Diary 2005. 12
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12月31日 (土)  一年を振り返る。

今年は沢山いろいろな事があった一年でした、本当はその前も、またその前もそうだったはずです。今年は特にBlogの一年であり想い返せる写真と記事を残せたのが嬉しいと思います。

基本的には毎日撮影したものを載せるのが良いと思いましたが、なかなかそうとはいかず、気持ちを書いたり今感じたものを書いたり閃いたものを書いたり心にあるものを見詰めたり思い返したりいろいろですが自分にとって必要なものと向き合う時間が継続の事柄になっていることは事実です、この継続の必要性は自らの気持ちの中に価値をみるものであり感じとるものであるため、あえて第三者に説明することではない訳です。

ここに価値を創造出来るヒントがあるからであり、別にそれがあったり、何があったりではなく、自身の感性を呼び起こすヒントなので都合が良い訳です、ひとつの手段にもなりますが、この方法以外の方法でも自問自答する方法があればそれもいいなと考えていますが、ここに価値をみている訳ですがこれは説明が難しいというか説明してどうするという感じです、受けとめられる心がなければ理解出来ないでしょうし何のことか分からない、価値観の違いというものはこの様なものです。

ブログ何でしていると聞かれて説明出来ないもんで・・・ いい加減な気持ちここに残しました。

写真の方はこれも4×5判ですが、ローキー調です、R1フィルター使用。結構粒子が荒れますね!4×5判でもかなり厳しい感じです。イメージ的にはこんなんで良いのですが、思うようにいかないのでした、もう少し勉強しないとだめだね。

製版用のフィルムとかリスフィルムというのも4×5判にカットして撮影可能なので面白いかも知れません、何でもそうですが奥が深いものです。

 

今年は沢山のご来場ありがとうございました、いつも勝手気ままに書いていますので、その様にお読みください。真面目かついい加減ですのでご承知ください。

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12月30日 (金)  リセット。

昨日の忘年会は飲み過ぎでした、休肝日明けでお酒の効きも良かった様です。

ようやく!クリスマスのプレゼントが届きました。 3Frends Blog.....

昨年の11月からBlogを通して意識改革してこれたので良かったと考えています、一年遅れていたら、多分この様なBlogの必要性はなかったと思えば、何でも物事には時期とタイミングがあるものだと思いました。形を積み上げられるもの、見えないものを積み上げるもの、いろいろあると思いますが、何れにしても意識となって現れるものだと考えれば、結局その手段、方法なりを思考し考える力が同時に将来を予測する力になって行くのだと思います。

 

写真はどこか昔風になってしまった銀座。

※お知らせ:PhotoGroupWAVE公式HPと検索サイト登録を閉鎖及び削除いたしましたのでお知らせ申し上げます。ご支援ご訪問いただきありがとうございました。

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12月29日 (木)  目的。

今日はPhotoGroupWAVEの忘年会で池袋行きです、個人もそうですが団体となればその舵取りも大変な訳です、将来を見据えた手腕に期待したいものです。

写真は先日の4×5判の銀座です、日が落ちていましたので早く撮らないととあせりました。デジカメでパチリと撮れば数秒な訳ですが、ここに拘りたいというのですからそうも行きません。勿論デジカメでも撮影していますが、最近気がついたことはこのような被写体で時間の無い時にはデジカメ何かで撮っている場合でないという気持ちになります、たとえ撮ってもイメージ通りかの確認をするだけです。

最近、モノクロ写真を撮る機会が多いのですが、これは目的ではありません、自身の活動の中に自分らしさ自分の世界を探す手段です、それぞれの人がそれぞれにある訳なので自分の世界は自分で探してください、くれぐれもモノクロが目的ではないのです、自分らしさとその作風が大切だと思います。

デジタルカメラで普通に撮影したものをフォトショップで彩度を下げるとモノクロになることはご存知のことと思います、カラーかモノクロかという二元論ではない訳です、フォトショップの機能をよく見るとパーセント単位で調整出来るので例えば彩度マイナス80の世界というのも描ける訳です、極論でいえばカラーリバーサルフィルムの色合いや色調は人為的に作られている訳ですから自然な色かといえばそうではありません、元々自然な色なんて無い訳です、絵を描く人はそれぞれにキャンバスに色をのせて自分の色にしていきます、写真にもそれと同じようなことがあっても良いのではないでしょうか、先入観を持って生きているのが人間でまたこれがなければ成り立たない訳です、一方ではこの先入観を明らかにして行く訳です、自分探しとはこの先入観に隔てられた向こう側にいる自分を見つけることなのかも知れません、それを写すのが写真であり、目的はいつも見えないところにあるように思いますが、でも本当は見えるところにあるのだと思う、こんな気持ちがどこかにあるから写真を撮りたいのだと思います。

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12月28日 (水)  ArtEye2006計画。

H.Taka氏と最近の写真事情&ArtEyeについて話しをした。出会いは某社で広告用モノクロ写真の暗室マンをしていた時、今思えばプロの暗室マンの時代もあったんです。電通や博報堂の写真を相手にしていたのですから今振り返れば凄いことをしていた訳です。写真は引き伸ばしという作業をしなければ写真として見ることが出来ないのですから、ここに写真を完成に導く技術があった訳です、高度な技術が要求されていたのでした。

最近モノクロで撮影していることもありますが、作品のサイズをA1に想定し徹底した差別化をはかる、次に暗室技術をフォトショップで再現する、プロフェッショナルな暗室技術をマスターして更なる差別化をはかる、ArtEye作品化計画を推し進める、意識改革として写真作家を想定というところまで確認。

昨年某広告企画会社から生命保険会社カレンダーのプレゼンの話しがあったりで、ある程度の感触をもっている訳ですが、実践的に作品制作工程と意識レベルの調整が今一でしたが、今日のH.Taka氏との話しで構想としてのイメージは出来上がりました。

写真家というよりもスペシャリストを目指す写真作家になりましょう。

ArtEyeとその関連サイト@9116は下記です。来年の目標はこれです。

http://homepage2.nifty.com/japanphoto_copyright/

http://www5b.biglobe.ne.jp/~arteye/

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12月27日 (火)  不得意なこと。

20代の頃はスナップ写真が主流の時代だったと思いますが、スナップ写真はあまり好きではありませんでした、良い写真は観ていましたが、伝わるものがないのでどちらかというと風景写真で富士山とかを撮影するのが楽しかった。

この頃を自分なりに検証してみると、人の気持ちとか、自分以外の他人の考えや行動というもの含め興味がありませんでした、人の気持ちで悩むことがなかった訳ですからある面では幸せの時代ともいえます、でも人生いろいろあるので、やがてスナップも好きになる時代を向かえました。

今は何でも撮りたいという気持ちです、どんなジャンルにしても自分の写真にしたいチャレンジしたいという気持ちです、しいて上げればホラー的なイメージは不得意というか理解出来ません、想像というよりも空想であり必然性や論理性がないからです、でも興味本位で見ちゃうところが説明つかないけれど面白い。

動物の死骸や廃墟の写真というジャンルも駄目ですね、木にマネキンが結わかれ手足がバラバラになったのを撮影したことありましたが、心の中にある恐怖の様なものが再現してしまい無責任に扱えないと思いました、あと自分には理解出来ない精神の扱いにも同じ様に考えています、自分が消化出来ないものを写真にして投げてしまうことには責任があると思います、最近のアニメには理解出来ない精神があるので恐い感じです、昔は怪獣でしたが今は神さまが氾濫しています、この辺は取り扱い注意品目というか扱いに困るので不得意です。

同じ写真をしていても取り組み方はそれぞれな訳です、プロとかアマとかの次元ではないところに自分の信じる精神の構築、その様な視点で作品レベルを高めたいものです。

しかし、言っていることはごもっともですが写真は普通・・・  ですね!

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12月26日 (月)  コンセプト。

あまりひと前に出るの好きでないので授業何かで手を上げるのはもってのほかであったことを思い出します、たまたま手を上げて間違った答えでもしたらもう一生手なんか上げたくないと思った高校時代、自意識過剰で見られるのが好きでないので透明人間になれたらいいなと思っていました。自分の良いとこ何もないと考えていました、将来何になろうという目標もなくただ早く大人になりたいと思っていました。

こんな高校生が写真学校へ行きプロのカメラマンになろうとした。

今考えると周囲の人はどんな気持ちで見守ってくれたのだろうと思います、無謀な感じ、でもみんなスタートはこんなだった。

コンセプトなんか無いというよりも知らない訳です、あまりにも知らないことばかりなので良かったのかも知れません、自分と向かい合えたところから本当の勉強が始まることになります、この勉強の仕方は学校でないので一律ではありません卒業も自分で決めるのです、自身の更なる可能性へのチャレンジに夢や希望がある訳です、この結果が現在だと考えると、この気持ちや情熱があるかということになり、この気持ちを維持する環境が大切なのだと気がついてくる訳です、友や仲間のありがたさはこの環境でしょう、心を癒す環境は大切なものです。

かなり昔のコンセプトですが下記に作品を見ることができます。

http://www2u.biglobe.ne.jp/~arteye/link1001.html

※WinXPで見られない場合は、アドレスをコピーして検索してください。

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12月25日 (日)  宣言することの面白さ。

自分自身の意識改革、これで何を改革出来るのか何て考えるタイプは最初から考えない方が良いと思います、要するに難しい出来ないと考えた時から難しくもなり出来なくもなる訳で、どう決めようが自身なのです、自分が決めたことも外から見れば何も関係ない分からない訳です、自意識過剰に陥るのが人なのかも知れません。

プロカメラマンに成りたい、将来はこうありたい、こうして行きたい、などがあればその理想を宣言するのが一番の到達への近道になると考えています、これはあくまでも自分の経験であり考えですが、これを言わないということは相手に伝わらないということです、無かったことに出来る訳です、忘れることが出来る訳です。

プロカメラマンに成りたいと宣言する、写真家であることを宣言する、将来こうありたいと宣言する等いろいろあると思いますが、これを自分の言葉で発することが到達までの一番の近道に出来る、それ以外に方法があれば知りたいです、どうでも良い人にはどうでもよいことなのですが、ここに現実の違いがあると考えています。

私のHPには宣言やそれに似たもの等記載しています、誰の為と言うよりも、自身の為にしています。自身を説得出来ない物には価値をみれないものです、自身を説得出来る路をいだけるのは自身です、その見極めを出来る心に価値を見ている訳です、即ち自身の心をコントロールして着地点に向ける訳です、自身だから自分のことが分かるのです、宣言したことに意識は働く訳ですから大切なことなのかも知れません、そうなりたいと願う気持ちと同じだと思います。

それぞれに願いを叶える方法があると思いますが、こんな方法もあるということです。意識を先行し目標を想定、具体的な形に時間をかけ構築して行く。

成りたいものそうして行きたいものは言動の中にある訳です、カメラ何かは欲しいな何ていえば・・・ すぐ買っちゃう訳で、こうして増えた機材が何十何百台とある訳です、こんな心にむち打つのも辛いですが、叶えられた時に買いましょう、先行投資にはご注意ください。

プロカメラマンに成りたいと考え先行投資に明け暮れた日々・・・ 貴重な体験しました、これからは自己に厳しくですね、とほほです。

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12月24日 (土)  黎明会。

クリスマスイブの今日撮影会を行なう。

佃島・月島・銀座を古川氏高野氏とスナップして歩きました、私の方は4×5判を持て行きました、デジカメのみとしようかとも思いましたが、軽装備にしてどれ位のものが撮れるか確かめたかったのです。

撮影は結果的には大丈夫でした、身体の方も夕方で切り上げて帰宅でしたのでそれ程は疲れませんでした。

黎明会3名の仲間はいつの間に30年になります、私の方では黎明会をプロフェッショナルステージとして見ていこうと考えています、プロを目指したり、現実にプロの写真家であったりする訳ですから、この視点を初心に確かなものへと構築をはかりたいと思います。

自分自身がどれだけのエネルギーを持っているかはプロとしては大切なことであり作品制作にも力を入れたい訳です、そういう意味では気が入っている環境の構築と整備が必要だと考えています。

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12月23日 (金)  好きなこと。

写真学校へ行き好きなことを勉強するのは初めての経験でした、殆んど高校生の時に写真関係の本を読んでいたので難しいことはないので楽しかった。

好きなことを勉強するということは容易いであり楽しいということが分かった。当時、Y.A氏と出会い概念というものを初めて意識して認識できた、日本語は共通語であっても意味は通じない、発する向こう側に世界がありこちらにも世界があるその重なった部分でしかお互いの理解は望めないのだということや、その重なりをどの様な方法を持って広げていけるか、要するに分からないということの意味が分かったということでしょう、気がつけないけれど自分が知らない世界がある、船を操縦するのには羅針盤が必要なように、今の位置を示すコンパスが必要であり当時は意味論や認識論、視覚伝達論など勉強しては語っていました。パソコンの話しに熱中して何時間も話している時があるように、その数倍数十倍もの時間をかけても自身の物の見方を検証したかった、それを語れるのが楽しかった、お互いにそれが理解できるまで話しが終わらなかった。そんな時代があり現在があるのだと思う、懐かしい自身の青春時代だ。

現在も写真が好きでいられることに感謝しています、どうしたらもっと好きになって行けるか、何を写したら良いのか、こうした数十年の時間は自分に教えてくれたように思います。今は何でも撮りたいという気持ちです、撮るもの全てが新鮮に思える、自分にとってこの先もこの気持ちを忘れたくないと思います、この気持ちを語れるのがブログ3人の仲間だと思います。

好きなものをもっと好きになっていけたらいいですね!

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12月22日 (木)  昔の写真。

個撮でポートレート、そんな写真を撮るようになるとは想像も出来なかった時代、一枚のポートレート写真を素材として作品にならないかといろいろしていました。

夢も希望も無いというよりも持てなかった、小さな垣根に種を植え小さな花が咲くことを願った、どうしていいか分からないというよりも叶う夢を見ていた。

モノクロ写真の再開、それは忘れていた過去との再会でもあり、想いかえすことも多い、以前はローキー調の写真が多かった、同じ自分が忘れていた自分と会う、記憶の扉の向こう側にいる自分は何を語りかけてくれるのか楽しみにしています。

はかり知れない時間、生きてきた現実・・・ ローキー調になって行く心は何を想い出すのだろう、とにかく今を写真にして行きたいと思います。

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