タイトル | : Re: 神と人間 |
投稿日 | : 2020/07/15(Wed) 19:24 |
投稿者 | : 岡沢 秋 |
> 確かに上記二冊に登場するオーディンも意味する存在は北欧神話のオーディンでしょう。そうした意味合いでは彼等は同一の存在と言えるのかも知れませんが、僕は、これは間違っていると思います。何故なら北欧神話の神格性を持った神々に、例の海外著者は、神格性を失った神のエピソード群を同一として扱って「北欧神話と一括り」にして紹介しているわけだから。
うーん、原典が明記されているのなら、同じ「オーディン」でいいと思います。神話は生きている限り変化していくものだからです。つまり、時代と、信仰された場所の違いによるバリエーションと見なすべきだと判断します。
たとえばエジプト神話では、エジプトで信仰されていたイシスと、ローマで信仰されていたイシスは、かなり属性が異なりますが、同じ「イシス」の時代を違えた変化した姿と私は認識します。
多神教世界においては、時代や場所によって変化できるのは、その神への信仰が生きていればこそ、なので、変化を否定するのは死んで紙の中に閉じ込められた神性しか認めない、と言っているのと同じことになってしまいます。特定の原典によってスライスされた、ある時代の特定の姿のみで語るのは、あまりに範囲が狭い。
デンマーク人の事績に出てくる神々は確かに人間みたいにされているのですが、それも変化としてはアリなんです…。
あと、「北欧神話のオーディン」ですが、実際に北欧のヴァイキングたちが見ていたオーディンと、現在私たちに見えるオーディン自体も、おそらくほぼ別物です。我々から見えるのって、ある特定の時代に記録された一部の情報だけなんですよね。しかもほとんどの文書資料をアイスランドに因っている。(ノルウェーやデンマーク、イングランドなどに居たヴァイキングとの差異が見えない)
オーディンという神格だけで言っても、「北欧神話」として現代の北欧地域の神話だけを採用するのか、ドイツやスイスのゲルマン人の神話も入れて「ゲルマン神話」と括るのかによってだいぶ内容が違ってきます。