても東宮御所はあなたの家だから当分はそこが東宮御所ね」
それを言いに来たわけ?
「そうよ、まぁがんばってね」
な…何がだよぉ!!!!
脇息にもたれかかってぼーっとしていると御簾の外で人の気配がした。
和葉ちゃんも園子も青子ちゃんも…それから頭弁や服部中将も…頭中将も帰ったはずだ。
誰だろう。
そう思いながら、声をかける。
「誰?」
東宮御所の…わたしが居るところには不審者が入らないように厳重な警戒がある。
参内や人に目通りする場合、先触れとして女房が挨拶にくる。
それがない場合女房か…先触れもなしに参内してくる人…か不審者になる。
「オレ…です」
普通な会話と敬語が混ざって彼はいた。
「中将…?御簾の中入ってもいいよ」
そう言うわたしに中将は御簾の中に滑り込んだ。
「どうしたの?もう家に帰ったと思ったんだけど」
「そこら中で呼び止められてなかなか帰れなかったんだ…。どうせだったら…逢って帰ろうって…思って…」
そう言いながら中将は扇を開いて顔を隠す。
「ありがとう…わたしも…逢いたかったよ。もう帰る?」
「いや…まだだけど」
「だったら少しだけ話しよ。ずっと側に居られなかったんだから」
「だな」
少しはこのままで。
夏も近い昼下がりの藤壷で長い長い話をしよう。
飽きるまで…なんて時間が足りないかもしれないけどね。