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道道ゲート脇の林道入り口がコンクリートケーソンで通行止めにされてここ2年ほど奥に入れていませんでしたが、迂回する道が切ってあり側溝が雪で埋まっている冬季のみはいれました。どなたかが炭坑病院外壁の落書きが消されていて驚きました。
積雪のため春の雪解けまで、現地に入れません。写真は睦人道橋と舌辛川です。ポン舌辛川沿いの国有林で間伐?をやっているようです。道道ゲート前に林業関係の業者の方の車が止まっていました。エゾシカ猟のハンターも入っているようです。捕獲したエゾシカを解体した跡がありました。
初めて投稿します。森田と言います。以前から廃線跡の探索のため、この掲示板を利用させていただいています。北見の企業とあって、すこしサイトを巡っていましたらありました。今は「(株)リヨーユウ石油」という名称に商号変更して現在もあります。
市制三十周年寫眞帖という本を見ましたら、「釧路菱雄石炭販賣所」「菱雄石炭橋南出張所」「菱雄石炭松浦町貯炭場」の、昭和27年頃の写真がありました。残念ながら住所までは書かれておりませんでした。そういえば以前、どこかで昔の釧路市内の航空写真を見たときに、釧路駅の駅裏(現在は駐車場の部分)の雄鉄線6ホームのすぐ北側に、貯炭場らしきものが写っていましたが・・・
齊藤様より雄別株式会社と三菱鉱業株式会社の石炭販売特約店の情報がなされました。菱雄各社は戦後政府外郭団体が石炭の販売を担当していましたが昭和24年に政府専売を止め民間に開放しました。そこで石炭各社はそれぞれ販売網を整備したわけです。雄別株式会社は三菱と共同で販売網を作り北海道各地に地元資本による会社を作ってもらいました。そして名称を「○○菱雄」と名づけました。札幌菱雄・・・・・平成4年北菱株式会社と合併し消滅室蘭菱雄・・・・・現存帯広菱雄・・・・・現存北部菱雄・・・・・現存根室菱雄・・・・・現存滝川菱雄・・・・・菱友と名称変更釧路菱雄・・・・・分かりません石炭からガス、ガソリンスタンド、不動産他などに業態変更してます地域割りからすると函館方面はありませんが菱雄があったかどうかも含めて調べられませんでした。どなたか地元の方の情報に期待します
ある方の情報で、釧路駅の各ホームへの地下通路のコンクリートの壁に年号があるという情報があり、写真を撮ってきました。1968年9月30日に、3番ホームまでの地下通路が完成したときのものではないかとのことです。雄鉄線6番ホームへの上り口の経緯もわかると面白いですね・・・
今日は、釧路市立博物館で炭鉱映画祭が行われました。開場前から列が出来ていて、すごい人数でした。講堂の2階まで埋まりました。220人の来場があり、今までの最高記録ではないかと。最後の無声映画、切羽で摩擦鉄柱で天盤を支えていた以前の、坑木で支えていた時代の動画はとても貴重な映像でした。「無声」ということもあり、不思議な雰囲気の中で、炭鉱映画祭は終わりました。
残念ながら、本日で布伏内の「かくれんぼ」は閉店となりました・・・
書類編2のなかに札幌、シゲ様提供の写真に当時の結婚式の酒、コーラ、ジュース(領収書の原文はジース)の領収書があります。そこには単価が記入されてます。酒1升 580円/本 25本コーラ 70円/本 30本ジュース 45円/本 30本今の物価と比較すると安かったですね。もっともコーラは高い気持がします。当時はジュースよりも高くても売れたのだと分かります。酒屋さんからの領収書にビールが書いてありません。ビールだけ違う酒屋で買うはずがありませんからビールはだされなかったと思うしかありません。エピソード集のなかの「トイレの汲み取り(その2)」(この表題もすごすぎます)の説明には公式の宴会以外はビールなどは出されずお酒だけというコメントがありました。結婚式というこれ以上の公式な会はない結婚式の披露宴でさえ飲み物は日本酒とジュースとコーラだけだったのだと認識を新たにしました。焼酎を用意しないだけレベルが高いというのでしょうか。いったい何人が出席したのでしょうか。(札幌、シゲ様にお伺いしたいです。)それにより一人どのぐらい飲むかと予想したのか分かります。女性などお酒を飲まない人も当然出席していたでしょうからお酒を飲むと思われる人だけで25本のお酒(25升)を考えると一人当たりの飲んだ量が予測できます。エピソード集によると三人で1本か4人で1本を用意するとありますからお酒を飲む出席者は最低75人、最高100人となりますね(笑)その他にお酒を飲まない男性や女性。そして親戚の子供が披露宴に招かれていると思います。ジュ−ス30本、コーラ30本をどう分析したらよいでしょうか。一人にジュース、コーラそれぞれ1本づつ割り当てたとしたら30人。上記のお酒を飲む出席者にこの人数を加えると出席者総数は105人から135人と予測できました。もしかすると一人にジュース、コーラ1本づつは多すぎてもう少し出席者が多かったのかとも予測できます。日時を確認しますと閉山後ですから本来招待すべき近所の人や友人の中には既に転出してしまった人もいたと思いますから出席人数は炭鉱の平均的な披露宴としてはやや少なめだったのではないかと推測せざるをえません。あの資料は炭鉱文化史的に大変貴重な資料と思います。今日は3連休の最後の日で暇なのでつい考えてしまいました。別に酔っているわけではありません。外はもう暗くなってますがまだしらふです。札幌、シゲ様失礼の段お許しを。
みわ様、のちほど更新いたします。3区詰所の真横(山側)に、木の階段がありましたでしょうか?かすかに木の階段が残っており、この場所であれば、3区詰所の正確な位置がわかります。
末広町の炭住跡を歩きますと、屋根の鉄板が沢山落ちています。カラー写真のとおりの色が残っています。3区詰所前の広場ですが、実際に植林されている部分は、広場の3分の1程度です。広場から道道の方向(川側)へ向うと、階段があったと思いますが、表土に覆われた状態で、そのまま残っております。のちほど表土をはがしてみます。現在の道ですが、3区詰所跡でカーブしているようです。3区に上がった場所の道の形が、当時と少し変わっているようです。
「KINSEN」と書かれたビンが埋まっていました。サイダーかラムネでしょうか?
3区詰所前の広場の川側の階段の表土をはがしてみました。階段の上側から掘ったのですが、何もなく、下側の柵渠の上を渡るための蓋が残っていたので、そこから上に向かってはがしてみましたら、木材が出てきました。コンクリートの階段ではなく、木の階段だったのでしょうか?
栄町で「旭硝子」の看板を見つけました。お店の名前等、ご記憶されている方、おりませんでしょうか。
今日は、末広町1丁目付近を散策。交番?付近で、阿寒町民憲章のプラスチックの看板を見つけました。
近くに、太平洋炭礦に関係がありそうなものが落ちてました。どんぶりの底に「太平洋の海底炭」「北鋼石炭」と書かれています。北鋼石炭は、菱雄のような会社なのでしょうか?
末広町の山側に、湧き水を飲みに行くのが楽しみという話を聞いていましたので、その場所を探していました。小さい沢がありました。この沢を登り続けると途中まで昔の道らしきものが残っていましたが、途中で途切れて、それ以上は登れませんでした。この沢の湧き出し口なのでしょうか?どなたか正確な場所をご記憶されている方、おりませんでしょうか。
http://www.hokkaido-douro.net/dodo/r667/r667.htmlここを見ていると道道667号は徹別のR240号線から旧雄別炭山駅前迄とかいてあります。となると、道道ゲート横のバリケードは道道の途中を塞いでいるい事に成ると思うのですがどうなんでしょう?先のサイトには地図上では現在でも道道667号の終点は往時と変わってないような記載があります。廃墟にも道道かよ・・・・・
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