閑静な住宅街。
その中に某グルメ雑誌に載っていた『お手軽イタリアン』のお店があった。
お手軽と紹介されてはいたが、料理内容は『高級イタリアン』。
高級なイタリアン料理を手軽に食べられると言うことでその『お手軽イタリアン』なお店は雑誌に紹介されていたのだ。
「おいしかった〜。ごちそうさま、青島くん」
「…お手軽だったけどね。給料日2週間前の身にはちょっとつらいかな〜って」
「何言ってるのよ〜、2週間前ってつらくないし。それに、青島くんだって満足したでしょ?」
すみれさんの言葉に僕は苦笑いをする。
今日は、すみれさんとディナー。
キャビアデートの予定だったが、給料日2週間前という状況から、ちょっと『お手軽高級イタリアン』で勘弁して貰った。
つもりが…どうも…高く付いた。
「すみれさん、駅、そっちじゃないよ」
いわゆる、住宅街から外れた方に、すみれさんは向かう。
「うん、分かってる。青島くんにちょっと付き合って貰いたいところがあるのよ」
そして、すみれさんは立ち止まり、夜目にも分かる雑居ビルに視線をうつす。
…この付近は…。
「7件目の窃盗事件の所?」
「そう、あの雑居ビルで起きたのよ」
湾岸所管内で起こった窃盗事件の共通点の一つに『雑居ビル』というのがあった。
しかも、夜には誰もいない『雑居ビル』。
何かの事務所などがあるところが多い。
もっとも、その事務所や、会社などの共通点はなかったが。
盗まれた物も共通点はなかった。
幸いなことに盗まれた物はたいした物ではなかったので、良かったと言えば良かったのだが。
「こう、同じ手口で盗まれちゃあね」
「何?青島くん」
「いや、別に」
そして、手口が同じな為、同一犯なのは分かっていた。
…分かっているのはそれだけ。
だから、すみれさん達、盗犯係もどうしていいか困惑していた。
けれども、一番新しく、地域も違うのなら、どこか違う点があるんじゃないのか。
それを探すために、こうやって現場に来ていた。
「ここ?すみれさん」
「そう、この場所。この雑居ビルの3階の犯行」
夜に、刑事とはいえ、男女二人が雑居ビルを見ているのは通行人から見たら異様に見えるだろうが、いるのは表通りではなく裏通り。
そのため、人の通りは少なかった。
「…何の変哲もない雑居ビル。築10年って所かな?」
「……前の所と共通点はないみたいね…」
少し、落ち込み気味のすみれさんの声が聞こえる。
「で、どうするの?」
僕は、周りを見ながらすみれさんに問いかける。
「犯人は何を考えているのか分からないけれど、何故か、2日後に同じ場所で犯行が行われるから」
「張り込みするの?ここ管轄ちがうでしょ?」
管轄違う場所で張り込みなんてしたら怒られるだろうし、下手したら減俸ものだ。
「違う。張り込みたいけど、張り込みさせてくれない」
「管轄違うからでしょ?」
「違う、経費削減」
「は?」
僕は、すみれさんの言葉に目が点になる。
経費削減ってどういう事だ?
張り込みの経費がかかるのは分かってる。
署長を始め、副署長や課長が張り込みなんて経費かかること辞めて欲しいと言ってるのは常日頃聞いている。
だからって、しなきゃ、犯人は捕まらないし、逃げられるし、事件に進展はなくなるし、だからしぶしぶ張り込みするときは嫌な顔をするけど、許可は貰える。
今回の場合は連続窃盗事件、2日後に窃盗犯が訪れると分かっているのに、張り込まないのはどういう事だろうか。
今日が、1日前だから?
そんな、事…ちょっとおかしい。
「盗られた物はたいした物じゃないから。観賞用のプランター。花の生けられていない花瓶。使用されることのない客用食器。隠されていたお菓子。割れて燃えないゴミに出されようとしていた植木鉢…etc。青島くんだって、たいした物盗まれていないって思ってるでしょ?」
「確かにね。ホント改めて聞くと、たいした物盗まれてないね」
「でしょ?だからよ。だから課長達もたいした物盗られていないのに、張り込みなんてそんな経費のかかることやめてって言うの。それに被害者の方もたいした物じゃないからそんなに神経質になってないし。一般家庭だったら大騒ぎだったかもしれないけれど、入られたのは、一般の会社。慌ててない様子を見ると、それほど重要な書類を扱ってるわけでもなし…。窓ガラスは割られてないし、鍵が少しおかしいだけだから、そんな被害はないし。逆に、盗難保険が下りるって喜んでるのよ。鍵が故障とかでね。ここの所轄だって、また起こるか分からない窃盗事件に人員は割けないって」
「そりゃまた」
すみれさんの言葉に、一言返すのがやっとだった。
経費削減っていうにはどこか間違っているような削減の仕方だ。
相変わらずで、ため息つきたくなる。
「だから、…来たのよ。『張り込みなんてしないで』なんて課長達は言ってるけど、犯人、下見してるかもしれないじゃない?いつ、本命を盗まれるかも分からないじゃない」
本命。
すみれさんの言葉に深くうなずく。
犯人はたいした物じゃない物を盗んで、本当に盗りたい物を目隠ししているのかもしれない。
本命があって、それをカモフラージュするために、たいした物じゃない物を盗んでいる。
その言葉はひどく理解できた。
「でも、どうする?ここにずっといるわけにも行かないよ」
「…うん、分かってる」
連続窃盗事件のせいですみれさんは気が張っていた。
あの事件から復帰して久々の大きな事件が、この連続窃盗事件。
気持ちが入るのも分かる。
僕も、刺されてから復帰して、署にとっての大きな事件は復帰1回目の事件よりも気が入った。
もっとも、その後特捜本部がたった為に、それほど自由には動き回れなかったが。
不意に、僕は何かを感じて見上げる。
「?」
「青島くん」
すみれさんの言葉に応えずに、何かをじっと見つめる。
雑居ビルの3階。
その場所に…人の姿。
「すみれさん、居た。あれ、ここの会社の人のじゃないよね」
明かりのついてない場所に人の影。
人は、どんなところでも明かりを求めるものだ。
ましてや、夜の誰もいない無人の会社ならばなおさら、人は明かりをつける。
けれど、どこにも明かりのついていない所に人の影。
「青島くん」
「裏口、どこ?」
「すぐそこ」
すみれさんの指さしたところに、裏口を見つける。
「すみれさんは表から」
「…おーけー」
その瞬間だった。
ガラッと言う音とともに、雑居ビルの3階のその場所の窓が開く。
「…」
あっけにとられる僕とすみれさん。
その人影は僕とすみれさんをちらりと見て外に身を躍らせる。
「うそっ」
小さなすみれさんの声。
そして、次の瞬間、その人影は変った。
その日は、月の光が強い夜だった。
白いマントは月の光を照り返し、光っているように見えた。
その人影は、扮装をしていた。
白いマントに、白いシルクハットにタキシード。
夜目にも分かるモノクルを右目につけた人物。
彼は、電柱の上に立ち不敵な笑みを浮かべ、こちらを見下ろしていた。
「…だ、誰よっ。そんなとこにいないで、降りてきなさいよっっ」
すみれさんは気丈にも声を上げる。
僕はまだあっけにとられていた。
あまりにも派手な衣装。
探偵小説にでてくる怪盗。
そう、怪人21面相や、アルセーヌ・ルパン、そこら辺を思い起こさせた。
「君、誰」
すみれさんの声に何も応えないその人物に対して僕はようやく、問いかける。
「…ここ、連続窃盗事件の四つ目の場所だって知ってる?」
「あなたね、この連続窃盗事件の犯人は」
僕とすみれさんの言葉にその人物はその不敵な笑みを深くする。
「コレは、失礼いたしました」
そして、そう言って、その人物は音も立てずに、下に降り立つ。
舞い降りる。
その表現が見事に似合う。
「…刑事さんでいらっしゃるんですね?どこかでお見受けしたような気がしたので…確か、湾岸署の刑事さんですよね」
声の質は10代〜20代前半の声に感じた。
物腰は柔らかい、紳士の風情を醸し出していたが…、隙がない。
「誰だ」
少し、低い声で問い訪ねる。
「初めてお目にかかります。私の名前は怪盗キッド。『湾岸署』の青島俊作巡査部長と恩田すみれ巡査部長ですよね」
そう言って手を胸に当て、恭しくその人物『怪盗キッド』は挨拶をする。
『怪盗キッド』
詳しくは知らないが、本庁の刑事すらも手をこまねいている稀代の大怪盗、そう聞いていた。
確か、本庁に専任の刑事がいるって言うのも…。
「あなたが『怪盗キッド』なのね。本庁の刑事が躍起になって捕まえようとしているのは」
「その通りですよ。恩田刑事」
すみれさんの言葉に、『怪盗キッド』はゆったりと応える。
「じゃあ、あなたが、連続窃盗犯なのね」
「………だとしたら、どうしますか?」
至極当然な事を『怪盗キッド』は聞いてくる。
「捕まえるに決まってるでしょ?君は泥棒で、僕達は刑事」
「そうですか。残念ですが、私は犯人ではありませんよ。お門違いです」
「けれど、あなたが犯人じゃないって言う証拠はないわ。重要参考人として署で話を聞くから」
強気な口調ですみれさんは『怪盗キッド』に言う。
「随分、気の強い方ですね。ですが、あなた方に捕まる訳にはいかないんですよ。それでは、また、お会いいたしましょう」
不敵な笑みを浮かべ、一瞬姿をくらましたかと思うと、ハンググライダーで飛び去っていく。
その鮮やかぶりに、僕とすみれさんはただ、黙ってみているしかなかった
「な、何よあれぇ」
「……すみれさん、どう思う?」
「くやしいっ…絶対、捕まえてやるからっっ」
いつもの僕とすみれさんの立場が逆になったような気がした…。