「大丈夫?」
日に一度、園子はわたしの顔を見て言う。
この頃その傾向は顕著に多くなっていた。
「園子、それ、わたし毎日聞いてるよ」
「だって…蘭の顔を見ると言いたくなるよ。…顔色悪いよ。みんな、心配してるんだよ」
「ごめんね、園子」
園子の言葉に済まないなと思いながらも謝る私を園子は一喝する。
「謝るんだったら、しっかりする。蘭、ちゃんとご飯は食べてる?」
「ご飯?食べてるよ。食べないと、お父さんが文句言うの」
お父さんはわたしの食欲が減退したのを知ってわたしに毎度のようにご飯を食べろよと言っている。
お父さんに心配掛けないために、無理にでも…食べている。
「寝てないの?」
ふと園子が聞く。
「分かる?」
「分かるわよ。顔色が悪い場合はご飯を食べてなかったり、熱があったり、寝てないかのどれかになるわよ」
「園子…ありがとう…。でも大丈夫よ」
園子に心配掛けないように、わたしはニッコリ笑って立ち上がった。
それが……ダメだった。
急激な立ちくらみがわたしを襲う。
立っているのが辛くしゃがみ込んでしまう。
「蘭!!!何が大丈夫よ、全然大丈夫じゃないじゃない」
「大丈夫……だから。ちょっと…立ちくらみを起こしただけだから」
園子の心配掛けないように強がりを言う。
でも、それが逆効果になっていた。
「ちょっと?蘭。何言ってるのよ。ちょっと所の顔色じゃないわよ。蘭、保健室で休んで」
「でも……」
「でもじゃない。お願い、お願いだから…蘭。自分の事大切にしようよ……」
園子の声は涙ぐんでいた。
「……蘭、保健室で少し休んだら帰ろう?わたし、蘭の事送るから…」
「……分かった。ありがとう園子」
園子にこれ以上の心配を掛けないようにわたしは園子の言葉に素直にしたがい園子と共に保健室に向かった。
「蘭、ちょっと待っててね、先生に言って来るから。後、帰る手配もつけとくから」
そう言って園子は保健室を出る。
本当は保健室は…あまり好きではない。
薬品の匂いが貧血気味の体に辛いし…、何よりも無愛想にしきられたカーテンが…わたしの不安をかき立てる。
心細くて…ついあいつのことを思いだしてしまう。
「毛利さん、貧血かな?顔色がカナリ悪いみたいだね」
不意にカーテンが開き、新出先生がわたしの顔をのぞき込み聞いてくる。
「貧血…じゃないです。ただの…睡眠不足です」
そう、ただの睡眠不足。
「だったら、無理にでも眠ったほうがいい」
「分かってます。分かってるんですよ、センセ」
わたしの言葉に新出先生は目を見張る。
「分かってるなら何故」
「……悪夢が…覚めないんです。へんな言い方ですね。でも、本当にこんな感じなんです。眠るときだけは…あのつらい思いから解き放たれたい。そう思って目を瞑るんですけど…考えないようにって思うんですけど…無理なんです。…楽しいことを考えようと思っても、また足を引っ張られるように。辛い思いに捕らわれて…。逃げ出さなきゃと思っても、絶対に逃げ出すことなんて出来ない。でも…逃げ出したくない…」
新一に逢いたい。
今、わたしの感情を支配しているのは、この思いただ一つだけ。
他に欲しくないし、他にいらない。
わたしの言葉に先生は少しだけため息をつく。
「…気持ちは…わかるよ。僕にもそう言うときがあった。けどね、君が体を壊しては元も子もないんじゃないのかい?クスリ…飲むかい、君の様子なら…貧血もあるみたいだよ」
新出センセが静かに言葉を紡いでいく…。
正直言って誰の言葉も聞きたくなかった。
新一以外の言葉は全て聞きたくなかった。
「クスリ…はいりません。あまり、飲まないようにしてますんで」
わたしの言葉に新出先生は静かに息を吐く。
「飲まないのだったら…飲まないほうがいい。でも、あまりにも辛い様だったら飲んだほうがいい」
先生の言葉にわたしは静かにうなずく。
先生の言葉に応えるのも辛い。
その時だった。
「え?そうなの。それは心配だわ」
廊下から屈託のない声が聞こえてくる。
「しつれーしまぁーす」
そして、園子の声も…。
「蘭、大丈夫?」
わたしの側にやって来た園子が言う。
「大丈夫だよ、少し横になったから」
「そう?」
まだ、園子は心配そうに私を見る。
「こんにちわ、蘭ちゃん」
突然現れた女の人…。
新一のお母さん、有希子さんだった。
「新一君の休学のことで学校に来たんですって。もうすこし休学するんだって…。って蘭は知ってるよね」
そう言って園子はおばさまに目を向ける。
不安そうにおばさまを見ていたのに気がついたのかおばさまはわたしに向かってニッコリと微笑み言う。
「…蘭ちゃん、貧血ひどいんですって?園子ちゃんから聞いたわ。蘭ちゃん、うちにこない?」
その突然のおばさまの申し出にわたしは驚いた。
「どういうことですか?」
「英理が今公判中だって言うのは知ってるでしょ?それでね、その事件の事で英理はまた危ない目にあったんですって」
お母さんの今抱えている裁判が危険なものだというのは聞いていた。
その事で、お父さんがお母さんと電話で言い争っていたのも…知っている。
「で、その事小五郎さんが心配してね、英理に探偵事務所に来ないかって言ったの。本当は探偵事務所で一緒に暮らすほうが良いんでしょうけど…、蘭ちゃんに何かあったらって……英理が蘭ちゃんの事心配してね、私が英理に提案したの。うちで、預かろうかって。私達夫婦は当分の間は日本にいるから…もし、蘭ちゃんが良かったら…の話なんだけど…」
とおばさまは言う。
お父さんとお母さんとわたしと…3人で暮らす。
夢みたいなことが…事件が絡んでいたとしても…わたしは嬉しい。
けれど……。
この今の状況でわたしはお母さんやお父さんに心配掛けないでいられるだろうか…。
それでなくても、お父さんは毎朝、わたしの顔をみて大丈夫かって聞いてくる。
お父さんが言うんだからお母さんも聞いてくる可能性だってある。
でも、お母さんは裁判中。
そんなお母さんの手を…患わせたくない。
でも……新一の両親に迷惑はかけたくない…。
「蘭ちゃん、迷惑掛けたくないって考えなくても良いのよ。私達は蘭ちゃんがいてくれたほうが嬉しいんだもの」
とおばさまはニッコリと微笑む。
「蘭、せっかくだからお世話になったら?」
と園子は言う。
「ホントに良いんですか?」
「当然よ。蘭ちゃんは可愛い娘よ。いつか新ちゃんのお嫁さんになるんだから。蘭ちゃん遠慮なんてしなくてもいいんだからね」
お世話になるのが心苦しいけれど…、せっかく良いと言ってくれているのなら…。
「じゃあ…お願いします」
「やったわ。嬉しい、蘭ちゃんがうちに来てくれるなんて。蘭ちゃん、今から早退するんでしょう?だったら今日から来たら良いわ」
と怒濤の様に押し切られてわたしは新一の家にお邪魔することになった。
「済まないね、蘭君、有希子がわがまま言ったようで」
夜、新一のお父さん、優作さんがわたしに向かって言う。
「ひどい、優作。私は我が侭なんて言ってないわ。これでも蘭ちゃんの事心配してるのよ」
おばさまがおじさまの言葉に怒る。
けど本気じゃないのは全然分かってて…おじさまは静かに笑みを浮かべていた。
「すいません、お邪魔してしまって」
「蘭君、気にしなくても構わないんだよ。それよりも……今まで、新一の側にいてくれてありがとう。そして、君にまで、新一のことで心配掛けさせてしまって申し訳ないと思っているよ。本当に君には迷惑をかけてしまっている」
そう言っておじさまは頭を下げる。
「そんな…迷惑だなんて……わたしは…ただ………わたしの勝手で心配してるだけですから……」
好きで……心配してるだけだから……。
最後の言葉は口に出せなくて…目を伏せてしまう。
おじさまはそんなわたしの様子をみて静かに微笑んでいた。
「蘭君、本当はね、新一をアメリカに連れていこうと思っていたんだよ……」
おじさまの言葉にわたしは伏せていた顔をあげる。
「だがね、新一は「アメリカには行かない」そう言ったんだ。自分で引き起こしたことだから自分が解決する。そう言ってね。でもね、本当は君がいたから新一はアメリカには行かない、そう私達は思ったんだよ。蘭君、私達は信じているんだよ。必ず帰ってくるって。君を悲しませたままにはしない。そう思ってね」
おじさまの言葉が静かに響く。
「わたしも…信じています。必ず、新一君は…帰ってきてくれるって」
流れ出そうになる涙をこらえながらわたしは言う。
わたしは幾度となく捕らわれそうな思いからこうやって抜け出せる。
信じていてくれる人がいるんだから…。
「忘れてたわ」
突然、おばさまが言う。
「ど、どうしたんだ、有希子」
「あのね、お客様用のお布団干すの忘れちゃったの」
「なんだそんなことか」
「そんなことってねぇ。大問題じゃないのよ。蘭ちゃんをどこに泊めるつもり?」
「そうか…うーむ」
そう言っておじさま達は悩み始める。
どこでも良いのに…。
気を使わなくっても全然構わないのに…。
「…一ヶ所…あるわね」
「一ヶ所あるな。あそこでも蘭君構わないかな?新一の…部屋なんだが…」
と遠慮がちにおじさまは言う。
新一の部屋……。
「嫌かね」
「そんな、お世話になるんですから。嫌…なんて」
どっちかと言うと嬉しい。
新一に包まれて眠れるような気がするから…。
逆にホントに良いのかな?
ってそう思ってしまう。
でも、おじさまとおばさまはわたしが新一のベッドで寝ることを許してくれた。
許したって言うわけじゃないけれど…。
「少しでも、好きな人の気配がするものの側には居たいのよね」
眠る前に、おばさまはそう言って屈託なく微笑む。
そうなのかな…。
そう思いながら、新一の部屋のドアを開ける。
部屋中に広がる新一の世界。
大きな窓の側に新一の勉強机があって…そこにはデスクトップ型のパソコンと…天球儀と地球儀が一緒になったものがある。
ここに…くるのは久しぶり。
当然の事ながらどこも変わったところなんてない。
ただ、ここの部屋の主がいないだけ。
ちょっと前までは側にいる事さえも気付かずにいた。
ある日突然側に居る事に気がついて…。
本当の事どうして言ってくれないんだろうって思って。
そして、問い詰めた。
それから側に居る事に安心するようになった。
変わらない笑顔。
変わらない仕草。
本人はその事を嫌がっていたけれど…わたしにはそれでも良かった。
なんて言ったら怒るかな?
どっちも変わらないんだもん。
どっちも同じ人。
わたしが…好きな人…。
新一…逢いたいよ。
ベッドに入って再び沸き起こった感情。
逢いたいよ…新一。
無事で…いて…。