Diary 2005. 8
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8月31日 (水)  シーバス2。

ンンガ〜 なにかオタケビが聞こえて・・・ シーバスは行く。

シーバスを見ていて気がついたのは船の形やデザインが各船違うということです。デッキから外を眺められるタイプもあれば全面窓のタイプもありました、こんな船に乗ったり岸辺から写真を撮ったりと都心にも遊べるところあります。

時間の許せる時にシーバス1日フリーパスで周遊の旅をしたいと思っているのは私だけでしょうかね。

※横浜はシーバス、東京は水上バスが正しい名称。

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8月30日 (火)  シーバス1。

いいな〜 オイ誰かカメラを向けてるゼ!

シーバスの路線も以前に比べると縮小されてしまいました。確か荒川では秋が瀬まで行っていたいたのですが今はありません、途中の停車場も姿を変えています、ご覧の通りののどかな船上をパチリ。

よく見ると缶ビールが2本見えますね。しかし客いない、このままだと廃止になってしまはないかと心配、乗ってみたい方はお早めに。

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8月29日 (月)  モノクロ。

写真もテレビもモノクロの時代が幼年期でした、この頃は寝て見る夢もモノクロ?

それがカラーの時代に入りモノクロは古いという代名詞のように云われた時もありました。銀塩フィルム時代のモノクロ写真というのは印画紙に焼き付けないと見ることが出来なかった、これを不思議にも可笑しくも思う人はいなかった訳ですが、デジタルの時代になり初めてモニターでモノクロの世界を直接見ることが出来ます、私にとってはこういうことが感激です。

モノクロの写真を見て不自然に感じないのは自身の脳が色の部分については想像と感性で補完しているがゆえに自然にも美として感じとれるのです。

http://www2u.biglobe.ne.jp/~arteye/room102/room102-008/room102.htm

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8月28日 (日)  津軽半島。

津軽半島あたりまで来ると日本海の景色もずい分と変わった感じに思えるのは、陸地側の景色にあるのでしょうか、家並みが無くなり人の気配が消えてゆくのです、そうするとどこからと無くもの悲しくなってきます、それが人が感じる遠いところなのだと思いました。どこかセンチメンタルな気分にもなるのですがここまで来てこのような気持ちに合って帰るところにきっと旅の良さがあるのだと感じました。

冬はもっと寂しいところになるのでしょうね!この反対側に霞んだ下北半島が見えていましたが、ここからがまた遠い・・・

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8月27日 (土)  むつ市。

写真は変哲もないスーパーですが青森県むつ市で夜の12:00まで営業しているお店は少ないので。パチリ

生鮮売場でこれは東京とは違うなと思うのは気持ち悪いくらいに大きいたらこやいくらです、その卵がやたらデカイのが印象的でした、見栄えの良い物が都会の消費者向けなのだと思いました。

撮影旅行の時に出来るだけ地元のお店で買い物をする様にしています、今回はサンダルと無水アルコールと正露丸と靴下等を購入、地方のお店に入るとここにしかない物をみつけることがあるので楽しみにしています。地元の人が集まるところや路地をのぞいて見るのが結構面白いのです、風呂屋もそうした気持ちで行きます、きっとどこの誰という風に見られているのかも?

車で通り過ぎてしまうのではなく期間中はその地で生活する気持ちで郵便局や銀行、食堂や駅などへ行き、デパートがあれば屋上の遊園地にも顔を出してみると面白いと思います、一見バカバカしいように思えますがこの様なことも一つだと思います、自身の気持ちを旅先に合わせてこそ見えて来る物があるのかも知れません。

景色もそうですが雰囲気が伝わってくると見えてくる感じてくる想像してくるという風なことでしょうかね!

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8月26日 (金)  朝の散歩。

もっぱら見るのは写真サイトなのですが、Blogサイトは何故かコマーシャル風なのが多いですね!カメラメーカーの仕掛け人何てカッコいいかも・・・

カメラ雑誌などはいたし方が無いのですが、カメラ名やレンズ名はメーカーからギャランティをいただいて書くものだと思いますがやたら目につくのは何なんでしょう。

サービス精神でしょうか、私もサービスしちゃいます。

キャノン1DMarkUN レンズEF300mmF4L IS USM 1/250sec f4開放 ISO100 WB調整あり、協力MeL企画室。

朝の雰囲気をだす為に、色温度を調整。

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8月25日 (木)  記録&表現。

一般的には写真は記録媒体であって表現手段では無いという認識だと思いますが、時代は変化してきました。

記録の方は公文書としての法的証拠能力を近年になってマイクロフィルムが認められ現在ではブックレスの時代になり情報そのものが原本の資格を有するようになりました。

時代は変化してきたのでしょうか、一般写真の世界はというと銀塩フィルムの時代からデジタル記録の時代に突入、これまで以上に写真が手軽に撮れる時代となりました。また、昨今ではBlogサイトが流行り自己の言葉や写真が発信されています、これらを総合して考えると近未来には写真はこれまで以上に表現の手段という風になり、この表現に価値をみる様になると思います。こうしたBlogの発信から表現は作品として意識を変えて行くのだと考えると改革とは時代の渦中、人の渦の中に答えがあるものだと関心させられてしまいます。

以前は写真が最先端の流行にも見えた時代がありましたが、写真が写真以上に育たなかったのは時代背景もありますが、気がつけない盲点の様なものがあったのかも知れません、またすでにこうした生き方できた人間にとっては未知で新しいものは認めがたいものです、意識の改革と云ってもなかなか受け入れられない訳けですが若い人達の今の流れが自己の表現が手段(写真)は別にしても豊かになり良き時代への足がかりになればと思います。

写真家としての志を忘れかけていました・・・ あったんですか!これ以上追求しないで。

(遊び心半分なんだから意識も半分でご勘弁を・・・)

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8月24日 (水)  構造改革。

夏休みも終わりに近づいてきましたが整理整頓が出来ていません。

仕事関係のものは殆んどPCで処理出来る環境にまで仕上げたのですが、その他は相変わらずの部分が目立ちます、一見PC万能の様に思えるのですが実は自身のキャパが現状を左右、PCはしょせん道具である訳ですから整理整頓が出来ない人間にはやっぱし同じなのでした。

道具として使うから道具になってしまう、人も道具として使われたら道具として応える訳です、ここに使う側の技量というか使いこなし方が本来あるはずなのです。(屁理屈ともいえる)

入り口らしきものは分るのですがなかなかその扉を開けない、それを都合のいいように次のテーマへとチャンネルを替えていこうとする自身もいる訳です、このサイクルが短い人も長い人もいると思いますが時として嵐のように通り過ぎて行く心は何者なのかとも思う時もあります、Blogをしていて思うことはこの気持ちを書きとめられるということでしょう、心はまるで風のようにうつり変わり変化を繰り返しとどまることを知らない、この夏休みの終わりが見えて来たのであせっているともいえる。

宿題を残して外に遊びに行こうかどうしようかと迷い結局遊んでいた心は今も同じなのだと思う、この心をとりだして一度自分の眼で見てみたいと思う。遊び心しかなかったらきっとショックなので半分だけ見るのは楽しい。

HTaka氏CArai氏の心の半分が遊び心なのでそう思うと何故か勇気をもらったのか爽やかな風が通り抜けてゆく・・・

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8月23日 (火)  空間と構造。

何時かの法事のとき従兄弟が俺が死んだら誰がみてくれるんだろうと云うと、大丈夫だよ誰かが必ずみるよ!誰かって誰だよ、死んだら分らないからそんな心配いらないよお前は死んでも心配出来ると思っているんだね!私はそれを黙って聞いていました。

何時でもどんな時にでも今が一番良いと思える心(人生)でありたいと考えています、自身を見つめる心は答えとなって心に届くものだと信じています、ようやく自身が信じるものを見つけられた思いがします、ジャンクリストフのどこかに精神は不滅というのがありました、確かに人は死に至りますが生きている時にその人の心を支えた考え方なり思想は精神として残せるものであると思っています、生きている時には精神を高めるべく生きたとしたら安易簡単な道のりではないと考えますが、同じような境遇に答えを求めさ迷う自身と同じ魂を持つ人間が将来にも出て来る、そして同じように悩んだりして歩む訳ですから、その今見えぬ未来の友へ自身の精神を伝える、あなたと同じ命と精神を持ち生きていた者がここにいた、今あなたは孤独であってもそうではない、こんな勇気をロランからもらった思いがします。

命というものは生をつかさどる根本ですが、精神なくして魂無しという事でしょうか、これが正しいかそうでないかは自身の心が決めることですが私はこの様な視点から物事の原理を見つめる以外に今のところ考えつかないので自身の価値創造はこの範囲を逸脱出来ないということにもなるのだと思います。いずれにしてもこの有限の自身の命が永遠の精神になれるかでしょう、神や仏を信じればフリーパスポートになるというそれもどこか理解出来ますが、しばらくは自身との葛藤に実践あるのみと考えています。

心の鏡それは写真、今の気持ちを映す・・・

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8月22日 (月)  青森。

自慢にはなりませんが、いまだに海外には行ったことはありません。

もっぱら国内ばかりです旅行と滞在、遊びに行くのと仕事で行くのでも違います。細かいことを言えば旅慣れているかそうでないかでも違います、極論で言えば行く人で違う訳です、人生も同じである訳です、それぞれが主人公である訳です。

作品も同じだと考えています。

こんなこと考えないと写真が撮れないのか、極論で言えば撮れないのだと思います、人が価値として受け入れる時は結構冷静な判断をするものです、作品であればその客観性を見られます、ですから写真展なんかで偶然に撮れた何て言えばイメージがダウンします、撮影が大変でした何て言うとイメージがアップします、要するに一般的にはイメージで見ている訳ですから状況で変化するといえます。

制作する側がこの一般概念であれば価値をみることは無いと考えると、制作する側の視点なりがいかなる視点にあるかが大切であり、即ち論理はここにある訳です。

どうでもよい人にはどうでもよい話しなのです、要は自身の組み立て方です、自身に説明説得してどうする・・・の、才能に不安を覚える、それも一つの答えです。

これをひっくり返すのが遊び心ですよ、こちらも大切!何、遊び心しかない・・・???最初に戻ってセットアップからお願いします。

 

写真の三角のビルがアスパム物産館、お土産が揃っています。黄色い船が青函連絡船「八甲田丸」です、朝の散歩コースにお奨めします。

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