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雄別掲示板
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博物館 投稿者:斉藤@管理人 投稿日:2009/11/15(Sun) 17:32 No.575  

本日、釧路市立博物館にて、
「炭鉱のくらし・マチの記憶」の
フォーラムが開催されました。

フォーラム終了後の帰り際、
先月、尺別炭礦跡で行われた石炭基礎講座に参加された、
音別町のS様から声をかけられました。
旧釧路市・旧阿寒町・旧音別町の共通点である「炭砿」が、
このとき、初めて繋がったと感じた瞬間でした。



楽音古潭 投稿者:斉藤@管理人 投稿日:2009/11/14(Sat) 21:27 No.574  

今日は楽音古潭が開催されました。
旧布伏内小学校で行われるのは、今回が最後とのことです。
蝦名市長も来られておりました。
以前の楽音古潭は、多くの子供たちも会場に来ていたのですが、
少ないのは地域の現状をを反映しているのでしょう・・・
寂しいものです。


2年ぶりに楽音古潭に行きました。(行くことが出来ました)
2年前のあの日は、今でも悪夢でしかありません。
先月、彼の友人から電話があり、お話を聞きました。
今でも想い煩う日々が続いているのは同じなのだなと思いました。

彼と友人であった皆様、
どうか新たな一歩を、共に踏み出すことが出来ますように。



菱雄の石炭 投稿者:斉藤@管理人 投稿日:2009/11/08(Sun) 00:01 No.566  
ある方からの情報提供がありました。
菱雄という会社があり、
三菱鉱業(株)雄別炭礦(株)の石炭を取扱っている
特約店のようです。

道内各地に「菱雄」という会社があるようですが、
それぞれが独立した会社のようです。
↓そのうちの一つに、この会社があります。
http://www.murotech.or.jp/list/muroran/
昭和24年7月30日設立となっており、
昭和21年の財閥解体後に三菱から独立したことに
関連がありそうです。
HPを見ますと、雄別炭鉱(株)となっておりますが、
昭和24年現在は、雄別炭礦鉄道(株)のはずなのですが・・・

後ほど更新しますが、チラシには
三菱のマークと雄別炭礦のマークが重なった
社章?があります。
雄別炭礦から出資(株主の一人?)していたのか、
取締役に入っていたのかもしれません。



美術館バスツアー 斉藤@管理人 - 2009/11/08(Sun) 17:52 No.567  

本日は、釧路市立美術館の
雄別バスツアーが行われました。
参加された皆様、お疲れ様でした。



菱雄の石炭 斉藤@管理人 - 2009/11/08(Sun) 18:19 No.568  

「書類編その2」を更新しました。
菱雄の石炭チラシです。



Re: 菱雄の石炭 みわ@東京 - 2009/11/09(Mon) 22:04 No.569  

昨秋雄別にお邪魔した時飛行機がとれず千歳から釧路に廻った時初日に苫小牧に泊まりました、駅近くの王子製紙系のホテルの裏手に「室蘭菱雄」の看板をみて懐かしかったでした。
一般家庭から石炭が消えたのに伴い業態を見事に変化させ生き延びたのは評価できます。

北海道の主要都市に××菱雄という会社がありました。
斉藤さんのコメントのとおり特約店です。地元資本による石炭販売会社で石炭会社もお付き合いで若干出資はしたと思いますが僅かだったと思います。

戦後昭和24年までは民間会社が自由に石炭を販売することは許されず政府の外郭団体の公団(石炭販売公団・・名称は記憶なし)の担当でしたが昭和24年にこれが解消されたのに伴い石炭会社は自前で販売網を確立せざるを得なく結う別炭鉱は三菱と一緒に特約店網を築くために地元の有力者に販売会社を作ってもらいました。名称は室蘭菱雄とか釧路菱雄とか地元の名前をつけました。

チラシ・・・・懐かしく良く残っていたものですね



菱雄の石炭 斉藤@管理人 - 2009/11/10(Tue) 00:22 No.570  

みわ様、ありがとうございます。
「報告事項」を更新しました。
チラシは帯広にある菱雄が作ったものです。

三菱南大夕張炭礦の石炭も取り扱っているのでしょうか。
夕張市石炭博物館に菱雄の資料があるのかもしれませんね・・・



尺別 斉藤@管理人 - 2009/11/10(Tue) 21:18 No.571  

美術館バスツアーに参加された方から、
いろいろ資料の提供を頂きました。
その中に昭和30年代と思われる尺別の図面がありました。

双久通洞坑口の手前に、尺浦隧道の方向へ向かう
謎の坑口の正体がわかりました。
「排気斜坑」と書かれています。
よく見ますと、その坑口から巻上機とワイヤー
と思われるものが見えます。
おそらく、何か円形のドラム?か扇風機?が入っていたような
コンクリートの場所が、排気扇風機ではないかと思います。

排気斜坑の角度から、尺浦隧道の下をくぐっているようです。
つまり、尺浦隧道とは関係ない、
戦前?に採掘していた「四尺一号坑」につながっている
のではないかと思われます。



菱雄の今 ERROR - 2009/11/10(Tue) 21:55 No.572  

ざっと調べると釧路市の議事録に菱雄釧路という名前が出てきますね
根室菱雄と言う会社は現在も根室市の大正町に現存している模様です。
釧路菱雄はどうもその名前では現存してないようですね
他にも北部菱雄って会社がある模様です。



尺別 斉藤@管理人 - 2009/11/12(Thu) 00:32 No.573  

「音別町尺別」の「坑口(尺別)」を更新しました。


菱雄の、設立当初の
道内のどの場所にあったのか、
一覧にしておきたいですね。



寒いです 投稿者:斉藤@管理人 投稿日:2009/11/03(Tue) 16:35 No.564  

今日は水たまりが凍っています。

写真は、某林道から雌阿寒岳と阿寒富士です。
手前の小さい山は、たぶん徹別岳です。

あれから2年が経ちました・・・



夜10時 斉藤@管理人 - 2009/11/03(Tue) 22:17 No.565  

「報告事項」を更新いたしました。

しげ@札幌様
雄別小学校のグランドの上の炭住跡とサイレン山は国有林です。
昭和49年以降にカラマツを植林したのではないかと思います。
グランドと校舎は、植林ではなく天然林の状態で、
自然に木が生えてきて現在の状態になったのかなと思います。
周辺のカラマツは植林だと思います。

どなたか「ミルクプラント」から「ミルクホール」に
名前が変わった経緯と年代をご存知の方、
おりませんでしょうか。



夢の背景は今でも雄別 投稿者:なごやん 投稿日:2009/10/28(Wed) 22:15 No.554  
はじめまして!昭和40年まで(小六)山の手1丁目に住んでいました。家から小学校までの道のり鮮明に覚えております。商店街を通り郵便局を左折し(まっすぐ行くと映画館)橋を渡り保育園の前の坂を上がり、ガード下をくぐり炭鉱病院の前からまた長〜い坂の上が小学校。途中ミルクホールがあって休日に家族であんドーナツを食べた記憶があります。今でも夢の背景はまさしくこの景色・・・が多いです。懐かしいなぁ・・・・


教員住宅 斉藤@管理人 - 2009/10/28(Wed) 23:54 No.555  

「報告事項」を更新しました。


なごやん様
ミルクホールに「あんドーナツ」も売っていたのですね。
ご記憶されているそのほかの「メニュー」も
教えて頂けますと幸いです。

しげ@札幌様
索道の上り坂ですが、草刈りしたいと思っておりますが、
国有林なので、さすがに手を付ける勇気がありません。
お願いすればダメとは言わないと思いますが、来年にでも・・・



ストーブチェック 斉藤@管理 - 2009/10/29(Thu) 00:39 No.556  

「エピソード集」を更新しました。


睦人道橋 斉藤@管理 - 2009/10/29(Thu) 01:01 No.557  

「風景編その10(山の手・横山)」を更新しました。


選炭場方向 斉藤@管理人 - 2009/10/29(Thu) 21:42 No.558  

「風景編その8-2(雄別炭山駅遠景)」を更新しました。


職安の看板 斉藤@管理人 - 2009/10/29(Thu) 22:17 No.559  

「風景編その3(3区[末広町])」を更新しました。


Re: 夢の背景は今でも雄別 なごやん - 2009/11/01(Sun) 16:30 No.561  

斉藤様
いつも更新ありがとうございます。
さて、ミルクホールのメニューはホットミルクとココア?以外いただいたことないような・・・ほんのささやかな贅沢だったような気がします。私の祖母はお花の先生で生徒さんもたくさんいたようです。来年2月で103才ぼけずに元気ですよ!



ミルクホール 斉藤@管理人 - 2009/11/01(Sun) 18:25 No.562  

なごやん様
ありがとうございます。
「報告事項」を更新いたしました。

雄別にも、いろんなサークルがあったと思うのですが、
「雄別岳心会」「雄別民謡同好会」そのほか、
紙媒体でまとめられたものがあれば良いのですが・・・
皆様の記憶だけが頼りです。
お花の先生ということは、何かサークル名?
があったのでしょうか。



雄別林業 斉藤@管理人 - 2009/11/01(Sun) 18:28 No.563  

炭礦病院の中で、
「雄別林業株式会社」と書かれた
木材を見つけました。
釧路町に現存する会社です。



晩秋 投稿者:斉藤@管理人 投稿日:2009/10/31(Sat) 20:25 No.560  

もう、雄別は昼間でも寒いです。
カラマツ(ラクヨウ)の葉が黄色になっています。
春と秋だけ、道道から
雄別小学校の土台の跡を見ることが出来ます。



雄別小学校の教員 投稿者:一倉 投稿日:2009/10/21(Wed) 12:30 No.527  
はじめまして、一倉といいますが、私は小学校に入学した翌日に(昭和34年4月)転校しましたが、父はそれまでの8年?ほど
雄別小学校にいたようです。記憶では、山の手という写真のなかの職員住宅のひとつ(2軒長屋)に住んでいたと思います。
生まれたところですが、もう、ないということで、寂しくおもいますが、本日このHPを拝見して、父に写真をみてもらおうと
思います。



Re: 雄別小学校の教員 斉藤@管理人 - 2009/10/21(Wed) 12:59 No.528  

はじめまして。
雄別小学校の教員住宅は、
3区の末広町5丁目と聞いておりますが、
山の手の社宅に住んでいた方もいたのですね。
校長先生または教頭先生、もしかしまして事務長?
クラスの方だったのでしょうか。
ですが、校長住宅・教頭住宅も末広町5丁目に
あったと思うのですが・・・

埼玉県S様、何かご記憶されておりませんでしょうか?



Re: 雄別小学校の教員 斉藤@管理人 - 2009/10/21(Wed) 13:16 No.529  

一倉様、
お住まいだったのは、
山の手何丁目でしょうか。
昔の地図を見ますと、
山の手5丁目の一番上に、教員寮がありますが、
その近くでしょうか。



Re: 雄別小学校の教員 しげ@札幌 - 2009/10/23(Fri) 09:16 No.538  

教員住宅は、緑ヶ丘3丁目にもありましたよ。
橋を渡り右に曲がって150メートル位行った所のアパート(34年頃入居していました)の隣に一棟(二戸)ありました。
小学6年の時の担任だった、鶉橋先生も入居していました。



Re: 雄別小学校の教員 一倉 - 2009/10/23(Fri) 16:41 No.539  

しげ様ありがとうございます。父に電話したところ、鶉橋先生が6年生の担任の前年まで、教務主任をしていたと言っています。昭和34年4月には雄別から転任しました。いまだにその頃の同窓会があり、お誘いをうけているようです。


Re: 雄別小学校の教員 斉藤@管理人 - 2009/10/24(Sat) 22:32 No.540  

山の手1丁目の学校住宅跡に行ってみましたが、
残念ながらハッキリとした跡は残っておりませんでした。

写真は相ノ沢です。
相ノ沢の左側に学校住宅があったのではないかと思います。
写真のさらに奥に、浴場の跡が残っております。



中継地点 斉藤@管理人 - 2009/10/24(Sat) 22:35 No.541  

ズリベルト(※索道)の中継地点です。
Aの字のコンクリートです。
年々、木の枝が伸びてきて、見づらくなってきています・・・



Re: 雄別小学校の教員 一倉 - 2009/10/25(Sun) 11:05 No.542  

おはようございます。管理人さんは、すぅっと?雄別に行けるのですね、もう、熊も冬眠でしょうか?子供のころの記憶では、住宅裏手に相ノ沢(というのですね)をまたぐ小さな橋があり、その先に小屋がありました。遊んだ記憶があります。また、近所に職員だと思いますが、金木さんという方がいらして、奥様が女の子にバレエを教えていました。私は、スキーを
彼女から習い、今でも滑っています。



Re: 見事な紅葉だ みわ@東京 - 2009/10/25(Sun) 11:10 No.543  

東京は昨夜からの雨で急に寒くなりました。

ズリベルトの写真、見事な紅葉ですね。
こういう写真を見ると又訪問したくなりますが・・・・

一応来年も春にお邪魔しようと思ってます。



Re: 雄別小学校の教員 埼玉県S - 2009/10/25(Sun) 22:43 No.544  

管理人様ご無沙汰しております。
先日18日ふるさと阿寒・東京会があり80名ほどの皆さんが
集まり、和やかな会になりました。
一倉先生は存じております。先生も私の父の事を覚えていると思います。末広町5丁目には校長住宅、教頭住宅のほか長屋に6〜7名ほどの先生が住んでいました。独身の先生達の
共同部屋もあったと思います。



索道 しげ@札幌 - 2009/10/27(Tue) 09:46 No.553  

索道中継点附近ですか、懐かしいですね。土台まだ残っているんですか。
子供の頃に頂上まで何回も登りました、緑ヶ丘2丁目附近から階段を登り始め中継点土台附近を通り、更に急な階段を頂上目指して登りました。頂上から観る景色は「雄別の歴史」の写真そのものです。
又、高3(S39年)の時に索道頂上でズリ捨て関係のバイトを2週間位しました。あの急な階段を頂上まで15分位で登った事を思い出します。土台過ぎてからはかなりきつい登りでした。



無題 投稿者:一倉 投稿日:2009/10/21(Wed) 14:28 No.530  
早速の返信ありがとうございます。
遠隔地に父がおりますので、電話での返事では、山の手1丁目に阿寒町が造った住宅が4棟8軒あり、そこに住んでいたようです。雄別駅から近く、駅を背に歩いて、突き当たりを左に上ったところと、記憶しています。その手前には炭鉱の職員の方の住居もあったと思います。その頃の校長先生は横沢という名前だと聞いています。



学校住宅 斉藤@管理人 - 2009/10/21(Wed) 16:24 No.532  

昔の住宅地図?を見ましたら、ありました。
距離や方位は不正確だと思いますが、
地図の青い矢印の学校住宅ではないでしょうか。

駅前から北陽道路の上り坂の手前を左に曲がると、
矢印の学校住宅の位置になるのかなと思います。



地図を見ると ERROR - 2009/10/21(Wed) 23:22 No.533  

その住宅の左斜め下に浴場がありその隣にも学校住宅の記述がありますね(多分沢沿い・・・)
この場合は炭山駅を背にして役場の所を左に曲がって突き当たりの右側って感じですねおよそ駅から徒歩3分の位置ですね



地図と年代 斉藤@管理人 - 2009/10/22(Thu) 01:06 No.534  

何年に雄別を離れられたかや、
お住まいだった場所により、
微妙なところがあります。

昭和30年代と昭和40年代では、
当然、この間に新しく建てられた建物や道路がありますし、
解体した建物もあります。

昭和34〜35年頃に雄別を離れられた方は、
昭和39年から動いている「雄鉄バス」のことは
わからないと思います。



雄小の記録 しげ@札幌 - 2009/10/26(Mon) 09:32 No.545  

私は、昭和34年雄小卒業です。
卒業のサイン帳に「横沢」と書かれたサインをしてもらっています。校長先生だったのですかね?
卒業写真の中央に体格の良い丸い眼鏡を掛けた先生が座っていますが、この方でしょうかね。名前が思い出せません。



ヒグマ・ブリキ・市長・中学校 斉藤@管理人 - 2009/10/26(Mon) 20:22 No.546  

一倉様
まだヒグマは冬眠していないと思いますので、ご注意下さい。
毎週、休日は雄別に行っております。

みわ様
のちほど更新いたします。

埼玉県S様
蝦名市長が会場に来られたのですね。

シゲ@札幌様
雄別中学校の教員住宅は、横山だけだったのでしょうか。
緑ヶ丘や、山の手に分散して住まわれていたのでしょうか。



雄中教員住宅 しげ@札幌 - 2009/10/27(Tue) 08:48 No.552  

昭和37年の卒業文集に載っている18名の先生の住所は
 ・横山市街教員住宅・・・9名
 ・山の手5丁目共和寮・・7名
 ・山の手1丁目・・・・・1名
 ・1区緑ヶ丘・・・・・・1名
 となっています。共和寮の先生の所に遊びに行った事があります。



石炭基礎講座 投稿者:斉藤@管理人 投稿日:2009/10/26(Mon) 20:53 No.547  

昨日、釧路市立博物館の石炭基礎講座が
音別町の尺別炭礦跡地で行われました。
参加された皆様、お疲れ様でした。



音別町の図書館 斉藤@管理人 - 2009/10/26(Mon) 20:56 No.548  

音別町ふれあい図書館「みなくる77」にて、
釧路市立美術館のフロッタージュの展覧会が
行われております。



雄別礦業所玄関の看板 斉藤@管理人 - 2009/10/26(Mon) 21:39 No.549  

「風景編その6(礦業所周辺)」を更新。


雄別工作所跡 斉藤@管理人 - 2009/10/26(Mon) 22:14 No.550  

「風景編その5(選炭場周辺)」を更新。



5区 斉藤@管理人 - 2009/10/26(Mon) 23:06 No.551  

「風景編その11(5区・6区)」を更新。


今日の釧路新聞 投稿者:斉藤@管理人 投稿日:2009/10/22(Thu) 20:08 No.537  
シゲ@札幌様
雄別礦業所の玄関の看板のカラー写真は、
はじめて見ました。
屋根の鉄板は周囲に落ちていたので色がわかりましたが、
玄関の看板の色ははじめて知りました。
のちほど更新いたします。


さて、今日の釧路新聞の3面に、
雄別鉄道の鉄橋の記事が掲載されております。
今まで事情があり、公表しておりませんでした。
本日、公式?に発表されましたので、
解禁ということでよろしいですよね、★様(⌒▽⌒;

今年の5月の連休に、
佐藤@横浜様と現地を歩きまして、
佐藤@横浜様のおかげをもちまして、
製造年代がわかりました。

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