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ローバー スカウト( 青年隊)は19歳から 22歳位迄 道東地区では 帯広市に1隊有ったと 記憶してます。 職業訓練生が シニア スカウト(年長隊)として活躍して 岡山県の日本原で開催された 何回目だったかの ボーイスカウト日本ジャンボリーに参加した 帰途 修学旅行と言う事で 東京本社を訪れ 新幹線で 関西方面に 帰山した S氏がスカウト マスター(隊長) アシスタント スカウト マスター(副長)K氏のほかS君M君K君が参加した。
今日の釧路新聞の2面に記事が掲載されております。
320の写真 SL車庫方角から 写したと思われますが左斜め上に 見える縦に白いのは もしかして 総合ボイラーの煙突では そうだとすると 豆炭 練炭工場 思い違いか 豆炭 分析試料室に いた時 機械化で細粉化された石炭が 選炭排水と一緒に流出し 途中で沈殿してた. 灰分が少なくてカロリーも高かった 僅かでしたが 磯分内の製糖工場に積出していた 固形化する試作を成型加工機 ブリケットマシーン 幅30cmのローラに楕円のくぼみ が有り合わさり 圧力で固形化 形を保つ為 費用の安いを 製紙工場からでる 亜硫酸廃液の粘着性を利用し 混ぜてかためたが 耐水性はな良くなかった. 試作品をSLで焚いて始発の石炭列車を埠頭まで往復させた事がありました. 山焚炭として家庭で暖房用に使用してました.
間違い無く この台です. 総合ボイラー側に地室下があって 薬品を保管してました.1階で 、灰分測定の為に 試料を燃焼させる電気炉、揮発分専用の小型電気炉、硫黄分検出測定等、化学検査を行なってました. カロリー測定は坑内機材整備場側の部屋で行なってました. 地下室は結構広く3mx5mあって、棚に各種薬品のほかに ガラス製実験器具等が入ってました.
321にマーキングした所です。 1階が分析2階が炭務課事務所です。 分析試料調整室も ズリ コンベア−の所みえてる大きな方が貨車積込み事務所と作業者休憩の建物 隣の小さい方が 分析試料試料調整室です。思い出が多い職場でした。
中村様分析室の跡に行ってみました。写真が化学天秤を乗せてたコンクートの土台でしょうか。近くにフラスコなどのビン類が捨てられていました。
しました1940年頃 蛇沼の沢の 林道にトラックが出入りして総合ボイラーの燃料に 昔のズリを運んでました. 中学校の所にあった ズリ山も運んで焚きました. ボイラー新設時 カロリーの低くい水選2号ズリ 灰文75%位を」焚いて試運転したが 蒸気圧が思う様に上がらず カロリーの高い粉炭を混ぜたら キャタピラー方式のストーカー 火床 が高熱の為 変形して修理に1週間位停止した事が有りました. 其処で分析の結果 灰分70%位 選炭技術の低い昔のズリが適合 燃料にしていた. 訂正 昔のボイラーの煙突は 太いのが2本 細いのが1本でしたね 追記 雄別アーカイブを入手しました 懐かしい思い出が沢山あります 御殿場に住んで20余年***
毎日3交代で生産される石炭を 2台の水選機と再選機1台で 選別された品種を各番毎(57品種)のサンプルを作る調製室(粉砕60メッシュ以下の粉末にする)と分析室(灰分 水分 毎日測定 発熱量 硫黄分 揮発分等の測定)が離れてた 調製室は選炭場の下側 ズリ捨て索道下部折返しの傍に貨車積込み作業員詰所 駅寄りに調製室(ジヨークラッシャーのコンクリート土台が残ってるかな?) 5m駅よりに輸送事務所 分析室は原炭庫の上の方で1階(化学天秤を乗せてたコンクートの土台5m程) 2階が炭務課事務所で渡り廊下が本町と接していました。
「エピソード集」「報告事項」を更新しました。中村様写真のコンクリートが何の施設だったかご存知ありませんでしょうか。当時の化学天秤はどのようなものか興味あります。蛇沼の沢の林道は、ズリ山へ通じていたのですね。中間駅の裏から登っていく林道でしょうか。
中村様分析室の位置は、写真の矢印の丸の中の建物でしょうか。
1955年頃 朝鮮動乱時 米軍が冬将軍との戦いに ハイカロリー低灰分の雄別炭に目をつけ 釧路埠頭で船積み(3000tn)の日 サンプリングに行った 30分毎にスコップ1杯採取(朝8時から7時間程)午後3時過ぎてからカマスに詰め縄掛け 90袋程 有蓋車に積込み F社の立会員がドアに封印して雄別へ回送 次の日 朝7時から3交代出4日間掛けて 付着水分測定 サンプル4分法による縮分 粉砕 60メッシュ以下に薬研台で100g作成 灰分水分 揮発分 硫黄分 発熱量(計測用ベックマン温度計校正迄)F社の専門社員と一緒に行った。 食事は職員クラブから毎食毎 分析従事者に弁当が届けられた。 8名程の人員が日常業務と 平行し遂行出来た思い出は忘れられない。
11月15日雄中3期会に参加 労務課に勤務していたM君に確認しましたら 正しくは 古川興業 だそうです。 大変申し訳ありませんでした。
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