Diary 2007. 3
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3月31日 (土)  満開近し。

更新用の写真が無いのでピンチ。

仕事帰りに4×5判でジーパチしました、いつも 4×5判の機材を持って出掛けるのはかなりの重労働になると痛感しましたが、確実に1枚撮れたらそれで良いかなと思っています。

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3月30日 (金)  清澄公園辺り8。

今日は風が吹き荒れ撮影をあきらめました、桜もいよいよ本番なので撮りたかったけれど見るだけとなる、赤塚公園。

昨日はH.Taka氏と写真等のことやらいろいろと電話で話しをしました、お互いに会って話しをしたりお酒を飲んだり出来る環境で写真撮影やBlogをしていける方が良い様に思いました。

基本的にBlogというのは目的ではない訳ですから、なにかハードルなり目標を描かないとどこまで走って行くのか、今どの辺なのかも分からない、近未来において写真展を開催しようとか何か目標がないと継続は難しい、結局楽なものはそれだけのものになってしまう訳ですから、中途半端な結果になるのかも知れませんね。

一人で20から30点作品を出品した個展なりグループ展を開催、自己の作品は写真集にして行くというくらいの覚悟が出来なかったら今の悩みもいらないような気がする、別な答えがあれば良いですが適当に気楽を主にするのであれば夢も希望も捨てることだと思う、気持ちが将来に一致できない、またその心に期待出来ないから葛藤する訳ですから、目標を設定して行った方が楽なのかも知れないと思う。

閉ざされ雨戸をジーパチ。

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3月29日 (木)  清澄公園辺り7。

平日の発表会を撮影、いつもと違うなと思いながらいたら春休み中でした、社会人には無い学生特有の休みでしょうか。

それにしては今日の某会場はカメラマン泣かせでした、ステージが中途半端の高さで座席の背もたれのやたら高い椅子、傾斜のない会場で座ると前が見えない、真ん前で撮るか最後部で撮るかですが・・・ 真ん前で低くなりながら撮影しました。

休憩中なにやら聞いた声がすると思い振り返ると恩人のH先生がいるのでご挨拶、ビデオ撮影していた会社が理由は分かりませんが止めてしまったとのことで依頼が来る、こんな風に仕事が増えるものかとも思う。

私の方は音大出ている訳でないので内容は分かりませんが、30年近く聴き込んでいるので上中並位は分かる耳に肥えてきた感じはします、今日の発表会は特上・・・ 寿司屋メニュー表現ですいませんです。

写真展にも上中並の様なものがあると思うので評価して見るくらいの気持ちが必要だと思ったりしました。

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3月28日 (水)  清澄公園辺り6。

もう直ぐ4月になろうとしているけれど作品らしきものは無いしこまったもんだと思う。

そろそろ桜も咲き始めたので何か撮りたいと考えるけれどイメージが出て来ない、仕事が忙しいからも確かにあるけれど、それだけではないと薄々感じている。

撮影出来る環境も着実に構築出来ればと思うけれど長年の課題となるだけでなかなか実現は不可能なようです、唯一Blog用の写真が写真行為の現実になっている。

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3月27日 (火)  清澄公園辺り5。

この辺りに来るとアルバムに見た一人の美しい女性のことを想い出す、一度きりしか見たことが無いけれど誰かと母に尋ねたことがある、姉さんだという、19歳で東京大空襲の犠牲になったという。

本当は下町の様なところは好きではなかった、生活感のあるところが嫌だった、人情もお節介もご免だと思っていた、モーツアルトの曲を心地よく聴ける様なところで人と関わり無く生活なんて考えていたけれどそんなものが通用する訳も無い・・・ こんな時代の写真には人が写っていない風景が多い、大いなる偏見かも知れないけれど人のまるで写っていない写真や、風景ばかりの写真を見ていると人との関わりを好まない心が見えるような気がしてならない。

人生いろいろだから面白いと最近は思う、良いも悪いも人生そのものなのだと思う、写真にはその人そのものが結果的には写ってしまう訳で、演出も可能なのだと思う、全ては自分で決められる訳で成りたいものに成れる、そうして自分をつくっていけるのが人生でもあり写真なのかも知れない。

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3月26日 (月)  清澄公園辺り4。

一連のモノクロ写真は4×5判で撮影、何枚も撮れないのが欠点ではあるが逆にそれはメリットにもなっている。

昔は35ミリモノクロで撮影、明日から旅行だチョッと頑張るぞー何て時はカラーにしたり2Bにしたりしていましたがデジカメになりこの辺の事情も変わって来ました。

とにかく沢山撮れることにメリットがあり結果もその場で見れる、確実に撮影してゆけるのですからデジカメは理想的なはずなのですが、どこか写真の醍醐味に欠けると感じ始めてしまい現在に至ったのかも知れない。

個人のこだわりなのでそれはそれでどちらでも良いのですが、デジカメ以前のこだわりもあった訳で、むしろその以前のこだわりの部分に未完な部分、目的があり現在はそちらを優先して新たな目論みとして差別化を図り現在に至る。

あくまでも自分の世界を構築出来たらと思う、本人の意識以上のものは本人には理解が出来ない、その意識と世界観に可能性という言葉を持ってチャレンジ出来たらと考えている訳で、写真とはそうゆう思考の手段であるという認識でいるので基本的には個人の写真観であると思う。

したがってBlogサイトを見る時にはそれぞれの写真観を見ている訳で写真を見ている訳ではない、そこにその人なりの必然性を思う、評価とは感じるものにあるのであって一方通行のものでもない、理解が無くては人の心は動かないと考えれば、作者が理解されたいという妥協もいらない、その様な意味でのサービス精神もいらない、良い作品とは心に光って見えるモノなのかも知れないと考えている。

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3月25日 (日)  清澄公園辺り3。

干上がった池、水路の様なものがあるが水に満たされた景色を見たことが無い。

センスも感性も違うので同じところに来ても撮影の仕方は様々ですが、そこに説得されるものがあるか、感じとれるものがあるかも様々であると思う。

先日、某披露宴で写真を配っている方がいてどうやら写真を最近始めたらしい、その写真と披露宴とは関係ないのですがよっぽど気に入っているのかと思っていたところ、私のところに来てどうですかと見せに来た、良い写真ですね!何てこたえられないので構図の話しをすることになる、何でこんな見知らぬ人に構図の話しをしないとならないのかと思いましたが、あまりにも素人的な写真が少しでも巧く見える様になるにはと思いました、構図なんてと思う方もいますがこれがトリミングとして出来ないと結構お粗末でお見苦しい写真になっちゃう訳で、私の写真は最低でもこの構図はクリアーさせないとと思っています。

絵心のない方が写真を撮る、絵が描けないから写真を撮る、何もないから写真を撮る、写るのが面白いから写真を撮る、様々な出会いが写真との関わりに織り込まれて行く。

写真の違和感はとりあえずは構図で直るのでチャレンジしたら良いと思いました。

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3月24日 (土)  清澄公園辺り2。

時間の無い毎日をおくっていると時間の観念も変化してくる様に思う、とにかくは充実感はあると思う、いかに有効にと考えると仕事の延長の様にも思えるけれど基本的に違いがある訳も無い。

この時間の使い方を自分で決められることが大切なのかも知れない。

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3月23日 (金)  清澄公園辺り。

近頃は一日撮影できる時もないので1時間2時間の時をつくるのが楽しい。

とにかくは撮影、何か見えてこないかとも思いますが、集中力もなく思考もなくこの後の仕事が気になりながらの撮影ですから楽しいと感じられればとりあえずは良いと思うので、ジーパチ。

こんな気持ちも不本意かも知れませんがこんな時も二度と無い、昔、全国を周っていた時も何でこんなところに来ているのだろう思っていましたが、今では想い出になっています、何かと理由をつけて撮影しなかったあの時はもう戻ってこない、作品よりも写真を撮るくらいの気持ちでいられないと駄目かも知れない。

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3月22日 (木)  リバーシティ。

いつの間にか知らない街になって行く東京。

それにしては隅田川も川幅が広い、向こうにリバーシティが見える。

とにかくはシャッターを切る、こんな平凡な景色も二度と同じ時は無いとジーパチ。

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