建物より出て空を仰ぎ見る。
それは真実なのか。
確かめる為にも、ここに来る。
願いは、たくさんあるのに。
それだけを強く願う。
終結の願い 〜 Inside your broken heart 〜
「大丈夫ね」
熱の下がった撩二を見てかずえはほっと一息つく。
「ありがとう、かずえさん。昨日熱があった時はどうしようかとホント、思ったわ。近くにかずえさんが住んでいてくれて本当に助かっちゃった」
眠る撩二を抱き上げて香はかずえに礼を言う。
「赤ちゃんとかには突発的に熱を出す事が多いの。よっぽどでない限りはすぐに熱は下がるわ。大丈夫って断言は出来ないけれど、それほど心配する事じゃないから安心して」
かずえの言葉に香はしっかりとうなずく。
「教授も出かけちゃったし、香さん、お腹空いてない?」
「そう言えば、食べるの忘れてたわ」
かずえの不意の言葉に香は答える。
撩二が熱を出したのは昨日の夜の事。
香は一睡もせずに撩二の看病をしていたのだ。
「じゃあ、今から用意するから待っていて」
「だったら、私も手伝うわ」
「ダメよ、香さん。今は撩二くんのそばにいてあげて」
優しく咎めるかずえに香は苦笑しながらうなずいた。
目が覚めたらしい撩二をあやす香を見て、かずえは香に気付かれないようにため息をついてその場を離れた。
冴子が教授を迎えに来た時に、冴子の手には資料が握られていた。
誰かを使わずに冴子が教授を迎えに来たのには訳がある。
香の撩が持ち出したコルトローマンの線条痕と今回発見された『ローマンの男』の線条痕を照らし合わせる為である。
それには教授の協力が必要だった。
教授が『香』のローマンの線条痕のデータを持っているからだ。
鑑定結果が出た時の冴子と教授の会話が忘れられない。
「一致したな…」
冴子のデータとデータベースにあったローマンの線条痕を照らし合わせた教授はため息をついた。
「どうして…」
「さぁな。じゃが、現場にはローマンは落ちていなかったのじゃろう?」
「ハイ。周囲には海もありましたから。海流に流されたのかもしれません」
「あのあたりの海は穏やかじゃ…。それもあるまいて」
「教授………」
その可能性を否定したい冴子は教授を非難するように言葉を紡ぐ。
「…おぬしは刑事じゃったな」
「…はい」
「事実は、事実として受け止めねばならん」
教授の言葉はその部屋にいた冴子、立ち会ったかずえそして教授自身にも深くしみ込んだ。
「ここから導き出されたのは『ローマンの男』が持つ『コルトローマン』と香君の『コルトローマン』が同一だった。それだけじゃ。香君があやつの銃を持っていたのじゃから、あやつがローマンを持っている。だから、その男が撩だと思いたいんじゃがな…」
そう教授はそれが願いの様につぶやいた。
それはおそらく、教授だけではなくましてやかずえや冴子だけでなく、撩と香の二人を知っている者達全員の願いだった。
撩が死んでいる。
それは誰もが信じたくない事実だったのだ。
食事を作りながらかずえは願う。
撩が生きていればいい、撩と香の二人が一緒にいればいい。
二人を知っているものとして、撩を好きだったものとして、香の恋心に早くから気付いていたものとして。
「裏の世界って言うのは、思っている以上に厳しいモノさ。それをリョウはカオリを守りながらそれをやり遂げている。今までも、それからこれから先も」
そう言ったミックの言葉を聞いたのはこの屋敷の庭先だったか。
まだ彼がこの屋敷でリハビリをしていた頃。
それを台所のやってきた香の笑顔とその腕に抱かれている赤ん坊を見て不意に思い出した。
「かずえさん、何か手伝う事ある?」
「大丈夫よ、香さん。ちょうど今呼びに行こうとしていた所なの」
かずえの言葉に香は柔らかく微笑む。
その微笑みは記憶のない今の香の微笑み。
彼女に記憶のない事は良い事なのかも知れない。
記憶のない香にとっては、父親の不明な赤ん坊を生んだけれど。
血と硝煙にまみれる生活よりはいいのかも知れない。
でも。
かずえは否定する。
それでも二人が共にいる事を願うのだった。
蜜色の髪を優雅に波たたせた彼女は言われた通りの道を通りその場に姿を現した。
階段から上をのぞき見れば、その様相に彼女は苦笑いを浮かべる。
射撃場でスペースにたつ人物の背後に気配を消してたたずんだ。
見る者が見れば彼女の正体は分かるだろう。
そして見る者が見れば、彼女が裏の世界にいた人間とも。
扱い馴れていないのかそれともその人物が使うにはあまりすぎるほどの物なのか、だがその銃を見つめる瞳はあまりにも切なく、その人物は慎重に銃を取り扱う。
片手ではなく両手で構え的に向かい引き金を引く。
腕は悪くない。
むしろ、良いほうだ。
だが、彼女の脳裏にある男の腕と比較するのはあまりにも、ばかげていると彼女は気付かれないように微笑む。
その姿をその人物は視界の端にとらえて静かに微笑んだ。
まるで彼女の気配を入ってきてから気付いていたかの様に。
その様子を見て彼女もゆっくりと微笑む。
でも、その笑みには複雑な何かが含まれていた。
引き金は引かれ続ける。
的はさほど外れずに当たり続けた。
そして、2回ほどシリンダーの中身を変えた後、その人物は静かに銃を下ろして片づけを始める。
「腕を上げたわね」
「ありがとう」
彼女の言葉にそう礼をいい目配せをして階段ではない別の場所へと向かう。
その場所は、もちろん、その射撃場と隣の事務所をつなぐ穴ではない。
また別の場所だった。
「コーヒー、どうする?」
香はキッチンに入る前に彼女にそう言う。
「いただこうかしら。その前に、そのままで大丈夫?」
「ありがとうマリィーさん。そうだ、お願いごとしちゃっても?」
マリィーの言葉に苦笑しながら答え、申し訳なさそうにたずねる。
「何かしら?」
「撩二の事ちょっと見ておいて貰いたいの」
「噂のそっくりさん??オーケーよ。彼は何処にいるの」
「二階の部屋よ」
廊下から2階への目線を向けマリィーはにっこりと微笑む。
「嫌がらない?」
「ん〜〜気が付いたら、そこが一番落ち着くみたい。あそこにいる時はおとなしく眠ってくれるのよ」
香はそう笑って廊下を歩きその先の場所へ向かう。
以前と変わらない笑顔。
それがマリィーには嬉しい。
ゆっくりと階段をあがり、そのすぐそばにある部屋に入る。
扉を静かに開け、寝ている赤ん坊に気付かれないように、ゆっくりと扉を閉める。
部屋は、以前よりどこか殺風景だ。
この部屋の持ち主の私物が存在しないのだ。
あるのは部屋の中心の大きなベッド。
そして家具のみ。
持ち主を特定させる私物が存在していない。
あえて、探すとするならば、部屋に染みついたタバコのにおい。
と、かすかに薫る硝煙のにおい。
常日ごろ持ち主が纏っていたものかそれとも別のものなのか、マリィーには検討がつかなかった。
ベッドの中央で眠るのは平和そのものと言った赤ん坊。
知るもの全てが似ているというその赤ん坊は、マリィーの目から見てもうり二つとしか言えない程に似ている。
それがおかしくて思わず笑いそうになる。
生まれたばかりの時はそれほどなかったのかも知れないが、育つにしたがい、あまりにも似ていく様に周りのものはさぞや面白かったかも知れない。
とはいえ、それにつながる危険もある事を、全員が思っていた。
だからこそ、全力で隠している。
周囲だけではなく、この街の彼女達を知るもの全てで。
だから、悲しい。
アメリカにいたマリィーが日本に来たのは噂を自分の目で確認したかったから。
それを事実と認識するにはあまりにも悲しすぎる。
眠る赤子は硝煙にまみれた自分のにおいを感じても、何の反応も示さない。
最も、自分は裏の社会から足をあらってそれなりの時間が経つ。
その影響も考えながらゆっくりと赤ん坊を抱く。
泣かないで穏やかに抱かれている様は人懐こい二人にもしかすると似ているのかも知れない。
マリィーはそんな事を考えながら腕に眠る赤ん坊を見る。
「どう?」
部屋に入ってきた香は手にコーヒーを持っている。
そのコーヒーをマリィーに手渡して香は聞く。
意味はもちろん、マリィーは分かっていて、にっこりと微笑む。
「この目で見なければ、私、信じられなかったけれど。ホント、似てるわ」
「マリィーさん誰から聞いたの?」
「教授よ。あとはいろんな情報」
「皆知ってるの?」
「新宿中ね」
「タハハハハ」
マリィーの言葉に香は苦笑いを浮かべる以外にない。
「で、帰ってくるのはいつ?」
「来週。その間、撩二は皆で見てもらう事になってるの。大騒ぎよ。誰が見るとかって」
「想像できるから怖いわね」
マリィーは腕に眠る撩二を香に手渡す。
「カオリさん、私はそろそろ帰るわね。じゃあ、カオリさん」
「…マリィーさん。ありがとう。我儘、聞いてくれて」
香はマリィーに静かにそう告げる。
「いいのよ、カオリさん。我儘になっても。欲張りになったって全然いいと思うわ。あたし達だってね」
そう微笑んでマリィーは静かに部屋を出ていった。
「香さーん、撩二はミックが見てくれるって」
部屋の扉を開けて麗香は香に言う。
「カオリ、まかせてくれよ!」
一緒にミックも顔を出す。
撩二は今はこの部屋の中央にあるベッドに眠っている。
ほんのついさっきまで大泣きしていたのは麗香やミックの知る所だ。
泣きやませるのに、3人で大わらわだったのだ
「ありがとう、ミック」
「礼なんてお構いなしだよ、カオリ。君のためだったら、何だってしてあげよう」
「また、そんな事言って」
ミックの言葉に香は笑って交わす。
「じゃあ、二人とも夕飯食べるでしょう?今から作るから待ってて」
香はそうにこやかに言ってキッチンへとおりていく。
「………ミック」
麗香は手にしているものをミックに見せる。
「……痕跡は?」
「これだけよ。他にはないわ」
「まぁ、確認したけど、解除された様子はないな」
先ほど、部屋に来るまでに見たものをミックは思い出しながら言う。
「あれを解除して、また作り直すなんて、到底出来っこない」
「他の道があるという事?」
「さぁ。地下の通路は君が封鎖しただろう?」
麗香の疑問には答えずに、逆にミックは問いたずねる。
「……閉じてあった。確認した、誰かが開けた様子はなかった」
そう手に持つものを見つめながら麗香は言う。
「気のしすぎだろう?たまたま出てきた。ただそれだけだよ」
麗香に言いながらミックも何かを感じている。
撩二を抱きあげた時の違和感。
かすかに薫る女物の香水。
それをつけるものは一人知っているが………。
とそこまで考えて即座にミックは首を振る。
そんなはずはない。
そう、信じながら。