Diary 2006. 2
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2月28日 (火)  忙しい毎日3。

今日は朝からビデオ編集をしていました、月末と重なりてんてこまいです。

忙しいのは嫌でないので助かります、チョッとした合間を見つけてまったく関係ないことをしたりもします、今回は仕事用のカレンダーを作成してみました。

http://www5b.biglobe.ne.jp/~arteye/Cameramandispatchservice.htm

とにかく頑張ります、明日早起きするので寝ます。

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2月27日 (月)  忙しい毎日2。

毎日が忙しいことは結構なことだと思いますが、チャンと実績を見える形にして行きたいと考えています、パソコンをするようになって感じたことは何故か時間がかかることでしたが、この継続が蓄積となって形をなして来ています、HPサイトの充実、Blogサイトの充実、作品意識の充実、作品ストックの充実・・・

あとは内容そのものの充実だと考えています。

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2月26日 (日)  忙しい毎日。

プロになった頃はどうなるのだろうと思っていた仕事も来るようになり、実績と信用を確保できると、この環境が通常になってくる訳ですが、ただこの仕事を消化するだけではつまらなくなりますから、どう面白くしてゆくかが問題になります、基本的には自身が好きで出来ることであればどんな職業仕事でも良いと考えています。

物事うまくいかないとしたら、それはうまくいかないような対応や考えをしているからだと思いますが、自身に気づきステップアップしてゆくことは大切であり、基本的には写真や作品も同じ関係なのだと思う、この世の中相手自然も含めてですが、それと自分との関わり方しかない訳で、それを理解しているところの現状が心であると考えれば出来ないことも変えられないことも決まっていることも何も無いのだと思います、であればいくらでも可能性はある訳ですが、いざとなると思考出来ない、現実の先入観で物事をみてしまう、この生活の概念の中から見てしまい創造的イメージの世界が描けない、普段のこうした考えには作品とどこかつながりあるように思えてならない訳ですが、これを意識として自分と作品との関係をあらためて見つめられたらと思います。

仕事も忙しいけれど意識は次の段階や方向というものを思考している訳で、これを日常にしていける環境の整備はしたいものです。

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2月25日 (土)  早朝の湖。

不規則な毎日をおくる。サラリーマン時代は朝の4時に起きて何処かへ出かけるということは大変でしたが、今は結構そうでもないです、ただ睡眠時間が6時間以下になると辛くなります、身体の方は仕事なりに合わせてくれるようですが不規則というのは良くないということは確かです。

平常は夜更かししないで朝早起き方にしたいものです、最近はAM3時頃起きBlogの更新してまた寝る、これって早起きなのか夜更かしなのか分かりません。

一様、早起きなのでしょうか、朝はAM8時以降に起きると一日が非常に短く感じてしまうので出来るだけ早く起きて正午までを長くするようにしています。

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2月24日 (金)  ファッションショー。

いつの間にかカメラマンからビデオ制作会社に変身!

人生にはいろいろあるものだと思います、食べてゆく、生きてゆくこれがあって現実がある訳です、今日はスタッフ2名で5カメと録音を担当しました。

写真家ならぬ行為ですが、このようなことも好きなんです、時にはビデオカメラマンそして録音技師、いろいろな視点から物事を見る考える、またそれは写真に返ってゆくと考えています。

立場、見方をかえてカメラマンや写真のことを思うことも大切だと考えています、これは全てに同じであり共通すると思います。また、どんなに考えようが終りが無い、どんなに思考してもとどまることは無い、この渦中こそが人生である様にも思えます。だとしたらこの渦はなにかといえば自身の情熱や好奇心であり想像力です、ある面では心の状態ともいえます、この心に羅針盤が備われば航海に出る船と同じです、そして勇気が必要であり、夢や希望が必要なのだと思います、自分を説得する為に勉強するのだと思います、時は経験と共に知恵も授けます、そして価値を創造するに至る、思考の原理論理は命の可能性と必然性に証明されて行くものかも知れません、体験体感というものはこうして心に蓄積されて行きます。

ファッションショーここに青春と情熱がさく裂していました。

答えにもそれぞれ自分なりのものがある、この自分なりというものが大切なのだと思う。

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2月23日 (木)  休肝日。

火水曜日を休肝日にしてようやく中性脂肪の値が下がってきました、でも月に飲む総量はそんなに変わっていないのに、変な感じです。

生活習慣病とまではいかないけれど健康には注意しないとと思い禁酒を週2日しています、何せ身体が資本な訳ですから病気には成れません。

休肝日を設けるまでに10年近くも要してしまいました、これまで無駄な努力も数々としていた訳です、自分の口から週に2日禁酒しますというとも思ってもみなかったです。今の状態で様子をみてそれでも駄目だったら3日4日としてもいいと考えています、それでも2日に1回位は飲める訳ですから頑張らないとと思います。

私の場合は病院というよりも診療所を利用しています、待ち時間が無いので助かります、民間会社の診療所なのですが外部扱いで受けられるので穴場だと思います、とにかく待ち時間が短いのが良いです。

診療所は主に本体の会社社員とグループ会社社員の人間ドックと健康診断をしていますが、午後の結果報告後の3時から4時半までは診察してもらえるので助かっています。

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2月22日 (水)  写真作家協会。

これからのことを考えれば、写真をいつまで続けていけるのかと思う、そして人は独りでは生きてゆけない。将来とは云わずとしても多様化の今日に新たな出合いはあるのでしょうか、ここにも可能性はあると考えています。

どんな人でも心があり今を生きている、この心、自分自身とは何だろう、少なくても自身のことは少しは理解出来る様になってきた訳です、志を同じく持てる仲間作りが大切なのだと考えています。

写真の持つ可能性、これは写真が好きですからここから学びたいということです、広く見れば人としての生き方に通ずると理解しています、自身の精神を高めて行ける環境が必要であれば、その心を自ら映してゆける、写真クラブやサークルまたは団体という様なものが求められますが、この様なものも時代遅れになっていく現在においてはいったいどうなって行くのだろうと思ったりしています。

自身の気持ちや情熱のうけ皿も大切なのだと思います、可能性というのはある程度の環境を用意してやらないと育たないものだと考えています、一人で壁に向かって語りかけても続くものではない、基本は人間であり、その人の意識なのだと考えると、その意識は精神の域に達したいということだと思います、命が持つ必然性の中にもがき苦しむと考えれば、いくらかでも安心してやすめるところもほしいものです。

それを探してなかったら志を同じくする者達が創っていけば良いと思います、写真作家協会、でもこれは目的ではありません、あくまでも環境の整備の一環であり、また先へと続いて行くのが人なのだろうと思います。

一概に写真を語るなんてことは難しいものです、自身の命と写真との関係・意識でまるっきり違うものになる訳です、でもそれが写真であり面白さであり可能性である訳です、共通なところはその面白さを各自がそれぞれに実感しているところではないでしょうか、それはある面では共通な価値観であり目的です、数十人数百人という団体である必要も無い訳です、共通の価値観や目的を持って多様化してグループ化して行く必要が無くなれば消えて行くという風にグループとしての意識、再編成という風になって風通しが良くなり活性してゆくものだと考えています。

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2月21日 (火)  副業4。

来る時が来た。もう3回も会社を辞めると言っている、1回目は些細なこと、3回目は専務まで来てしまった、副業のことも話した、もうこれで終わると思った、専務は辞めることは無いその副業も続ければ良いではないかという、そこまで出来る人の方が良いとまで言われ、ガクッ・・・ 辞める理由が消えてしまった。

しかしやがて4回目、ついに副業の仕事と出張がバッテングしてしまったのでした、目をつむって誰かに代役で撮影してもらう方法もあるけれど、辞表を出すことにしました。

その頃、恩師、恩人、親戚、が相次いで他界、人生の儚さを思った、一度きりの人生であることを悟らせてくれました、また、リストラという風もみました、必要とされていれば自分とは関係ないではすまされないという思いがありました、とにかくこれで終わりにしたいと思いました。

沢山の人に見送られて感謝感激でした、ようやく辞められるから嬉しくてしょうがなかったけれどそんな顔を見せることは出来なかった、あっちこっちで送別会をしていただき感謝しています。

辞めてプロカメラマンになる、でも仕事は副業でしてきた仕事しかない、不安は大きいけれど、とにかく羽ばたいたのでした。

副業してきて良かったと思いました、写真で生活してゆくのは大変なことですが、人との出会いが仕事を拡大して行きました、運がいいとしか思えないところもあります、この運を感じとれました。

現在に至っては基本的に写真にプロもアマも無いと考えています、写真とは意識そのものなのだと考えています、意識イコール写真&作品です。この意識を持って成長して写真作家になります。プロカメラマンだから写真作家に成れるもんでもないという自覚をしています。世間一般には作品という意識は殆んど無いに等しいと考えています、これは実感したことです、ですからもし自身に作品という意識があればそれを育てる環境なりを持って継続できたら良いと思います、こちらの方は一生を掛けてゆくテーマにしたいですね。

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2月20日 (月)  副業3。

本業副業とも順調に推移・・・、でも予想外なことが発生。

それまでの出張が関東圏でしたので、帰ろうと考えればいつでも帰れたのが全国展開になってしまいました。気晴らしに遠くに行きたいと思うことはありますが、一週間〜3ヶ月はチョッとキツイよね。知らない街に行く、そこでの生活どうなってしまうのだろうと思った、でも出張費や日当も出るし、他に行きたい人もいなそうなのでGO・・・

この当時、デジカメがあれば良かったと思います、そしてネットがあればどこにいても発信出来て楽しかったと思うでもそれがなかったことが悔やまれます。

この時間をどの様に受けとめて自分のものに出来たか、観光ではない一種の滞在です、そしていつも4から20名位のアルバイトさんに仕事を手伝ってもらうことになりました、いろいろな能力が試されてしまう訳です。

知らない街を歩く、誰もいない夕暮れを見る、行ったことの無かったスナックへ行く、したことがなかったパチンコもしてみる、そうこうしていると副業の仕事が入る、結局キャンセルすることも無くこなすことが出来ました、旅費規定を順守、飛行機や新幹線を使い帰る旅費が出る、あとはそれに要する時間が問題でした、寝台特急というのにも乗りました、当時は私有車持込もOKでしたので深夜の高速を走る、領収書が無くても精算が出来る、日当宿泊費交通費に救われました、要するに仕事をチャンとこなせればかなりの自由度があった訳です。

何でこんなことしているんだろうと独り宿で考える時もありました、仕事が終わって帰る頃にはお世話になった方とのお別れです、慣れてくると相手の辛さが理解出来る様になってくる、これを繰り返すことが仕事なのかと悩んだりもする。

会社に帰ると新鮮な感じがして良かった、西麻布に会社があった時には東京の唸る様な騒音に驚いた、今考えると休む暇なく仕事をしていた様に思う、頭を切り替えてまた副業のカメラマンに変身して仕事をする。

人生は受けとめ方一つで決まって来るように思えます、これが面白さになればしめたものであり、可能性を持つということなのだと思います。

足跡を残してこれた主な市町村は下記でした。

都城市役所・末吉町役場・直方市役所・海南町役場・長門市役所・鳥取市役所・総社市役所・多伎町役場・頓原町役場・美山町役場・伊勢市役所・関が原町役場・刈谷市役所・掛川市役所・磐田市役所・蒲原町役場・湖東町役場・七塚町役場・鹿島町役場・佐久市役所・安中市役所・藤岡市役所・沼田市役所・東村役場・赤堀町役場・結城市役所・下妻市役所・土浦市役所・八千代町役場・吉川町役場・鉾田町役場・大洋村役場・金砂郷町役場・竜ヶ崎市役所・所沢市役所・大宮市役所・鹿沼市役所・水海道市役所・三和町役場・南河内町役場・関城町役場・明野町役場・下館市役所・伊豆長岡町役場・武川村役場・中道町役場・竜王町役場・富津市役所・木更津市役所・分水町役場・天童市役所・藤島町役場・多賀城市役所・名取市役所・古川市役所・築館町役場・鳴瀬町役場・三陸町役場・陸前高田市役所・金ヶ崎町役場・大槌町役場・大曲市役所・金浦町役場・盛岡市役所・久慈市役所・十和田市役所・青森市役所・蓬田村役場・平館村役場・今別町役場・北見市役所

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2月19日 (日)  副業2。

年間休日11?の会社に就職出来た時にはやったと思いました、何故なら完全週休2日になるとそれまでの休みがいきなり年間40日は多くなる訳ですからこれを副業に当てるのも、何か勉強するにも良い訳です。

この当時から毎年写真展をしていたので案内状と一緒にカメラマン派遣サービスという内容の案内状を入れて写真展会場近くの某ホテル写真室へダイレクトメールとして送る、某帝国ホテル系の写真室を持つ会社の理事の方から話しを聞きたいので本社に来てくれませんかというので行く、カメラマンが足りないので派遣してほしいということとなる、まさかと思いましたがとにかくは自分を派遣現在に至る。

今思うと本業で収入も安定していたので長期に渡って続けることが出来たのが良かったことになります。

また、別の発表会関係の仕事は土日祝日なので幸いでした、こうしているうちに技術も向上する訳です、口コミでの仕事も入り、副業も年30万円から150万円へUP、それを自身に投資して行きました。自分で仕事を選べる様になりたいと思いましたから、何をしたいのかが問題だと思いました。

本業の方は自治体に行く出張でしたので時間調整に苦労するところになりましたがいきなり行く仕事でなかったので計画的に出来たのが良かった、多い時には年間200日位は出張でした、全国を回れて貴重な体験が出来ました。携帯電話が出来て助かったりました。

今思うともっと可能性を拡げることが出来たのだと思いますが将来を導く力がないと駄目だと思いました、現状を見詰めることも大切ですが、成りたいもの、将来を決めてゆける、基本的には面白いとはその様なことであり、それを仕事とすることであり、カメラマンというものが目標であることもない、自ら創造してゆける内容を持つ仕事に遣り甲斐はあると考えています。

これは基本的に写真をしていることの意味や意識も同じである訳ですから、面白く写真をして行きたいことも人生も仕事も同じであり、自分自身と向き合えることが大切なのかも知れませんね。

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