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「イズヤのパン」の看板の引き抜きに成功。あった場所は、雄別支所のななめ向かい。
「エピソード集」「報告事項」を更新。雄別礦業所の正面玄関の階段の表土を全てはがし終えました。左側の、階段の上に生えている大きい木は、チェンソーがないと無理ですので、そのままにしました。
トロッコの鉄橋土台の上の表土をはがしてみました。枕木のクギなどが出てきました。30年以上、よく落ちないで上にあったものです。
中間駅付近の 通称 蛇沼の沢から 山道があってズリ山の裏(徹別側)に通じていました。
NHK釧路がテレビ放送を始めると 雄別でも良く見える所があったが 限られた場所でした。 ズリ捨て山に8素子のアンテナとブースター(真空菅式)設置索道搬器(バケット)折り返し所へ昇る木製階段に沿って途中に中継アンプがあり下に降りてから分配され途中 何箇所 かアンプ,分配され 社宅格戸でゴーストの無い画像がみられた 末端で良くない所もありました。 この階段は戦時中よりも前からあり、上で働く人達が使用してた、1000段位もっとあったかな?
病院の上に在った坑口(通洞 昭和10年完成)です。 労働組合の左側(北に向かって)昔の坑口があった話は 聞いてますが見た覚えは在りません。 ボイラーはガードに寄った角地で 坑木事務所(林業に分離)が斜め向かいで 間に 資材倉庫 道を挿んで 資材課事務所の隣合わせに 2区購買会(旭町購買会)迄の貨物用引き込み線路が在りました。
坑内浴場は通りに面した 中に鉄パイプ製が付いた階段を上がると左側が裏(坑口側)からも出入り出来た 浴槽は周りが洗い湯 中側似1段高い 上がり湯で4箇所から出入りした 左隅には別に かけ湯専用の湯槽があった。 裏側から入って左側に坑内職員専用の浴槽があった。 階段を上がって右側から通路があり 奥の右が女湯 手前右が男湯(一般湯で家族男性 坑外夫が利用)の集まりでした。 正面出入り口階を背にして道路右下の低い所にボイラーがあって鉄製の太い3本と少し細く低めの1本が煙を 吐いてた。 映画 煙突の見える場所の釧路で上映のまえ 写真コンテストに応募された方が この4本を撮影された方が 数名おられました。 総合ボイラー(今残ってるコンクリートの煙突)が完成し撤去されました。 煙突の下にコンクリートで煙道が5m以上は あったと思われます。
間接夫 特に電気の新設作業等では 布設したケーブル とマインパワー(防爆形乾式変圧器 1次側 3300 2次側 400v 200v 操作用50v)に採炭機械との接続 電動機の回転方向の確認が2時間位の残業 採炭終了後の電気機材撤収作業等は休日出勤で行なった 故障修理当番で1番方勤務中2番当番が欠勤するので 通し番(7時から22時)した事が3度程有りまし他。 夕食のパンと代わりの器ヤップライトは2番方の電気係員が運んできました。
古河? 古川興業 役場支所の辺りに 事務所があって 後に3区から 徹別え抜ける橋を渡ると左側に 総合グランド 青葉寮え移動したんだっけ 年だね
役場支所の斜め向かい、高橋商店 1区詰所前角で駅側本屋に寄った方で 親父さんが時計修理販売 詰所側を奥さんが 菓子 パン ジュース等を売ってた 詰所に面した角の柱に取付けてあったのを覚えています
1952年 高2の夏休み アルバイト(荒組 横山地区現在の 雄別記念碑 辺りにあった)で、朝6時から昼飯交代で夕方6 時頃まで 12時間 セメント 砂 砂利の運搬を土木科Y君と 二人で頑張りました。 当時4x8尺の鉄板の上で 二人が専用のスコップを使い 交互に シャカ 、シャカ まぜあわせていた。 打上げに1区詰所前の土屋商店で 組の人達は コップで 合同ショウ チユウ 2杯 アルバイトは口当たりのい い様にと赤玉ポートワイン割りを1杯飲んで本町まで帰って来た 覚えがあります。
中村様雄別炭礦の坑内の掘進の下請け会社をご存知ありませんでしょうか。トロッコ鉄橋土台の表土を全てはがし終えました。
進発所、一斜坑排気坑のメタンガス警報器取付け工事の際,排気坑口より外へ出た事が有りました。 外から見ると右頭上に、排気管にシロッコ型の排気扇がついてました。 左側に木製のくぐり戸(横80cm縦160cm程 左開)が付いてた、坑外は幅4m程で3m位先は、数m? もっと あったかな? 谷でした。 排気扇の容量等について 覚えてません。
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