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みわ様遅くなりましたが、トップページに「雄別にはズリ山がない」を置きました。
私の勘違いでした。写真の青い矢印の先の階段ですね。坂道の上側ですね。雄別岳心会の撮影場所の右後ろに、今も消火栓が残っています。
12月29日、午前11時から、BS2で11月30日の横浜赤レンガ倉庫で行われたシンポジウムの様子?が放送されるようです。残念ながら私はBSは受信できませんので、どなたか録画していただけますと幸いです(⌒▽⌒;
皆様、今年もよろしくお願い致します。今年の目標は、任意団体の設立を目指したいと思います。また、草刈の範囲の拡大、案内看板の設置も。雄別には、まだまだ遺構が残っており、危険な場所であるがゆえに、その行き方・場所についてはHP上では公表できません。ですが、今年は出来るだけ多くの方を案内して、その場所を憶えて頂きたいと思っています。万が一、私の身に何かあった時のことを考えて・・・
本日の雄別は本格的な雪となりました。車で入って行けるのは、来年の春となりそうです。
ぼくは昭和32年生まれで、33年から35年ごろ、雄別に住んでいました。わずかな記憶しかありませんが、ぼくにとっては決定的に重要な時期だったと思っています。住所も分かっていません。父は中学校だと思いますが、その事務員でした。片足の障害者でした。弟が35年の7月に生まれました。近所の友達と遊んだ記憶があります。当時のことを知りたいと思っています。ぼくやぼくの家族について知っている人は、教えてください。
トップページに、<旧三池炭鉱有明坑立坑やぐら保存署名>を置きました。大牟田市N様署名にご協力いたします。皆様もご協力頂けますと幸いです。
皆様ご心配をおかけしました。今後もよろしくお願い致します。昨日、12月14日、道道のゲートが閉鎖されました。来年の5月12日まで閉鎖されます。大祥内の手前で行っている雄別治山事業ですが、工期は12月14日で完了のはずなのに、まだ続いている雰囲気でした。灯油を運ぶ車が行き来しているようです。近代化産業遺産に認定されたので、今後の産業観光の支障とならないよう、早く、大祥内の炭層へつながる林道が開通することを望みます。
5区に住んでいました。歳がいくと故郷が懐かしくこの掲示板を見ながら昔を偲んでいます。学校卒業時が閉山で以後、転々と転勤し、色々な街でお世話になりました。炭鉱と町は無くなりましたが、この掲示板を見ながら、故郷を感じています。
雄別の歴史が再開されました。一時閉鎖されていたことから炭鉱遺産に興味を持つ知人からの問い合わせが私ごときものにまでありました。それだけ注目されていたことに敬意を表します。雄別に在籍していた者としてこのHPの存在がありがたいことだと思っておりますので今後のご活躍を願っております、
毎年、このHPでお世話になっている方々に年賀状を出そうと思ってはいるのですが、今年も申し訳ありません。喪中ではないのですが、ハラコ様のことがあり、どうしても出す気にはなれません・・・ですが、年賀状を送って頂いた方には必ず返信いたします。
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