Diary 2007. 4
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4月30日 (月)  昔の写真13。

ノンリニア編集も実際にはHDDの容量が大きくなり低価格になってからだと考えればつい最近の出来事といえる、だからチャンスがあったのだと自己分析している、かつてはビデオ映像機器をそろえると言えば何千万の時代だったそうだ、これからハイビジョンの時代が来るけれどまたここにもビジネスチャンスがあると思う、基本的に編集は同じ、HDDも現在クリアー、あとはPCの性能UP少々くらいで可能となる、ハイビジョンで撮影しフォーマット変換で通常のDVDに対応すれば既存ユーザーにも問題ない訳で16:9の映像もようやく実際に陽の目を見る時が来るといえる。

何十年か後、あんな時代だったと思う時を楽しみにしたいと思う。

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4月29日 (日)  昔の写真12。

昔は写真そのものが貴重な時代でしたが、現在はそんな感覚そのものが無くなろうとしている様に思う。

某社でビデオ撮影中に写真を撮ってくれないかと言われ写真を撮る、それも仕事の写真である・・・ 普通はビデオカメラマンには頼まないと思うのですが、デジタルの時代になり誰でも写真くらいは撮れるということなのでしょうか、まぁ仕事が来る分には何でも良いですけれどね。

自分自身の顔として写真家とビデオ制作会社という看板を持っている、写真総合研究所の一部門としてビデオを始めたのですがもしかしたら映像総合研究所の方が良かったかも知れない、これだけ一般的にビデオカメラが行き渡っても作品らしきものが見えない、当然難しいのであろうが将来性はこれからだと思う。

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4月28日 (土)  昔の写真11。

現像所からプリントが届いたけれど最悪・・・ 再度プリント依頼。

最近は昔の様な職人と言われる人が現像所から姿をけした、かわりに写真のことは何も知らない人が仕事をしているので再プリントが多い。

注意書きまでしてもミスプリントなのでこまったもんです、検査工程もあるのだろうと想像しますが、理解に苦しむ、かつて現像所は高給取りと言われる時代もあったのに今はアルバイト・パートの時代となり機械的に作業がされているのだろう、デジタルになり益々こういった傾向にあるように思う。

写真は西伊豆でジーパチ。

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4月27日 (金)  昔の写真10。

スイカ畑の風景、以前はハイアングルにして差別化していました、何気ない写真ですがいつも2メートルの高さは確保していました。

今日は早起きしたのでタイヤ交換をするぞ〜・・・ 今だにスタットレスタイヤのままなのでした。

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4月26日 (木)  昔の写真9。

R社の健康保険組合診療所へ行く、ここは人間ドックがOB扱いなので助かります、今日は採血で行きました。

とにかく待ち時間が普通の病院に比べると短いのがありがたい、今日はコインパーキング料金200円で済みました。
この病院には10年も通っています、中性脂肪が少し高めな為です、隠れ肥満・・・ かも!外見では太ってはいないのに・・・ とにかくこまったもんです。

写真は三浦半島でジーパチ。

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4月25日 (水)  昔の写真8。

このシリーズは今月いっぱいで終了です、目標。

GWの予定もそろそろ決めないとと思う、今年はゆっくり旅をする予定です、前半は京都へ行き、後半は久しぶりにH.Taka氏と金沢へ行きます、とにかくは作品化計画をと思います。

そんなんで気が早いですが5月の更新は遅れますことお知らせ申し上げます。

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4月24日 (火)  昔の写真7。

この忙しさの中でまた仕事を入れてしまう、なんでまたと思うけれどありがたいと思う。

サラリーマン時代はこんなに働き者ではなかった様に思う、自分で言うのだから間違いないだろう、ただ別の神経を使っていた様にも思う、今は人間関係にはストレスは無い。

写真で食べていくなんて今考えると恐ろしい・・・ 何で自分のところに仕事が来るのだろう、信用や技術のこともあると思うけれど、毎日奇跡が起きている、普通の様に見えて普通ではない、思わずありがとうございますと声が出る。

不安に思う時にはエクセルで現状をチェックする、売上げや今後の見通しを見る、現状が理解出来れば元気が出てくる、そうゆう性格なんだなと自分をあらためて思う。

自分に必要なことがあれば何でも勉強したいと思う、必要と感じながらも分からないというものがあればそれは不安をつくり出す原因にもなる、不安があればそれは答えにも似ていると思う、何をしたら良いのかは自然に見えて来る、問題なのはほったらかしにすることだと思う、見えないものを形にして行く行為には空間認識にも似たようなところがある様にも思う、これを持って展開していきたい。。。

お互いとの共通語を持って話せる友の存在は大きいと思う、最終的には自身の問題ではあってもとことん話しが出来る友の存在が必要だと思う、共有する時間にお互いが分け与えあうものがあるのだろう、自分が一人ではないという勇気を充電したいものだと思う。

鯉幟の季節に、ジーパチ。

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4月23日 (月)  昔の写真6。

この写真を撮りに行った頃M.Furu氏がプロに転向。

ついにプロにと思ったけれど私の方は漠然としていて成る為の思案も無く、成りたい理由も無く、職業として魅力あるものなのかにも疑問をいだきはじめていたので、好きな写真を好きなように撮るのが一番と考えるようになって行く。

かたわら、サイドビジネスで写真を撮り続けていた訳ですが、結局はそれが陽の目をみることになる、というか自分を救うこととなる。

何かこだわるものが無いと形には見えてこない様に思う、運も半分以上はあると思うけれどこのこだわりが路を開いてきたのだと思う。

自分の考えや気持ちを語れる友の存在も大きいと思う、沢山の夢や希望を語り忘れたけれどそれが今となる、今は見えないけれど未来にはその形を現しているようにも思う、こだわりとは自身のこころを見詰める行為そのものなのかも知れないと思う。

それぞれの世界、廃墟は好きでないけれど、ジーパチ。

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4月22日 (日)  昔の写真5。

GW最中に仕事がありそれもバッティングしているのでM.Ikeda氏に撮影を依頼する。

自分で撮影できる範囲で仕事なんて言っていたら縮小してしまう訳で、あふれるくらいの方がまた仕事がくる、仕事が無くて暇なんですよね!何て言えば益々仕事が無くなって行くのが常識になろうとしている、これが写真業界の現実なのかも知れない。

写真展も作品制作もしていないプロカメラマン諸氏が多い、仕事の写真が作品ということなんだろと思う、私もいつかそう思える仕事をバリバリ出来る時が来てほしいものだと思う。

自身を見詰めていける速度や歩幅があるのかも知れない、自分がそうだから人もそうだとは限らない、いつまで経っても変われない自分もいる、これが自分だと言ってやったら嬉しいのになと思う。

この写真を撮影していた頃はハイアングルで撮っていたことを思い出しました、ジーパチ。

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4月21日 (土)  昔の写真4。

記憶ではGW中に行った写真だと思った、後から鯉のぼりも出ます。

ルーペを忘れて裸眼でピントを合わせ失敗なんてことがあたり前の様におこる、アオリのロックが緩くて片ボケ、ジャバラに針先程の孔があいていて何じゃこりゃ・・・ とにかくオールマニュアルなへんてこりんカメラが4×5判カメラです、普通に写るのにどれだけの練習と失敗を繰り返すのかと思う、まさに職人のカメラともいえるのでした。

結局こんなカメラだからこだわれる訳で、これが青春時代だったんだと勝手に思いあがっている、何でもそうだと思うけれど自己を満足できるもの納得できるもの、そこに答えを求めて行きたいと思う。

これで作品がバッチリ決まっていれば言うこと無いのですが、そうでないからまた悩む訳で、これを相して写真で遊ぶ・・・ 写真はカメラではないと言っていたこともあったけれど、都合の悪いものはリセットしながらもう少し頑張って撮影し続けたいと思います。

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