昭陽舎・東宮御座処
「……そうですか…女房が……」
御簾の中で女東宮はうつむく。
「女東宮、あなたはここ桐壷から移動していただくことになります」
「それは了解してます。なら、一三、どこへ移動すべき?」
そう言って、陰陽師の真田一三に東宮は聞く。
真田一三。
かの安倍晴明を師にもつ、当代随一の陰陽師。
陰陽師寮の頭である。
「藤壷と考えております。方角的にも悪くありませんから。構いませんか?」
「大丈夫です。移動する時期は、一三、あなたにまかせます」
「御意」
そう言って真田陰陽頭は下がる。
「頭中将、原因はわかってるのですか?」
事件の事を東宮は聞いてくる。
「まだ、調査中でございます。分かり次第、ご連絡申し上げます」
「ありがとう。頭中将、頭弁。一つお願い事があるんだけどいい?」
「なんでしょうか」
女東宮のお願い事にオレと快斗は耳を傾ける。
「昭陽北舎で亡くなった女房の事。きちんと弔って欲しいんです。」
「それはもちろん、承知の上です。ご安心下さい」
そう言うと東宮は安堵する。
前から思ってたけど…、東宮はホントに自分の事よりまず他人のことを心配なさる。
東宮派の蔵人としては心配なんだが……。
「それから…例の物の怪の騒ぎはどうなってますか?物の怪騒ぎのことで中宮も不安になってるかと思うと…わたしが向かうとそうでも無いのですが」
「物の怪の方も調査中です。中宮は元気でおられますよ。母が遊びに来ておりますから」
「頭中将の母君は三条の大納言の姫君でしたね」
母さんと中宮は仲がいい。
聞けば幼なじみと言うから驚きだ。
少し歓談した後オレと快斗は東宮御所から下がり、北舎へと向かった。
「やっときたんか。まっとったで」
北舎の入り口にいる服部がオレと快斗を見て嬉々揚々と声を掛けてくる。
「状況はどうだ?」
「これ見てくれへんか?」
そう言って服部は快斗に小さな包みを渡す。
それを受け取り不思議そうに包みを開けた快斗の顔が一変する。
「どや?」
「…これ、どうしたんだよ」
それを見せながら快斗は言う。
快斗のもつ包み紙に乗っていたそれは、色、匂いからして、唐渡りの毒のように思えた。
「典薬のねぇちゃんが死因はこれとちゃうかっつうて持ってきてくれたんや」
「灰原がか?快斗、典薬寮にはこのクスリはあるのか?」
オレの問いに快斗は顔色を変えずに言う。
「ここじゃまずい…」
「…分かった。事件の概略が先だ。半刻後、蔵人所で。その時までに、これの詳しい事を教えてくれ」
「了解」
そう言って快斗は踵を帰す。
「ほんならオレ達も始めるか」
服部の言葉にオレは頷いた。
「被害者は弘徽殿の女房、伊予守、源某の娘、伊予。死亡時間は…灰原の君の話によりますとおおよそ巳刻(午前11時ごろ午後1時)の間と思われます」
と高木五位の蔵人。
「ふーむ。死因は何かね」
「毒殺かと思われてます。ただいま、灰原の君が毒の特定を行ってます」
目暮検非違使別当殿の言葉に、高木五位の蔵人が答える。
「被害者の交友関係は弘徽殿の女房の中では同じ局のもの。帝付の女房や、女東宮の女房とも親しかったと言います。人当たりのいい事で有名のようです」
「クスリの進入経路にも寄りますが、やはり同じ局のものと考えたほうが良いでしょう。第一発見者はどなたですか?」
「伊予を捜しにきた女房仲間の中宮付の女房の堀川、宇治少納言の二人です」
オレの質問に白鳥衛門督が答えた。
「取りあえず、今は灰原の君の分析結果と東宮の移動が先だ。昭陽舎北は封鎖。東宮が移動した後は昭陽舎も封鎖だっ」
と検非違使別当殿は言った。
東宮の移動を他の人に任せてオレと服部は蔵人の詰め所に向かう。
「あのクスリなんやと思う?」
「服部はどう思ってるんだ?」
「唐渡りのクスリやと思うてんのやけど…快ちゃんの様子が気になるねんな」
服部の言葉にオレは頷く。
「……新種だろうな」
「そやな。せやけど…新たに入ってきたクスリがそう簡単に手に入るんか?街にいかんと無理とちゃうか?」
「ともかく、快斗のところに行こう」
オレの言葉に服部は頷いた。
蔵人詰め所
蔵人所には快斗のほかに灰原の君もいた。
灰原の君はオレの乳兄妹である。
「灰原、何でおまえまでいるんだ?」
「オレが呼んだんだよ。あの遺体を監察したのは灰原の君だし。どうせなら詳しいこと聞きたいでしょ?」
快斗の言葉に頷きオレと服部は座に座る。
「これは近ごろ街で流行り始めたクスリだ。使い続けると死に至る。もちろん、一度に大量に使っても死にいたるけど」
「麻薬か?」
「そんなもんだ」
オレの言葉に快斗はそう答える。
「でも、使ってるようには見えなかったの。もし使っているのなら死に至るころには廃人同様になってるはずなのに」
「つまり…一気に服用したって事か?」
「そうね。それに、これ、水に溶けやすいの。だから、あの女房に水だといって渡したら簡単に殺せるわ。少しなめたことあるけど、結構甘いの。だから砂糖水だと言って誤魔化せば簡単に相手は飲んでくれるわ。それともう一つ」
「なんだ?」
「…これの事について、宇治少納言と堀川が典薬寮に聞きに来たのをみたことがあるわ」
と灰原は言葉をつなげる。
「さよか……せやけど、問題はどうして昭陽北舎で死んでいたというかやな」
「桐壷で何かあるって言うのはオレは聞いてない。灰原の君も何か知らないか?」
「私も聞いてないわよ。吉田さんなら…何か知ってるかも…」
その言葉にオレ達は歩美を蔵人所に呼んだ。
「忙しいところ呼んで悪かったね。歩美」
「そんなことないです。女東宮様も事件の詳しいこと知りたいとおっしゃってますから」
オレの言葉に歩美はそう答える。
「あまり女東宮の耳にはいれたくないんだけど…。聞きたいことがあるんだ良いかな」
「ハイ、頭弁様」
歩美は素直に快斗の言葉に頷く。
「巳の刻頃、昭陽北舎の方で何か変わったこと気づかなかった?何でもいいんだ。話し声とか、音とか、ホントにささいなことで良いんだ。何か気づいたこと無かった?」
「……巳の刻ですか?園子姫さまと、東宮様とで貝合わせしてたころだったから……。そう言えば…、昭陽北舎の方で物音がしたんでわたし…見に行ったよ。でも…その後は何もなくって……あっ薫物の香りがした…」
歩美はハッと気づく。
薫物?
物がわかれば限定出来るかもしれないな。
けど…女房なら誰でもつけてるし…。
「一種類?それとも多数?」
オレは歩美ちゃんに問い掛ける。
「…二回薫ったよ。最初は…荷葉…その後が侍従…だったよ…」
歩美ちゃんは思いだしながらオレに言った。
「伊予が使ってたのが…荷葉だったわね」
灰原が歩美ちゃんの言葉に反応する。
伊予が…荷葉を薫いていた、侍従をたいていた人物が重要参考人か犯人だな。
「ありがとう歩美。おかげで事件が解決しそうだよ」
「良かった。東宮様に伝えておくね。あと…光彦君と元太君。今日参内してる?」
歩美は幼なじみの元太と光彦のことを尋ねる。
中務卿宮である父さんの預かりで現在殿上童している少年の事だ。
元太、歩美、光彦の三人は殿上童や女房見習いの中でも帝や中宮そして東宮のお気に入りの3人なので宮中でも人気なのだ。
「光彦と元太だったら今は院のところにお使いに行ってるよ。帝のところに後で参内するから逢ったら、歩美の事言っておくよ」
「ありがとう新一くん。じゃあ、東宮様の元に戻るね」
そう言って歩美は東宮の所に戻っていこうとしたときだった。
「歩美ちゃん、ココにいたんだ。佐藤典侍が捜していたよ」
高木五位の蔵人がやって来た。
「五位の蔵人。歩美はオレ達が呼んだんだよ」
「そうだったんですか。ごめんね、歩美ちゃん」
「そんなことないです。じゃあ、戻ります」
歩美はそう言って戻っていった。
「ところで高木五位の蔵人、どうしたのかな?」
「ハイ、宇治少納言と堀川に事情聴取を取ろうとしたんですが、堀河の方は今、自宅の方に下がっているんです」
「と言うことは、宇治少納言が犯人って事か」
「ハイですが………否定するので……」
そう五位の蔵人は言葉を濁す。
「その点だったら、大丈夫だよ。崩す手段はあるよ。それを否定されちゃったら困るんだけどね」
快斗の言葉にオレ達は頷き、もう一度、昭陽北舎に向かった。
「工藤君、待っていたよ」
「別当殿。高木五位の蔵人に聞きました。ちょっとお聞きしたいんですが、宇治少納言の薫物は何か知りたいんですが」
「薫物か…ワシはそっちの方には明るくないからなぁ…白鳥君、君は薫物には詳しいかね」
「薫物ですか?もちろん大丈夫ですが……」
別当殿の声に、白鳥衛門督がやって来る。
「薫物がどうしたんだい?」
「宇治少納言の薫物を知りたいんです」
白鳥衛門督に聞きそしてその答えを聞いてオレ達は昭陽北舎の中にいる宇治少納言の所に向かう。
「ご機嫌よう、宇治少納言」
「頭弁様に頭中将様、左の中将様まで…。私を早く戻していただけませんでしょうか」
オレ達の姿を見るなり宇治少納言は言う。
「ご友人が亡くなったことであなたも心悼めてるでしょう」
「……別に」
吐き捨てるように言って宇治少納言はうつむく。
「別にって、アンタの女房仲間やろ。同じ局におるんとちゃうか?」
「あまりわたしと彼女とは親しくなかったので」
「親しくなかった?そうには見えなかったらしいけど。他の女房達は言ってるよ。死んだ伊予と一番親しかったのは、あなただって」
「…何?何よ……伊予が死んだのは私が殺したって言いたいの?」
宇治少納言はオレ達をにらみつける。
「ところで……あなたの薫物は、侍従なんだそうですね」
「それが何?」
新一の言葉に宇治少納言はにらむ。
「わたしの薫物が何かって関係あるんですか?」
「さっき調べてもらったんだけど…中宮の女房のなかで侍従を使うのはあなただけだと聞きました」
「だから…何?」
「巳の刻あなたはどこにいたんですか?あなたの侍従が昭陽北舎から薫ってきたと証言があるんですが…」
オレの問いに宇治少納言はオレから視線を外さずに答える。
「確かに、その時間に私は、昭陽北舎にいたわ。でも侍従を使うのは私だけじゃないわよ」
「そうですね…。では、なんのために昭陽北舎にいたんですか?東宮付の女房なら昭陽北舎にいてもおかしくないでしょう。けれども、あなたは、中宮付の女房だ。そのあなたが昭陽北舎にいるのはおかしくないですか?」
「関係ないでしょ?」
「関係ないとも言いきれないんですよ。その時刻に伊予が殺されているんですから…」
オレの言葉に宇治少納言は顔色を変えない。
その時だった。
「ちょっと良いかしら…宇治少納言、これ何?」
灰原が突然やってきて、宇治少納言に包みを見せる。
多分、例のクスリだろう。
「これなんですか?」
「私が聞きたいわ。でも、知らないの?あなたのクスリ箱の中に入っていたものよ」
灰原の言葉を聞き、宇治少納言が顔色を変える。
「後宮で麻薬を所持しているなんて問題じゃないの?」
「……灰原の君、なにが言いたいんですか?これを持っていた、わたしが伊予を殺したとでも言いたいんですか?」
「宇治少納言、伊予はその、毒薬で殺されたのかい?」
オレの言葉に少納言はハッとなる。
「…………」
「少納言、ホントのことを言ったほうが身のためやで」
服部の言葉に、少納言は泣き崩れた。
宇治少納言はやはり、伊予を殺害したのだった。
原因は男女関係のもつれだそうだ。
「はぁ、こんなばっかりや」
「愚痴るなよ。服部」
「せやけどなぁ、なんかこーどでかい事件あらへんかな」
と服部は呟く。
事件も解決したところで、いつもいる蔵人所町屋にいる。
「あのなぁ、簡単に事件を願うなよっ。世に乱れがあったら帝のせいになるんだぞ」
「ただ言うてみただけやねんてそう怒るなや」
快斗が服部をたしなめる。
まぁ、服部の気持ちも…わからないでもないけど…。
あえて口には出さない。
「まぁ、凄惨な事件はいややけど、けど…工藤やっておもわへんか?もっとおもろいことあったらおもろいなぁって」
「まぁ…なぁ…で、……服部が言うおもしろいことってなんだよ」
「…………怪盗や。怪盗なんかが出てきたらおもろいと思うねん?」
いきなり何を言うかと思えば…怪盗ねぇ…。
「どうや?おもろいとおもわへんか?」
「あんまりおもしろいとはおもわねぇんだよな。どうせさぁ、ちゃっちぃ怪盗だぜ?簡単に捕まえられるって」
「それもそやな」
オレの言葉に服部がそう納得したときだった。
「ちょっと待てよ。もしすっげー怪盗が出てきたらどうするわけ?簡単にさぁあしらわれちゃうような」
と快斗がのたまった。
「んなもんいやしねぇよ。いたとしても、捕まえるのなんて訳ないさ」
「そうや、オレもおるんやで」
「まぁな」
オレと服部の言葉に快斗は黙り込んだのだった。
「あら、三人ともおそろいだったのね」
その雰囲気のなか佐藤典侍は入ってくる。
「どうしたんですか?佐藤典侍」
「あなた達がこれからも東宮御所に参内することはあるんでしょう?」
「えぇまぁ、参内しますが…」
佐藤典侍の言葉に応える。
「だったらちょっと紹介したい娘がいるの。今日から女東宮様付の女房よ。とはいっても見習いなんだけどね。入ってきて」
佐藤典侍の言葉に女房装束に身をやつした女房が入ってくる。
「藤式部よ。挨拶して」
「頭弁様、頭中将様、左中将様、初めてお目にかかります。本日より、女東宮様に着かせて頂くことになりました藤式部と申します。女東宮様の格別のご高配よりお付の女房となることになりました。いたらないところがあるかと思われますが、何とぞご指導のほどよろしくお願いいたします」
そう言って顔をあげる。
扇で顔を隠しているとは言っても全てを隠しているわけではなく、その影から見える女房の見目形は美しかった。
可憐でありながら華やかで…。
東宮も美しい方(はっきりとはみてないけど)だからこの女房は宮中の話題になるだろうな……。
そんなことをぼーっと考えていた。