「オレをここに誘い出してどうするつもりだ?」
待ちかまえていた人間に声をかけた男はにらみ付けながら言う。
構えた銃はまっすぐに急所を狙っている。
「ただの女にしては気配の消し方が普通じゃない」
「………よく、分かるわね」
「まぁ、何となくだ。………何者だ?」
鋭い眼光。
銃の構え方。
声の出し方。
話し方。
全てが彼女の記憶にあるものと変わりのない目の前の男。
「分からない?」
「…さぁてね。あんたみたいな美人。一度見たら忘れないんだがな」
男の言葉に彼女は頬を染める。
「照れてるのか?勇ましい格好してるのに案外照れ屋なんだな」
「…そんな事言われるとは思わなかったから…」
素直に彼女は答える。
滅多に言ってくれない言葉。
それが隠されている本心なのだろうか。
「いや、オレは本気で言ってる。あんただったら抱いてもいい」
「…っ何言ってるのよっ」
「だから、本気で言ってるって言ってるだろ?」
「性質が悪すぎる」
「オレはこういう性格なんだろう」
男はそうつぶやいて苦笑する。
「だから、気になる。あんたがオレを誘い込んだ理由。オレに惚れたか?」
「そんなんじゃないわ」
そう言って彼女は懐から銃をとり出し構える。
「随分、物騒な物を持っているな。……コルトパイソン・357マグナム 4inch。女の腕にパイソンは似あわないよ。特にあんたにはな」
「……あたしもそう思うわ。でもあたしにはこれしかない」
「目的はなんだ。オレの命か?」
男の言葉に彼女は小さく首を振る。
「じゃあ、なんだ」
「あたしの目的はあなたの持つコルトローマン。その銃で狙撃とか殺しとかしてもらいたくないの。返してもらうわ。…………全部」
そう言って彼女は男から狙いを外して引き金を引いた。
終結の銃声 〜 Tow hearts beat as one 〜
「ふぅ、香さん、今日帰ってくるのよね」
キャッツアイでコーヒーを飲んでいる冴子は今日は珍しく非番だ。
最も半日のみだが。
そしてもう夕方になるが。
渋谷から新宿、六本木にかけての広域での暴力団同士の抗争がまだ予断は許さないがようやく落ち着いてきた所だからだ。
そして例の狙撃も、全く姿を見せなくなっている。
狙撃されないように充分に気を使っている為だろう。
落ち着いてきたと判断して冴子は午後の非番を満喫していた。
自宅でではなく、なじみの喫茶店キャッツアイで。
今、ここにいる客は冴子ともう一人だけだ。
「撮影は沖縄ですって?羨ましいわ」
「ホントねぇ。あぁ、あたし、刑事になってから旅行なんて全然行ってない。旅行行きた〜い」
美樹の言葉に冴子は嘆く。
「何泣いてるのよ、姉さんは。仕事が恋人のくせして」
「あら、麗香だって人の事いえないでしょう?」
「あたしは、姉さんと違って仕事だけが恋人じゃないもの」
「あら他になにかあるの?」
「お・か・ねv………なんてね」
麗香の言葉に冴子と美樹は肩をすくめる。
「平和ねぇ」
託児所から引き取ってきた撩二を抱っこしながら冴子は言う。
香が仕事の時、撩二は新生児も預かり可能な託児所で預かってもらっている。
そして引き取りは香の身元引受人になっている冴子や、隣の麗香、目の前に暮らしているかずえやミック。
時には美樹の時もある。
仕事と母親の両方を兼任する香の負担を少しでも少なくする為でもある。
「あら、今まで暴力団の抗争や他の事件に明け暮れてた姉さんの言葉じゃないわね」
「そう?撩二の顔を見てみなさいよ。他の事件なんて忘れちゃうぐらい平和そうな顔してい寝ているじゃない」
「言えてるわ。赤ちゃんがこんなに平和な気分を持ってくるなんて思わなかった。いいなぁ、私も欲しいわ。ね、ファルコン」
美樹の言葉に、会話に入らないようにしていた海坊主は顔を真っ赤にしてうろたえる。
そんな事は無理だという事は美樹はもちろん承知の上だ。
いつ命を狙われるとも限らない裏の世界で生活しているのだから、その中で新たな生命を育てるのは至難だ。
海坊主が不意に小さく俯いた事に美樹は気が付く。
彼も思い出しているのだろうか。
あの時の撩を。
「オレが守るって言うのは……。あいつの事、取り巻く全部、丸ごとひっくるめてって言うのあいつなんで分かんないかなぁ」
そうつぶやく撩は、誰が見ても香が大事なのだと表に出していた。
自分たちは…けじめとして結婚式を執り行った。
香はそれが羨ましいと言っていた。
でも、今美樹は香が羨ましいと感じてしまう。
それは、どうしようもない事なのだろうけど。
どこかで携帯が鳴る。
「あら、何?何かあったのかしら」
発信音は冴子の携帯電話。
何か合ったのかと身構える周囲に冴子はため息をつきながらポケットから携帯を取り出す。
「はい、野上です」
『野上さんですか?いつもお世話になっております。私、ひまわり託児所の浅野ですが』
「こちらこそ、お世話になってます」
送話口に手を置いて
「ひまわり託児所からよ」
と周囲に冴子は告げる。
その言葉にはほっと一息つく。
携帯で話し始めた冴子をよそにまた麗香はコーヒーを飲み始め腕には冴子から預かった撩二が、美樹は食器を洗い、海坊主はコーヒーカップを磨く。
カウベルが鳴ると同時にミックとかずえ、そして学校帰りの唯香に買い物からもどってきたかすみが入ってきた。
ミックとかずえは窓際の席に座り、その前には唯香。
どうやら二人は唯香に取材を申し込まれているらしい。
とても困った顔が見て取れる。
その様子をかすみはキャッツアイにもどる前から見ていたらしく、面白おかしく美樹達に報告する。
「わざわざすみません。お電話いただいちゃって」
『いえ、ご連絡したい事があったので』
「なんですか?」
浅野の言葉に冴子は問いかける。
『香さんからの伝言を預かったんです』
「伝言?」
『はい、どちらかに出かけるとか。帰りは遅くなるけれど後で連絡するから心配しないで欲しいって』
「そう………」
うなずいて冴子は首をかしげる。
香が出かけるのはかなり珍しい。
現在の香の交友関係は自分たちか、事情を知っている彼女の親友北原絵里子だけだ。
たとえば、絵里子と出かけるのならば、必ず香が連絡してくるはずだ。
だが、他人に伝言するというのはどういう事なのだろう。
「珍しいわね…香さんがそんな風に言うなんて」
『えぇ、金髪の女性と一緒にいらっしゃいましたよ。彼女と急いで出かけなきゃならないって』
「金髪の女性……?」
ますます納得がいかない。
どういう事??
冴子のつぶやきにミックとそれに気付いた海坊主が反応したが冴子は気付いていない。
『えぇ、とても楽しそうに。そう、なんか恋人に逢いに行くみたいに。あんな香さん見たの初めてで。私の方まで嬉しくなっちゃいました。そうそう、こんな事言ってたんですよ香さん。ちょうど、撩二君の話になって。撩二って名前は撩二君のお父さんの名前から貰ったんだってすっごく嬉しそうに話してたんですよ。そんな話きいた事なかったから、すっごく意外で。香さん、撩二君の父親の事全然話してくれなかったから、聞いたらまずいのかなぁって。あ、ごめんなさい。なんか、一人で話しちゃって』
浅野の言葉に冴子は何も継げなくなる。
『野上…さん?』
「あっ、ごめんなさい。ありがとう、わざわざ連絡してくれて」
『では、失礼します』
浅野は電話を切る。
冴子はぼう然としながら携帯をしまう。
「どうした、冴子」
海坊主の言葉に冴子は頭を抱える。
「…そんな、そんなのってあり得ないわ」
「冴子?」
そんな冴子の様子に海坊主はいぶかしがる。
耳がいい海坊主ですら雑音が混じる今の携帯の会話の内容は聞き取れていなかったらしい。
それは、幸いなのか。
冴子は託児所の保育士の言葉が頭を離れない。
『名前は父親から貰った』
そんなのあり得ない。
それが意味するものは今のこの状況で望んでいなかったものを示唆している。
「冴子さん?」
「姉さん、保育士さん、なんだって?」
麗香と美樹が冴子に声をかけた時だった。
キャッツアイの電話が鳴る。
「……キャッツアイだ」
海坊主がゆっくりと、電話に出る。
『久しぶりね、ファルコン』
電話の相手は意外な相手だった。
「………」
『あら、私の事忘れちゃったの?』
電話の相手は面白そうに海坊主に話しかける。
「ファルコン?」
「何のようだ。ブラッディー・マリィー」
海坊主の言葉にミックが視線を投げ掛ける。
その視線はあまりにも厳しい。
『何のようだなんて相変わらずな言い草ね。伝言を頼んでおいたのだけれど。聞いてないかしら?』
「伝言だと?」
『そうよ、カオリさんからの伝言』
「香からの伝言?」
海坊主の言葉に考え込んでいた冴子は顔を上げる。
「ファルコン。変わって」
「冴子。どういう事だ」
「今の電話で、保育士さんから言われたのよ。香さんは金髪の女性とどこかへ出かけるって。後で連絡するからって。だから、変わって」
冴子の強い調子に海坊主は受話器を渡す。
「もしもし、香さんは?マリィーさん、あなたには聞きたい事があるのよ」
『サエコ?私に聞きたい事って』
「香さんは何処にいるの?」
『あら?あなたのその口ぶりだと、聞きたい事は彼女の居場所じゃないと思うけれど』
「分かっているのなら、香さんを」
『それは、私が教えられるようなものじゃないわ』
「何故?」
『これは、彼女の意思よ。彼女が望んだ事。それはあなた達にも私にも止める権利がないわ』
マリィーの言葉に冴子は唇をかみしめる。
『彼女からの伝言を伝えるわ。撩二はおいて今から指定する場所まで来て欲しいと』
「撩二はおいてってどういう事」
『………始まったわ』
電話の向こうから銃声が聞こえる。
「あなた、香さんに何をやらせたの」
『言ったでしょう?これは香さんの意思よ。香さんが望んだ事よ』
「望んだ事が、ローマンの男を殺す事?撩かも知れないのよっ」
『……立会人は私。もっとも向こうは私が立ち会っている事を知らないけれど』
「マリィーさんっ」
『時間がないわ』
そう言ってマリィーは場所を示し電話を切る。
「冴子、どういう事だっ」
海坊主の言葉に冴子はもう一度頭を抱える。
「マリィーがやはり来ていたのか…」
「…ミック、お前知っていたのか」
ミックのつぶやきに海坊主が怒鳴る。
「いや、確証はなかったぜ。一度、リョウジを抱き上げた時彼女の薫りがした。まさかとは…思ったけどな…」
ミックはすまなそうにつぶやく。
「マリィーって誰よ」
「冴羽さんの元のパートナーだそうですよ。一度あった事ありますけど、結構な金髪美人で」
麗香のつぶやきに答えたのはかすみ。
「じゃあ、その時地下室の射撃場を使っていたのは彼女?」
「……香さんかもしれない」
冴子の言葉に全員驚く。
「…お姉ちゃん、どういう事?香さん、記憶ないんでしょう?」
唯香の言葉に冴子はその事には答えずに唯香に別の事を言う。
「唯香、今から出かけるから撩二の事お願いしてもいい?」
「何処に行くの?あたしも行くわよ。香さんの所でしょう?あたし一人だけ除け者だなんてやめてよっ」
「唯香。お願い、撩二と一緒にいて」
冴子の泣き出しそうな声に唯香は黙り込む。
「保育士さんからの電話は、香さんからの連絡が後から行くという事。マリィーさんと一緒にいたという事。そして…撩二の名前の事」
冴子の言葉に全員が黙り込む。
「撩二の名前は父親からつけたと言うこと…これが何を示しているのか。分かるでしょう」
冴子の言葉に全員呆然となる。
「いつ戻ったのか、分からないわ。でも、今の香さんは確実に記憶が戻っている。マリィーさんからの電話は、香さんの居所。香さんは今、ローマンの男といるわ」
冴子は言葉を濁したが先ほどの電話の冴子の言葉から何を言おうとしているのかその場にいる全員は全てを悟る。
「お姉ちゃん達、あたし、おとなしく撩二君と二人で待ってるから……。絶対、絶対に二人を連れ戻してきて」
泣きながら唯香は言う。
「分かってるわ。お願いね」
冴子の言葉に唯香は静かにうなずいた。