第一話

 フランシスがその村に来たのは偶然ではなかった。

 その村は、もともと神聖ローマ帝国領であったが、帝国中心より遠い場所であったがために、フランス王国領となった地域の小さなむらだった。
 フランス王国領ではあるがこの頃はブルゴーニュ派の勢力が強く、この北部フランスがイングランドに蹂躙されている原因の一つでもあった。

 そんな村にフランシスはやってきた。

 表向きは中央カトリック教会より派遣された騎士で、その理由はこの村の安定のためである。
 このドンレミの村を有するロレーヌ地方は神聖ローマ帝国と国境を面しており、フランス王国にとって重要な場所である。
 その村がイングランドと結託しているブルゴーニュ派と王室アルマニャック派で二分しているのは、その村が国境最前線であるためとも言っても過言ではなかった。
 100年近く続いている戦争は他国に隙を与えるようなものなのだ。
 しかもこのロレーヌ地方一帯はもともと神聖ローマ帝国領でありフランス王国が次第に勢力を伸ばして自国の領にしたといういきさつがある。
 そのために、この領域で派閥争いなどあってはならないのだ。
 フランシスがロレーヌ地方にやってきた本来の理由は抵抗しているヴォークルールに対するイングランド軍への牽制の為だった。
 この地での争いは神聖ローマ帝国のつけ入られる格好の材料でしかないのである。

 村について少したった頃だった。
 彼のいる場所は教会で、その教会の神父に紹介されたのだ。
「フランシス様、紹介します」
 人の良い実直そうな神父は此村では頼りにされていた。
 ドコの村でもそうだが聖職者というモノは案外頼りにされる物である。
 聖職者は医療に長け、知識も豊富で誰かの冠婚葬祭には必ず立ち入る。
 そう言うものであったし、そう言うものであるべきだった。
 年の頃は中年のその神父はフランシスに一人の少女を紹介する。
「ジャネット。フランシス様もご存じでしょう?ジャンとイザベルの娘ですよ」
 そう言って笑った神父の言葉にジャネットと呼ばれた少女は居心地悪そうにする。
 その二人の名前にフランシスは聞き覚えがあった。
 村の教会に到着したその時に、喧嘩をしていた二人の名前だったからだ。
 その仲裁はもちろん神父。
 喧嘩の内容はといえば、夫婦げんかはなんとやらと言う具合の痴話げんかのたぐいだった。
 もちろん、喧嘩をしている二人にとっては大問題なのだが、聞いている方はそんな事でと言うような、その喧嘩を思い出しフランシスは苦笑いを浮かべる。
 少女も事のあらまし、顛末全て知っているのであろう。
 もちろん、次の日喧嘩なんて忘れてしまったと言うぐらい仲むつまじい夫婦の様子も。
「彼女はココを手伝ってくれているのです。つい最近までは農作業が忙しかった様で、なかなかフランシス様に逢わせる事が出来なかったのですが」
 神父の言葉に改めてフランシスは掃き掃除を行っている少女を見る。
 小さいな。
 フランシスの最初の印象はそれだった。
 この年頃の少女に比べたらジャネットは棒のようだとフランシスは思った。
 上に三人兄のいるジャネットは同世代の少女達より男勝りではあるが、それでも普通の少女だという。 
 ただ、どこか煮え切らない表情で教会を訪れる傷ついた兵士達を看護のまねごとという名の手伝いをしているのを除けば。
 ジャネットが時折見せる思いつめた表情をするのを神父は話す。
「ジャネット」
 神父は忙しく動き回っているジャネットに声をかける。
「神父様、どうかなさいましたか?」
 そう言いながらジャネットは近づいて来た。
 まだ十代も初めの頃の少女にしては少し発育が悪いのか、やせっぽちの印象をフランシスに与えた。
「中央からいらっしゃった騎士様です」
 神父より頭一つ分上に目線をあげたジャネットとフランシスは目が合う。
「始めまして、騎士様。私はジャネットと申します。こちらの教会で御手伝いをさせて頂いてます」
 そう言ってジャネットはにっこりと微笑む。
 あどけないその表情にフランシスは久々に感じた柔らかい雰囲気にほっとした。
「俺はフランシス。気軽にフランシスって呼んでいいよ。あんまり、騎士様って畏まられるの好きじゃないんだ」
 フランシスは苦笑いを浮かべながらそう言う。
 ただでさえそう言う扱いを受けるのだ。
 中央から離れてる時はそれである事を忘れていたい。
「うん、分かった。フランシス。…これでいい?」
「フランシス様!」
 慌てている神父はフランシスの所行に声を上げる。
 彼は知っているのだ。
 フランシスがただの中央から派遣されて来た騎士ではない事を。
「気にしないでよ。上司の目がない時ぐらいは息抜きさせてよ」
 フランシスは苦笑いを浮べる。
「今、この時が平穏だっていう証なんだから」
 フランシスは西に目を向ける。
 そのずっと先にあるのは後に花の都と称えられる場所であり、最も取り戻したい場所だった。

 だがフランシスの視線の先に、神父もジャネットも気づく事なかった。

注釈
ブルゴーニュ派&アルマニャック派:フランス王室ヴァロア朝の分家ブルゴーニュ公とオルレアン公。両方王位につけるぐらい