おなまえ Eメール タイトル コメント URL 添付File 暗証キー (英数字で8文字以内) 文字色 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
今日の釧路新聞の19面にフロッタージュの記事があります。今日の北海道新聞(釧路・根室版)の27面にフロッタージュの記事があります。写真は某所の残りの部分を草刈・枝払いしました。
今日は、釧路市立美術館の事業を行う某所の草刈と枝払いをしました。ひさしぶりに雄別は快晴で、ハンパな暑さではないです。
悪天候の今日ですが、意外にも30名ほど参加者が集まりまして、決行されました。2月定例会で、蝦名釧路市長が参加したいという答弁をされましたが、残念ながら参加されなかったようです。別件ですが、某氏から写真提供がありました。ありがとうございます。後日更新いたします。その写真を見て間違いを発見しました。「アサヒグラフ」の最後の写真の撮影位置は、1区緑ヶ丘ではなく、雄別神社から撮影されているようです。
協和会館の前を草刈しました。正面玄関の前の階段が残っているかもしれませんので、のちほど表土をはがしてみます。雄別のハチの件ですが、少しずつ戻ってきました。雨の日が多い影響だったのでしょうか・・・
昔の写真を見ますと、青い矢印のところに道が見えます。この道を草刈しました。途中、道が崩れたと思われる場所があります。どう草刈して道を作るか迷った場所があります。段差がありますので、ご注意下さい。
協和会館の正面玄関前の表土をはがしてみました。表土というよりは瓦礫でした。昔の写真を見ますと、階段が見えますが、実際に表土をはがしてみますと、スロープ?でした。どこかの時点でスロープに変えられた?のでしょうか?
山の手3丁目の所長宅、院長宅のある場所の草刈をしました。
草刈しづらい場所はいくつもありますが、ここも草刈の難所?です。植物の名前はよくわかりませんが、山の手2丁目に3m近くまで伸びて、密集して生えている場所があります。さすがに、この中に草刈に突入するのはイヤなので、旧道側に迂回路を作っています。
山の手2丁目の迂回路から道道ゲートの方向です。下に旧道、雄別鉄道の信号の電柱が見えます。迂回路は穴や段差、鉄のワイヤーが地面から出てますので、歩くときは足元にご注意下さい。山の手1丁目に渡る丸太の橋は、どの程度の重量に耐えられるか不明なので、安全性は保障できません・・・
今日は、いままで草刈した場所の2回目の草刈をしました。写真は「すみのえはし」の部分を草刈しました。橋のらんかんのコンクリートに、橋の名前が残っています。ハチの件ですが、7月以降、布伏内でも同様の現象が起きているそうです。何かわかりませんが、異常な現象が起こっています・・・
今日は、今まで草刈したことのない場所をやりました。2区詰所のあたりから、雄別小学校の校門へ向かう通学路?から、校長宅横の階段までです。ここから3区公衆浴場までつなげる予定なのですが、草刈機の故障のため来週以降になります。行き方は、道道側から一旦炭礦病院の前に出て、2区詰所・労働組合の方向へ進みます。雄別小学校に思い出のある方は、現地へ行く事が可能ですよ!
1区詰所の表土を少しはがしてみました。今日は、雄別出身の方だと思いますが、2組ほど来られていました。たぶん同窓会でしょうか。
今日の草刈の状況です。「雄別小学校通学路」から「3区公衆浴場」まで開通しました。「雄別礦業所」から「炭車工場」「選炭場(炭務課)」「坑木運搬トロッコ土台」まで開通しました。第3回雄別炭砿遺産4万歩ウォークの参加者はまだ少ないとのことです。申込み方法は以下のURLから。ちなみに今回で雄別のウォークは最後となるとのことです。http://www.city.kushiro.hokkaido.jp/icity/browser?ActionCode=content&ContentID=1244086149196&SiteID=0草刈機を修理した某整備工場にて、雄別にばかり投資しないで、嫁さん探しに投資しなさいと言われ、痛いところをつかれました・・・以前にも掲示板に結婚の事を書き込んだことがありましたが・・・
今日は、駅前通りから山の手1丁目の公衆浴場まで草刈りしました。近くに煙突が倒されずに残っています。
自分が幼稚園児の頃、雄別に住んでいた親戚の家に行くのに鉄道に一人で乗って行ったモノです。昭和の駅から乗った気がするのだけどどうだったかな・・・昭和の駅の駅舎はつい5年ぐらい前までそのまま残っていたのですけどねホームは無くなってたけど改札口が残っていた今は同じ場所に町会館が建っていますね今度の日曜にでもほぼ40年ぶりにC11に会ってこようかな・・・・
今年の2月定例会の会議録が更新されております。釧路市HPの会議録検索システムのhttp://www.kaigiroku.net/kensaku/kushiro/kushiro.html「会議録検索システムへ」→「雄別」で検索→下のフレームの「03月10日−05号」をクリックすると雄別関連の答弁が出てきます。私は答弁内容はこの検索システムで内容をはじめて知りました。(新聞には出てませんでしたので)団体名まで出して頂いていたとは知らず、某氏には感謝申し上げます。今年は釧路市立美術館の事業が雄別で行われます。
今日は、釧路市立美術館の事業の関係者の方々を案内いたしました。写真は、某所にてフロッタージュ(擦りだし)を実際に試みているところです。本日までの草刈の進捗状況は55%ぐらいです。おそらく布伏内M様なのかなと思いますが、やり残したところの草刈がされていましたので、少し助かりました。
5月に雄別を訪れた時に阿寒ランド丹頂の里赤いバレーにある雄別炭鉱や雄別鉄道の資料やSLが展示してある「炭鉱と鉄道資料館 雄鶴」に行きました。当時の写真や資料や実物を見てまわりました。その時管理人が、 「こういうものもあるんですよ」と棚の上においてある封筒と写真10数枚を手にとって渡してくれました。最近親御さんの遺品を整理していたら雄別時代に写した写真があったので炭鉱と鉄道資料館 雄鶴に郵送してくれたとのこと。資料館に掲示してある写真はどれも立派な写真だが手に取った郵送されたスナップ写真は当時のいききとした姿が写しだされていました。思わず時間を忘れて一枚一枚見てしまいました。郵送してくださった方も素晴らしいしそれを展示した人もすばらしい。最後に封筒の中の手紙を読んで裏をみるとS県の方からでした。
5月16日、17日と雄別を訪れました。斉藤管理人様はじめ皆様、迎撃ありがとうございました。夏や秋と違い草も出始めで状況が良く分かります。訪れるには一番良い季節でしたね。雄別通洞あたりでは可憐なピンクの花が出迎えてくれましたが誰も名前が分かりませんでしたね。職員クラブが年々崩壊するさまが分かります。今回はついに玄関までしか入れませんでした。ホールのあたりの倒壊木材の間から北キツネが我々侵入者をにらみつけていました。クラブ裏の旧テニスコートは樹木は生えて誰もあそこがテニスコートだとは信じないでしょう。翌日は大勢で雄別炭鉱株式会社尺別鉱業所(尺別炭鉱)にご案内いただき感謝です。国道から離れているせいか人が入らず尺浦通洞、双久斜坑、選炭場、駅などの動線が分かりやすいでした。雄別ではなかなか見られない露頭現場まで案内されましたがよくぞ見つけたものだと感心しました。飛行機で帰るとき時間の余裕があったので再度一人で煙突あたりを散策しました。斉藤管理人様が奮闘した埋もれた土をはがしたところをみました。ご苦労様でした。煙突先の河川に工事現場事務所ができてました。担当の方にきくと河川のなかに魚道をつくる工事だそうです。「この川には一杯魚がいるんですよ」といわれました。閉山して39年、川も自然に戻ったのですね。
雄別炭山駅の2番3番ホームを草刈りしました。今年はここに「花」を植えたいなと思っております。どんな花が良いでしょうか・・・さて、写真は土曜日にゲート横の旧道入り口にコンクリートの塊を置かれました。そこで、釧路土木現業所様へひとこと言いたいです。「これはセンスがない!!」あとでコンクリートの前に鉢植えの花でも置きましょうか・・・ですが、良い点もあります。駐車場の問題が、見事に解決したのです。しかも、大型バスが転回できるぐらいのスペースが出来あがっているではありませんか。
コンクリートの上に白い長方形の鉢を置いて花を植えてみました。これで少しは印象が良くなるでしょう。今月の土日は草刈りを行っておりますが、毎回、雨のため思うように進まず・・・進捗状況は4割ぐらいです。
雄別礦業所の玄関の表土を全てはがしてみました。玄関の屋根を支えていた柱が入っていた部分が出てきました。片方は壊れていました。雄別礦業所を解体したときに壊れたと思われます。炭務課の地下室への入口を発見しましたが、残念ながら地下室はズリ?で埋められていました。
今日は、ybtworks氏にお手伝いして頂き、雄別郵便局の玄関部分の表土をはがしてみました。玄関から建物内部の床もコンクリートだったのですが、不思議なことに、建物内部からは普通の表土ではなく、ズリ(石炭混じりの)が敷き詰められていたのです。雄別郵便局の解体時に、ズリ(石炭混じりの)の捨て場所がなかったので、あえて建物内部の床に敷き詰めたのか、あるいは、床のコンクリートを解体していない事を隠すためのカモフラージュなのかどうか、謎です・・・
[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11] [12] [13] [14] [15] [16] [17] [18] [19]
- Joyful Note - Edit by Lunar Studio