信じたくなかった。
と言うのは何に向けた言葉なのだろうか。
事実は事実として受け止められない自分がそこにはいた。
何を信じていればいいのだろうか。
どこかで、彼は死なないとばかげた事を信じていたのだろうか。
爆音と称されるその車のエンジン音だけが冴子の耳に突き刺さっていた。
終焉の傷跡 〜 Cry on you tender eyes 〜
カランコロンとカウベルが音を鳴らし来店客を知らせる。
爆音を鳴らして外に停車したエンジン音から誰が来たのかは明白だった。
「冴子さん、もう皆揃っているわ」
美樹は、姿を見せた冴子を見て表情を厳しくする。
Cats Eyeにはすでに休業中の札が掛かっている。
店内を見渡せば、店主である美樹と海坊主、そして事情を知る麗香、かすみ、ミックが集まっていた。
「姉さん」
「分かってる……」
麗香の言葉を遮り冴子は連れてきた人物と共に店内のカウンター席に座る。
「教授…結果はどうだったんですか?」
「そう、急かすな。ミック」
教授はやんわりとミックを制しゆったりと席へと座る。
「コーヒーでよろしいですか?」
美樹の言葉に教授はうなずく。
「最初から、説明させていただいてもいいかしら?」
冴子の言葉にうなずく。
「渋谷から新宿、六本木にかけて広域の警戒警報が出ていたのは、知ってるわね」
警察事情を知っている上でそう冴子はそう問いかける。
「暴力団の抗争でしょう?」
「えぇ、その新興暴力団とこのあたりを根城にしている暴力団の抗争は日々大きくなってるのを知ってるわね」
「そのとばっちりはこっちにも来ているからな」
「そのさなかに、既存暴力団の幹部が何人か狙撃されているの。いずれも死亡にまでは至ってないけれど」
「その口径が357マグナム口径」
「そう。そして、その線条痕の割り出しが今日できたの」
「それがコルトローマン」
「間違いないんですか?」
冴子の言葉に信じられないといったかすみが問い掛ける。
「間違いないわ。そして、教授にその線条痕を確認してもらったの」
「…間違いなく、香君のと言っていいのかね。撩がパイソンのかわりに持ち出したローマンと一致したんじゃよ」
教授の言葉に全員が息を飲む。
「…じゃあ、ローマンでしているって事?いくら何でもローマンじゃ」
「そう、だから死亡には至らない」
ライフルで行われる遠距離からの狙撃をその男は普通の銃で行っているのだ。
「狙撃距離はその時によって違うわ。すごく近いところで行われているのもあるし、それこそライフルを使って行われるほどの距離にいるのもあるわ……」
だから、死亡には至らない。
怪我しているかも怪しい。
その距離で狙撃している。
「それが『ローマンの男』と言うわけか」
「えぇ」
海坊主が発した言葉に一同は静まり返る。
「香さんの銃で、狙撃ね…。撩が持っていったかも知れない、香さんの銃」
「麗香……。そう言えば、どうだった?ローマンの男」
冴子はふと思い出したように麗香とミックに聞く。
『ローマンの男』について調べると言った事を思い出したからだ。
「…よく分からないとしか言えないな。まず間違いない事は、その男は新興暴力団が拾った男。そして、まだその3回の狙撃の時しか現れていないと言う事だ」
「…。そして撩に似てなくもない。目撃者の話は全部それよ。ねぇ、姉さん、本当に撩は死んだの?撩は生きてるの?あれが撩なの?」
すがるような妹の言葉に冴子は目を伏せる。
その姿はどこか、今の記憶がない香ではなく、記憶がある香とだぶる。
もし、今の香に撩の記憶があればおそらく麗香と同じように言ったかも知れない。
「分からないわ。知っているはずの香さんも…」
「……姉さん。それに、撩はどうしてローマンを持ち出したの?パイソンを香さんに渡して」
「…お守りかも知れないね」
「お守り?」
「そう。銃は自分にとっての半身。もし死にに行くんだったら、リョウはカオリに半身をお守りとして渡したのかも、知れない」
「ミックっっ」
今まで考えないようにしていた事をミックはいとも簡単に言う。
「そんなの勝手よっ。香さん、あの時もう妊娠してたのよっ。あの男、知ってたはずでしょう?それなのに」
「麗香っ」
止められなくなった自分の感情に振り回され始めた麗香を冴子は短く止める。
でも、それはあまりにも弱くて。
冴子も同意見なのはどうしようもなく変わりようがなく。
「あの男、逃げたのと一緒じゃないっ。何よ、どうしようもなく離れられないくせに、死ぬ事で離れるなんてバカみたいじゃないっ」
「麗香さん……」
泣き出した麗香にかすみがそっと近寄り肩を抱く。
ふたりは、同じ思いを抱いていた同士。
『冴羽撩』と言う男に二人ともかなわない思いを抱いていた。
撩には香がいる。
と言うよりも撩に香が必要だったと言うのは誰の目から見ても明らかだった。
だから、だからこそ、なかなかくっつかなかった二人を一番やきもきし、その後の決着した二人を見て一番喜んだのもこの二人だった。
「…………冴羽さんは逃げないと思うわ」
「美樹さん。どうして」
「今更こんな事思い出してもどうかと思うんだけど」
と美樹は前置きして言葉を紡ぐ。
「あの事件の前だったかしら。冴羽さん、やけに悩んでいた時があったのよね。それからね、ちょうど、2、3日前なったら妙に開き直ったって言うのかしらね、ファルコン」
「腹を決めた。そんな感じだったか」
「そう、そんな感じ。香さんがずっと悩んでて、その悩みを話してくれなかったの。いつもは依頼がないだとか冴羽さんがツケばっかり作るとか、ナンパばっかりするとか、まぁいつもと変わらない悩みを言うんだけどね。でも、その悩みは話してくれなくって。今から考えればそれってやっぱり妊娠の事だと分かるんだけど……。冴羽さんが「あいつ、悩む必要ないんだけどな」って「あいつの事、取り巻く全部、丸ごとひっくるめてって言うのあいつなんで分かんないかなぁ」なんて言うのよ」
「え……」
「それって、冴羽さんは香さんの妊娠に気付いていたって事よね。それでそれを全部認めて、それすらも護ろうとしていたんじゃないのかしら」
「……だから離れて護ろうとしたんじゃないの?」
美樹の言葉になおも麗香は反論する。
「麗香、香さんを名字を変えたのは何故?」
が、その冴子の言葉に麗香は気が付く。
香の名字を『槇村』から『久石』に変えた理由。
それは『槇村香』の名前は『City Hunter』のパートナーとしてあまりにも有名になったから。
それは撩が離れたからといって変わる事ではない。
「……撩はもしかすると本気で死ぬ気だったのかも知れない。だから、パイソンを香さんにわたした。そばにいられなくなる自分のかわりに。だから『香さんのかわり』にローマンを持ち出した」
それを気が付いた冴子は涙を静かに流す。
「で、どうするんだ。冴子、『ローマンの男』は放っておくのか?」
「そんな事出来るわけないでしょう?香さんの銃よ。槇村の銃でもあるのよ。形見を、香さんの元に戻すのが、私の役目よ。だから、頼みに来たわ」
冴子はまっすぐに海坊主を見る。
「……いいだろう。その依頼受けよう」
「ありがとう、ファルコン」
冴子は誰もが見ほれるぐらいに綺麗に微笑む。
今まで泣いていたかすみが不意に地図を見て顔を上げる。
「冴子さん、一つ聞いてもいいですか?」
「何?」
「狙撃が合った日って…先週の金曜日と木曜日と…月曜日でしたよね」
「かすみちゃん?」
かすみの言葉に全員の視線が集まる。
「そうだけど?」
「……木曜日の狙撃って何時頃ですか?それから、どこら辺からですか?」
「…どういう事?」
かすみの言葉に麗香は怪訝そうに視線をかすみに向ける。
「お願いします。私、もしかすると会ってるかも知れない」
「……先週の木曜日はこのホテルよ。プリンスホテルの入り口。ちょうど、新興暴力団の幹部が出てきた時。車への狙撃。狙撃場所は弾痕から見てこのあたりね」
そう言って冴子は地図に示す。
その範囲はローマンの射程範囲を遥かに上回っていた。
「射撃に適しているのなら、ここかここだろう。ライフルならここだが、ローマンで狙ったとするならば、ここらへんが一番いいと思う」
ミックが説明する。
「……かすみちゃん」
「わたし、会ってる。『ローマンの男』」
かすみはつぶやくように言う。
「間違いないの?」
「間違いありません。先週の木曜日、わたし、この辺で仕事してました」
かすみの言葉に冴子は、先週の木曜日にこの近辺で盗難事件があった事を思い出した。
歯切れの悪い被害者だと担当刑事がこぼしていたのを聞いていたが後になってその盗まれた物が盗品と言うことが分かり、逆にその被害者は逮捕されていたのだが。
「で、どんな感じだった」
「……冴羽さんに…似ていたような気がします」
「…間違いないの?」
「間違いないですって言いたいんですけど。自信もてなくって」
そう言ってかすみは目を伏せる。
「知ってる冴羽さんと雰囲気が違ってて」
「……どう、違うんだ?」
「すごく、怖かった」
海坊主に促されるようにつぶやいたかすみの言葉に一同は息を飲んだ。
「あんな冴羽さん見たの初めてで。だから、冴羽さんじゃないような気がして。でも、私を分からないなんて思わなくって…」
その言葉に一同は口をつぐむ以外なかった。